++るうの独り言++
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2002年05月31日(金) いんたーなしょなるほえーりんぐこみっしょん

突然クイズです。

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幕末
「ぺるり」が下田沖にやってきて
砲身を富士山に向け
日本の開国をせまった
その直接の理由は?

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土用の丑の日に「うなぎ」を食べる。
その習慣に日本人を導いたのは平賀源内だが
(もっとも夏痩せにうなぎは効くという考えは万葉時代からあったもよう)
現在、
土用の丑の日に食べるにふさわしいうなぎは
「天然」ものと「養殖」ものの、どっち? それはどうして?

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日本はどんどん高齢化が進み、しかも少子化も進むので
人口は100年後には今の半分になり、800年後には日本人は絶滅する、という話はどこかでしたような気がするが、
世界的に見ると、人口はむしろ爆発的な増加状態にあるのであって、
現在の60億人が100億人になるには、あと何年かかるか?

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IWCってどんな機関?
(1)グリーンピースなどとともに活動する環境団体で、反捕鯨をスローガンとしている。
(2)科学的根拠にもとづき、鯨資源の適切な保存と有効利用を考え、そのためのルールをつくる機関。
(3)インターナショナルウォッチカンパニーの略 ヾ(・・;)

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・・・この世の動性は
熱心にしらべればしらべるほどわけがわかんなくなるのが常(-_-)


人口の増加による食料不足は必ず出てくる問題で
それに対応するために「海洋資源」の活用は実に有効で
(食料問題では「昆虫」にもスポットライトがあたっているほどだ)

だからといって各国が乱獲をはじめてしまったら
かえって自分の首を絞めることになってしまい
だから世界的ルールにのっとって同じ足並みで「調査・利用」が必要なのは当然で、そのためのIWCじゃないのか、と思い、

海洋資源を枯渇させず永久利用するという研究・実践にかけちゃ、日本は実に優秀なのであって、
たとえば、欧米が油と骨しか利用せずほかを捨ててしまっていた鯨もひげ1本にいたるまで利用していたということや、養殖魚の技術などでそれは証明されている。
むしろ日本が世界のリーダーシップをとってもいいくらいなのにな。

日本の主張する「商業捕鯨」が再開されないのはどゆこと?
これ単純に「文化の違い」とかそういった問題だけじゃないぞ。


某ベジタリアン氏に、食べてはいいものといけないものの基準をどこに引くのだ、ときいたところ
「人間が『奪わないこと』という基準だ」という話。
それで
「んじゃ、青虫がくってるキャベツも虫から奪うことになるんだから、キャベツもたべられないんじゃないの?」
と聞いたら、
「虫は考えない」
とのこと。

「こんなに食料がある時代に、わざわざ鯨をたべなくってもいいじゃないか。そうやって無駄に命を奪うことはない。かわいそうだと思わないのか」

・・・身勝手だなー(-_-)

食料自給率がどんどん下がって
輸入物ばっかり体内にいれるから
見かけは日本人でも中身が日本人離れするんじゃないのか?

漁獲資源を有効活用し、鯨を始め海の生態系を人間も含めてバランスをとって行くという方法を考えるということは
食料自給率もアップする1番いい方法であると思うんだが。

大体全人類が食べる漁獲量の約5倍ほども海産物をくらう鯨を野放しにしておくと、
まず鯨のえさが消え小魚が消え、いずれ増えすぎた鯨が消滅し、最終的には海にはなにもいなくなるぞ。
陸上ではよくあることじゃないか。オーストラリアだってカンガルーを間引いて資源管理してるではないか。


人間は命あるものをどのみち奪うのだ。
生きているということはそういうことで
そこに「こっちの奪い方はよくてこっちの奪い方はよくない」
などと理屈をつけ
そのセンチメンタリズムの中にこもり傍観に終始する人々に
この世で必死に生きるすべを語る資格はない! と思う。(^^ゞ




◆昔の今日の記事


2002年05月30日(木) 吐き出す

いろいろな思いが頭を駆け巡り、
外にそれを吐き出したがっている。

んが、えてしてこういうときはまとまった文章にならぬ。
あとで自分で読んでも、「あ、ちょっと意図が伝わらんな、この書き方では」とか思う。

でも、ま、いいや。
自分ちだし、日記だし。
たまたまクリックしてここを読んじゃった人には不快な思いをさせるが
ひとんちの掲示板にわざわざ書きにいって騒ぎを起こしてるわけでなし。
勘弁してもらおう。

だいたいさ、
じぶんちのHPはきれいにうつくしく
管理人はいつも平静沈着で
という雰囲気をだたよわせておきながら

だれが見てるかわからないひとんちの掲示板で、
心のドロドロした部分
自分でもまとまってない考えの言葉を自分勝手に書き捨ててくるって
なんかさ、ずるい。
自分ちで出たごみをよそんちにすてて来るようなずーずーしさを感じる。
自分の主張を聞いてもらおうとして街中で刃物振り回すのに似た危険性を感じる。

そういう人たちが「悪意なく」荒らしまわった掲示板をみてごらんなさいな。
管理人がどんなに苦労しているか、
そのあとどんなに人間関係が壊れて修復不可能になるか。

もっともね、管理人は司会者じゃない。
自分のHPを守ることがとても大事。その一人ためにどれだけの人間が迷惑するかカウンターつけてんならわかるだろう。
なあなあで済ませず、おかしいなと思ったら怒りぶったぎることも大事。
ぶったぎらないならその人と管理人は同意見同姿勢だと思われて当然。
その掲示板でリーダーシップを取らずに管理人は名乗れない。

だからほら、某がーでにんぐの掲示板なんか、どんどん2ちゃんねる風になってきたじゃん。それでもまだ全員が「正論」という名の刃物を振り回すのをやめない。

ただし怒りすぎは禁物ですよ>るう<反省m(_"_)m




◆昔の今日の記事


2002年05月29日(水) 無力

今まで私の仕事は、、、。

顔に水がつくだけで泣いちゃった子がわずか2週間で25m泳げるようになる。
来日してわずか半年の短時間で、日本語検定1級をとって日本企業に就職していった外国の人たち。

子供の成長、知的能力の向上、精神面の成長、ひとつのことをし遂げる喜び。

小さくとも日々成長のその過程に携わり、協力し、助け、本人とともに喜びを味わう、という仕事だった。

母親という仕事もそんなに変わりはない。
あんなちびっちょかった子供が、今ではまー、たくましくなっちゃって、と
目を細めたりなんかする。

んが。
今の仕事は
今までのように「先の喜び」が見えない。

いっつもここが私の戸惑うところなのだ。
介護者が悩み精神的に参ってしまう原因もここにある。

どんなに小さくても「成長」は励みになる。
「今たいへんでもいずれは・・・」
「もうちょっとがんばれば、そのうちに・・・」

お互い努力すれば目的に行き着くことができる、という希望は
とても大事なのだ。

が、悲しいが今の仕事にはそれは望めない。先は見えない。
しかもそれを望むのはこの仕事ではない。

しかし、成長や向上が無いというのは
希望や夢が持ちにくいということでもあり、
それを1番身にしみて感じているのは当然本人。
それでもまだ元気ならいい。
しかし、元気ではないから我々がかかわるのだ。

人の世話になるのがはずかしい申し訳ない、と思ってしまう年代。
激動の日本の歴史を死にものぐるいでいきぬいてきた年代

だから晩年はもっとゆっくり安らかにすごしたっていいじゃないか、と私なんぞは思うのに、
運命はまだ「闘病」という試練を課す。

「一生懸命働いてきたのに、なんでこんな体になるんだろう。なんの罰なんだろう」となげくお年寄りがいらっしゃった。
「これ以上生きてたってねー」とか
「死んでしまいたい」とか
そんな言葉もついこぼれてしまう。

これを聞いてしまったとき、私みたいな世間知らずの若造は、どうしていいのか、せつなくておろおろするばかりなのだ。

私が私の祖母や祖父にしたように
手を握ったり
後ろから肩をだいたりして
「だめ。そんな悲しいこといわないでください」
ってそれしかできない。

今だけでいいじゃない? 先のことは考えなくても。
今を十分に楽しんでほしい。

で、思ったんだ。
この仕事で私の役割は、元気と笑顔をそのお宅に置いてくること、って。
わたしにつられて、利用者さんがなんか元気になれば
わたしにつられて、利用者さんがなんか笑っちゃえば
ちょっと気持ちが前向きにならないかな、ってね。

あーーーー。あまりにも何もできなくて
(技術的なことではなく気持ちの充足ということ)
ため息でちまうぜ。




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2002年05月22日(水) おまわりさーんっ!

ここ埼玉の奥地では
会合があると必ず
お酒がでる。

そりゃま、当然だろう。

んが、公的交通機関が発達していないので
みんな店までの移動は車。

それもまあ、しょうがないとしよう。

が、飲んだ帰りは自分で運転して帰るのだ!
みんな酒気帯び運転をして帰るのだ!!
それを当たり前のこととして平然と行うのだ!!!

わたしあえてこの事実を全国にチクリたい。<密告にならんて(^^ゞ

本人は
「まーまー、かたいこと言わない。それに酔いはさめたって!」

ほ〜〜?
んじゃ、自分の子供が酒気帯び運転の車にはねられたとき
同じせりふをいえよな! 
その運転手が
「まま、かたいこといわないで」
っていったら
「そうそう、そうですよねー」と返事しろよなっ!!

わたし
絶対許せない。こういう親のいい加減さが子供にも影響するはず。

おまわりさーん! 上里には犯罪者いっぱいいますーーっ!
しかも全員確信犯ですー! とりしまってくださいーーーっ!


#我が家の旦那ちゃんは飲んだときはぜったい車の運転しません。
#運転しなくっちゃいけないときは絶対飲みません。
#車でいってもかえりは代行で帰ってきます。
#社会的責任、会社の一員としての責任、親として夫として
#それが当然で当たり前のことと思います。

なぜその当たり前のことが、当たり前にならんのじゃーーっ!!

ついでに。
子供メインの会で、子供の前で平然とタバコをすうなっ!

さらに。
わたし、
ガストとかファミレスで、お父さんお母さんがアルコールを注文するのはぜんぜんかまやしないと思うんだが
子連れで養老の滝やつぼ八に行くのは許せないのだ。ふん。




◆昔の今日の記事


2002年05月20日(月) つぶやく

◆ねこのような、が更新されなくてちょっとさびしい。
でもそゆときは
あの50m植物プールを思い出して我慢する。ふみふみ(T^T)


◆わたしも棚上げ音頭なんだが、
某氏ってばさ、自分のHP管理のお粗末さを省みず、よくもまあ、ひとんちのHP管理に口出しできるなあ、とか(^^ゞ
ずーずーしいのもあれくらいになると却って感動してしまう。自分を美化しすぎて、客観的に見られなくなってるにちがいない。おろかのきわみ。

別のところでも、自分が全然見えておらず、そして自分の基準(感覚や考え方)が絶対だと確信している人をみかけたな。
えてしてそういう人は、自分ちではなくひとんちのメイン掲示板に長文を書き込む。(大爆笑)


◆農薬絶対反対ってのろしを見たが、
所詮はせまーい庭での消費者がーでなーの勝手な言い草。
だいたい、その今買ってきた苗や種は、どうやって生産されてきてるのかもしらないんでしょ?
私のやってることもせいぜい小学生の夏休みの自由研究程度。
だから、こういう人々にかつがれるのはごめんなのさ。

どんな場合でも
一方的に物事をみて一方的な意見を言う人と
自分は渦中にいないで傍観者的に話をする人は
いやなんだもーん<前回の続き(^^ゞ



◆ベジタリアン? 無添加食品?
ふーんだ。
うちの子達は肉も魚もしっかりくうし、お祭りのときは氷のブルーハワイで舌を真っ青にして喜んでいるが、アレルギーなんてなーんもないもん。
かえってそんな旗をふってる親の子供の方が病的じゃないのか?<ちょっち言いすぎですよ(-_-;



◆「体が要求するモノを食べる。危ないものには体が警告を発する」ってさ。
このいろんなものが氾濫する時代において、あるいはストレスだのなんだの精神的に病んでる、と言われる時代において、果たしてあなたの体の要求や警告は、ただしいのでしょうかね。
もし正しい判断が下せるとするならば、そういうすばらしい体にしてくれたのは、あなた自身の努力ではなく、あなたの母(父)があなたに長年施した食習慣のおかげである。
とすれば、あなたの母親が行った食事が1番すばらしいということである。
さて、あなたのお母さんは
「肉は食べるな、魚は食うな、鯨は食うな。野菜だけ食え。添加物の入ったものは食うな。口に入れるものは考えて食べろ。食物について細かく調べなさい」といいつづけただろうか?
否。
「テーブルに出されたものは、感謝してみんな食べなさい!」
の一言だけだったはずさ。<昭和40年代生まれ以前対象(^^ゞ
あなたの母は、自分が生産者でないことを十分にわかってたし、同時に生産者の苦労もわかってた。だから「残さず感謝してなんでも」なのだ。
そしてテーブルにだされたものには、モノが無ければないなりにお金が無いときはないなりに一生懸命工夫された食事だったはず。
そんな工夫や思いのかけらでも今のあなたにありますか?

今、そんな母や或いは祖母の思いを土足で踏み潰している連中がいる。
さかしらな頭でっかち連中。
最低!




◆昔の今日の記事


2002年05月16日(木) イヤなんだもーん

ここ群玉県では
「植物への水やりを忘れずに」
というところを
「植物への水くれを忘れずに」
と、いいます。
学校から配布されるプリントにもそう書いてありましたので
ここでは“標準的”な表現のようです。(^^ゞ

でもわたし、この「水くれ」っていう言い方、きらーい。


他にも・・・
語尾上げてしゃべる人
平板アクセントでしゃべる人
「、ってゆうかー」ってゆう人(笑)
「〜って〜じゃないですかぁ」って言う人
「蓮見さん、おられますか」って言う人
『早急』を「そうきゅう」って言う人
いわゆる【ら抜き言葉】で文章を書く人
いい年して「私のおとーさん、おかーさん」って言う人

カンにさわるので、こういう人たちといっしょになると
私は無口になります。
もしほとんど初対面の状態で
こういう言葉で話かけられたら
2度と口ききたくありませんヾ(・・;)

文法や歴史的変遷の解説は無用です。
たんなるわがままです。




◆昔の今日の記事


2002年05月13日(月) 新聞紙

庭に面した廊下の窓ガラス6枚の窓拭き。

これ、ほんとうは
ヘルパーの仕事ではないのだ。

でも
確かに利用者さんはそれを自分でしたくてもできないのだし、
わたしがそれをすることで
利用者さんの気持ちがすっきりするなら、それこそ介護&援助だと思うし、
それで利用者さんが笑顔になって元気になるなら私もうれしいし、
しかも「今日は他の仕事はしなくていいから」、という言葉もあったし、
天気もよかったし、
張り切ってやる気になった、という訳。

「すみません、ガラスを磨く洗剤かなんかありますか?」

・・・なかった。
うげ。ガラスクルーもガラスマイペットもスクイージーもなしか。
しかし、顔はあくまでもにこやかに

「じゃー、新聞紙とバケツお借りしますね〜♪」

けげんな顔をする利用者さんを尻目に、
必殺「新聞紙で窓拭き」を決行する。(笑)
洗剤などなくても実にきれいになる。しかし、時間と力がかかる。

約45分後、
新聞紙と水でぴかぴかになった窓をみて
利用者さんが、「うわ〜、こんなにきれいになるなんて!」と実にうれしそうな顔をしてくださる。
洗剤を多用するより、古新聞でってところがさらにうれしさをアップさせるのだ。利用者さんはそういう年代なのだ。
わたしは
『やったね! *ガッツポーズ*』と思う。幸せな瞬間だ。

この笑顔のために、私は窓拭きしたんです。


それから3日後
突然この利用者さんの旦那様(88歳)がお亡くなりになった。

数日たってお線香をあげさせていただきに伺う。
肩を落とした利用者さんが
「いいお葬式だったんですよ。 蓮見さんが窓拭きしてくれてたからきれいな家に迎えることもできたし。」

わたし、、、せつなくてせつなくて、どうしようもなかった。
この複雑な心境をどうあらわしていいのかわからない。

この仕事は
そういう覚悟もいつもしていなくてはいけないのだ。

・・・一期一会の言葉が重すぎるほど重い。




◆昔の今日の記事


2002年05月12日(日) 風のなかのすばる〜

N嬢が資格とって
インストラクターばりばり始めた、そのとき
・・・う。いかん、このままでは。私もなにかせねば!
と、心落ち着かなくなった。

が、一口コーヒーを飲んで考える。
「自分だって、ちょうど今のIT革命の大騒ぎとほとんどいっしょの、あの日本語大ブームのときに、即、“日本語インストラクター(笑)”やったじゃん。」

そこでやっと落ち着く。

P女史が大学生になってうきうき楽しそうなのを見ると
・・・う。私、このままではまずいのでは? 勉強せねば!
とか、そわそわしてしまう。

「おいおい。あんたすでにとっくのとうに大学でて、かなりの難関試験突破して、10年以上も自分の夢を実現させてきたではないか! なにをそわそわしている?」

そこで、あ、そうだったそうだった、と思いなおし落ち着く。

みんながうらやましいというのではなく、
がんばってるみんなに引き比べて、今の自分が実にふがいなく思えてしまうのだ。それで申し訳なくなってそわそわしてしまうのだった。

他人様が見たら
「ばかみたい」と笑われそうだが
こういう思いがときどき持ち上がる。

順番が前後するが、
一番ひどかったのが、NHK「プロジェクトX」。
毎週楽しみにみてはいたんだが、見てるうちに
「いかん。・・・こんな私では、このままではいかん。なにか、なにかをせねば!」という思いがどんどんひどくなってきて、
それで現状の自分がだんだんイヤになってきてしまった。怠惰でなにもできない自分を憎んだ。

私が悶々としているのをみた旦那が
「確かに劇的なことはないのかもしれないけど、みーんなプロジェクトXみたいなことは毎日やってるんだよ。
あとで振り返るとああ、そうだったな、っておもうけど、やってる最中はみんな夢中で気が付いてないよ。
誰だっていっしょだよ。あんただって毎日そうなんじゃない?」

・・・私は旦那ちゃんがいないともう生きていけない。あは(*^-^*)

で、今の仕事の資格取るために勉強して、現場で働くようになったら、「プロジェクトX病」(笑)がかなり治った!
落ち着いて番組が見られるようになった。

この“そわそわ”とか「なにかしなければ!」とかいう浮き足立ちは
「達成感」によって鎮まるのかもしれない。

それは今までやってきたことでもよし、今行ってることでもよし。
人が評価した自分ではなく
自分自身で「やるだけやったじゃん!」という思いが必要。

つうことは
達成感をもってないと
一生地に足がつくことなく、焦燥感を引きずって生きねばならないことにもなる。

「プロジェクトX病」はもうあんまり罹りたくないぞーー。




◆昔の今日の記事


2002年05月11日(土) 居直る。

身勝手でなにが悪い。
偽善者よりましよ。ふん。

いや、
何かと比較して、自分の方が優位にある、という自己満足は
嫌いだな。

私は身勝手。
でも偽善者にはなりたくない。

これでいいや(^^ゞ

「一生感動、一生燃焼、一生不悟」 これ座右の銘。
悟ってたまるか。
神や仏に昇華してたまるか。
わたしゃ人間だから
人間としてじたばたし続けたい。人間として存分に楽しみたい。

この美しい緑も、たまたま見かけたかわいい花も
「自分のために存在してくれたんだ!」って
ずーずーしく身勝手に思い込んでやろう。はっはっは。




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