++るうの独り言++
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2003年04月29日(火) 某コーヒー店で

るう「えーと、木苺のケーキをコーヒーとセットで」
店員「ケーキのセットですね。お飲み物は何になさいますか?」

(-_-)

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今年やりたいことのひとつにつながる講習が、希望者多数で抽選になりそうじゃ。(T.T)

念力!
あたれあたれあたれあたれあたれあたれあたれあたれ。

よし。
これであたらないのなら、まだそれをする時期にきてないということだ、とあきらめる。わはは。

技術力、精神力、に加えてタイミングも何かをやるときの大事な要素。
これが3つともちゃんとそろわないとどこかに絶対無理がくるし成功もしない、と私は思ってる。
そろえば、信じられないほどスムーズにことは運ぶ。<今までの経験

だから
気を読むとかさ、タイミングを計る/察知するという能力も必要だな。
これは目が自分にしか向いてないときには決してできない行為。
自分を生かすために
あるときは自分を無くして周囲の空気に身を任せることも大事だな。

じぶんじぶんじぶん、と言い過ぎるために
周囲が目に入らず、結局気が読めず
能力もかなり高いのに、自分が思ったような評価を周囲から受けない、
と悶々としている若者が多いが、
それはこの気を計ることを忘れているからじゃないのかな。
自分は能力が高いというプライドゆえになおさら周囲をみないんだろう。

「人の話を集中して聞けっ!! 勝手に思い込むなっ!」




◆昔の今日の記事


2003年04月24日(木) ばかやろーー

#残念ながら郡玉県は海無し県(・o・)


泣いて泣いて、考え直して、笑って、話して
今朝起きたら頭がいたいー。

仕事にいってすっからかんに忘れて
でも帰りがけふっと思い出して
涙ぐんで、でも考えを変えなくっちゃ、と。
でもなかなか変えられそうにないのでまた頭痛がぶりかえす。

やりがいのある仕事
他の誰でもなくじぶんしかやることができないだろう。
大変なことでもなんとかやり抜いてみせよう。

その負けん気と高い能力と精神力と、実行力と責任感の強さと
プライドの高さと誠実さ。
そしてばりばりとやるべき事を人より早く高いレベルで、
ものすごく辛くても結局はやり抜くその攻めの姿勢のかっこよさに
完璧に惚れきってしまってる私はもうなにも言えないんだ。

はい。
はいはいはい。
分かりました。りょーーーーかいっ!


・・・だけど、
だけど、ばかやろーーーーっ、だ!!(涙)




◆昔の今日の記事


2003年04月14日(月) びみょー

冷蔵&冷凍庫から自家製バジルペーストが
すべて各々の胃の腑に移動しつくしたと同時に
灯油がすっからかんになり
玄関の電球が切れ、アースノーマットが必要になり
ジャガイモが野菜籠に1個もなくなった。

何故こういうことは同時に起きるのだ?
ま、いいか。

バジルペーストは少なくともあと3ヶ月しないとできないのであきらめよう。
電球は、背が高くてハンサムな旦那ちゃんに取り替えてもらい、
アースノーマットは松本清(笑)で裏から出してきてもらった。「もう蚊がでますか?」
ジャガイモは新じゃがが出始めたのでなくなって却ってよかったかも。5kgの箱では1か月持たんー。

さて問題は灯油である。

買うべきか買わざるべきか ざっといずざくえすちょん。
昨日のように陽気がよくなっていけばストーブはしまえる。
とすれば買う必要はなし。
んが、ふっと寒い日がたとえばこれから7日間ぐらいあれば
ストーブはつけたくなるし、灯油18リットルは消費する。

このまま暖かくなるか(1〜2日ぐらい寒い日はあっても)
それとも寒さの戻る日が最低7日あるか。
今とっても微妙な時期なのだ。

うーむ。どうしよう。どーーーしよう? 
うーん、うーん。

うーーーーん。




◆昔の今日の記事
2002年04月14日(日) 出張


2003年04月12日(土) 田舎

ここ埼玉の奥地は
良くも悪くも 田舎

なにせ東北から関東に越すのだから♪

8年前、期待していたことはみんな裏切られた。

回復の呪文は
『私はここの人じゃない。ここで一生すごすわけじゃない』

ここで
自分のやりたいことがあったら
自分で
0から
人の批判や邪眼(笑)をものともせず
作り上げないとだめ。

一見自分のやりたいものっぽいことはあるのだが
一歩踏み込んでみると、まったく中身は違ったもので愕然とする。
「違うよー」「そうじゃないよー」「こうすればいいのにー」
という声は
「通常通り」「例年通り」「むかしからこうだから」「よそ者がなにをいう」
という言葉にかき消される。
町のスローガンとして「男女平等参画の町」をわざわざ掲げなければならない。
スローガンにするってことは、それが実現してない・日常じゃないってことなんだな。*ふ*

そして、
だれも改革をしようとしない。何も言わない。
周囲の目を恐れて。

私はだから「よそ者」「何も知らない」という鎧をわざと着て、ここでの戦いに挑む。私の背中にさりげなく隠れる人間の存在を感じつつ。

私が何かを一刀両断にしたとき、
血しぶきのように、「非難の言葉」を浴びる。「冷たい視線」を浴びる。

で、また私は呪文を唱える。
鎧はますます頑丈になる。手に持った武器もハードになる。

でもここでこの鎧を脱ぎはしない。
この地はわたしにとって戦場で、決して安らぎの場所ではないからだ。
たとえ血まみれになって、そのすさまじく醜い姿をあらゆる人にきらわれたとしても、
自分を曲げたり無くしたり流されたりといった、嘘や表面上の平和に満足するつもりはない。
言葉だけの「平和」がこの地では虚ろだ。


・・・またこれから、新たなる戦いが始まりそうである。
どうせ戦うなら、一兵卒より、大将になって先頭をきるべし! だ。




◆昔の今日の記事


2003年04月10日(木) あ、だめ・・・・


(-_-)
ばてばて〜。

募集
るうちゃんの足腰をもんでくれる人。
でもヘタだとけっとばします。

その辺のマッサージやヒーリングなんとかという店のマッサージ師をなのる人物ははっきりいって、超ヘタ。これで5000円もとるんかい?!

悪いけど、わたし、かなりマッサージ&按摩がうまいのだ。
だから、
へたくそな奴に触られるとイライラして余計筋肉が緊張する。
「ちょっとどいてみ! 私がやるっ!!」
と何回言いかけたか。

だから、今、クローンるうが欲しい。
自分で自分を揉みたい。
・・・ま、ね。いつもそうしてるんだけどさ(^^ゞ

「あ、あ、そこそこ。あ、いい」
「このへんですか〜?」
「んふー、あああああ。あー、そこそこ」
「ここはどうでしょう」
「ん、ん、そこもそこも!」

・・・悲しい・・・





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2003年04月06日(日) マックの使徒

まっちゃん(eMacのこと)を
常時接続のブロードバンドにして
なにがうれしいかっていうと、

「音」!!

ちゃんとしたソフトを入れればまた別なんだけど、
まっちゃんからでてくる音は、ウインドウズなんぞとはまったく質が違う。
きれいだよぉぉぉ。ほれぼれ。

んで、
私はインターネットラジオに接続して
イギリスとアメリカのクラッシック専門チャンネルに合わせて
家にいる間中(野球が始まるまで)
流しっぱなし。

手持ちのCDと違って、なんの曲が流れてくるか分からないので新鮮。
よけいなコマーシャルもうるさい司会者もなし。
有線とちがってお金は余分にかからない。

最高! うれしいったらありゃしない。

昔、J−WAVEが本放送を始めるまえにしばらくの間、試験放送で1日中ずーっとひたすらクラッシック音楽をただただ流し続けていたときがあって、わたしはそれがものすごくうれしかった。このまま本放送が始まらなければいいのにと思った。
『こういうラジオ番組があってもいいのになああ』と思った。

あれから数百年(笑)
自分の希望がかなったようで、このごろとてもご機嫌なのだ。るん。

まっちゃんだから
ウインドウズのノートパソコンのようにうるさい冷却ファンの音が音楽をじゃましないし、雑音はいらないし、音がおよんおよんしないし。
ピアノの音などその違いは歴然。

チカラシバの根っこのような(笑)マックファンがいるのは
こういうことなのだろうな、と。
どんなにウインドウズ系が跋扈しても、マックは不滅です。(⌒-⌒)




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2003年04月05日(土) こだわり

「わたし、○○には(○○っていう)こだわりがあるんだ。それは絶対譲れないのー」
と誰かに言われると、胸の前で両手をぐーに握りしめ身構える、、、気になる。『来るかっ!』と戦闘態勢になる。

私の24年の人生経験では *なんですと?*
「こだわりがある」と公言する人はたいてい(・・・口に出さず心の中で思ってる人はまた別なのだ)
自分のこだわりには『絶対』とかいう言葉をつけるくせに、人のこだわりには無頓着だからである。
中には
「あんたのこだわりなんかたいしたことないわよ。私のこそが天下一品のこだわりよ」と人を見下してみたりもする。
さらに、自分のこだわりを人に押し付けるのもいて、うんざりなのだ。

だから私は即身構える。

「私はこーでないといやなのに、あの人は何回言ってもあーしちゃってさー、すっごくいやなのよね!」

自分のそんなにも大事な『こだわり』なのに、他人に納得してもらえるように説明もできず(せず)、
他人に「こーする」という自分のこだわりを押し付け、
そして自分のこだわりのために周囲の人をイヤーな気分にさせ傷つけるのなら、
『こだわり』なんて言葉を使ってかっこつけるんじゃない。
それは『わがまま』だ。

「あたしぃ〜、おさかなは〜、沼津のアジしか食べないの〜。だからこの料理たべないー」

考えてごらんな。
自分があることにこだわりをもつなら、ほかの人だって同様に強いこだわりをもつのは当然だろう、と。
自分のこだわりを大事にしたいなら人のこだわりだって大事にすべきだろう、と。

相手のこだわりを大事にして相手に合わせることと
自分のこだわりをなくすこととはまったく違うはず、と私は思っている。




◆昔の今日の記事
2002年04月05日(金) 同情するなら金をくれ!


2003年04月04日(金) 敗戦国のまま

田舎でさ、
家に鍵なんかかけなくても大丈夫ってところがあるでしょ。
(あるいはかつてあったでしょ)
それって泥棒の心配もないそういった犯罪とは無縁の平和な場所ってことで
できれば日本国中がそうあったらいいよね、という理想状態だよね。

うんうん。

でもさ、それがいくら理想の状態だといっても
今自分の家(や仕事場)に鍵をかけずに、1日2日、外出できます?

もっというなら
災害保険をかけてない家ってあるんでしょうか?
セコムしてる家もふえてません?
鍵、1つじゃなくて3つも4つも万全の対策をとってるうちも多いでしょ。
番犬がいる家もあるし、寝所に金属バットや竹刀を置いてるところ有りません?(笑)

でさ、
そういう風にしている家って変じゃないでしょ?
当たり前でしょ?
自分の家は先ず自分で守るものでしょ?
そのためにいろんな策を考えるわけでしょ?
もしこーなったら、こういう風にしよう、あーなるとまずいからこうしよう、とかさ。
その家なりの危機管理をしてるでしょ?
それって当然だよね。

・・・さてと。
なにがいいたいか察しのいいかたはお分かりになったと思いますが。

「鍵をかけないで外出できる」という状況は理想です。「保険なんかいりません」ってなんてすばらしいんでしょう。
んが
現実はそうはいきません。こわくってそんなことできません。

日本という国はいま
「鍵をかけない」状態です。

拍手?

ばかいうんじゃありません。
鍵をかけないかわりに、家の周囲ぐるっと、非常に怖い顔をしたガードマンがびしっと警護してるだけです。だから鍵も番犬も、金属バットも竹刀もなくて済んでいるんです。

そういう風になぜかさせられてしまったということですな。

このガードマンたちがいなくなったら・・・
鍵をかけずに済みますか?
放火でもされたときどうします?
それとも理想を追求して、泥棒に入られ放題、放火され放題
家がぼろぼろになっても、消滅しても可としますか?
・・・鍵をかけないのだったら、ガードマンは必要です。

でも
このガードマンがいなくなったら
良いことが一つ有ります。
「ガードマンの顔色をうかがわずに、自分たちの考えで行動できる」ということです。
ちょうど他の国のように。
・・・ガードマンがいないのだったら鍵は絶対必要です。

さあ、どうします?




◆昔の今日の記事
2002年04月04日(木) 観客


2003年04月02日(水) 期待してるよ

「期待してるよ」
と言われると
言われなくても態度でそういう風に示されると
目がそういう風に訴えてると(笑)

うれしいがきんちょーが走る。

『期待に応えなければ!』
『いい結果をださねば、いい仕事をせねば』
と自分に自分でプレッシャーをかける。

そのプレッシャーに負けて、かえっていつもより悪い結果がでたりして、
それで落ち込む。
どこぞの某野球選手のように
「ファンのみなさま、私に期待しないでください」とかみっともない言葉を公言する。

・・・・居直れ!
自分に対する「期待」は今のありのままの自分に対する期待であって
期待してるよって言葉は
「今のるうちゃん、素敵!」と私そのものを肯定されたってことなんだ、と。

今のままでいいんだ。
期待されたら、だれより先ず「自分」が自分をこれでいいんだと評価してやらねば。

気負うということは背伸びして
自分を能力以上のものに見せてしまっているということだ。
そんな自分に人は期待してるわけじゃない。

「期待してるよ」って言われたら
『うん。わたしのやり方や行き方の方向性はまちがってないんだな』と
存分に喜んで
もくもくとそのままその道をいけばいい。


・・・でも。
「期待してる」と気安く言うな、と思うのも正直なところ。(^^ゞ




◆昔の今日の記事


2003年04月01日(火) 堅めにゆでて

>これからここには仕事の話、か〜かないっと。

ちょっとだけ書かせて。m(_"_)m
登録ヘルパーは4月〜3月の1年契約。
で、本日、新年度からの契約の更新してきました。
「どうかまた1年働いてください」と職場からお願いされるなんてなんて幸せな! もう来なくていいよ、と言われる所が多いのにね。
ありがとうございます。

で、いま悩んでる。
「介護福祉士」の資格を取るべく勉強しようかどうしようか。
もちろん今のままで今までどおりの仕事はできる。
福祉士の資格を取ったからって給料は上がらない。
資格を取るメリットは今の私には感じられない。
福祉の勉強のために本を読まねばならないとしたら、私はもっと他の本を読みたい。
ネットで遊びたい。ハーブいじりしたい。ふらふら出歩きたい。
今のままで支障がないのだから、国家資格といえども、介護福祉士になる必要はないんじゃないか無駄なんじゃないか、と。<勉強&試験がきらいなやつ。

しかし「それでいいんだろうか?」という声が心の中で小さく聞こえるのも確か。
どっちみち3年の実務経験がないと受験資格さえないのだから、
考える時間はたっぷりある。どうなるにしろ、頭の隅においておけばとりあえずいいかな、とも思う。
2年後にもし受験する気になったとして、いまより記憶力とか脳が衰えないように鍛えとくのが大事かも(笑)


------終わり------

さてと。

ニンニクをアルミホイルにくるんでロースターで焼き、
ほこほこっと湯気のあがったところにちょいと味噌をつけて食べるのが好き。
・・・オヤジみたい(^-^; 

娘も「ポテトみたいー」と結構好き。においもこうするとあまりしない。
球根って焼くとみんなこうかしら。なんて思うと、店先に並べられた球根類が妙に美味しそうに見えてくる。危ない危ない。(-_-;
もしかするとこの「ほこほこジャガイモ感」は「ユリ科」の球根に限るのかもしれない。

本家本元の百合根のおいしいことといったら!
娘はかなりの食わず嫌いなので(しかも食べ物に限ったことではないのだ)、彼女にとって初めての物を口にいれさせるのにかなり苦労する。
百合根が出たときも箸をつけようとしないので
「ニンニクみたいなんだよ。お芋さんみたいだよ」といってやったら
おそるおそる口にいれて、
「・・・おいしいっ!!」
以来百合根ファン。

私は茶碗蒸しには銀杏と百合根だけはいってればいいと思う人で。(^^ゞ

もっとも百合根を好んで食べるのは日本人だけとか。
どこぞの西欧人が、その宗教観からか「ユリを食べるくらいなら人を食べたほうがまし」とか言ってたと記憶するが、わたしは絶対「フローラ逍遥」派。はっはっは。




◆昔の今日の記事
2002年04月01日(月) 中華街オフ(*^-^*)


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