加藤のメモ的日記
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2009年06月29日(月) 棋士 宮田敦志

驚きの天才が現れた。毎年「詰め将棋解答選手権」というのがあるが、6年間で5回優勝(うち1回は欠場)という成績を持つのが宮田敦史(27歳)だ。詰め将棋の早解きを競うこの大会はアマチュアに加え、名だたるプロ棋士も多く参加している。計3時間で10問が出題されるが、10問正解は宮田だけだったようだ。特筆すべきは昨年度の成績だ。多くのタイトル保持者たちを加えて、年間勝率第1位に輝いたのである。トータル28勝9敗で、勝率75.7%。堂々たる成績だ。

彼は小学校の4〜5年のころに米永道場へ来ていたことがある。現在のタイトル保持者たちが道場からいなくなって小・中学生中心の道場になったころの話だ。お母さんが連れてきて、夕方に戻ってくるまで将棋をさすのだが、お母さんは日曜ごとにあっちこっちの道場に連れ立っていった。やっぱり母親の愛情は胸を打ちますなあ。彼の頭の中はほとんどが将棋でできている。

今年3月にNHKの将棋番組で中継があり、そこに解説者として宮田が出演したときの話だ。大盤に現在の局面が映し出され、それをプロ棋士が解説する番組である。時間になって放送が開始されれば、出演者全員がカメラに向かって挨拶するのが当然だが、彼だけは視聴者に尻を向けて将棋版を見つめていた。KYなる言葉があるが、頭の中が将棋だけだから仕方がない。多くの視聴者が意見を寄せたようだが「あの態度はよくない」という声があった中、「プロ棋士の真髄を見た」という暖かい意見も多かった。この原稿を書くために、彼の実家に取材電話を入れると、お母さんが出て「本人はジョギング中です。二時間ぐらいで帰ります」と告げられた。

将棋だけの男かと思っていたのでびっくりした。一時期病気で欠場していたことがあったので、健康には人一倍気を使っているそうだ。昨年度の順位戦最終局の相手は広瀬章人五段だった。広瀬は勝てば昇級という大事な一局だったが、宮田は全力をあげてこの一局に勝ち広瀬の昇進を阻止した。この時宮田自身は6勝3敗で、勝っても負けても昇給できなかった。「自分には無関係でも、相手にとっては人生を左右するような一局こそ必ず勝たなければならない」これこそが米長哲学であるが、彼は棋士としてそんなことは当然承知しており、それを実践してくれた。



米永邦雄/よねながくにお 
1943年、山梨県生まれ。佐瀬裕二名誉9段門下。85年、四間を獲得し、93年には史上最年長で、名人位に輝いた。03年に現役引退後、05年より日本将棋連盟会長を務める。永世棋聖


2009年06月24日(水) 御巣鷹山の日航機123便

「あれから何年たつのだろうか……」
そう。昭和60年(1985年)8月10日。群馬県の南西部に位置する「上の村」の御巣鷹山に、日航機が墜落し、何の覚悟も準備も出来ないまま、520の無辜なる魂が一瞬にして生命を奪われてから24年が経つ。「もう24年になるのか」漠然とした感慨が頭をよぎる。

●外国人犠牲者に見る宗教観の違い
8月18日、事故後6日目となると、面接による確認は皆無となった。もちろん五指のそろった完全遺体の収容もほとんどない。バラバラに分解した遺体を確認するのは非常に困難な作業である。まして、炭化や挫滅、挫砕の遺体が多い。手や足だけの難断遺体で指紋や足紋が利用できない状態では、性別や年齢、血液型、足のサイズなどが個人識別の頼にとなる。犠牲者が520名と多数の場合でも性別、年齢、血液型の別に整理すると、各組み合わせに入る該当者は少なくなる。

飛行機事故の場合、機体が分断、飛散するため搭乗者の座席位置によって遺体の収容地点が広範囲に違っているので、収容場所により年齢、性別から被害者を絞る有力な方法となる。このようにして指紋や歯形といった積極的な識別方法を利用できなくなった時点では、蓋然性を高める方法は消去法を用いていった。東京歯科大学の橋本正次は、「このような方法を用いたことについてオーストラリアで説明すると、参加者は怪訝な顔をして『なぜ手や足を識別しなければならないのか』と質問する。

そして『死んでいるということは精神が宿っていないのだから物体と同じではないか。だからすべてをまとめて火葬にすればいいだけである』と言う」と、日本人的宗教観との大いなる相違点を強調する。―犠牲者の中に、二十代の韓国人女性がいた。両足と左手だけの難断遺体で、指紋と身体特長によって確認された。遺族に説明したら「間違いありません。ありがとうございました」と礼を言われた。「ご遺体はどのようにされますか」と訪ねると「娘は神様のところに召されて幸せです。肉体は一緒に亡くなった人と共にに、埋葬してください」と言う。事故から9日目の21日、医師とと警察官がようやくにして確認した遺体であった。何か残念な気もする。

8月28日、左腕の離断遺体を指輪から確認する。アメリカ人の男性であった。外務省を通じて、アメリカ大使館そして中米の日本大使館から遺族に連絡した。確認理由を話すと納得したが「遺体はそちらにお任せします」という返事が来た。「飛行機が落ちた場所に埋めていただいてもいいし、荼毘に付してもいいです」と。

28歳のイギリス人男性の完全遺体。8月19日に指紋、歯形、着衣で確認した。イギリスから父親が来て息子を確認。通訳を入れて確認調書を取った際、「息子は死んで神に召された。死んだことがわかったので、死体は持ち帰らなくてもいい」と言う。そして涙をボロボロとこぼしながら「日本の警察は親切だ。息子をこれほどまで大事に扱ってくれてうれしい」と何度も例を言って帰った。

この父親は宗教観の違いではなく、日本の警察の心に感謝してくれた。この事故での外国人犠牲者は22名であった。韓国人(キリスト教徒を除く)以外の外国人は、死と遺体の処理に関する考え方はほぼ共通している。橋本講師はこんなことも言った。「両親をアメリカの航空事故で失ったオーストラリア人の話を聞く機会があった。彼の話で印象に残ったのは、事故の連絡でアメリカに行き、ホテルに着くと航空会社の人が部屋に来てまず謝罪する。ここまでは当然のこととして聞いていたが、驚いたのはこのあとすぐに慰謝料の交渉に入ったというのである。そして、このオーストラリア人は何の抵抗もなく、提示内容を聞いたという。そこで彼に『遺体はどうしたのか』と訪ねると『現場に行き事故の状態を見たとき、誰も助からないだろうと判断し両親の死を認めた』と言い、遺体をそのままに、引き取ることもなく帰ったと言う。

なぜ遺体を引き取らなかったのか、と日本人的な感情も入ってつい、強い口調で訪ねると、デス、イズ、デス、つまり死は死である。もらっても生き返るわけではない。魂は神のもとへ召された、ということだった」と。私は橋本講師の話を聞いて、死に対する宗教観が日本人と外国人でこれほどまでに違うのかと大きな驚きを感じた。日本人は来世を信じ、そこでも生きると考える。いや、そうありたいと欲するのかもしれない。したがって死んだあとも完全な死体が必要になり、死体を生きた人間と同じように扱うことにもなる。


『墜落遺体』 飯塚 訓


2009年06月21日(日) 細木数子 寂しき魔女の晩年

●「カズバァ」と子供に呼ばれ、小遣いに1万円札を●トイ・プードルを話し相手に、朝青龍や魔裟斗の訪れを待つ●「いつかは死ぬ。後継者にゆずりたい」漏らした弱音●東京・大阪での1万円「勉強会」は今も…

東京・神楽坂で彼女の姿はよく目撃されている。「時々散歩してますよ。一人で歩くことはまずないですね。ミンクのコートを着て、若くて体格のいいボディガードを引き連れて、荷物を持たせてね。エルメスのケリーバッグとか。まるで女王様のようですよ。大きな外車(マイバッハ)が彼女の送り迎えに来ます。でも、ここらの道は狭くて一方通行です。だから、1台が止まると当然その後ろがつかえて大渋滞になる。そんなの本人は意に介さず堂々としていますよ」(近隣住民)

彼女とは占い師、細木数子(71歳)のことである。「ずばり言うわよ」をきめ台詞に、高視聴率をたたき出しながら「六占星術を世に出してから30年。原点に戻って充電したい」と語って、昨年3月にテレビから姿を消した。実際は、週刊現代の集中連載(溝口敦氏『魔女の履歴書』によって暴力団との親密交際をあぶりだされた結果にすぎないのだが…。

その後メディアに登場したのは、昨年8月の大相撲のモンゴル巡業に同行する姿が見かけられた程度。彼女は今、何をしているのだろうか。細木は、05年には雑誌(『新潮45』)05年4月号)のインタビューで当時の自身の仕事と金についてこう語っている。

○テレビ出演料(一回、400万円よ。(中略)そのレギュラーが、月に8本。それと、今決まっている特番が4本、これは一本に月1千万円)○携帯占いサイト(300円×3百万人として3億だよ。それが毎月)その他占い本と、公園、鑑定、勉強会、後援…いろんなことで2億ぐらい入る)あわせた年収は17〜8億円ね)この莫大な収入を生んだ細木の占い活動は現在どうなっているのか。民放テレビ局社員が語る。

「09年の年明けにもテレビに復帰、それも改名してなんてうわさもあった。ただ、現場レベルでは起用は難しいということです。この不景気のご時世に1時間400万円とも言われるギャラは出せません。また、最近は内容を問われない無難な番組を制作する傾向があり、スピリチャルは難しい」出版元であるKKベストセラーずの社員が語る。「ホームページでは著書の累計部数が7500万部突破となっていますが、テレビ出演がなくなった影響は大きく、昨年8月に発売された平成21年版の売り上げは、最盛期の3分の1に落ち込んでいます。

細木のお気に入りで、今年4月に引退宣言した格闘家の魔裟斗も一度見かけられている。商店主が語る。「去年12月、夜の8時ごろに、細木さんの家の路地から派手な私服の魔裟斗が『さよなら−」と手を振りながら一人で歩いて行く姿を見かけました。細木さんも通りまで出てきて手を振っていましたよ。泊まってはいないと思いますけど、仲よさそうでした」

両者とも住民が見かけたのは一度ぐらいで、他の有名人が見かけられたことはないという。<死んでも相続者はいない、親族相続は一切なし。昔から言うでしょう、遠い身内より近くの他人って>前出の月刊記事でこう語っていた細木だが、身内に姿を見せる姿も目撃されている。「時折、小学生ぐらいの子供が三人、遊びに来てましたね。家の前の路地で縄跳びしたり走り回っていました。親戚の子供だそうで、「カズバァ」と細木のことを呼んでいました。その子たちが、近所のコンビニに1万円札を握り締めて買い物に来たこともあるそうです。細木があげたんでしょう。鼻のあたり、顔の中心がムクッと大きくて。あの人に似てるんだよね。ここ半年は見かけないけど」(近隣の飲食店従業員)

今年の初詣会で細木はこう語っていたと言う。「あと数ヶ月で71歳になる。私も人間だからいつかは死ぬ。だから、ゆくゆくは後継者にゆずりたい」細木に現在の心境を語ってもらおうと、連日細木邸を訪ねたが、インターホンに反応はなかった、そこで事務所に問い合わせると、担当者はこう語った。「何もないですよ。テレビ出演は当分ありません。『週刊現代』ですよね?ああ怖い怖い。では」全盛期に及ばないとはいえ、安定した収入はある。彼女のもとに駆けつける信者もいる。だがしかし、後継者といえる存在はなく、彼女の日常からほの見えてくるのは、寄る辺ない孤独な老人の姿だった。


週刊現代 5月2日号


2009年06月18日(木) コーヒーの健康作用

●免疫学会で明らかになった。
コーヒーが持つさまざまな健康効果に注目が集まっている。疫学調査会などの報告で、高血圧や動脈硬化などの生活習慣病からガン予防までコーヒーがもたらす効果が次々とと明らかになっているのだ。ガン予防、疲労回復、抗ストレス作用など。

カフェインの覚醒効果によって、コーヒーはもともと薬としてイスラム教徒の間で珍重されていました。日本では江戸時代、オランダから長崎に持ち込まれたのですが、見た目が真っ黒で味も苦いと当時は不評だったようです。その後嗜好品として親しまれるようになり、近年はガン予防などの効果があることがわかりました。新たな商品価値として認められつつあります。(全日本コーヒー教会の担当者)

国内における大規模な疫学調査では、すい臓ガン、肝臓ガン、子宮体ガンなどへの予防効果が認められているほか、血管を広げる働きから血圧を下げる効果や抗ストレス作用、疲労回復、二日酔い防止にいたるまで、コーヒーによる健康効果は幅広い。「自律神経を調節し、満腹感を高めるといわれています。脂肪燃焼に役立つという研究もあり、女性からは多くの問い合わせがあります(同)

そうした効果の一翼をになうのはコーヒーに含まれるクロロゲン酸というポリフェノール。その強い抗酸化力は赤ワインのそれとほぼ同程度とされ、細胞や遺伝子を傷つける活性酸素の毒から体を守ってくれると考えられている。また最近新たな成分が見つかった。それが「コーヒーオリゴ糖」だ。オリゴ糖とは糖質の一種で、ブドウ糖や果糖などの単糖が2〜10個程度結合した糖を指し、「少糖類」とも呼ばれている。

オリゴ糖は消化されずに大腸まで届き、腸管内にすむビフィズ菌のエサとなるのが特徴で、食品メーカー大手の味の素ゼネラルフーズがコーヒーからオリゴ糖を取り出すことに成功した。「コーヒーオリゴ糖はコーヒーの豆カスから抽出します。オリゴ糖には大豆など10種類ほどがありますが、コーヒーオリゴ糖は他にはない、かなり異なった構造をしています」同社・技術開発研究所の熊王俊夫主査は抗説明する。オリゴ糖はほとんどが無味無臭できな粉、ゴボウ、タマネギ、にんにく、枝豆、バナナ、ネギなどに多い。このほど同社が従来行った臨床試験を改めて検証したところ、予想を超える結果を得たという。

「コーヒーオリゴ糖を継続して摂取した群では、内臓脂肪と血圧が減少し、中性脂肪も下がるという傾向が確かめられました。さらに、すでにメタボリックシンドロームと診断されている人の割合が半減、予備軍の4割は健康な状態に戻っていたのです」熊王主査によるとコーヒーオリゴ糖によって小腸での脂肪吸収が抑制され、くわえて肝臓での脂肪の合成が抑えられることによる相乗効果だという。

機能性食品に詳しい東京農業大学の荒井惣一客員教授は「いまやコーヒーを飲みながら肥満を予防する時代。コーヒーオリゴ糖は他の食品も配合することができるため、その将来性が期待されています」と話す。長年にわたる食の歴史があるため安心して利用できるという。



九州スポーツ 6月14日号


2009年06月15日(月) 東京裁判

私はこれからの日本が世界において存在感を示し続けるために、是非やっておかなければならないことが三つあると考えている。それは三つの「マインドコントロール」からの解放である。日本人がこのマインド・コントロールから脱することこそが、今の日本にとって何よりも緊要のことなのだ。日本人にかけられた第一のものはいわゆる東京裁判史観というマインド・コントロールである。東京裁判の正式名称はは極東国際軍事法廷という。国際法廷という名称から、あたかも国際法にのっとった裁判であるかのように思われているが、これはまったくの誤解である。

そもそも当時の世界では、負けた国の指導者を国際法廷で裁くと言う国際法も慣習もなかった。戦争犯罪という言葉はあったが、これは実際の戦場で戦時国際法を破った将兵を裁くためのもので、戦争を始めること自体が罪悪であるという考えは存在しなかったのである。それは当然のことで、自国の存続を賭けて戦争をするのは国家として当然の権利である。したがって戦争を始めた指導者をそのことで裁くなどということは考えられないことであった。

だが米ソをはじめとする連合国は、東京裁判を強行した。これは日本を犯罪国家と断定してその歴史から一切の栄光を奪い、合わせて日本人のプライドを徹底的に奪おうと考えたからに他ならない。つまり東京裁判とは裁判の形を借りた「見せしめショー」であったのである。その動機のもとには日本の復興を恐れる気もちがあったに違いない。だがこの東京裁判という名のショーで語られたことは戦後の日本では”常識”になってしまった。戦前の日本を侵略的な指導者の下に率いられた邪悪な国家であり、南京大虐殺のような非人道的なことも平然とやったといまだに思われているし、また学校で教えられている。

これでは日本という国に対する自身も、また自分の祖先に対する尊敬も生まれるべくもない。この東京裁判史観というマインドコントロールを脱しない限り日本は世界においてリーダーシップに参加することもあり得ない。自らの歴史に誇りを持てない民族は誰からも尊重されるはずがない。

東京裁判が過ちであったことは、その裁判を始めたマッカーサー自身ですら、後で気がついたことである。戦争直後、日本に進駐してきたころのマッカーサーが日本に対して抱いていたイメージは日本ほど悪い国家は地球上に存在せず、この国さえ存在しなければ極東は未来永劫平和であるというものであった。そこで日本人を二度と立ち上がれなくするために日本人を再教育し、日本人から気概を奪おうとしたのである。ことに彼はフィリピンで日本軍に敗北を喫して逃げ出したことがあるだけにその思いは強い。

ところがいざ日本に来てみると様子が違う。日本人ほど法と秩序を守り平和を好む国民はいない。日本占領に反対するゲリラが現れると覚悟していたが、そうした動きはまったくないのである。また実に勤勉で誠実である。これがあの悪の帝国であろうかとマッカーサーはいぶかしみ、徐々に日本に対するイメージを修正していったようである。そこで起こったのが朝鮮戦争である。1950年(昭和25年)スターリンと毛沢東に後押しされた北朝鮮軍が38度線を越えて南から攻め込んできた。

朝鮮戦争が起こる前、アメリカの外交戦略において朝鮮半島は守備範囲の外とされていた。つまりソ連や中国がどうしようと勝手にやるがいいというのがアメリカ政府のスタンスであった。だが実際に北の勢力が武力で侵入してくると、アメリカ政府も東京にいたマッカーサーもそんな悠長なことは言って入られなかった。日本を守ろうと思えばのうのうと座っていられない。共産勢力に朝鮮半島が奪われれば、それは匕首のように日本の安全保障を脅かすことになるのだ。アメリカ政府とマッカーサーは日本防衛のために北朝鮮と戦うことに決めた。

そこでアメリカ政府もマッカーサーもはたと気がついた。自分がこれからやろうとしていることはまさに明治以来の日本がやったことと同じではないかということにである。マッカーサーのそれまでのイメージでは日清・日露戦争は”侵略戦争”であった。日本は朝鮮半島を植民地にし、朝鮮の人々を奴隷のように収奪するために戦争をしたのだと考えていた。だがそれは間違っていたのだとマッカーサーは痛感した

。明治の指導者も、今の自分と同じように日本を守るために半島や大陸に出兵せざるを得なかったのだ。日清戦争は清国が条約を破って朝鮮半島に兵を送ったために起こった。また日露戦争は満州全部を手に入れたロシアが朝鮮半島にまで野心を抱いたからこそ起きたのではないか。もし自分が明治の日本に生きていらならば、当然同じように戦っただろうと。


『日本の生き筋』渡辺昇一


2009年06月14日(日) 世界はユダヤ化に向かう

金融に限らず、現代の世界はユダヤ化の方向に向かっている―と書くと、日本では「ユダヤの陰謀」という話になるわけだが、私が言いたいのはそういうことではない。これだけ複雑化した世界において、一部の人たちが世の中の流れを変えられるわけがない。いかにユダヤ人たちが賢く、豊かであってもそう簡単にに世界は動かないのである。それではどうして世界はユダヤ化に向かっているのか。その答えは第二次大戦にある。

この前の戦争で欧米人、ことにヨーロッパ人たちはほとほと戦争が嫌になった。勝った側も負けた側もヨーロッパは国土が荒廃し、そこから復興するには大変な努力を要したわけである。そこで二度と戦争が起こらないようにするにはどうしたらいいかと考えたとき「すべての元凶は国境にある」ということに彼らは気がついた。そもそも国境などというものがあるから、偏狭なナショナリズムがつくられるのだし、経済摩擦が生まれ、敵意が醸成されるのだ。そこで何とか国境を低くし、自由に物や人と金が動くようにしようという動きが生まれてきたわけである。

といっても、当時は東西対立があったから国境を低くすることはなかなか進まなかった。逆に東西の間では国境を高くせざるを得なかった。だがソ連がなくなり、冷戦が終ってしまえばもはや国境に極端にこだわる必要もない。そこで、ここ十年の間に世界経済は一気にボーダレス、グローバルになった。そして欧州大陸ではついに通貨統合までが行われるようになったわけである。

さてこうしてどんどん国境が低くなっていった結果、「ユダヤのルール」がものを言うようになってきたのである。ユダヤのルールはその迫害の歴史に由来する。ユダヤ人は二千数百年も自分たちの国家を持たず、ヨーロッパをはじめとして世界各国に分散して生活せざるを得なかった。どの国でもよそ者として扱われ迫害を受け、財産ばかりか命までを奪われることも珍しくなかったのである。ユダヤの迫害の種となったのは、中世においてはキリスト教であり、近代ではナショナリズムだった。ことに近代国家の時代になると、ユダヤ人はますます住みづらい状況になった。その極点がヒトラーであることはいうまでもない。

こうした環境に置かれたユダヤ人たちは、勢い国家に頼らない生き方をせざるを得なかった。ヒトラーの迫害に見るとおり、ユダヤ人たちは一般市民ばかりかその国の政府からも迫害を受けた。またユダヤ人にはキリスト教徒に禁じられていた金貸し業をやる人が多く中には王侯貴族に金を貸しているユダヤ人もいた。ところが王や領主は、いつその金を踏み倒すか知れたものではない。踏み倒されるならまだいいほうで場合によっては住む家を追い出されたり、殺されることもあった。

こうした長い苦労を経たためにユダヤ人たちは「一つの国にとどまるのはむしろ危険で、いろんなところに分散していたほうがかえって安全だ」と考えるようになった。その典型がロスチャイルド家である。ロスチャイルド家の創始者はそもそもドイツのヘッセンで成功した人だったが、彼は長男をドイツに留めただけで、残りも息子たちをロンドンやパリ、ウィーン、ナポリなどに送りリスクの分散を図った。そしてヨーロッパ中にネットワークを築くことで、ロスチャイルド家をさらに発展させたのである。

ロスチャイルドのやり方は、まさにグローバル化を200年前に行っていたわけだが、当時からこの戦略は大成功を収めた。ナポレオンのフランス軍とウェリントン将軍のイギリス軍が衝突したワーテルローの戦い(1815)において、ロスチャイルドは金を出して両軍の将校や兵士から情報を集め誰よりも早くその戦争の結果をつかみ、常勝将軍ナポレオンの敗北を知った。そのニュースはイギリス政府が結果知るよりも早く、ベルギーからイギリスのいるロスチャイルドにもたらされた。

ロスチャイルドはイギリスの勝利を知るや否や、まずイギリスの国債を売った。それにつられてイギリス人たちも不安売りしたため暴落した。その底値でロンドンのロスチャイルドはイギリス国債を買いまくった。そして勝利の広報が届き、相場が急騰すると今度はその国債を売り抜けて巨額の儲けを得たのである。


『日本の生き筋』 渡辺昇一


2009年06月07日(日) アリ

女王アリと処女女王アリはメスである。働きアリも兵隊アリもすべてメスである。受精卵からはすべてメスが生まれる。それが幼虫期に高タンパク質の食物を多く与えられた幼虫は処女女王アリになり、普通のアリもメスで完全に生殖能力が奪われているわけではないので産卵も可能である。

しかし女王アリの出す抑制フェロモンの影響で産卵しない。また、結婚飛行をしていないので受精卵を生むことができない。一方オスは未受精卵から生まれる。女王アリは生み分けが可能で、コロニーが未成熟なうちはオスアリは生まない。

アリの寿命は正確な研究がなされていないようだが、働きアリで1〜2年くらいのようである。少なくともスズメバチよりは長生きになっているようである。女王アリはもっと長い寿命のようで、10年ぐらいと推定されている。女王アリがそれぞれのアリの巣の寿命と考えていいようである。


『自然の面白クイズ』


庭を掃く時、アリがいてもお構いなしに砂と一緒に掃いていた。どうせ一週間ぐらいの命だろうと思っていた。働き蜂の寿命は一ヶ月らしいから。3〜4本のホームページを見るとどれもアリの寿命は1〜2年と書いてある。これからアリもやたらに殺せないかも。


2009年06月02日(火) 三沢心肺停止

ノアでまさかの惨事が起こった。13日の広島グリーンアリーナ大会で、三沢光晴(46)が試合中に動かなくなり救急車で病院に搬送された。三沢はGHCタッグ選手権試合に出場していたが斉藤彰利にバックドロップを受けた直後に動かなくなった。リング上では心臓マッサージ、人工呼吸などのの応急処置が施されたが、意識不明の状態で病院に運ばれ心肺停止状態という。三沢は塩崎剛と組み。斉藤、バイソン組のタッグ王座に挑戦していた。事故があったのは26分過ぎだった。斉藤が三沢を担ぎ、バイソンがコーナー上からアイアンクローボムを放つ。

そのまま三沢は斉藤につかまり、カカト落とし、コーナーでの串刺しの膝蹴りを食らった。次の瞬間だった。三沢を抱えた斉藤はひねりを入れたバックドロップを放った。誰もが不屈の三沢が立ち上がってくると予想していた。しかし様子がおかしい。リング状で「く」の字に体を曲げた三沢がピクリとも動かない。会場が騒然とする中、西永周一レフェリーも異変をキャッチし、試合続行不可能と判断しレフェリーストップが宣告された。

すぐさまリングドクターや選手、スタッフが次々とリングに駆けつける。三沢は以前動かない。心臓マッサージ、人工呼吸が続けられ、選手たちは「社長」「社長」と連呼するが三沢が目を開けることはなかった。三沢の様態は意識不明。心肺は停止しているという。三沢が動かなくなるまで試合は一方的な王者のペースだった。パートナーの塩崎が捕まる展開が続き、三沢もアイアンクローと延髄の合体技や、バイソンの強烈なショルダータックルなどを食らい試合中も険しい表情だった。三沢はこれまでの歴戦で首に爆弾を抱えており、バックドロップのダメージが致命傷になった可能性がある。リング上で成人男性の半分近くの脈はあったもようだ。


……………

プロレス過去の重大事故
日本での最初の死亡事故は女子プロレスのプラム麻理子だった。1997年8月15日のタッグマッチで尾崎魔弓のライガーボムを受けて意識不明に陥った。この翌日に急性硬膜下出血、脳挫傷により死去。試合中にリング上で発生した事故で死去した初めての選手だった。

新日本の福井雅一は急性硬膜下血腫のため2000年4月14日に宮城県気仙沼の病院で亡くなった。福田は前年の10月17日の神戸大会で頭部を強打し、硬膜下出血が認められ療養。復帰後の2月にも頭部を打ち、これが致命傷になったようだ。これが日本男子プロレス界での初めての試合での悲劇となった。また海外では、1999年5月23日、WWF大会でオーエンハートは天井から吊るされて登場する予定だったが、ワイヤが外れてリングに転落。この事故が原因で同日に死去、プロレス一家としておなじみのハートファミリーの一員。80年代の終わりごろには新日にも参戦した。元IWGPジュニアヘビー級王者。


九州スポーツ


2009年06月01日(月) FXで失敗した

もうこの板に来ることなさそうなので最後に書き残します

昨日FX初めて半月で1600万飛ばしロスカットされました。まさかこんな一瞬で110円切るなんて思わなかったです。サブプライムスッゲー。最初の一週間で200万円増えたので調子に乗って、レバちょっと上げた瞬間ナイアガラ
デモやってたけどこんな急落想定していなかったからどうしていいかわからず。水商売やら何やら、人に言いづらい人生送りながら3年かけて貯めたのになーガイアの主婦は他人事じゃなかった。つか自分がガイア主婦以上のアホだった。ギャンブル一切したことなかったのになんで挑戦しようと思ったんだか。

全財産の7割が半月で消えてしまいましたが少しは残ってくれたし
借金とか背負わなかっただけマシかな
昨日は実感が無くて、でもアワアワしてたけど
今はなんかとても静かに落ち着いた気分
一瞬でもいろいろ夢が見れてよかったし
また明日あたりから一生懸命働いてみようと思う

ここの皆はがんばってね絶対に絶対に余剰資金の範囲でやってね。明日いきなり10円ぐらい上下しても平気な対策しておいてねドル円スレスレ、みんなと一緒にわーわー騒げて楽しかったよ。

ばいばい。



『日刊スポーツ』


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