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2005年05月31日(火)
98映画ノートから「スリング・ブレイド」

98.3.28       シネマ・クレール
「スリング・ブレイド」
監督・脚色・主演ビリー・ボブ・ソートン/ルーカス・ブラック/ドワイト・ヨーカスジョン・リッター/ナタリー・キャナディ
 
始まってしばらくすると、これはアメリカ版「うなぎ」だと思った。母親と同級生の情事を観て二人を殺してしまった12才の主人公、悪いとは思わなかった。しかし、男は精神病棟に入れられ、25年ぶりに娑婆に出る。男はどうやって自分を取り戻すことができるのか。「うなぎ」とおなじように、人と人との関係の中から彼は自分が必要とされていること、人を思いやる気持ちを学ぶのだ。しかし、アメリカと日本は違う。

アメリカではやはり「聖書」が彼の倫理を支えるのに重要な役割を果たす。彼は人を殺すことはよくないことであることを聖書によって学んだ。聖書は「わかるところもあるし、わからないところもある」という。それがなになのか具体的には語られなかったが、まさに映画はその部分をかたたったのである。最後にルーカス親子を助けるために、人を殺すところを、この映画は悪いことだとは描いていないようだ。聖書は許さないが、しかしアメリカ人は許してしまう罪をここでは描いている。日本の「うなぎ」では、また殺人を起こすなんてだれも予想ししなかったし、実際にしなかった。アメリカの場合は、最初からその危険を孕みながら緊迫した画面が続いた。

正義のための戦争が支持される世界がここにある。

ドワイト・ヨーカス演じる敵役はほんとに嫌な奴である。人を悪し様にいっては「冗談だよ」といって人を侮辱する。しかし日本では彼は絶対生きていけない。彼は孤立するだろう。母親は彼に男としての魅力を感じながらも、子供のために身を引くだろう。よって日本ではここのような悲劇は生まれようもないのである。そういう難しいことを考えたいい映画だった。

《現在の感想》
私が初めてビリー・ボブ・ソートンを認識した作品。それまでも彼を見ていたのかもしれないが、たぶん気がついていなかった。これより意識して彼の名前を追うようになると、その演技力もさることながら、そのカメレオン俳優ぶりにいつもびっくりした。

この頃アメリカの「正義のための戦争」という言葉が頻繁に出るのは、決してアフガンやイラク戦争を予見していたからではなくて(<当たり前)、いまだ湾岸戦争のことが頭から離れていなかったからに他ならない。



2005年05月30日(月)
98旅ノートから「東京への旅」

過去の映画の感想集のつもりであったが、なぜか映画ノートの中に、98年の旅の記録が紛れていた。読んでみて、どこにも発表しないのはもったいないので、ここに記す(^^;)


4 . 1 7 東 京 へ の 旅 
 4月17日東京はどしゃ降りの雨になった。岡山は蒸し暑い曇り空で雨一つ落ちなかったというのに、私はなぜか東京の明治公園にいて、シャツ一枚着て、体を半分ぐらい濡らしながら、1時間ほどの集会に参加していた。労働組合の指名ストで、労働法制反対の国会要請と集会に参加する一団に加わっていたのだ。
 
私がジャンパーももってこないで身軽な格好をしていたのにはわけがある。その日の一日前の天気予報では東京は3日ぐらい晴が続いて暑くなると思っていたからだし、集会に参加したあと、2日東京に残ってしっかり東京散歩を楽しもうと計画していたからた。
 集会のあと、私は「びしゃこ」になっていたにもかかわらずこの後の久しぶりの「旅」に気持ちが華やいでいた。

 まずは浅草にいく。浅草演芸場が目当てだったが、昼におもしろい咄家が集中していて、夜の部は圓窓のみだったので、またあしたこよう、ということにした。浅草ロック座に入ろうかとずいぶん迷った。6000円も払ってあまり有名じゃない娘のヌード見ても仕方ないと止めた。今は後悔している。浅草辺りを3時間、食べ物を捜してうろうろした。まずは案内本をゆっくり見ようとインド料理店で1100円のカレーセットを食べる。その後神谷バーに入り、電気ブラン360円と牛もつ460円を頼んだ。レトロな雰囲気だが、人はたくさん居り、気軽な居酒屋として雑多な人が利用していて、楽しかった。

 花屋敷の辺りから、千束、富士を通って土手通りを上がり、吉原大門を過ぎて土手のいせや本店で天丼1400円を食べた。その直前に向かいのラーメン屋で元祖つけ麺600円というのを食べたので、もう腹は一杯で無謀な試みではあったのだが、このコースはかって永井荷風がよく歩いた道なのである。もう花街はなくなってかっての面影今居ずこではあるが、昭和2年建築というこの天ぷら屋はやはりどうしても入っておきたかった。味は高いだけあってすばらしかった。濃い味付け、丼にエビとイカと鰺の開きが所はみ出すように並べられている。さらに上がって三輪駅のすぐ裏に浄閑寺がある。昔吉原の女達の無縁墓があるという。中には入れなかったが、荷風の歩いた跡をたどったことで満足する。しかし、荷風、散歩どころじゃない、よく歩いている。ここから築地に向かう。日比谷線で190円。東京東本願寺裏のビジネスホテルバンに泊まる。5階から上はホテルの部屋をオフィスに改造していて、夜中や朝早くも人の出入りがあった。さすが築地。

 7時30分に築地にいく。いくらの醤油付けがワンカップ500円、うなぎも市価の約2/3だ。目的は朝飯だから、行列のできている寿司屋に入ることにする。寿司清本店。おまかせはAが2300円、Bが3200円だ。Aを頼むつもりで入ったら、隣の一団が次々と注文を始めた。釣られて自分も一品買いをし始めていた。まずはイカ。ほんのり甘い。そして上品な弾力。そして玉子。シャリの上にのるのかと思ったら、玉子の中にご飯を挟んで出てきた。イワシ。甘み少しあり。臭みはほんのりと残り、これも又吉。中トロ。これが本当のトロなのか。私は感動した。口の仲で歯ごたえなくとろけるのである。今までのトロは単なる筋肉であった。タコ、ミル貝、新鮮。イワシの辺りから板さんが次は何にします?と聞いてきた。安物ばかり頼んでいるから、後ろに並んで待っている人もいるし、煙たがられたのだろうということは何となく察知でき、お愛想を頼んだ。「またいらっしゃい」「ありがとう」次はおまかせを頼もうと心に誓った。そういえば、池波正太郎も、正しい寿司屋の食べ形として何回も足を運んだ上で初めてカウンターに座るものだと諭していたではないか。しかし生ビールをいっぱい頼んで、しめて2820円であった。安い。本格寿司屋入門編としてはいい体験であった。

 この後よせばいいのにもう一軒築地の店を試した。ラーメンの井上。やはり行列ができていた店である。蓋し行列ができる店とできない店との差は僅かなのだと思う。最初から作る手順を見てみる。丼に醤油、刻み葱を入れ、白い粉を少なからず入れていた。調味料だろうか。味の素であろうか。そしてスープを入れる。素早くゆでた細麺を入れ、厚切のチャーシューを4枚入れる。(おそらくここが差なのだろう。しっかり煮込んで肉が縮んだチャーシュー)最後にカイワレと葱をのせて出来上がり。さっぱりスープでうまかった。600円。

 佃大橋を通って月島に渡る。古い佃煮の店を横目で見て、住吉神社に行くと、どういう根拠か知らないが、写楽の墓があった。しかし深川とも近く、そして人里から離れているここが終焉の地に相応しいとも思えた。月島は『拝啓おふくろ様』の下宿があったところだ。奇跡的に戦災を免れたここは、確かにそのころの下町の手触りがあった。細い路地。その中の地蔵様。洗濯物。

 月島駅前からバスに乗って門前仲町で降りる。深川不動、富岡八幡、弁天、大黒天を通って、深川江戸資料館に入る。思いがけず、充実した展示内容だった。長屋を一つ一つきっちり時代考証して再現しており、この点では国立の東京江戸博物館より充実していた。深川には寺がいくつもある。その中のお墓の一つにこっそり入ると、さすがに江戸時代の墓も多く、そして欠けている墓も多い。地震にやられたのだ。谷中の墓とは大違いだった。 深川宿で昼飯。あさりの味噌のぶっかけである深川飯と炊き込みご飯のセット、「辰巳好み」が2000円。昔は長屋の人たちのささやかな食事だったのに…。清澄公園東隣りの深川図書館に行く。総板張りの落ち着いた図書館。もっとゆっくりしたかったが先を急いでいるので、森下駅をめざしていくと迷ってしまった。仕方ないので、バスに乗るとさらに迷って2回乗り継いでやっと両国駅に着く。

 東京江戸博物館は都立だけあってその総合的立体的な展示内容は、他を圧倒していた。例えば、一武士の一ヵ月の行動を現在の地図に落として見せている。相当遊んでいたということと、籠も使ったかもしれないが、それにしてもよく動いている。自分も歩いたからわかるが、日本橋を通って深川に行き、その日のうちに浅草まで行っているとはすごい行動力だ。半日かけてゆっくりと見たがまだ見き切れない。

 両国ビヤガーデンで地ビール飲んでお宿の日暮里へ。
 次の日は、早朝から谷中巡りだ。

《現在の感想》
記録はここで止まっている。おそらく日暮里のホテルでここまで書いて、力尽きてそのままにしていたのだろう。いやいや良く食べている。しかも贅沢三昧だ。もうこんな旅をすることはないだろう。
けれども、このグルメコースはお勧めです。東京の文化が良く分かります。

浅草ロック座はいまだ見ていない。でも、いまだ見てみたいという気持ちは変わらない。テレビ番組でヌードダンサーたちが踊りに自分の生き方をかけているような場面があったし、渥美清等の芸人を産出してきた本場を見て、何かを感じたいので。

最初に出てきた集会は、労基法の改悪反対集会だろうか。フレックスタイム制の導入、派遣社員を認める法律、パート採用を首切れる法律、この頃からいろんな悪法が通っていった。そして今年、更なる労基法の改悪が進められようとしている。



2005年05月29日(日)
98映画ノートから「ユキエ」

98.3.14   松竹 
「ユ キ エ」  
監督・編集・プロデューサー松井久子 脚本新藤兼人 撮影監督阪本善尚
倍賞美津子/ボー・スベンソン/

戦争花嫁、パーキソン病、老人問題、ベトナム後遺症、等の問題を後の背景で写しながら、40年間の夫婦の愛を正攻法の演出でじっくりと撮っている。大した事件が起きるわけではないが、小津安二郎ばりに不思議と説得力をもつ。倍賞美津子がいい。花のある、昔はさぞ華やかな人だったろう。ということを感じさせる初老の婦人を描いて秀逸。ボー・スベンソンが頑固な老人を描いて『息子』を思い出させる。しかし彼にはまだ愛する妻がある。やがては自分さえもすっかり忘れてしまうであろう妻と至福のときを過ごす。最後に舞台となったニューオリンズのバトンルージュ市が超ロングで引けてゆっくりと全体像が写る。彼らの住む町は緑に囲まれているが、10分も車を走らすと倉敷なみの町並みもそろっている。海に面したいい町である。ボランティアの人も来る。決して老人が孤立しいない。『息子』とはおのずと違う。

《現在の感想》
松井久子の第一回監督作品。プロデューサー畑の彼女が思いのたけを集めて作っただけあって、力作だった。ここにはいろんな問題が隠れているが、日本の観客にはやはりパーキソン病のことが一番心に残ったらしい。そして上映活動の中で監督自身もいろんな出会いを持って、鍛えられていく。それが日本を舞台にした「折り梅」に結実する。寡作の監督ではある。しかし、次の作品を早く見たい。







2005年05月28日(土)
98映画ノートから「南京1937」

98.4.5        岡山松竹 
「南京1937」
1995年香港=中国合作 監督・呉子牛(ウー・ツウニュウ)
秦漢(チン・ハン)早乙女愛・劉若英(リュウ・ルーイン)陳逸達(チェン・イーター)
『阿片戦争』のあとにこれを観る。イギリスよりはるかに愚かなことを日本はしていた。『月桃の花』と同じように、頭では、20〜30万の虐殺があったとわかっていても、それをほぼ一週間ほどで終えようとすれば、確かにここの映像で描かれたように、何万もの兵士をすり鉢状の渓谷に押し込め、周囲から皆殺しにするしかなかったろうと思い至るが、この映画を見るまで、そういうイメージは全然わいていなかったし、国際難民キャンプがあることも知らなかった。ありえないことだが、そのキャンプさえ蹂躙するとは…。もちろん、日本人の私は眉に唾つけてこの映像を観る。しかし、『月桃の花』と同じように、本当はこんなもんではなかった…という声が中国人の間から聞こえてきそうな気もしている。
監督の意図は慎み深い日本人にはわかりやすい程よくわかる。本来はありえない日本人の妻と中国人の夫と、その子供たちを登場させる。最後には二人の子供が生まれる物語を軸に話を進めるのは、いたずらにに日本人に対する憎しみをあおるわけではないということだということはよくわかる。早乙女愛が本当に『愛と誠』の女優なの?といった迫真の演技をしてくれて、そういう意味でも日本人たる我々はほっとする。松井大将の男優久保恵三郎があまりに大根役者なので、余計そう思う。
日本軍の役者の演技があまりに大根だ等、欠点は幾らかある。しかし、単なる学習映画ではなく、フィクションを織り交ぜ、日本人には辛いがそれでも十分エンターテイメント性をもった映画に仕上がっている。もっと話題になっていい映画だ。

《現在の感想》
岡山松竹は比較的早い時期の上映だったため、右翼の妨害もなく、無事に上映を済ませた。問題はその後秋にかけて、右翼による上映中止の事態が起こることにより、この作品はいわば「幻」の作品になっていく。しかし、その作品自体はというと、欠点はないわけではないが、充分エンターテイメント作品として、通用するものであった。そろそろDVDで発売されてもよさそうなものなのだが。
その後南京事件の問題は何万人死んだか、何十万人死んだかに移ってきているように思う。しかし、問題は一人ひとりがどのように死んだか、であろう。陵辱と虐殺はあった。それは間違いないだろう。証言がありすぎる。それならば、もう出るべき問題は出ているのである。



2005年05月27日(金)
98映画ノートから「泣いて笑って涙してポコアポコ」

98.3.15    オリエント美術館
「泣いて笑って涙してポ コ ア ポ コ」
監督山下耕作
 実話を元にした劇映画。身体障害者の空き缶を拾って車椅子を100台老人ホームに送るという活動を、地域の人の反応、運動の広がりを折り込みながらコンパクトにまとめている。
「なにかわやりたい」という女の子の気持ちを必死で支えたお母さんが一番偉いが、彼女がみんなに支えられてここまで来たのだということを発見したことはもっとすばらしいことのように思えた。

《現在の感想》
この文章を改めてみるまで、私この作品はドキュメントだと思っていた。それだけ役者が迫真の演技をしたのだろうし、作り方自体が凝っていなくてドキュメントタッチだったということなのだろう。

カンカンを集めただけで、車椅子を100台寄付できたというのは、本当である。ひとつのことを集中してやることの素晴らしさを描いて、その後7年間、何かあるとき、ふと思い出したりする映画であった。



2005年05月26日(木)
98映画ノートから「奈緒ちゃん」

 98.3.1. オリエント美術館
「奈緒ちゃん」
製作・大槻秀子/演出・伊勢真一/撮影・瀬川順一
西村奈緒/西村信子/西村大乗/西村記一/

主催者のあいさつがよかった。23〜4の美人が、作品紹介したあとで、「私にも心身障害の妹がいて丁度奈緒子といいます。私は重い家族の空気の中で何とかそこから逃げ出そうとして居ました。そういうときこの映画を見ました。京都で第一回を見たのですけれど、その時このお母さんが舞台あいさつをされました。見ればわかりますが、ほんとにすてきなお母さんで、こういう人になりたいなと思える人でした。この映画を見たあと、何か少しでもできたらいいなと思えるようになりました。」
 てんかんと知的障害をもつ重複障害者の映画だか、暗いところはなく、ドラマもなく、むしろ日常の中の意識しない笑いが見事に編集されていた。
 記録映画ではあるが、お金を払ってみるに耐ええる映画である。昔のコープ牛乳や、アルミパウチが登場して懐かしかった。

《現在の感想》
岡山の何かの映画祭で上映されたと思う。明日紹介するもう一本のドキュメンタリー映画のように、商売ベースには乗らないけれども、作家の努力しだいで上質の映画作品と同様に心に訴えかけるドキュメンタリーというものは確かに存在するのだ、ということを示した意味で貴重な映画祭であった。



2005年05月25日(水)
98映画ノートから「真昼の暗黒」

98.2.15. オリエント美術館
「真昼の暗黒」
監督今井正/脚本橋本忍/撮影中尾俊一郎/音楽伊福部昭
草薙幸二郎/左幸子/北林谷栄
1956年作品キネマ旬報第一位
八海事件を元にした、冤罪事件支援作品。
しかし、そこにあるのは一地方都市の貧しい日本の姿であって、「35円かけうどん」の食堂、老母と若い女性も、内職(懐かしい麦わら帽子のこより)でその日暮しをする毎日。私たちは「戦後」になる直前の日本の姿を見たのだろう。だからこそキネマ旬報一位になったのだと思う。しかし、この作品は完璧に埋もれてしまっている。今見ても、見ごたえのある作品なのだが、当時の今は忘れられた冤罪事件の支援作品であるという宿命によるのだろうか。北林が若い。左がかわいい。

《現在の感想》
ラスト近く弁護士が、もし容疑が成立するとしてどのような犯罪だったら容疑者が殺人を犯すことが出来るのか、再現フィルムのように説明するくだりがある。つまり容疑者はスーパーマンみたいにものすごいスピードで犯罪を犯したという説明になる。この再現フィルムで観客はこれが全くの冤罪事件であったことを確信するのであるが、それまで重い人間ドラマが続くので、このラストのたたみかけはものすごく効果的である。これと全く同じ構成の作り方を、オリバー・ストーン監督が「JFK」で行う。ケネディを撃った人物はひとりではなく、もしひとりだとしたら弾は超能力で縦横に曲がったのだということを証明してみせる、あの語りと全く同じである。もちろん「真昼の暗黒」のほうがずっと前に作られている。単なる偶然とは思えない。
この映画は岡山映画鑑賞会の努力で上映された。ほとんど上映の機会がない作品である。もっと注目されてもいいと思う。



2005年05月24日(火)
98映画ノートから「ピース・メーカー」

98.1.17. メルパ
「ピース・メーカー」
 ミミ・レダー監督 マイケルグリロ/ブランコ・ラスティング製作総指揮
ジョージー・クルーニー/二コール・キッドマン/マーセルユーレス 
ドリーム・ワークス第一回作品(SKG=スピルバーグ・カッツェンバーグ・ゲフィン) START(核削減条約)によって廃棄処分にされるロシアの核兵器が、テロ組織によって盗まれる。時間稼ぎのために、10発のうち一発の核兵器を爆発させるという冒頭。スピルバーグにしてこれである。私は最初から暗たんたる気分になった。この映画の評価はあとで述べるが、それにしてもアメリカ映画における核兵器の扱いを観ると私は憂鬱な気分になる。そもそもなぜ「時間稼ぎ」というほかにも置換えが可能ないい加減な理由によって、わざわざロシアの地で核爆発を描かないといけなかったのか。話の都合上、核の恐怖を影像で見せるにはそれしか手がなかったというのか。それならそれで爆心地にジョージー・クルーニーを下ろすような場面を描いてもよかった。生き残った人間がいかに悲惨な目にあっているか、もっとリアルに描いてみろといいたい。草原での爆発ということもあって、爆発直後、1500人の犠牲があった、と二コール・キッドマンが事務的に報告しただけで映画の中の関心は、ウィーン、ボスニア、ニューヨークへ向かっていく。
 アメリカ人は、核兵器といったときにその圧倒的な破壊力には恐怖を覚えるが、放射能については、頭では知っていても、全然怖がっていないことをいくつかの映画を見ると容易に知ることができる。一番私が頭にきた映画は『トゥルーライズ』(94年)。水爆を盗んだテロ組織を、政府のスパイが悪役としてやっつけるという単純な活劇であるが、なんと、ラストでついに水爆は爆発し、悪役は吹っ飛んだ、ヒーロー、ヒロインは助かった、ということでキノコ雲を背景にキスシーンで締める。「ちばんけんな!」という気がしましたが、なんとこれが大ヒットしていしまうわけです。監督のジェームスキャメロンは決して反動的な人ではない。その証拠に今公開中の彼の作品『タイタニック』はいい映画です。(ラストで不覚にも涙してしまいました…)『トゥルー…』を作った人たちは「そもそもこれは反核映画じゃないし、放射能のことなど考えなくてもいいじゃん」ぐらいの気持ちだったのかも知れない。しかし核放射能を恐ろしさを知っている私たちは、水爆が地上で爆発したあとはいかに悲惨な出来事が起こるかしっていて、とてもこの映画がハッピイエンドで終わったと思えないわけです。次に「バカな…」と思ったのは、『ブロークン・アロー』(96年)。ジョン・トラボルタが見事な悪役を演じた映画。彼が演じる米軍パイロットが演習用の核兵器を盗む物語だが、途中天然地下壕でその一発が爆発してしまう。この年は、フランスの核実験に対する反対運動が非常に盛り上がった年で、放射能の危険に対する言及も何度か映画内でされている。しかし、地下壕からヒーロー・ヒロインが脱出するのは、地下の川からなのである。しかもここは、国立自然公園の中なのである。いくら地下だといっても、相当の放射能汚染が広がるはずなのである。しかし脱出したヒーロー(クリスチャン・スレイター)は「放射能の危険はない」という。そして映画の関心は爆発から完全にはずれていきます。
「ピース・メーカー」作品自体はハリウッドらしく、派手に盛り上げて、最新情報をちりばめて、ハッピィエンドで終わる。可もなく不可もなし。

《現在の感想》
このときがドリームワークスの旗揚げだったのか。彼のもくろみは見事に成功する。ハリウッドだけが、映画の殿堂ではない。インディペンデンス映画だけが、ハリウッドに対抗するのではない、ということをちゃんと示した。

アメリカ国民の核兵器に対する態度は、その後日本人の常識になっていく。もうあきれて、「何をかいわんや」になっていく。しかし、本当はそれではだめなのだ。日本人はもっと声高に核の恐怖を言うべきだ。アメリカの映画を例にとって観ると、アメリカの核意識が非常に良く分かる。



2005年05月23日(月)
98映画ノートから「世界中がアイ・ラブ・ユー」

98.2.1.       シネマクレール
「世界中がアイ・ラブ・ユー」
ウディ・アレン監督・脚本・助演 ディック・ハイマン音楽
アラン・アルダ継父、ドリュー・バリモア長女、ルーカス・ハーフ長男、ゴールデン・ホーン母、ギャビィ・ホフマン妹、ナターシャ・リオンDJ、エドワード・ノートン婚約者、ナタリー・ポートマン妹、ジュリア・ロバーツ恋人、ティム・ロス元囚人、
 終わって明るくなってみんなが帰ろうかと席を立つ。その時のみんなの顔はみんな晴れ晴れした笑顔だ。質のいいミュージカルコメディを観させてもらった。街の人が突然歌い出し、踊り出す。NYの姿と顔のままで。『エブリワン・セズ・アイラブユー』『アイム・スルー・ウイズ・ラブ』…。エドワド・ノートンの歌のたどたどしいこと、しかしそれが人のいい婚約者の内面まで描いてるようで、すっかりウディの術中にはまっている。祖父の幽霊が仲間の幽霊とともに歌い、踊る。「誕生日ごとに月日が過ぎていく。気がつけば、すでに中年だ。楽しまなかったと後悔しても遅い。希望を抱いて楽しく生きよう。」『エンジョイ・ユアセルフ』思わず隣の美女の顔を見た。
 これはまるでNYの『男はつらいよ』だ。しかし、この映画のよさは、中年にならないと分かりずらいかもしれない。人生の悲哀がそこにあるからだ。日本のそれのように人間の善意を肯定してはいない。しかし、前の作品ぐらいから、ウディは若い女性の恋の指南役、恋の語り部を始めたみたいだ。よって若い人にうけるような物語になりつつある。そこらも寅さんとにている。柴又とNYの幸せの求め方は違うが、どちらも幸せを求めている点では同じであり、どちらも普通の庶民を描いている点では同じなのである。癖になりそうだ。

《現在の感想》
これミュージカルだったんですね。全然そんな印象はなかった。むしろ、ウッディ・アレンの「しゃべり」に感心して、ずいぶんといい気持ちで映画館を出た記憶がある。
バリモア、ノートン、ポートマン、その当時まだあまり注目されていなかった役者を起用するあたりはプロデューサーとしてもすごいものがある。
寅さん亡き後、ウッディ・アレンを毎年の好例映画にしようとしたみたいだ。しかしそのことは、二つの理由で挫折する。ひとつは、次の年こそアレンは映画を作ったものの、その後作品を作らなかったためであ。もうひとつは、やはり、アレンの持つ「幸せ感」はやはり都会人の持つそれであり、私には合わなかったみたいである。
でも彼はまた最近新作を作ったみたいだ。早く岡山に来ないかなあ。



2005年05月22日(日)
98映画ノートから「萌の朱雀」

98.1.17.      シネマクレール
「萌の朱雀」
 河瀬直美監督・脚本 國村隼 尾野真千子 和泉幸子 柴田浩太朗 神村泰代
 奈良県吉野郡西吉野村
 鉄道敷設の中断によって、結局過疎の村を離れざるを得なかった家族の離散、を描く。しかしこれは不幸な物語ではない。例えば、アニメ『蛍の墓』の12才と4才の兄妹が普通の農村で生きたならこうなったかもしれない、と思わせる幸せな時間を映した映画である。(そう思ったのは子役の山口沙也加があまりにも節子の声に似ていたからではあるが)しかし、その「幸せ」は微妙なバランスの上に立っていることを私たちに突きつける。 本当は前半の30分でこの映画の魅力は80%語り尽くしている。国際的評価を得たのはむしろ後半60分であろう。ここで夫は謎の死を遂げる。そのあと言葉にならぬ言葉を語る日本人を細かに描いたことで、そしてその基盤がいかに微妙な関係で成り立っているかを描いたことで、大きな評価を得るのだ。しかし、日本人にとっては自明のことなのである。冒頭の朝食を作る場面、人々は呼吸を合わせて生きているのである。
 後半はむしろ、河瀬直美の家族との別離という自分史を描いたにすぎない。
 ただ、尾野真千子と神村泰代はよかった。
 シネマクレール初日だからだろうか、河瀬直美監督と20センチのニアミスをした。本物の目はまっすぐで、肌はきれいだった。

《現在の感想》
今ではカンヌの新人賞と言われてもそんな大きなニュースにならないかもしれないが、このときは久しぶりの受賞だったので驚いた。
しかし観客を選ぶ作品である。
監督はあまりにも自然な映像を追及するあまり、自然な演技さえも拒否しているように思える。物語の拒否。ともいえるかもしれない。この作品は成功しているだろうと思う。
しかしここで書いているように、この日は監督と鼻がぶつかりそうになるくらい偶然接近してしまった。肌は荒れていたが、目は非凡であった。本物はやはり間近で見ないとわかりませんね。

昨日今日と、予定が合計5つも入っていて、まるで売れっ子タレントみたいに時間区切りで移動していた。毎週土日は忙しくなりそうだ。゜



2005年05月21日(土)
98映画ノートから「GAMA月桃の花」

98.1.17. オルガ
「G A M A 月 挑 の 花」      
大澤 豊監督  朝霧舞 沖田浩之
 途中から絶える事なく涙が出てきて、こういう体験は初めてだった。今まで、沖縄旅行で読んで聞いてきた体験と、何度か観た10フィート運動のフィルムが結びつき、想像していた以上の沖縄戦の悲劇が浮かび上がった。アメリカ軍が撮ったフィルム、焼き払うとうもろこし畑、爆弾を投げ入れるガマ(馬乗り作戦)、雨のような艦砲…その下に今まで影像では観たことない沖縄の人々がどうしていたか、どうなっていたか、観てしまうことの凄さ。最初、宮里キクと和子だけは生き残ったのだなと思っていたが、和子の鳴き声を止めるために思わず窒息死させていたというラスト近くの「事実」。
 丸でウソのようなことばかりが描かれているが、実は事実より若干甘い影像であることを私たちは知っている。演技が若干素人臭いことはこの際どうでもいい。本物の役者は極力押さえ、沖縄の顔と方言を使い切った。そのことが非常な「力」となる映画だった。

《現在の感想》
こんなに泣いた映画はその後10年間あまり覚えがない。たぶん一番ないたのだろう。「ちゅらさん」で有名になった、「おばあ」の女優ももちろん出ている。と言うか彼女は沖縄一の女優なので、本土で公開されるこの手の作品に出ていないはずがないのではあった。
感想に書いているように、この作品に感動するためには事前に沖縄に行っておく必要があると思う。しかも、生存者の体験を聞き、沖縄祈念館で二時間ほど、体験者の手記を読み、「安保の見える丘」で、思いやり予算で次々と建ててられた施設を観たあとでなら、大きな感動を呼ぶだろうとおもう。
要は、映像の下に隠されたものを見ることのできる「想像力」の問題である。
ビデオで出回っているのを観たことがない。できればリクエストしてでも見ることをお勧めする。



2005年05月20日(金)
98映画ノートから「CURE」

昔の映画を語りだしたので、
もうしばらく語ろうと思う。
97年の映画ノートは紛失している。
98年はまだインターネットを始めていなくて、
これらの文章は今回初発表の文章ばかり。
とりあえず記録のためにいくつかピックアップして発表したい。
96年もそうだが、実際はこの3倍くらいの映画を映画館で見ている。

98.1.2.        SY松竹
「CURE」
黒沢清監督   役所広司 うじきつよし 中川安奈 萩原聖人 蛍雪次郎 洞口依子 でんでん 大杉漣

非常に疲れる映画だった。普通の人の中にある「人を殺したい」といった欲望を催眠術をつかって、その規制をはずさせるという物語だということはわかった。しかし私自身は「人を殺したい」と思ったことはない。「疲れる…」というのは、「果たして君はそういい切ることができるのかな…」と薄ら笑いの製作者の姿が見えるからである。それは人間本来の姿は人を殺す動物だとでもいう思想に裏打ちしている。その考えがあっているかどうかはわからないが、その考えの元に不特定多数の人に見せる映画を作ることは不愉快感を感じる。
 役所が中川を殺す場面が省略させられたのは、作品の完成度を低めたが、救いであった。
 こんな映画案外評価が高いようだ。そういう世の中に興味を覚える。

《現在の感想》
黒澤清の映画を観たのはこれが初めて。非常に不快を感じたが、忘れることの出来ない作品であった。「殺してみたいから殺す」そういう映画は現在なら普通に成り立つだろう。現実がそういう事件であふれているから。私の感じた不快感というのはそういう現実の先取りに反応したからなのかもしれない。そういう意味で黒澤清という作家は、確かに最初から侮れない監督ではあった。



2005年05月19日(木)
96映画ノートから「わが心の銀河鉄道」

96/10/19    東映
「わが心の銀河鉄道」
保坂嘉内(椎名桔平)の存在が大きい。賢治が人類全体の幸福を求めるため、頭だけで考えることからしだいに成長していったこと、それでもそれはまだ空想でしかなかったことをきちんと描いている。賢治の素晴らしさと切なさ。
汽車の中で少女が賢治に石灰が詰まったトランク(農薬の営業をしていた)に「何が入っているの?」と聞く。「夢が入っているんだよ。みんなが幸せになるためにはどうすればいいのか。」と答える。
保坂が、家内や子供に「グスコブドリの伝記」の最期を読み聞かせる。「イハートブはどうなったの?」子供が聞く。「幸せな国になった」と答える。ここはこの映画のオリジナルで、感動的なところだ。脚本が良かった。賢治ファンでないとかけない脚本だ。
賢治とトシが元気で明るく、少し近代的過ぎた。

(goo資料より)
わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語(1996)
作家・宮沢賢治の半生を描いた伝記ドラマ。監督は「緊急呼出し エマージェンシー・コール」の大森一樹。脚本を「地獄堂霊界通信」の那須真知子、撮影を「極道の妻たち 危険な賭け」の木村大作が担当している。主役の賢治にふんしたのは「きけ、わだつみの声(1995)」の緒形直人。共演は、今作でキネマ旬報助演男優賞をはじめ各映画賞を多数受賞した渡哲也、「虹の橋」の水野真紀、「渚のシンドバッド」の袴田吉彦、「GONIN2」の椎名桔平ほか。宮沢賢治の童話世界のイメージをスクリーンに再現するため、CGやアニメーションを合成した豊かな映像が展開されるファンタスティックな作品に仕上がっている。宮沢賢治生誕100年記念。

《現在の感想》
この年は、宮沢賢治生誕100年記念ということで、神山征二郎監督「宮沢賢治ーわが愛」 と競作になったが、わたしは大森一樹監督の作品のほうに軍配を上げる。ひとりの空想的理想主義者のすばらしさと限界を描いて秀逸だった。脚本は去年「デビルマン」で散々な作品を作り、「北の零年」でいまいちの脚本を書いた那須真知子。でもこの作品の本は素晴らしかった。
この次の年の冬、私は「宮沢賢治を訪ねる旅」と自分でテーマを決め、岩手県に行く。冬の岩手は格別だ。「みぞれがびちょびちょふってくる」「なまりいろの空」雪に埋もれ賢治が農作業をしていた(しかし当時としてはモダンな)「かやぶきの家」、4時半になるともう真っ暗になる東北の冬を満喫した。今思えば贅沢な旅だった。




2005年05月18日(水)
96映画ノートから「学校」

96/11/9    松竹
「学校」
山田洋次監督 西田敏行 永瀬正敏 いしだあゆみ 神戸浩 吉岡秀隆
今度の学校は、北海道の知能障害の子供たちの自立を扱った物語。
リュー先生が「生きていて良かった」とつぶやく。そのとき初めてこの子達は大変危ない橋を渡っていたのだと気がついた。
ホテルで働く先輩が、「そりゃいやなことはある。でもそんなことをいっちゃいけないと思うんだ。ここで働けるだけでもラッキーなんだから。」という。仲良しの女の子の親に「もう来るな」といわれて、それでもすべてあきらめざるを得ない現実に何度もぶつかってきた彼。ほんとに仕事付けの生活をしながら「ラッキー」といわざるを得ない彼。
最後の場面で、最後まで声を発しなかった女の子が、誰も見えない赤い風船を目で追う。
人間は社会の中で人間になる。しかし人間であることの基準はまだ誰も定義できていない。文学者が何度も何度もたとえ話を作っているだけだ。

《現在の感想》
この年のベスト作品であり、五つある「学校」シリーズの中で、この作品がベストである。もちろん私にとって、ではある。何がいいといって、女の子が風船を目で追うところでガツンと来た。
吉岡秀隆の障害の程度は低い。だから彼の挫折(就職が決まりそうになって断られるところ)は共感しやすい。しかし、神戸浩の演技はまるで演技に見えない。(私は最近まで彼は重度の障害者だと思っていた。)あの演技を引き出した山田洋次には脱帽する。しかし、彼にも最後のほうでは共感することが出来る。そこで終わったら単なる感動物語だった。しかし、最後で、それまで全く風景の一部だった女の子の「心の風船」を描いたのである。私はいったい何を見ていたんだろうと思った。「人間とはいったいなんなのだろう」永遠の問いかけがこの映画にはある。
山田洋次はいつも不幸になる一歩手前で物語を終える。山田洋次を幸せを描く監督だと思っているといつか痛い目にあうことだろう。






2005年05月17日(火)
96映画ノートから「恋人までの距離」

96/10/12
[恋人までの距離(ディスタンス)」
イーサン・ホーク ジュリー・デルピー
ドラマでもない、ドキュメントでもない。18時間で恋は生まれるかという実験。恋愛指南にもぴったし。
夫婦喧嘩に嫌気がさした23歳の女子学生(仏)が、男の旅人(米)に声かけて、すぐ盛り上がる。どちらも一人きりというのが第一のミソ。男は女を食堂に誘う。話は弾む。男は少年のときのおばあちゃんの幽霊の話しをする。女の表情は変わらないが、キュートと思っているらしい。男は汽車を出るとき、思い切って女を誘う。「明日の朝まで泊まらず、夜通し語らないか?途中でいやになったら消えればいい、」と。「将来君は結婚して夫との生活に飽いてくる。そういう時、昔あった男のことを思い出す。君は未来から来た現在の女だ。」……このくどき文句使えるかも!?最初は気まずい雰囲気だ。やがて二人はバスに乗る。質問ごっこだ。「初めてセクシーと感じたのは?」「恋は?」「怒っていること、不満に思っていることは?」二人は歩きながら、人生観を語る。二人とも豊富な話題、これは本当に脚本無いの?観覧車で第一のキス。女はまだ戸惑っている。男と女のテーマで意見が分かれる。「これはケンカ?」友達への笋里けっこをして二人は恋をしているのを確認する。「その男のいやなところは?」見事に男の弱点を付く女。二人は半年後にまた会おうと約束する。深いキス。要は二人は目を合わせたときから恋をしていた。しかしそれだけで恋は恋にならない。

《現在の感想》
細かい会話のやり取りまで感想に書いているのは、この会話の妙を学んで実地の参考にしようと思っていたのに他ならない。しかし何の役にも立たなかった。会話は反射神経である。理屈では分からない。
この映画去年続編が出来た。半年後に会おうといいながら約10年後になったというわけだ。まだ観ていないのでなんともいえないが、どちらもベテラン俳優になっている現在、果たしてどんな作品になっているのだろう。





2005年05月16日(月)
96映画ノートから「ツイスター」

96/7/6    SY松竹
「ツイスター」
スピルバーグ製作 ヤン・デ・ボン監督
次々と発生する竜巻(F3からF5まで)の映像はすごいものがあるが、みんな心動かしたのは知人の老女を救ったときだ。みんなまざまざと阪神大震災を思い出していた。「警報が鳴らなかった」「鳴ったと思ったら来ていた」「新しい警報システムを作るのよ」健全なアメリカの姿だ。
ヤン・デ・ボンは畳み掛けるように見せ場を作る。しかしスピルバーグは今回も人間ドラマを作れないことを実証した。これだけの惨劇に死人が二人しか出ないのだ。

《現在の感想》
思えば、この作品のCGはすごかった。CGパニックものの走りではないだろうか。スピルバーグはやはりこの方面では常に最先端を行く。「プライベートライアン」では戦争映画の革新を起こしたし。今度の「宇宙戦争」も楽しみではある。
感想の中に「阪神大震災」のことがあり、あのころはすぐにそのことを思い出すほど、生々しかったのだなあ、と感心した。今はもうあまり思い出さない。というか、この映像を見て思い出すのはまずスマトラ沖地震だろうな。



2005年05月15日(日)
96映画ノートから「ヒート」

96/6/22   メルパC
「ヒート」
マイケル・マン監督・脚本
アル・パチーノ ロバート・デ・ニーロ トム・サイズ・モア ジョン・ボイト ヴァル・キルマー
米国版「雲霧仁左衛門」である。プロの強盗デニーロ、頭はいいがやばくなると容赦なく人を殺す。ロス警部パチーノ、麻薬捜査官上がり、チンピラを脅かし、すかして情報網を作り、最新機器を縦横に使ってあっという間にホシを追い詰める。
どちらも家庭的には不幸だ。離婚二回、そして三回目も家庭を顧みないといって離婚危機のパチーノ。ずっと結婚には無縁のデニーロ、やっと見つけた素人の娘と高飛びをして新たな愛を追い求める。それがなんだったのか分からないままに終わったのは惜しい。
「雲霧」と違うところは多々ある。たとえば集団対集団ではなく、優れた四人対四人のチームの対決であるということ。父権、上司の姿は強調されず、夫と妻のあり方が問題になる。そして最後の戦いではデニーロが殺される。日本だったら高飛びさせただろう。
これはオディプスの「父親殺し」物語にもなっているのではないか。かって「ゴッド・ファーザー」でデニーロは若き日の「ドン」を、パチーノは二代目を演じた。デニーロは仲間の復讐を断ち切れなかった。パチーノは早々にあきらめてホテルに帰ることで家庭の悲劇から救われる。そうして、こが父を乗り越える。子が父を殺すのは西洋文明の宿命なのか。
三時日間が長いと感じれなかった。傑作である。ナタリーポートマンがほとんど出なかったのが残念。

《現在の感想》
ナタリー・ポートマンは「レオン」以来の私のお気に入り。彼女を見ようと思ってこの映画を観たら、ビンゴだった。ナタリーが出る映画はすべて観ている。もちろん今度の「クローサー」はては「スターウォーズ3」は当然観ます。
「ヒート」を米国版「雲霧」だといったり、「父親殺し」だといったりする説はトンと聞いていないが、私自身は我ながら鋭い説だと思っている。



2005年05月14日(土)
96映画ノートから「トキワ荘の青春」

間に7作ほど見ているが、現在あまり語るべきところもないので、省略。

96/5/4         シネマクレール
「トキワ荘の青春」
市川準監督 美術間野重雄
木本雅弘 大森嘉之 さとうこうじ 安部聡子 きたろう 阿部サダオ 古川新太

トキワ荘に抱いていたイメージをほとんど壊すことなく始まったことに驚いた。寺田ヒロオの部屋の一つ一つに「納得」する素晴らしいセットだった。「まんが道」(藤子不二夫)を読みふけった人間にとって、セットを見るだけでも価値がある。木村伊兵衛の写真が随所に使われているのも気に入った。
しばらく誰が我孫子で、誰が石森章太郎か、特定するのに時間がかかったし、台詞が聞き取りにくく、「失業保険もないしね」「デフォルメ」とかの言葉はあとで脚本を見て確認した。
30年代のアパートの雰囲気が良く出ていた。マンガの未来が、その中に溶けてゆっくり顕在化しつつあった。
好きなテーマをどんどん書かせていた「漫画少年」が倒産。「時代の流れに乗るんじゃない。分析するんだ。」という石森章太郎と、「子供に理想を見せないと」という寺田。寺田ヒロオも、森安直哉も、刺激の強いシーンがかけなくて雑誌掲載が難しくなっていく。「自分の傷を見せる」つげ義春はまた違う道を歩み、二度とトキワ荘には近づかない。しかし、寺田の絵の確かさは、今でも充分通用するし、森安のあの叙情性は今なら使える雑誌があるかもしれない。
寺田の言っていたことは必要十分ではなかったが、しかしマンガの本当の未来にとっては必要なことであった。それを捨ててきたマンガは今……。森安のマンガはどうなるのか……。

《現在の感想》
この作品のビデオは現在なかなか見つけることは出来ません。しかし私のとても好きな作品です。マンガの黎明期が実によく再現されている。トキワ荘は今は解体されて残ってはいない。しかし手塚治虫がトキワ荘の次に住んだ並木アパートはまだ東京に残っていて、数年前に訪ねたことがある。以下はそのときのレポートの一部である。

朝、高田馬場で降りて、『2時間ウオーク』のガイドの本の地域を歩くために、荒川線鬼子母神駅に向かう。東京というのは不思議な街である。角を一つ曲がるだけで、それまでの都会の街並みから下町に変わる。細い路地に植木鉢をたくさん並べた風景が見える。荒川線にそって歩くと目白地域に入る。ここは本当にマンションが多い。隣は学習院大学だ。歩いて五分でこうも風景が変わるのである。鬼子母神駅の周りはまた下町の風景に変わる。駅から少し歩いたところに『並木アパート』はあった。S29−32年にかけて手塚治虫が住んだところである。「トキワ荘」を石森章太郎らに明け渡し、ここで、鉄腕アトムや、ジャングル大帝、そして数々の月刊誌時代の名作が書かれた。トキワ荘が既に存在しないのに対して、ここは当時のままかどうかは分からないが、存在している。400年という樹齢のケヤキ並木がある通りに入ると、中華の店がすぐ右手にあり、その手前の筋を右に曲がった突き当たりがそのアパートだ。朝のうちなのでそっと中に入ると(おいおい)いまでも学生用の借家なのか、ポストはみんな苗字1文字の八人の部屋がある文化アパートであった。はいってすぐ右側に90年の手塚治虫展のポスターを額にいれて飾ってあった。なんだかものすごく嬉しかった。この本当に小さく典型的な路地の奥で、手塚は編集者に監視させられながら、それを抜け出して荒川線に乗り、大塚駅で乗り換え、近くの駅の映画館に通ったのだと思うと、すこし感無量。(以上引用終わり)

マンガ雑誌が現在ゲームやインターネット、携帯に押されて衰退しつつある。マンガはもう一回昔の初心を思い出すべきときではないだろうか。

森安直哉のマンガは決してうまいとはいえない。ただ彼は郷里岡山の城下町の出身で、今はすでにない下町風景を見事に映した作品を書いていて、私は小さな展覧会用に作った作品集をもっている。どこか忘れることの出来ない絵柄なのだ。10年前はまだ夢を捨てずに書いていたはずだ。今はいったいどうしているのだろう。








2005年05月13日(金)
96映画ノートから「ニクソン」

96/3/9 SY松竹
「ニクソン」
オリバー・ストーン監督  アンソニー・ホプキンス
長い映画で、途中で何人か退出者が出た。岸とか角栄を主人公にして、どうして日本ではこんな映画が作れないんだろう。
ホプキンスの背を丸める姿、不安な姿から一転観衆に応える姿、べろで舌をなめる癖。ニクソンを等身大で描き出し、説得力があった。
一方、学生と対話したとき、ひとりの学生は「正しいことのためなら死ぬ」と言い放った。反戦運動の側からこういう言葉が出る。またニクソンが、企業の人間と秘密会合の中で脅かされ「国民が私を選んだ」といってはばからない場面。こういうところにストーンの特徴と限界がある。それはアメリカそのものの民主主義の限界でもある。
しかし、実写と演技、渾然一体となって畳み掛ける。ストーンの力量はいかんともなく発揮されている。編集賞と主演男優賞はとってもいいかなと思った。

《現在の感想》
賞のことを書いているのは、おそらくアカデミー賞直前に見たからだろう。しかし御存知のように「ニクソン」は無冠に終わる。それどころか、この作品のことを覚えている人は今どのくらいいるだろうか。ストーンは「JFK」までが華だった。その後ずっと泣かず飛ばずで、今年もどこから金が出るのか、「アレキサンダー」という怪作を作るが、ラジー賞候補になるという始末。この作品のビデオは出回っているのだろうか。
しかし、あの反戦学生の言葉はイラク戦争を経た今考えると非常に示唆的だ。結局「正義」という言葉を率直に信じ、それを最上の価値におくのがアメリカ国民で、胡散臭いと思うのが日本国民なのだ。





2005年05月12日(木)
96演劇ノートから「華岡青洲の妻」

96/3/5 文化ホール
「華岡青洲の妻」  文学座
戌井一郎演出    有吉佐和子原作
於継 杉村春子  青洲 江守徹 加恵 平淑恵 小陸 山本郁子
青洲がいない三年間は加恵を猫かわいがりする於継が、帰ってきたとたん無視し始めるその転換は、さすが杉村春子存在感あり。
嫁姑の闘いで、嫁が失明しながら勝つのであるが、加恵は於継のことを「いい、賢い、美しいお母さんでした。」というのだ。
しかし、この嫁姑の戦いはここまで本格的なものは今はなかなか見ることはできないのかもしれない。

《現在の感想》
演劇とは一回こっきりの演技である。一人ひとりの演技で見せる作品で、見ごたえあった。特に、数年後に死ぬことになる杉村春子の演技を初めて生で見ることができて幸せだった。彼女の演技には「華」があった。
確か於継役は平淑恵が継いだはず。にくい配役だと思う。



2005年05月11日(水)
96映画ノートから「デスペラード」

今日は私の誕生日です。
人生の転換儀式はもう終わったので、
今日はなんもない日ですね。

96/2/10       メルパC
「デスペラード」
製作脚本監督ロバート・ロドリゲス(1968生まれ)音楽ロス・ボス
アントニオ・バンデラス(マリアッチ)サルマ・ハエック(キャロリーナ)
イヤーかっこよかった。おもわず映画館の帰りにモデルガン屋に寄ってしまいそうだ。現代を舞台のマカロニウエスタン。「ギターケースに必殺重火器を詰め込んだ、元流しの歌手」の後継を誓うガンマン、という漫画的設定を充分に活かしながら、それだけに終わらない。音楽に合わせて派手な銃撃シーン。終わったあとでも音楽が終わらないと思ったら、美女が出て、彼女を助けて終わりという心憎さ。
「フォー・ルーム」で最も面白かった第3話の監督がロドリゲスだったということは後で知った。そこでもバンデラスが出ていた。
サルマ・ハエックの美しい唇、整った鼻立ち。

《現在の感想》
いやいや、気に入っていますねえ。ロドリゲス監督はこの年の夏に「フロム・ダスク・チィル・ドゥーン」というドラキュラ映画を作って、大ヒットを飛ばし、数年は人気監督になるのだけど、その後はトンと作品を見ない。最初見たときは新鮮だった、ラテン音楽と派手なシーンの融合、漫画的な設定も、何度も同じ映像を見ると飽きてくる。要はそれだけの才能の人だった、芸術の世界というのは厳しい。(ただし「フロムダスク」はタランティーノを世に送り出す役割を果たした。)アントニオ・バンデラスはこのあといろんな作品に出演し、数少ないラテン系俳優として不動の地位を保つ。そういう意味ではこの作品は彼の出世作として記念碑的な作品である。



2005年05月10日(火)
96映画ノートから「Shall we ダンス?」

96/2/3     東宝
「Shall we ダンス?」
原案・脚本・監督周防正行 企画制作アルタラミ・ピクチャーズ
撮影栢野直樹 製作委大映・日本テレビ・博報堂・日本出版販売
役所広司 草刈民代 竹中直人 渡辺えり子 原日出子 徳井 田口浩正
最初に「物語せよといへ、我汝の耳を魅せる話をせむ」というシェイクスピアの言葉が出る。
確かに「ダンスもいいかな」と思ったりする。マイホームを建てたあとの心の空白も理解できる。渡辺えり子が重労働をしながらダンスに夢中になり、役所広司がしだいにのめりこみ、知らず知らずにホームでタップを踊りだすのに共感したりする。原日出子の妻が可愛く、一緒にダンスするところでほろりとさせられてしまう。
しかし、結局周防監督の手の内にはめられてしまったのだ。物語にはめられてしまった。
周防監督の作品に日本映画のどろどろとした部分はない。スピルバーグ的なものもない。エンターテイメントのひとつの方向である。

《現在の感想》
現在公開中の「Shall we Dance?」の「原作」である。もちろんそちらも観たが、その感想はまた次の機会、このシリーズが終わった後で。とはいえ、この感想と比較しながら評価を下している。
私は公開初日ぐらいに見た。だから、上の文章はやがてこの作品がものすごい評価を受けるとは想像せずに書いた批評である。
この作品を絶賛しているような文章になっていないが、「やられた。すごい監督だ。」という感想なのである。最初の「物語せよといへ」は、わざわざ周防監督が自分の映画に自信をっているためシェイクスピアから借りてきた言葉なのかなと、このときは思っていたのだが、彼はそこまで自信過剰ではなくて、あとで『「Shall we ダンス?」アメリカを行く』を読むと、この言葉は本場イギリスのダンス競技会場リヴァプールに掲げられている言葉だったらしい。もちろんそれを目に見えるように掲げたのは、監督の自信の表れなのではあるが。私はこの監督の映画を初めて観て、この言葉に反発しながらも、彼の実力を認めざるをえないなあと思って、こういう文章になったわけです。いや、本当に伊丹監督亡き今、あのからっとした笑いとしんみりした人情を描けるのは、周防監督しかいないと思う。あれからもう9年経ったんだなあ。相当企画も立てただろうに。いろいろ苦労があるのだろうか、草刈民代が、ハリウッド版を見て、「原作をここまで忠実に再現してくれて……」(ハリウッドが私の夫の実力をちゃんと認識していてくれると思ったに違いない)と泣いていたのが印象的でした。早く次回作が待たれます。



2005年05月09日(月)
96演劇ノートから「マドモアゼル・モーツァルト」

映画ならぬ演劇。
この年は割りと真面目に観ていたんだよね。

96/1/22       市民会館
「マドモワゼル・モーツァルト」 音楽座
原作福山康治  脚本・演出横山由和
音楽小室哲哉
モーツァルト/エリーザ  土居裕子
コンスタンチェ      渋谷玲子
サリエリ         荒木啓介
シカネーダ/パパゲーノ  吉野圭吾
モーツァルトを女に設定することで、何の権威にもとらわれず、自由に美しい音楽を作ったモーツァルトの真の姿を描き出し、全編自由な「音」とは何かを描こうとした……
……そうとらえることが出来なくもない。
しかし、サリエリとモーツァルトの父親の存在は消化不良だった。
コンスタンチェとの関係はもっと強調すべきだった。
……時々学芸会になりそうになる。踊りと音楽だけで綺羅綺羅と押し通そうとする。しかし、時々のモーツァルトの音楽そのものと、土居裕子の存在感で救われていた、という感じだ。小室はまだダンスミュージックになっていない。

《現在の感想》
なんかもっともらしい感想を書いてますね。しかし、ここ一年立て続けに映画のミュージカルを観て思ったのですが、わたし本当にミュージカルを面白いと思わないようです。音楽の素晴らしさなんてぜんぜんわからないみたいです。「ウエストサイド物語」だけは素晴らしかった。あれはたまたまダンスがわたしのフィーリングにぴったりはまったんでしょうね。「シカゴ」も、「エビータ」も、「五線譜のラブレター」も、「オペラ座の怪人」も、「レイ」も、その音楽はわたしの心を動かさなかった。わたしの耳は音楽のよさが分かるようにはなっていないみたい。よって、ここに書いている感想は怪しいものだと今の自分は思います。
演劇畑の土居裕子というのは有名みたいですね。いい役者だったと思います。映画やドラマにはぜんぜん出てきませんが、今でも健在なのでしょうか。



2005年05月08日(日)
96映画ノートから「午後の遺言状」

話は全く違いますが、
今日朝日新聞に「意見」をメールで送りました。

最近のJR西日本への記事は目に余るものがあります。
私も、あの記事のことは本当に心痛めていますし、原因の究明も急務だと思います。そのひとつにあの会社の「体質」があるとは思っています。
しかし、だからといって、オフの時間にボーリングしたとか、宴会したからといって、「一面トップ」で扱うような事柄なのか。大新聞がそんな見識でいいのか。ワイドショーなんか調子に乗って、宴会の領収書まで鬼の首を取ったように公開しています。これも新聞が先鞭をつけたと思っています。
もちろん体質に関係した記事だとは思っています。しかし、これは個人攻撃になります。しかも、法律的になんら問えないような事柄です。「統制の足音」という好記事がありましたが、まさに私はこの朝日の記事の扱い方に統制の足音を感じます。
大新聞は確か「客観報道」を建前にしていましたね。私はもちろん、そんなものは幻想で「主観報道」であるべきだと思っていますが、今回は見事な「主観報道」ですね。しかし、主観報道である以上は、どの報道が今一番大切なのかをセレクトすることだと思います。また、支配される側に立った報道をするべきです。この報道は弱いものいじめです。
私は本当にげんなりしています。

私の意見は以上です。
「事実とは何か」を連載した以上、一応報告しておきました。

96/1/21        シネマクレール
「午後の遺言状」
新藤兼人監督  杉村春子 乙羽信子 朝霧鏡子 観世栄夫 瀬尾知美
近代映画協会製作  撮影三宅義行
杉村が惚けた朝霧に語りかける。「楽隊はあんなに楽しそうに、あんなに強くなっている……。わたしたちの生活はまだ終わっていないわ。生きていきましょうよ。」それを見つめる乙羽の目が印象的だ。乙羽はその台詞に役の上でも、本心でも共感しているのだ。顔の疲れは隠せない。
しかし、これが半年後には死んでしまう人の演技だろうか。ポックリ逝ったわけではない。抗がん剤を打ちながらの演技である。
ひょうひょうと布団を運ぶ乙羽。23年間、一人手で娘を育て上げた農家の女の姿だ。
たった48席しかない映画館だが、ほとんどの席が埋まっていた。8割以上は50歳以上である。若者はほとんどいない。ひょうひょうとした演技やボケの演技がえらく受けていた。50〜60歳の夫婦が隣に座っていた。声だけ聞くと、30歳のように思える。筋と関係ないところをひそひそと二人で話題を共有している。そうやって観る映画であった。

《現在の感想》
後にも先にもシネマクレールであんなにお年寄りが集まったのは、これが最高だろうと思う。乙羽信子の遺作である。新藤監督はその後も同様のテーマの作品をひとつ撮ったが、この作品ほどのエネルギーは感じなかった。乙羽だけでなく、杉村春子もこのあと数年して亡くなった。演劇人や、作家、は表現をしている人なので、亡くなる前出る特有の「輝き」をきちんと表現して残すことができる。すべての人がそうではない。だからこそ、渥美清、宇野重吉にしても、そういう作品はきちんと目に焼き付けておきたい。



2005年05月07日(土)
96映画ノートから「男はつらいよ」

えーと、まだストックが溜まっていません。
というか、映画を見る本数が節約のために去年の三分の一ぐらいになっている関係と、図書館で本を借り出したので、もう二度と手に出来ないのではと思うと、つい読書ノートが長文になるという関係で、いまだストックが充分溜まっていないのです。

というわけで、
まだしばらく「時間稼ぎ」しようと思います。(^^;)

96年の映画ノート見つけました。
読んでみるとなんとも、懐かしいし、
今なら分かる事柄も多いので、
いくつかセレクトして、転記してみようと思います。

必ず最後に私の現在の感想を入れます。
これが案外脱線したりとて(^^;)

96/1    松竹
「男はつらいよ紅の花」浅丘ルリ子 後藤久美子
観たあと、神戸に行きたいと思い、行ってしまった。
「たとえぶざまでも、真剣に愛を訴えてほしいのよ。」
そういうルリ子自身が、南の国の夢の人になっているのになあ。

96/9/14   松竹
「男はつらいよ紅の花」
「男はつらいよ口笛を吹く寅次郎」
「男はつらいよハイビスカスの花」
渥美清追悼上映。9/14〜20のたった7日間のみ。人まばら。
改めて、「紅の花」は最終作にふさわしいものであった。満男は「愛しているからだよ」と大声で言うことで寅を乗り越える。(寅の決して言えなかった言葉だ。)寅も「ハイビスカスの花」でプロポーズされ、逆にプロポーズしながら、なぜか結婚をしなかったりリーの元へ、勇気を出して二度目の暮らしに入る。
私は勝手に結論する。彼はここでめでたく結ばれたのではないか。リリーの手紙では、喧嘩別れしたことになっているが、それは単なる夫婦喧嘩ではないのか。次回作が作られないでよかった。これはそういうハッピイエンドで終わった最終作なのだ。
「口笛を吹く寅次郎」はやはり傑作だ。喜劇としては、48作中これが一番だ。

《現在の感想》
この年渥美清死去。「男はつらいよ」シリーズが終わる。私は本当に神戸に行って長田町を歩いた。震災時にはあれほど砂埃が舞っていたのに、行くといやにきれいでがらんとしていた。何にも出来ない自分を確認して帰った。
「寅さん最後にはめでたく結婚していた」説は、不思議なことにその後誰も唱えていない。しかし、ビデオで見てもらえれば分かるが、そう解釈してもぜんぜん不自然ではないはずだ。なにしろリリーと寅の喧嘩の場面は、この最終作に限って言えば描かれていないし、彼らの関係で一緒にしばらく住んで、何もなかったと思うほうがおかしいし、寅のことならその勢いで祝言ぐらいあげても全然おかしくない筈である。さくらたちには恥ずかしいので黙っていただけだ。けれどもきっと、神戸で餅つきをしたあとはとらやの人たちにもそれとなく報告したはずだ。その一歩手前でこの映画は幕をとしだのである。以上「くま説」でした。



2005年05月06日(金)
映画「夏の庭」について(9)

昨日、わたしのPCを探検していたら、
某映画掲示板に載せたこういう文章が見つかりました。
どうやら01年9月の台風の日に
相米慎二監督は亡くなられたみたいです。
「台風クラブ」という出世作にしろ、この「夏の庭」にしろ、
よくよく台風とは縁のあるお方みたいだったようです。

発言日時: 01/09/15 10:26
RE:相米慎二監督逝去(3782/3782)

昨日旅行から帰ってきまして、この悲報を初めて知りました。
相米慎二監督作品はほとんど見てないのですが、
「夏の庭」は忘れることができない作品です。
阪神大震災前の神戸・須磨が舞台で、
三国連太郎演じる老人がもうすぐ死にそうだというので、
「人の死ぬところを見てみたい」という中学生三人組が、
老人を付けまわすという物語です。
その数年後に起きた神戸の少年の
「人を殺してみたい」殺人事件。
その後の同様な事件。
彼らにこの映画を見せていたらと真剣に思いました。

相米監督は数年後自ら死ぬというな何らかの予感が
あったのでしょうか。
合掌。


ここに書いてあるように、
酒鬼薔薇の少年が万が一この映画を見たなら、
あの悲劇は避けることが出来たのではないかと今でも思っています。
あるいは最近、「人を殺してみたかった」といって
ハンマーで幼児に重傷を負わせた少年にも。

実はこの映画のラストは、
死んだ蝶を庭の井戸に投げ込んだら生き返って飛んで行った、
というものでした。
私はあまり好きな映像ではなかったのですが、
人によるとそこが素晴らしかったと、
どこかの掲示板にありました。

以上でこの連載終わり。



2005年05月05日(木)
映画「夏の庭」について(8)

僕たちは、初めて葬式に最初から最後まで参加した。
最初から最後まで泣きとおしだった。
知っている人が死ぬなんてこんなに悲しいことだとは思わなかった。
さあ、これからおじいさんを火葬しようというとき、
おじいさんの元のお嫁さんがやってきた。
僕たちは気がつかなかったけど、
後から考えると、僕たちがサッカーをしているとき
おじいさんはおばあさん所に正装して訪ねていったのだと思う。
おじいさんはそれで安心してしまったんだろうか。
おばあさんは今は呆けた感じは全然ない。
おじいさんの遺体に向かい、
「ご苦労様でした」
と頭を下げた。
おじいさんは小さな白い箱に収まった。
それを、例の意地悪二人組がはやし立てる。
ひとりはいつものようにずーとビデオを回している。
そのとき葬儀屋のおっちゃん(笑福亭鶴瓶)が怒った。
「人の死というもんは神聖なもんなんや。囃すもんとチャう。」
ビデオの男の子は恥ずかしそうにビデオを隠す。
そうして僕たちの夏は終わった。


この場面は私の一番好きな場面だ。
おじいさんは自分の人生にとりあえず落とし前をつけて
死んでいったに違いない。
あの燕尾服の正装はそのことを表わしている。
鶴瓶が子供を諭す言葉も大好きだ。

20歳を過ぎても私の周りには死んだ人がいなかったのだが、
その後約10年間で親類だけでも
私の母や祖母を合わせて5人が立て続けに死んでいった。
この映画を見たのはそれが一段落付いたころである。
日本人は韓国人のように人前で大声で泣いたりしない。
気丈に振舞えば振舞うほど周りの人は
当事者の気持ちを「察して」立派だったという評価を下す。
どうしてそうなってしまうのか良く分からないけど、
私も、とんでもない寂しいところで急に涙が出てきてしようがなかった。
だからこそ、葬式で肉親が泣いているのを目撃したりすると胸が潰れる。
ただ、後で話題になるのは、
本人はあそこまで生きたんだから本望だとか、
若いのにかわいそうね、とかいうことで、
死後天国に行くだろうとか、ぜんぜん話題に上らない。
日本人は「生きているときにどれだけ満足したか」が
死ぬとき幸せだったかどうかの基準になるみたいだ。
しかも「終わりよければすべて良し」の場合が多々ある。
このおじいさんもきっとその部類に入る。
おじいさんはいい死に方をした。
三人組は結果的にそれを助けた。
三人組はそんなことも含めて「死とは神聖なもの」だと学んだ。
観客の私たちはそのことに救いを覚える。

以下次号。



2005年05月04日(水)
映画「夏の庭」について(7)

おじいさんは優しかった。
おじいさんはすっかり元気になった。
河辺はかぎっ子であったけど、
おじいさんから何の知恵を教わったのか元気になっていったし、
木山も「家庭の事情」はあったけど、(すみません忘れた)
なんとなく元気になっていった。
僕たちはおじいさんの死ぬところを見たい、
だなんていう当初の目的をすっかり忘れていた。
僕たちの楽しみはほかにもある。
今はサッカーに夢中だ。
その日も校庭で僕らはサッカーをやっていた。
僕たちは気がつかなかったけど、
おじいさんは燕尾服を着て、
よたよたとサッカー場の上の土手を歩いていった。
それからしばらく経って、
僕はいつものようにコスモス揺れる庭からおじいさんの家の中に入る。
おじいさんは寝ていた。ように思えた。
動かない。
川辺も山下も来る。
木山「おじいさん……死んでいる……」
僕たちは逃げだした。
おじいさんの表情なんて見ている余裕はなかった。
なく余裕もなかった。
何がなんだか分からなかった。


映画「エコエコアザラク」の最初の監督をした
佐藤嗣麻子が言っていたのですが、
映画で世界共通のテーマが三つあるという。
ひとつは「愛」。恋愛ものは必ずありますね。
ひとつは「性」。そういえば、世界共通していますわな。
ひとつは「死」。このテーマの映画で名作といわれるものが、
本当に山ほどある。
「夏の庭」もそのひとつだ、と思う。
こうやって三人組は初めて本当の人間の死に向き合う。

人の死というのは、いつであっても衝撃的である。
時には人の生き方さえ変えてしまう。
今回の福知山線の犠牲者も、生存者も、
いったい生死の分かれ目はなんだったのか、生存者は
運命というものに対峙する人生が始まるのだろう。
残された者にとっては、
後悔の日々や怒りの日々が始まるのかもしれない。

ただ、死に行く人にとっては残された人たちの
人生は重要なことなのだろうか。
それぞれの人生にはそれぞれの意味があるには違いないのだが。
おじいさんは幸せだったんだろうか。
子供たちのおせっかいは意味があったんだろうか。
私はとりあえず、そのことだけでも知りたいと思う。
次号で少し展開したい。



2005年05月03日(火)
映画「夏の庭」について(6)

おじいさんからは昔の住所を聞いて、
ぼくたちは元の奥さんを探し始めた。
どうしてこんなことをするんだろう。
だって悲しいじゃないか。
確かに人を殺したのは悪いことなのかもしれないけど、
兵士でもないのに殺したといっていた、
元の奥さんみたいな女の人も殺したのかもしれない。でも、
そのためにおじいさんとお嫁さんが別れるなんて悲しすぎる。
おじいさんがそのためにずっと一人でいるなんて寂しすぎる。
微かな手がかりを数珠繋がりにして、
僕らはおばあさんの居所を突き止めた。
おばあさん(淡島千景)は老人ホームにいた。
おじいさんのことなんてぜんぜん覚えていなかった。
僕たちはがっかりする。でもおじいさんをがっかりさせちゃいけない。
僕たちはコスモスの種を買った花屋のおばあさんに
おじいさんの元妻の代わりをやってくれと頼む。
そう僕らはあの庭にコスモスの種を植えたんだ。今はずいぶん育っている。
おじいさんと元妻(の身代わり)の対面の日、
僕らはどきどきしながらおじいさんの家に庭から入っていくと、
おじいさんとおばあさんが楽しそうに世間話している。
聞けば、身代わりということはすぐに分かったそうだ。
おじいさんは怒っていなかった。優しかった。
コスモスが咲いた。庭いっぱいに
、緑の海にピンクの花を無数に泳がせている。


今日は憲法の日。
去年までは祝日も仕事なので行けなかったのだが、今年は行く。
引きこもりの家族を見守ってきた斉藤学さんの講演
松元ヒロのパフォーマンス、
テオ・アンゲロプロスの映画の一シーンを思わせるような詩の朗読、
力強い主催者の挨拶、
そうか、今年で明治憲法が存在した58年を超えるんだ、現憲法は。
いろんなことを考える。

松元ヒロの風刺コントは良かった。
最近はライブにお客も来るようになったし、
有名人も来るようになったので、マスコミの人も来るらしい。
マスコミの人の感想は
「面白いんだけど、うちじゃやれないな」
確かに小泉や民主党や実在人間をこき下ろすけど、
お笑いなんだから、面白いんだったら扱ってやれよ、と思う。
集会のパンフに、ホームページに書いている日記風の文章の抜粋があった
http://www.winterdesign.net/hiropon/html/weekly/010808.html
その中で、韓国人芸人との交流のくだりで、
「余計なお世話だ」と言ってしまうところからは友情は生まれない、
といっていた。その通りだと思う。

ずーと笑いっぱなしのライブがこのときだけは静まり返った。
「ネルソンさん人を殺しましたか」(講談社)の話を紹介したときだ。
ベトナム戦争でベトコンを殺した元兵士が、
アメリカに帰って精神病になってルンペンになる。
お金のために、小学校で戦争の話をするけど、
どうしてもあの体験だけは話せなかった。
帰ろうとして一人の少女が手を上げる。
「ネルソンさんは人を殺しましたか」
ネルソンは葛藤の末、「yes」と答える。目を開ける事ができない。
そのとき腰の辺りに暖かいものが触れる。
その少女が腰に抱きついて言うのだ。
「かわいそうね。ネルソンさん。」
ネルソンさんはそのとき帰還以来の初めての涙を滂沱の如く流す。

三国連太郎のおじいさんもおそらく三人組に救われたのだろう。
今同じ悲劇がイラクで起こっている。

以下次号。















2005年05月02日(月)
映画「夏の庭」について(5)

おじいさん「私には妻がいた。しかしそれは復員して帰ってからまでだ。そのあと別れた。聞けば、ほかの人とすでに結婚して子供も出来ている。幸せに暮らしていればいいのだが。」
木山「どうして別れたの」
おじいさんは戸惑う。おそらくまだ誰にも話したことがなかったのだろう。しかし、この台風の雰囲気がおじいさんに何かを呼び起こしたのかもしれない。おじいさんは話し出す。戦争に行っていたときのことを。そのとき、おじいさんは人を殺したんだ。敵という名前で呼ばれている人を。それは怪談話より恐ろしい話であった。山下はぶるぶる震えだす。
おじいさん「私は妻にいった。もうこれ以上一緒に暮らせない。」
木山「奥さんには戦争のこといったの」
おじいさん「いわない。あれはどうしても納得できないでいたようだ。」
木山「奥さんに会いたいの。」
おじいさんは困ったように小さく笑う。「そうじゃな。会って謝りたいかもしれない……」
木山「僕たちが探してきてあげる!」


会話は相当違っているかもしれません。まあ、だいたいこのような話だったと思います。

思いもかけず、戦争の話が出てきました。おじいさは、ずっとこの話を自分のうちの中にためて一人で暮らしてきたのでしょうか。ありえる話だと思います。おじいさんは戦争末期に召集されたのでしょう。戦争の世代というのは一年違えば、ぜんぜん人生に与える影響が変わります。戦争の召集される前の世代、戦争末期に招集された世代、戦争の初期から召集された世代、もうそのころは招集されなかった世代。

されなかった人たちは戦争に協力した人たちがほとんど。知識人のえらいさん、村のえらいさんたち。永井荷風、河上肇なんかは例外中の例外である。

戦争中期の人たちも同様であるが、彼らは青春時代は、戦前の時代である。大正時代の自由な雰囲気を少し知っている。だからいくつかの試練がある。丸山真男は初期に特高警察に連れて行かれたのが、大きな試練であった。

戦争末期の人たち。もうすでに戦争に反対する手段は何一つ残っていない。加藤周一は、死んでいくようなきもちで1941.12.8を迎えたという。特攻に行った人たちも多かったに違いない。昨日たまたま、友人のHPを見ていたら、1945年8月26日、つまり敗戦後数日たって元特攻の教官が郷里の村の墓の横に自爆していったという歴史的事実を掘り起こしていたのを見た。自分の生家の屋根すれすれに飛んで生き、少しアクロバット飛行をしてみせ、そして田んぼの中まっさかさまに落ちていった。

戦争の世代というのは良く分からないが、「死」と隣り合わせの世代なのだろう。それと比べると、戦争に直接行く直前で終わった世代の話はまだなぜか明るい。というのも私の父親がそれだった。呉の海軍教習所にいって8月15日を迎える。子供のころ、毎日毎日そのときの話が出てくる。要は苦労話である。子供は同じ話が出てくるとうんざりするけど、大人には分からない。

さて、いまは平和な時代なのだろうか。
それとも召集される前の時代なのだろうか。
以下次号。



2005年05月01日(日)
映画「夏の庭」について(4)

よくも生えたり、庭の草。すべて小学生より背の高い草ばかり。
けれども、草を刈って片付けると、あらまあ不思議、
だだっ広い庭になりました。
そこにおじいさんがスイカを切って出してくれる。
そのスイカの美味しそうなこと。
ある日山下が魚を持ってきた。彼の家は魚屋なのだ。
魚をさばいて見せる山下。
あるいは、おじいさんはふすまの張り方なんか教えてくれる。
そうこうするうちに、おじいさんも元気になるし、
部屋もきれいになる。そうこうするうちに夏休み。
ある日美人の女先生(戸田菜穂)に出会う。先生に告げ口されたと思って緊張する三人組。けれども先生は意外にもほめてくれた。「おじいさんのところで草刈とか、いろいろ手伝いしているんですってね。感心ね。」女子生徒が好意的に告げ口してくれたのだ。複雑な心境の三人組であった。
あるときおじいちゃんから、昔の話を聞く。それは台風が来ていたとき、薄暗い部屋の中で、ずっと封印していた話を聞く。
おじいさん「結婚していたけど別れた。」
木山「どうして」
おじいさん「それはな……」


初めて人の死んだことに出会ったのはいつだったのだろう。
小学生のころ、近所のポロ借家に「髭のおっちゃん」が住んでいた。
何をしている人かわからない。いつもぶらぶらしていた。今思うとやくざの成れの果てか、奥さんに死に別れた一人やもめだったのか。
ある日家に帰ると、突然葬式をしていた。聞くとあのおじさんが死んだのだという。葬式には行かなかったが、知り合いの人がいまはもう世の中にはいないのだというのはなんか不思議な感覚だった。近所の私より10歳近く年下のやっくんだけは、このおっちゃんになついていて、ずーと泣き通し。しばらく塞いでいたらしい。
もうひとつは中学校入学式の日に、母方の祖母が死んだ。これは葬式に行った。真新しい制服を着て、初めて焼香などをした。「入学式にいけなくてごめんね」私の母親は憔悴しきった顔でつぶやいた。印象的だったのはその日の朝、ご飯を食べているときに、しきりと家の屋根の上でカラスが鳴いたのだ。「縁起が悪いわねえ」と母親はいやな顔をした。それまでずーと祖母の看病をしてきて、危ないことを知っていたのだが、そのひは私の入学式だったので家にいたのである。しかし、そのとき電話が鳴る。電話に出て帰ってきたときの母の顔はくしゃくしゃになっていた。……私は祖母には一回も会った事がない。だから死んで葬式に行ってもぜんぜん実感はわかなかった。ただし、あの母親の顔だけは忘れることが出来ない。
人が死ぬということはどういうことなのだろう。
中学生の私はまだ実感がわかないでいた。
以下次号。