++るうの独り言++
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2002年01月27日(日) (-_-メ) 

牛の餌にはぴりぴり目くじらたてるのに
自分の子どもの餌はどーでもいいのかい。

「カルシウム不足で「キレる」子どもが多いのよ〜」とか知った顔でいうくせに
「わたし、お料理苦手だからぁ〜」なんて言って、
家でたった牛乳1本分の料理も食べさせられないようなら
処分にこまっている肉骨紛、その子どもの給食にぶちこんでやれ。

・・・るうは怒り狂ってるらしい・・・




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2002年01月25日(金) クジラ

くじら、砂に埋めちゃうんだって。
標本にするんだってさ。

もったいなーい。
ちょっとくれないかな。
竜田揚げにして食いたいんだが(^^ゞ 

ちょっと前だったら
13頭のものクジラが勝手に浜辺にうちあげられたんだ。
その浜の村人は
狂喜乱舞し
神に感謝し
そんな気まぐれを神に起こさせる原因となった人物を称え
クジラを供養し
盛大な祭りをし
クジラが影も形もなくなるまで食えや飲めや歌えの大酒宴を催し
その影響で他の村々の人がそこに集まり
ちょっと店も出たりして経済交流なんかもあったりして
そして長老はこの出来事を畏れと感謝と大いなる創作をもって後世に語り継ぐのだろう。

村民のお腹は充分に潤い、
しばらくの間、生活のそこここにクジラの香りが漂いつづく。

・・・幸せだったろうなあ。
・・・クジラもそのほうが幸せじゃないかなあ。

その時代の人々はこういった現象に「神への感謝」を思うが、
現代人は「なにか不穏な空気」を感じてしまっているし。




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2002年01月24日(木) 弱音を吐く

なんでかわからないのだが
異様に疲れている。

知った顔して
「しなれないこと始めたからじゃない?」
とか
「自転車でそんなにこげば疲れるわよ」
とかいう
その訳知り顔の口調にあったまくるほど
いやーな疲れを感じる。

関わったお年寄りの
人生の重さを
ずしーんと背中に背負わされてしまったような

背中でだんだん重くなる
「夢十夜」の子どものような
背負ってやってんのに背中で自分の悪口をいわれているような
確かに自分が罪をおかしたような
背中のこのいやなものを
放り投げたいのに投げられないような
投げたらいけないと自分で自分を縛っているような

自分が自分でなくなっているような
自分で自分を偽っているような
こんなの私じゃない、ってわかってるのに演技続けているような


このいやな疲れ。
・・・寝れば取れるかな。 うん。ねよねよ!




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2002年01月18日(金) 狂牛病

イギリスが「きょうぎゅーびょーに日本も気をつけなー」ってせっかく忠告してくれたのに、
「へん、うちはぜ〜ったいだいじょぶだいっ!」ってタンカきってしまったのは、たしかにそう言った奴の責任だろうし、またそんなこと言わせて黙ってた周辺の責任でもあろう。
(「ほらね、だからあの時忠告をきいとけばよかったんだよ〜」なんてしたり顔でいうやつもいるんだが、それはずるい。なんでそのとき声を大にしていわなかったんだ。いまごろそんなこといってるのも同罪。)

んで、やっぱりきょーぎゅーびょーが日本でも発生してしまい、
最初の勢いはどこへやら、真っ青になっておろおろおろ、
その慌てぶりはおそまつこの上なかった。

んで、そうなったら今度は、EU諸国より厳しい基準で牛肉を検査。
おそらく何年か後には、「日本の牛肉は世界一安全」ということになるだろう。

どーも極端だな。
いいんだけどさ。

ま、「だいじょぶだい!」といいきったんだから、そうでなかったためにあらるところに迷惑をかけた責任はきちっととるべし。それはそれでよし。

さて。
ということで今市場に出回っている牛肉は、今までと安全性は変わらないはず。むしろ前よりずっと安心になったかもしれぬ。
それなのに、
「牛肉は買わない。気持ち悪い。なにかあったらいや!」
と、拒否を公言する者が多い。
「早く牛肉たべたいんだけどね〜」とか言う者もいた。

・・・食えばいいじゃんか。

お上に対する怒りなんだそうな。抗議なんだそうな。

違うね。
私は、「厚労省や国に抗議!」などという一見正当めいた大義名分を掲げて、
実は、自分と同じ立場にいるはずの生産者をいじめているような気がしてならない。
非常に陰湿な生産者いじめだね。

生産もしない、加工に携わることもしない
口だけあけてまってるような我々である。
その我々には、せめて「口に入るものを真剣に検討/選択する」という責任はなかったのか?
その責任は棚上げしといて、なにを偉そうにいってる?

本当の被害者はだれなのか。

今後は「厚生労働省」など関係諸機関のやることをしっかりみはりつつ、
生産者が責任をもって市場に出した牛肉は今までと同様に食うのが本筋じゃないのかね。

「牛肉、気持ち悪くてたべられないー」
ってのは、もう今にいたっては
「お魚の目が気もち悪くてたべられないー」
「ナスってふにふにしてて気持ち悪くてたべられないー」
ってのと、ほとんど同レベルだな。
いわんや、偉そうにまるで正義のヒーローをきどるかのように
「早く安全な牛肉がたべたいですよ」
なんて公言する奴はいっちゃん信用できない。
そして、ここぞとばかりにベジタリアンを誇る奴も信用できない。

もう生産者に、牛肉を捨てさせるようなことをさせてはならないと思う。
・・・牛だって、「ゴミ」になるために生まれてきたんじゃないはずだ(怒)




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2002年01月15日(火) 久々に電車の旅をして・・・

思いが巡る。

まだ現役の「鉄子」だったころ
『八甲田』という夜行急行に乗り、上野から盛岡に向かう。
到着まで約8時間。

時間はあるが金がない、という学生の節約術として
私は夜行にのりこむとき必ず多めにおむすびを作って持っていくことにしていた。
夕ご飯と夜食と、もし残ったら朝ご飯にも。

列車が動き出して、お腹のなかに2個ほどのおむすびを入れ、
ちょっとくつろいでいたとき、
隣の席に、私より4つか5つ上の男性が腰をかけた。

旅行では見知らぬ人との会話も楽しい。
んが、その時は楽しくならなかった。

聞けばこれからふるさとの盛岡に帰るところだそうな。
一旗挙げようとでも思って故郷をでてきたのだろうか。しかし今は夢破れて、この列車の代金を払った後もうポケットには十円玉が数枚しかなくなってしまったのだそうな。朝からなにも食べてないそうな。
「都会は・・・冷たいよね。住みづらいよね。人のすむとこじゃないよね。」
都会(東京)で暮らした時間に対して、長々と愚痴をこぼす。

東京人の私は、持参のおむすびを差し出した。
「召し上がります?」
「いいの? ありがとう!」
彼はあっという間に3つを平らげてしまった。
食べながらも「都会は冷たい、意地悪だ」と言いつづけていた。

・・・私は
彼が気の毒になってお結びを差し出したわけではない。
汚い言い方をすれば、
私はそのときそのおむすびを乞食に与えるように奴にくれてやったのである。
私はその時、彼を非常に軽蔑したのである。

「都会」は冷たいというが、じゃあ、あなたは本心で都会に骨をうずめる覚悟でやってきたのか? 東京に住まう私にはこれほど素敵な街はない!
あなたこそ「都会」に冷たかったのではないか? 最初から都会を受け入れない態度の人間を優しく扱うほど都会はひまではない。
それは都会に限ったことではあるまい。

今お金がなくなっているけれど、「盛岡に戻れば」それでも大丈夫、受け入れてくれる者がいるはずだという甘えをひきずって故郷にかえるってことではないか。

30近いいい年をした男が、なんて情けない甘ったれた姿を、初対面の人間の前でさらすのか?
プライドもないのか?

私は静かに怒り狂った。
彼が海苔の匂いをさせつつ愚痴るのを無視して、ラジカセのヘッドホンを耳に当てた。
(テープは枝雀の落語 *はは*)

・・・以降この手の愚痴をこぼす場合、みんなおんなじだと思った。
「私のことを誰もわかってくれない」
→「んじゃ、あんたは相手のことを同様にわかろうと努めたのか?」

「私は孤独だ! 私の周りには誰もいない!」
→「んじゃあ、孤独だ、と愚痴られている私はあなたにとって何?」

「友だちなんて表面だけの関係よね」
→「あんたがそういう気持ちで付き合ってるからだろ?」

私はこういう類の、悲劇のヒーロー&ヒロインを気取った、超甘えた愚痴が嫌いである。
「人を愛して親しまれずんばその仁に反(かえ)れ」とは孟子である。
私は彼の考え方が好きである。

#もっともいかなる場合も例外は存在するけどね(^^ゞ




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2002年01月09日(水) ・・・ねばならぬ。

仕事に行く前に
「一期一会!」
と自分に言い聞かせて、自転車のペダルを踏み込む。
(ほっほっほ、毎日軽く10kmは乗り回してるわよ〜♪)

今までやってきた仕事だって、おそらく他のどんな種類の仕事だって
「一期一会」という言葉は頭の片隅においてしかるべきだろう。

しかしなんで私がことさらにこの言葉を自分に言い聞かせているかというと、
利用者(高齢者)さんが、私をおぼえていらっしゃらないという衝撃の事実に気が付いたのだ!

「いっつも大勢のヘルパーさんが入れ替わり立ち代りきてくだすってにぎやかでそれが1番うれしいの」
とニコニコしておっしゃる。
いえー、大勢でなく私を含めて3人なんですがー(^^ゞ 
・・・笑っていいやら心配やら・・・

それでもチーフのヘルパーさんの顔はしっかりわかってるところを見ると、
私は印象が薄いのだろう。
*くすくす*

んで考えた。
私はまた来週来るからいいか〜、次にがんばろう! と思っても、
そうか、この利用者さんにとって「私」は、今この時限りの人間なんだ。
来週来る「蓮見さん」という人はまるっきり別の人なのだ。

なればこの与えられた時間に全力を尽くして、満足してもらう仕事をせねばならぬ。
次は無い。
ということで「一期一会」。
できるかどうかは別として、言い聞かせて気持ちをしゃんとしておかねばならぬ。

あああ、それにしてもなんという大変な仕事をはじめちゃったのだろう。
続けられるんかいな〜。
「やってみたい!」と勢いだけで考え無しに行動するからこういう事になるのだ。
ふええええ。(;_;)
この性格をなんとかせねばならぬわい。




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2002年01月08日(火) 仕事初め

生意気にも週3回、3〜4人という定期的な仕事が入るようになった。
こんな講習会あがりの、どしろーと@るうを使わねばならんほど人手が足りないに違いない。超高齢社会へまっしぐら、を実感。

介護保険ができたとき
マスコミやらなんか偉そうな人たちやら、ついでに近所の奥様方まで、
「日本の介護保険制度はなっちゃない!」と批判していた。
「ドイツはこう、フランスはこう、北欧ではこう、」とまるで経験してきたかのように比較していたが、
そもそもこの外国と「比較する」ってこと自体、実は何も知らなかったんだということがバレバレだったのだ。
お上のするのことにはただ批判だけすりゃーいいっておバカが多い。多すぎる。

今ここにものすごくお腹をすかせた子どもがびーびー泣いているとする。
あなたが母だったらどうします?
「ご飯まであとちょっとだから我慢しなさい!」
っていいます?
わたしなら、
とりあえず残ったご飯でちっちゃいおむすびでも作って
「今日は早めに食事にするからちょっとこれ食べてまっててね」というだろうな。
料理してるそばにいさせてつまみ食いでもさせるだろうな。

確かにあと少し待てば、しっかり栄養も量も整った食事ができるだろうが、
そのお腹をすかせた子にとっては、何時間かあとの豪華食事よりも、今すぐの腹押さえが必要なのだ。

日本の介護保険制度はまさにそれ。
「ちゃんとした食事の時間まで待てない」のは、お腹のすき方が外国とてんでちがうのだ。
つまり、高齢化のスピードがとんでもなく早いのだ。信じられないほど早い。のんびり優雅にやってられないのだ。
諸外国の高齢者人口割合が7%を突破したのは19世紀後半〜20世紀半ばなのに対し、日本は1970年に7%を越し、次に14%を突破するのにフランスでは100年以上もかかっているのに(スウェーデンでも85年)、日本ではたったの24年なのだ。
このスピードは「え?え? うっそー! えええええ! ちょっとまって〜!」という感じなのだろう。
1番のんきだったのは日本国民ではなかったか?(笑)
そして人口割合21%を突破するのはおそらくあと数年後。

それを知った時、「この対策を考える準備期間が非常に短いという環境において、日本の介護保険制度はいいほうだわ!」と感じた。
「ちっちゃなおむすび」ではなく、「ちょっとした軽食」にはなっている。
よくやったな、と感心した。
もちろんこれで完璧ではない。これからどんどん改良していかねばならないし、まさにそのように動いている。みんな一生懸命である。

そしてその素敵な計画の一部になっている自分がうれしい。
まだまだだけど、役に立っているらしいと実感できることもとてもうれしい。




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2002年01月06日(日) 明けましたなあ・・・

年末年始、ホームヘルパー講習会の復習を実家でやってきた感じ。*わはは*

なにはともあれ、わが蓮見一家はたいしたこともなく無事に仲良く正月が迎えられたので「おめでたい」限りである。
感謝!!

今年の抱負などを考えてみるに
旦那に聞いたら
「も、そういうことは考えないことにした。一日一日を元気で明るく。健康第一主義!」

・・・充分立派な「抱負」になってると思うが(^^ゞ 
つまりは「出世するぞー」とか「こういう仕事をするぞー」とか「海外旅行いくんでお金ためるぞー」とか、目標をたててそれに向って走ることはしないということだろうと思う。

若いときは目標に向って走る、ということは実に重要だった。
目標がなければお金もたまらなかったし、テストという目標がなければ勉強もしなかった。ヾ(・・;)

んが、そろそろ人生の後半を考える身になってきた。
この人生の最終点は「死」である。その最終ゴールにむかって、つっぱしってどうする、という気にもなってきた。
できればゴールにはゆっくり到着したい(笑)

今年から目標は立てない。
目標がないと行動できない、という生き方はしない。
目標しか目に入らない、という生き方はしない。
歩いていく人生、その場その場を楽しむ生き方をしようと思う。

だからといって枯れたわけでも悟ったわけでもなんでもない。
好奇心もいたずら心もフル活用さ。
いうまでもなく、したいことはありすぎるほどある。

そう、プラモデルだって、作ってるその行為が楽しいのであって、出来上がって飾る状態になったら、それは他人にとっては凄く見えるかもしれないけど、本人にとってはどーでもいいのよねえ。




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