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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2006年01月31日(火)
シリーズ「本ができるまで」校正完了


 明日にもで送ろうと思っていた3校ゲラ。モタモタして、今朝ようやくポストに投函。確認や見直しが苦手な私なので、まだ見落としている箇所があるんじゃないかという不安と闘いながら、半ばヤケになって、「もう、しらん」と思い切って、校正完了証明書に署名捺印した。

 次に出版社からうちに届くものは、たぶんできあがった本。思えば、長かったなあ。長引かせたのは150%私のせいだけど。原因は…。精神的なものが多かったかな?掲載許可の手続きにしても、対象となる団体の住所や氏名を調べるのはそう難しくなかったけど、私が思い切るのにずいぶん時間がかかった。

 校正の作業を通じて、色々思うことがあった。
 今、こうしてインターネットのHPという手段で文章を書いて、人様に読んでもらっているけど、これで本当に「人に読んでもらう」ことを意識して書けているのかと考えることが多くなった。自分だけでわかっていて、読んでくれている人を置き去りにしてはいないか。文中に使う言葉にもっと説明が必要だったんじゃないか。人とちょっと違う言葉や文体が、自分の存在感だと思っていたのかもしれない。それは個性ではなく、単なる自信喪失の露呈。もっと人に優しい文章や言葉で書くべきだし、書いていきたい。それで消える個性なんて必要ない。句読点の付け方、助動詞や接続詞の使い方。そんな基本ですら、私は何もわかっていなかった。そんなことを思うと、胸をキューとつままれているようで苦しい。

 かなりの挫折とちょっとの絶望の中。それでも、「本を書いて生きていきたい」と思う自分がいる。なんでそんなことを思えるのか我ながら不思議だけど、校正を通じて、実践(ここで言う本を作る)でもまれて文章力を高めていく方法もあるんじゃないかと思った。ドラフトで入団した選手が言う、「プロとアマの違い」。それは、文章の世界にもあるはずだ。アマならアマの、プロならプロの、その場所に立たないと学べないことがある。だから、今の自分に必要以上にがっかりすることはやめよう。とはいえ、私、年々文章が下手になっていってる気がする…。



2006年01月30日(月)
東横インショック


 恥ずかしい話なのですが、ようやく「新聞を読める大人になろう」と決意しました。最初は隅から隅までアホの一つ覚えのように読んで(日刊読破に4時間半かかりました…)いましたが、さすがにそこまでしたら新聞嫌いになるのではないかと、大きな出来事以外は見出しや概要で事実を確認する程度で済ませています。

 新聞を読もうキャンペーンを初めて数日、気づいたことが、世の中にいかに「嘘」が多いかということです。誌面には、あちらにも、こちらにも、言葉をかえ、形を変え、嘘が踊っています。私は株をやっていませんが、ライブドアの粉飾決算はショックでした。(と同時に、もしライブドアがどこかの球団を持っていたら、今頃どうなっていただろうと考えました)

 ですが、私の中で一番近いショックは、やはり先日の東横イン不正改造事件(監査をパスしてから、障害者用の部屋や駐車場を不正に改造して、宿泊部屋を増やしたり、ギャラリーを作るなどしていた)です。私、東横イン大好きでした。リーズナブルだったし、駅から近い場所にあったし、清潔感があり、女性の一人宿泊がちっとも苦にならなかったからです。サービスもかなり充実していました。1度ここに泊まると、もう他のホテルには行けなくなってしまいました。ここ2,3年の野球旅では、東横インにばかり泊まっていました。

 サービスには、メリットとデメリットがあります。ですが、東横インでは「この値段だし、しょうがないな」と思うようなことはありませんでした。なんでこんな充実したホテルが出来るのだろう、人件費抑えているのかな?物品の流通ルートに何か工夫してるのかな?私の乏しい経済知識であれこれ考えたのですが、その謎が解けることはありませんでした。欠点がないなんて、なんか気持ち悪いなあ。でも、いっか。そう思っていました。

 そんな矢先に発覚した不正改造。デメリットは、私の気づかないところにありました。個人的には、不正改造なんてすぐわかる嘘をつく前に、ここまでのホテルの作り上げた頭脳でもう少し違う方法を考えられなかったのかと思いますが、私は障害者ではないし、車にも乗りません。だから、気づきませんでした。知らないという名の思いやりのなさに、嗚呼。



2006年01月29日(日)
他競技の中で生きてる野球


 もうすぐ冬のオリンピック。テレビでは、冬季オリンピックの歴史を振り返る番組を放送されていました。ジャンプの複合などは、戦前から強かったんですね。それが、戦後、すっかり後進国になり、そこからはい上がった選手たちの話が印象的でした。

 ジャンプの選手が、参考にしたのが、野球。彼は元々野球をやっていて、キャッチャーのセカンドへの送球の動作がジャンプにすごく役に立ったと言いました。なるほど、日本のジャンプの復興には野球が少しでも貢献していたんだなんて。

 他のスポーツを見ていて、野球の話が出ると嬉しくなります。今年の高校駅伝でも、有力な選手の中に中学時代は野球部だったという選手がいました。でも、逆に考えると、それは野球よりその競技を選んだというわけで、野球人口、それも運動能力のすぐれた選手が減ったことを示しているわけで…。

 残念だけど、本人が決めること。なら、せめて彼らの中で野球が生きてて、野球が役に立っていて欲しいなと思います。そして、野球選手の中でもいろんな競技が生きていればいいですね。



2006年01月28日(土)
バイトとおばあちゃんと私


 おばあちゃんと見るにつけ、一抹の寂しさを感じる。私の勝手な思いこみかもしれないけど。戦争をくぐりぬけ、経済成長期には懸命に働いて、長い人生を生き抜いて、それでも必ずしも幸せだとは言えない現状。年寄りに優しくない社会。

 私の社会人生活の大半がアルバイトだ。そのバイトの中で接したおばあちゃんについて書いてみたいと思う。

 23〜4歳にかけて、居酒屋でバイトしていた。祇園祭の日は書き入れ時。夕方早い時間から忙しかった。そんな中、一人のばあちゃんがやってきた。おばあちゃんは酒を飲むわけでもなく、普通の一品ものをご飯を頼み、温かいお茶を持ってきてと言った。普通の夕ご飯だった。「家に帰っても、一人だからね」とおばあちゃんは寂しそうに笑った。この日は祇園祭だからこそ、尚も寂しく思った。次にきたのは、おじいちゃん3人、おばあちゃん2人の団体さん。おばあちゃんの一人が、ごはんを頼んだ。持っていくと、「ちょっと多いわね。もうちょっと少なくしてもらえるかしら」と申し訳なさそうに言った。私は、すぐ厨房に戻り、料理人の男の子に「もう少し減らしてもらえる?」と言ったら、露骨にイヤな顔をされた。店内は忙しさのピーク。厨房もてんてこ舞い。言葉ははっきり覚えてないけど、「そんなんやってられへんわ」的なことを言われた。商売は、お客さん第一だ。だけど、それより私はいつも顔をつきあわせる仕事仲間の機嫌を損なうことを恐れた。私は、ご飯を減らさないまま、再びおばあちゃんの場所に戻り、「召し上がれない分は、残していただてかまいません」と言った。すると、おばあちゃんは、「もったいないから」と、カバンからタッパを取り出し、食べれないごはんを詰め始めた。“最低だ、私”と思った。おばあちゃんは、そんな私を叱ることはなかった。ただ、「もったいない」と言っていた。叱られなかったが故に、余計に響く言葉だった。彼女は、物が豊かになった今でも昔と代わらない意識で生きている。そんな人は、店で小さくなっていて、忙しさのあまりお客さんに対するサービスを怠った私や厨房の男の子たちがのうのうを生きている。これでいいはずはない。

 居酒屋を辞めたあとは、呉服問屋で営業事務をしていた。が、事務とは名ばかりで、接客は展示会の準備、発送の荷造りなどいろんなことをしなければならない職場だった。出張に行ったことがある。取引している小売店が、会場を借りて、展示会をする際の販売のお手伝い。販売は、営業さんや小売店の従業員に任せて、私はお茶をだしてり、お客さんが見た着物を畳み直す作業を主にしていた。もう腰が曲がって、着物なんてとても着れないおばあちゃんにも売らないといけない。営業さんは、「娘さんやお孫さんに残してあげるためにも」と説得に入るけど、おばあさんは黙って首を振り、「今の子たちは着物なんて着ませんよ。うちにも、娘や孫が着ればと思ってあつらえた着物があるけど、タンスの肥やし」そう言って、小さく笑った。時代が違うといえばそれで片づけられてしまう話。営業さんも、言葉をなくしてしまった。

 呉服問屋を辞めたあと、2年弱のぷー太郎と経て、今の仕事を始めた。去年行った店で、店の片隅でひたすら一人でおしゃべりを続けるおばあさんを見た。店内は昼ご飯を買う人たちで混み合っていて、忙しそうにレジを打つ店員さんはそんな彼女に構っている場合ではなかった。昔は、年輩者でも家から歩いて行ける距離に、「八百屋」や「魚屋」や「肉屋」があって、店主と世間話をし、「何がおいしいの」「今日は、これが取れたてで」などといながら、買い物をしていた。私が幼い頃もまだそんな光景があった。店員と客が見える場所にいた。この日見たおばあちゃんは、コンビニでもそういう感覚で買い物をしているのだろう。時代は過ぎていくってやるせないなと思った。

 今日、こんなことを書いたのは、1年前、一人でしゃべっていたおばあちゃんがいた店で仕事をしたからだ。そこで、あの日と同じおばあちゃんではないけど、別のおばあちゃんと店員が和やかにおしゃべりしていた。店は、10時過ぎ。朝でもない昼でもない落ち着いた時間。「おばあちゃん、いつものパン、入ってるよ」「今日は暖かいですねえ」。よかった。あの日はたまたま忙しかっただけなんだ。ちょっと時間をずらせば、こういう光景がまだある。




2006年01月27日(金)
シリーズ「本ができるまで」┿姐


 再校ゲラを送ったあと、次は3校。もう校正は終わりだと勝手に思いこんでいたので、ちょっとテンションが下がった。今度は「一週間以内に」と念を押されている。編集者も、ここまでの過程の中で、私のルーズぶりにほとほと疲れたのだろう。はっきりした数字を提示する考えは、私対策としては正解だと思う。当の本人は、あの恐るべき恥さらし作業を再び、それも期限付きでしなければならないことが憂鬱でしょうがない。

 ところが、中身を見ると、文法的な訂正が数カ所あったにすぎず、こちらの表現のこだわりに触れるものでがなかった。直してもらった方が読みやすいと思ったので、こちらが手を加える必要はないと思った。予想以上に楽な作業に安堵した。

 あとは、校正完了の証明書に署名捺印をして、出版社に返送するだけ、そしてついに印刷作業に入る。ここにきて、ようやくドキドキと打撃に似た震動が胸を打ち始めている。ずっと作業をしていたにもかかわらず、今の今まで自分の文章が本になる実感がちっともなかった。海で泳いでいて、気づいたら足のつかない場所にいた。そんな表現がよくあるけど、まさにそういう感じ。町のあちこちに本はあふれている。その片隅に私の本が並んでいても、世界からしたらないに等しい存在感だ。なにもビビることはない。でも、自分についている二つの目でしかモノを見れない私には、やはり大きな出来事だ。

 そうそう、あとで知ったのだけど、編集者が「1週間」という期限を設けたのは、私のルーズさが原因ではなかった。彼は来月で会社を辞めるので、それまでに私の原稿の完成を見届けたいと個人的希望にすぎなかった。先行きを不安に思う気持ちがないとは言えないけど、こういう希望は嫌いではない。今度はきちんと期限を守ろう。って、封筒に宛名を書いて、代金を払って、投函するだけなんだけど。



2006年01月26日(木)
ライブハウス


 仕事の移動中、車内でコンサートの話になった。各々が自分が行ったコンサートについて語っていたとき、ずっと黙っていたドライバーがポツリとこう漏らした。「オレ、ホールでのコンサートなんて行ったことないわ。オールスタンディングのライブハウスばっかりや」

 そのひと言に何故か、私は自分とシンクロするものを感じた。何故だろう。オールスタンディングの小さなライブハウスに、地方の小さな球場を重ねていたのかもしれない。私は彼の言葉に興味をもち、心の中でメモ帳とペンを握った。

 ライブハウスのいいところって何ですか?、と聞いてみた。すると、「喧嘩になるっていうか、飛んで暴れて汗かいて…そんなところかな」という答えが返ってきた。音楽が、“喧嘩”や“暴れる”になる。それは、私の知らない音楽の世界だった。彼は、付け加えた。「音楽なんて聴いてないときある。暴れるのに必死で」

 これだ!
 私がシンクロすると感じたのは、ここにあったんだ。
 私も野球場にいながら野球を観ていないときがある。阪神甲子園球場の外野にいるときだ。大体あの距離感で、近視の私に試合展開がわかるわけない。でも、楽しい。それを「いいんだよ」と肯定してもらって、「えっへん、そうだろ」と小さいな子供が胸を反り返らせるような気分になった。



2006年01月17日(火)


 あの大地震から、ちょうど11年。年々関心が鈍くなっていく自分が怖い。それでも、職場では「あれから11年か…」と、普段ならアホ話か下ネタで盛り上がるメンバーも、一様にあの日を思い出して、しんみりとする。メンバーの一人が、「今朝、地元の地下鉄で、「本日は震災から11年です…」ってアナウンスしてたわ」と言った。

 自然はときに脅威であること、自分ではどうすることもできないものがあると知ること。11年経った今、私はそう考えている。

 誰かが亡くなること、誰かが叱られること、誰かがつらい思いをしていること。それは、身近な人はもちろん、どこか知らない国の人でも、その人が自分の代わりに苦しんでいるんじゃないだろうか。そんなことを考える今日この頃です。



2006年01月16日(月)
ある日、巨人ファンに「君とは仲良くなれない」と言われた。


 今使ってる化粧品が、ネギ臭くて困っているあるこです。こんばんは。

 ある日のこと。普段ほとんど一緒に仕事をしたことのない人と、同じ現場へ行った。移動中の車内で、どこの球団が好きかという話になった。公の場でのこのテの質問にはデリケートなるべきだったのに、関西という土地柄か油断して、何のためらいもなく「阪神です」と言ってしまった。

 ところが、その人は巨人ファン。笑って、「君とは仲良くなれない」と言われた。もちろん本気ではないのだろうけど、体は巨人ファンでも、心は関西人やねんなと妙に感心した。逆に、私は、そんな彼と仲良くなれると思った。

 



2006年01月15日(日)
レターオープナーと捕球


 ずっと野球を観ていて気づいたことなのですが、捕球とはボールを捕るとうより、構えたグラブにボールが入るって感じなんですね。そのときの、グラブの開き具合に優しさがあるような気がして、素敵だなと思います。なんていうか、アレに似てます。よちよち歩きの子供を、手を広げて一歩先で待ちかまえ、子供が手の届くところまできたら、ぐっと抱きとめるお父さん。それからの私は、「自分が」「自分が」と思うと、物事がスムーズにいかないのかもしれない。もっと相手の持っている力を生かさないといけないんだなと考えるようになりました。

 今年はやっていないのですが、例年この時期は大学で事務のアルバイトをしていました。書類に不備がないかを確認する作業でした。一日に200〜300、ピーク時には500通以上さばいていました。速さと正確さが勝負です。その第一段階が、書類を開封する作業。一度に開封するのが50通。書類の中身を切らないよう、レターオープナーを使っての作業になります。つまり、作業の速く進めるにはこのレターオープナーを使いこなす必要があるのです。封筒の頭を刃と刃の間のある隙間にいれ、横にスライドしてさせていくと、ポテトチップスのCMに出てくるようなきれいな切り口ができます。私はこの仕事を4年連続やったのですが、1年目は慣れるまでに時間がかかりました。うまくスライドさせられず途中で詰まったり、紙が刃に当たらずに空振りしたり…。ですが、次の年にはほとんど流れを止めることなく、スムーズに開封作業を進めることができるようになっていました。実は、これは野球を観ていたおかげなんです。

 1年目の私は、“自分で”開封しようと思っていました。ですが、2年目は考え方を変えました。このレターオープナーに開封してもらおうと思ったのです。自分は、切り口に封筒を差し込むだけ。あとは余計な力を入れず封筒に手を添え、作業が終わるのを待つ。すると、レターオープナーに本当に意志があるかのごとく、横にスライドして、見事な切り口を作ってくれました。そうなんです、ボールが野手の構えるグラブの中におさまるを見て、私も野手の構えるグラブになろうと思ったんです。



2006年01月14日(土)
こないだ、ともきちがいいことを言った。


 最近、ともきちとお茶してうだうだ話をすることにハマっている。それもかなり長い時間。ティータイムで入った喫茶店が、ディナータイムに変わり、隣のテーブルにはワインや一品料理が並ぶまで話している。それでも帰りのが惜しくてズルズル時間を延ばす。お前らは、つきあって3ヶ月以内(経験前)のカップルかっ!

 そんな彼女がいいことを言った。「人は、迷っているときが一番苦しいねん。どんなにつらくても、それが自分の決めた道やったら進むしかないやろ?だから、迷っているときが一番苦しいねん」。見かけはちょっと若造りした(ごめん)不思議系OLやのに、こんな味なことを言うようになったのね…。

 私の周りには、一生懸命がんばっている人がいっぱいいる。でも、それは、本人にとっては、周りから見るほどつらくないことかもしれない。私は優柔不断だから、いつまでも迷ってばかりいる。

 



2006年01月13日(金)
ロコドル


 三十路に入って、アイドル好きが密かに再燃している。小学校のとき、おニャン子クラブとか好きで、ビデオ持ってたもんなあ。初めて買ったレコード(!)は、うしろ指さされ組の「象さんのスキャンティー」だったし…。でも、キャーキャー言うタイプの好きではない。CDを買ったり、彼らのプライベートを知りたいとは思わない。自分も彼らサイドにいたいという願望、妄想のネタとして好きなのだ。もしかしたら、ジャケットのデザインや衣装、ヘアースタイル、振り付け、化粧などを含めて好きなのかもしれない。お笑い芸人から楽しさと刺激をもらうような感じで、アイドルからも楽しさを刺激をもらっていることに、最近気づいた。そんなわけで、今日も会社の帰りにCD屋さんに行って、ジャケットやPV見ていたら、帰れなくなってしまった。

 ネットサーフィンをしていて知った世界。それが、ロコドル。ローカルアイドルのことで、東京ではなく、他の地方都市を拠点に活動するアイドルのことを指すそうだ。地方発アイドルとか、地方限定アイドルなどと呼ばれる。その存在の意義はそれぞれで、地元も活性化のために地元団体が作ったものから、タレント養成所が作ったものまで、多種多様にわたっている。アイドル好きなのに、知らなかった…。気になって速攻で、あちこちのロコドルのHPを見てまわった。どうやら私は、“地方の○○”に弱いようだ。

 もしも男に生まれたら野球をしただろうか?と考えることは、よくあった。でも、もしも男に生まれたら野球を観ただろうかと考えたことはなかった。女=野球は見るもの、男=野球はやるものという古くさい考えが潜在意識の中にあったのかもしれない。答えは、否。特に高校野球なんてなおさらだ。口では、「高校生のやる野球なんて、ダサい」などと言いながらホントは、彼らのように輝けない自分から逃げたくて、後ろめたくて、見れなくなると思う。今、私が高校野球を観ることができているのは、きっと女だから。

 そうなると、男の私は何にハマるか?
 それは、前述したロコドルかもしれないと思う。言葉は悪いけど、元々マイナー指向(野球はメジャーだけど)があるから、普通にテレビのリモコンのスイッチを押せばお目にかかれるアイドルには興味を持たないと思う。アイドルの追っかけ=オタクってわけじゃないけど、男の自分はA−BOYになる可能性が高いと思う。性格上。今の私が野球を観るために遠くへ行くように、「今日はこのロコドル。明日のあのロコドル」とばかりに、電車で遠くまでいきまくるんだろう。 そして、今の自分と同じように、「こんなにがんばっても、相手はアイドルだし、報われないなあ」「こんなこと続けて、自分に何の徳があるんだろう。虚しい…」などとこぼしながら続けていくんだろう。男であろうが、女であろうが、私は私だ。

 



2006年01月12日(木)
シリーズ「本が出来るまで」А〆胴札殴


 秋ごろに初稿ゲラの話をさせていただきました。恥ずかしさと闘い、どうにか年内に見直しが終わり、出版社へ原稿を郵送。半月ほど経って、今度は再校。初校で校正さんや私が直した箇所を訂正後、再度検討する。もう大丈夫と思っていたのに、ボロが出るわ出るわ…。また直しまくりました。むさ苦しさ抜群のプライベートから、あっさり文章にかわっていきます。見直しても、見直しても、直すところがなくならないんじゃないかという不安を抱いた反面、削除の快感を知りました。過剰な言葉を削いでいくそのたびに、「また大人の階段をまだ一段昇ったな」などと思ってました。編集者から、「急いで欲しいんですが」といった趣旨のメールをもらっていたにもかかわらず、1ヶ月ほど放置。ですが、今日、何故か3時間ほどであっさり終了。なんで、長い間ほったらかしてたんだろ。“やる気”待ち、そんな自分がイヤになる。



2006年01月11日(水)
ありがとう


 通勤途中、駅前ロータリーに車が止まった。「じゃ、気をつけて」「ありりがとう」。そんななんでもない2人の男性の会話に、何故か足を止めてしまった私。

 声色からして、会社の部下が上司を駅まで車で送ったのかと思っていたが、視線の先にいたのは、制服姿の高校生。丸坊主頭に直方体バック。野球部員だとわかった。側にあった軽自動車に乗っていたのが、たぶん父親。

 「ありがとう」と言ったのは、高校球児だった。高校野球では、感謝の気持ちをすごく大事にしているチームが多い。グラウンドで、球場で、たくさんの「ありがとうございました」を見聞きする。それはそれで素晴らしいことだけど、今ここで聞いた「ありがとう」は、ひと味もふた味も違うように思えた。彼は、グラウンドや球場と同じことをここでもきちんとやっているんだな。高校球児から遠いところにいる私が、彼の一番近い「ありがとう」を聞けたことを幸運に思った。

 10代といえば、親をうざく思う年頃。そんななか、父親に素直に「ありがとう」と言えるなんてすごい。私は中学時代、父が塾の送り迎えをしてくれていた。にもかかわらず、「ありがとう」と言った記憶がない。自分のことばかり話して、イヤなことがあったときは八つ当たりをしていた。今となっては本当に申し訳なく思う。今の自分の心であの日に戻れるなら、どんなにイヤなことがあっても、「ありがとう」はちゃんと言いたいと思う。ただ、勉強をきちんとするかどうかは、自信ないけど(笑)。



2006年01月10日(火)
ものまねの話。


 姉の人生最大の汚点は、森脇健児のファンだったこと。古いCDが入った箱には、『真夏のファンタジー』が姿を見せている。もちろん、彼がやっていたラジオ『青春ベジタブル』も欠かさず聴いていた。そして、何故か私も横で聴いていた。

 内容なんてもうほとんど覚えていないけど、未だに爆笑するのが、リスナーによる勝ち抜き物まねコーナー(番外編で、松村邦洋が出てたような…)に出ていた舞鶴市のラジオネーム・ちあきさん(たぶんそんな感じの名前)のネタ。他の挑戦者が有名芸能人に挑戦し、あえなく沈んでいくなか、彼女の勝負ネタは“舞鶴市の鳩”だった。文面にうまく書き表せないし、それが似てるかどうかもわからないけど、とにかく面白かった。テープに録音していたのを姉と二人で何度も聴いてキャキャッ言って笑ってた。正直、私、物まねは好きではない。真似されている人が笑われているような気分になってしまうから。でも、これはそういう自分のこだわりを超越した場所にあった。人生30年、同じことであれだけ何度も、そしてたくさん笑えたことはないんじゃないだろうか。今日、姉と夕飯を食べていたとき、その話になったら、また笑えた。ちあきさんは、今でこそメジャーになった“マニアックすぎる物まね”の超先駆者である。時代が彼女に追いつけなかった。非常に残念…。

 さて。マニアックな物まねと言えば、昔、うちの姉は“熱闘甲子園で、鹿児島実業・内之倉(当時)の物まねをしていた球児の真似”をよくしていた。天理・南(当時)もやっていたと姉は言うが、私には記憶がない。そして、私は物まねのたぐいが全く出来ない。下手ではなく、出来ないのだ。



2006年01月09日(月)
どこで何をしていても、インタビュー要素


 友人の母が、アロママッサージの資格を取得。自宅の一室をマッサージルームに模様替え。最終的には、アロママッサージを仕事にしたいという夢を持っているそうだ。今日、私は9人目の練習台になった。アロママッサージには前から興味があったけど、普通のマッサージよりも割高で手が出せずにいた。今回は、無料で面識ある人がしてくれるとあって、このチャンスを逃すテはないと、朝一番の客として友人の自宅へ向かった。

 友人は、「つきあわせてごめんな」とちょっと申し訳なさそうだったけど、友人母はこちらの気力を吸い取られるかと思うほどの張り切りぶりだった。いい匂いのする部屋で、まずカルテづくり。アレルギーや病歴、体調などこと細かく訊かれた。そして、症状。どこかだるいか痛いのかというメインの質問に移った。「肩は痛い?」「むくみは?」「仕事は体使うの?」「いつからしんどいの?」。また質問の矢が降った。ふくらはぎがだるくて、肩が痛いといういつもマッサージのときに言う症状は伝えたけど、カルテには、「太股がだるい。むくんでいる」と書かれていた。一抹の不安が…。彼女は「他に何訊いたらいいんだろ。う〜ん、難しい…」と他の人のカルテやテキストを見ながら、苦戦していた。 

 何訊いたらいいんだろう…か。
 この仕事でも、そういうことを考えないといけないんだ。私にとって、何訊いたらいいんだろ。それは、取材をするときに考えることだ。でも、患者が必要としているマッサージをすることと、取材対象者が思ってることを聞き出すこととは似ていないとは言えない。どういうことを訊いたら、相手のことがわかるのだろう。それは、人と接する仕事である限り、どんな仕事でも必要なことなんだ。今更ながら気が付いた。

 私のしている仕事でも、それを怠ると、トラブルやクレームの元になる。金券を数えるときは、店の人にある場所を教えてもらって、カウントをするのだが、単に「金券はどこにありますか?」では言葉不足。店の人の金券の認識と自分の金券の認識が違うと、提示漏れが発生し、カウント漏れにつながる。「切手はどこにありますか?」「ゴミ処理券は、どこにですか?」など固有名詞を明確に出して訊く方がいいと教えられた。

 さて。アロママッサージ。パンツ一丁になっての全身マッサージ。“マッサージや整体と違って、優しく包み込む感じだから”と事前に言われていたので、「そう!そこそこ!」と思わず口にしてしまう気持ち良さは期待してなかった。でも、何がいいって、手が温かい。いや、熱い。マッサージ用のオイルをつけていると、手が熱くなるという。その熱さが冷えてむくんだふくらはぎには心地いい。50分の施術が終わったら、足の太さが変わっていた。 

 「太股、すごく疲れてたよ」と彼女は言った。予想はしていたけど…。そこはふくらはぎなんですが…。確かに、痩身女性の太股くらいありますが。じゃ、その上は“超太股”って感じでよろしいでしょうか(って、超高校級みたいに言うなよ…)?



2006年01月08日(日)
明日は成人の日


 私が、成人の日を迎えたのは、それがまだ1月15日だったころのこと。レンタル店で緑の振り袖を借り、母に着付けてもらい、見合い写真のようなものを撮り、母と2ショット、父と2ショット、祖母と2ショット、姉と2ショット、シロと2ショット…とアホみたいに撮影会を繰り返し、式典の会場である西京極の体育館へ向かった。

 式は、はっきり言って退屈。途中でエスケープ。新成人の自覚まるでなし。中学時代の友人と振り袖撮影会。気心知れた懐かしいメンバー。はしゃぐのかな?と思い、ピースして写真に収まったら、“この晴れの舞台に何してんの?”というみんなの目線が突き刺さって痛かった。二十歳になっても、私たちは私たち。そう思っていたのは、私だけ…?

 そんな友人たちとは現地でお別れ。嫌いになったからではなく、約束があったからだ。約束とは、ともきちと会うこと。大津の会場で式を済ませたともきちと、山科で待ち合わせ。鮮やかなピンク色の振り袖は、小柄で細身の彼女だから着こなせる。向かう先は、山科グラウンド…ではなく、その近くにある喫茶店。オキニの店で、東山の練習や試合観戦がてらに立ち寄り、かわいがって(?)もらっていた。そのマスターに私たちの晴れ姿を見てもらいに行ったのだ。一緒に写真を撮って、わりとあっけなく店を後にした。

 喜んでくれるだろうと思ってしたことだけど、できあがった写真で見たマスターは露骨にイヤそうな顔をしていた。

 成人式に、いい思い出はない。



2006年01月07日(土)
心に残るサッカーファンの投稿。

 この頃、滋賀へ行く仕事が多く、滋賀のラジオを聴きながらの現場間移動。開催中の全国高校サッカー選手権大会(呼び方はこれでいい?)で勝ち進んでおり、ラジオでもその話題でもちきりです。

 さて。今日は三連休の初日ですが、ここ数日、だるく、関節も痛いので、大事をとって寝ていました。長年活躍したストーブは、昨年末あの松下電器が回収していったため、我が家の暖かい場所は居間にあるこたつの中だけです。そこで縮こまって寝ていたのですが、部屋では父がテレビを見ていました。父はこの時期、スポーツ中継のはしごをします。特に今日は、ラグビーで地元の伏見工業が、サッカーではお隣の滋賀代表・野洲が出ているとあって、コロコロとチャンネルを変えて観戦してました。私の頭上で「シュート」「トライ」と熱狂するアナウンサーの叫び声が突き刺さります。寝れません。あきらめて起きて観戦することにしました。ラグビーで伏見工業が優勝を決めた瞬間を見届けたら、すぐにチャンネルを変えて野洲。1−0のリードで後半戦が始まったばかり。しかも防戦一方。ああ、今日は寝ていたかったのに…。相手校の怒濤の攻撃に耐え、決勝進出。相手、鹿児島実業だし、優勝は厳しいんかな?滋賀県勢初の全国制覇、個人的に高校野球に先にして欲しいけど、チャンスはそうそう訪れるものではない。初物好きとしては、野洲高校初優勝、見てみたいかも。

 野洲高校ゆうたら、野球部のグラウンドが、すてきな雰囲気(2003年地点で)です。グラウンドへ行った日は絵に描いたような快晴で、近江富士がきれいに見えました。あるこ的グラウンドロケーションベスト10に入っています。校舎からはちょっとはずれた場所にあります。途中、中庭のような場所でハンドボール部が練習してました。指導者からの厳しい声が飛んでいました。サッカー部はどこで練習してたんでしょうね。たぶん、普段は野球部と共同でグラウンドを使っているのかもしれません。

 サッカーといえば、一時期、高校サッカーの雑誌を買っていました。巻末にあった読者投稿で未だに覚えているものがあります。それは、『かっこいいと騒ぐミーハーな人は、きっと夏になったら、高校野球でも同じことをしているんです。顔だけではなく、一生懸命なプレーを見て、応援して欲しい』といった内容でした。こういう考えの人って、どこにでもいるんだなと思ったのを覚えています。今となっては、“別にいいじゃん、かっこいいんだから”って感じ。かく言う私は、夏は高校球児に、冬は若手芸人に“かっこいい〜♪”と一人騒いでいます。

 



2006年01月05日(木)
彼がそう言うので。


 2006年初出勤。半日仕事。今日の現場は、年1棚卸の個人経営のお店。腰の低い老夫婦が営む雑貨屋さん。彼らと同じくらいの年齢層のお客さんたちが、新年の挨拶がてら店を訪れる。そして、奇妙な機械をぶら下げた私たちを見て、「今日、棚卸?」と老夫婦に訊く。「そう。専門の人らに来てもろてるからすぐ終わるよ。私らがやると何日もかかる。見ててみ、すごいから」と老夫婦が答える。私らからすると、仕事だから当たり前なのだけど、そう言われると悪い気はしない。誰だって、誰かにほめられたい。時折雪が降って寒かったけど、甘いみかんとホットコーヒーをもらって、一年の始まりがいい仕事でよかったと思った。

 帰りの車内では、新年の目標発表会が始まった。「コンタクトを買う」「どんくさい性格を直す」などみんな事前にこうなるのがわかっていたかのような周到の良さ。向上心のない私は、一人携帯をいじっていた。

 ところが、「あるこさんの目標は?」とふられてしまった。考えてなかった。どうせ4月くらいで飽きてしまい、12月くらいには完全にやる気をなくして、心身ともに引きこもる。それが私だ。答えに困っていると、「今年中に5キロ痩せる」、私とは全く違う声がした。声の主は、2ヶ月ほど前に入ってきた若い男の子。人見知りをしない子で、もう何年も前からここにいるかのようになじみきっている。

 5キロ痩せる…?
 冷静に考えたら、失礼でないかい?でも、何故か憎めなかった。そっか。5キロ痩せればいいのか。
 
 2006年は、他力本願イヤーになりそうだ。




2006年01月02日(月)
冬の18切符の旅 〜紀伊半島と初球児編〜


 電車バカの旅2日目は、紀伊半島一周日帰り旅行。
 朝6時過ぎに地元の駅を出、大阪で相方と合流し、環状線経由で和歌山まで出たあとは、海岸沿いを延々走り、三重の亀山へ出て、柘植経由で地元へ戻る。新宮での乗り換え接続にための2時間弱以外はすべて電車の中で過ごす鉄道マニアみたいな1日を過ごした。

 朝早かったので、相方と合流早々の環状線で早くも爆睡。「ぐうぐう寝やがって…」と叱られる。睡眠中の行動には責任を持てませんので、あしからず。正月。さらに田舎。店は開いておらず、観光やみやげ購入どころか食料の仕入れでも苦戦。選択肢がなかった。夕飯は、多気駅で、電車待ちの間に駆け込んだ駅前のコンビニの肉まんですませた。店のおばちゃんが、買い物袋ごと豪快に電子レンジで“チン”した。カルチャーショックだった(食べてみると、しっとり感もあり、温かくおいしかった)。

 新宮〜亀山間がヘビーだった。15:06に新宮を出て、終点の亀山に着いたのが20:25。ちょっと進んでは、「電車行き違いのため、20分ほど停車します」、またちょっと行けば「特急電車待ちのため、40分程(軽く言うなよ。40分は長いぞ)停車します」…。すっと行けば2時間程度の距離なのに、やたらめったら停まる。どっかの無人駅では、停まっている間に明るい空が夕焼けになり、暗くなって、一番星が出た。それくらい長い間停まっていた。でも、海が見える景色はやはりきれいで、ボックス席で足を伸ばし(よい子はやっちゃダメ)て、うつらうつらしながら電車の揺れに身を任せるのはやはり心地が良かった。
  
 そんな道中、高校球児を見かけた。この時期は野球部の練習は休み。電車の中どころか、車窓から見えるグラウンドでもその姿を拝むことができないのが当然のことと思っていた。彼は、学生服に身を包み、停車中の電車に乗り、相方の横1人分ほどあけて座った。地元の高校らしき使い古された野球部バッグを足下におき、イヤフォンで音楽を聴きながら、『タッチ』を読んでいた。1巻だった。コミックサイズより一回りほど大きくて分厚い。最近よくある復刻版か。これと同じのを、以前見に行った高校のグラウンドでも、見かけた。ダンベルの横に無造作に置いてあったっけ。私はリアルタイムでコミックで読んだ世代。横にいる彼は、もしかしたらそのとき生まれてなかったかもしれない。そんな彼にタッチはどう映っているのだろう。窓からは、旅人をうならせる海が見える。彼にとっては、この海は日常で、『タッチ』1巻が非日常。いや、日常かな?

 電車は本州最南端の駅『串本』に着いた。彼は『タッチ』1巻を直方体の野球部バッグに入れ、降りていった。「昼から練習なんかな?正月から練習するなんて熱心やなあ」と小さくなった彼の背中を見送りながら私が言うと、相方は「『タッチ』を部室に返しにいくだけちゃう?ほんで、また2巻を借りてくる」。…正月って、意外とヒマやもんね。
 



2006年01月01日(日)
6年目。あけましておめでとうございます。


 新年あけましておめとうございます。

 あるこです。お正月、みなさんいかがお過ごしでしょうか?私は、相方と電車の旅で静岡へ行ってきました。静岡はいいですね。太平洋の穏やかな気候。過ごしやすかったです。駅に降りたってフラフラしていると、寺があったので初詣。今年は例年とちょっと違ったお願い事をしました。21世紀になってもとれないウジウジが好転したらいいのですが。出店は、地元では見ることのできなかったもの(さくら棒やうずまきウインナーなど)がいくつかあって、やはりいろんな場所でいろんなものを見るのが楽しいと感じさせてもらえました。おみくじは中吉。相方は9番のくじを引き小吉。「イマイチや」と言いながらも、♪運命を背に受けて〜と藤本のヒッティングマーチを歌っていました。♪ナンバー9〜 そっか、ナンバー9か。「いいやん、藤本と同じ9番で」とフォローしたら、「(藤本の)年俸が下がったし、イマイチや」。…。

 お参りして、駅前の寿司屋(やや高いけど、納得の味)で、お昼をたべ、お土産をかってね一路関西へ。暗くなって景色が見えなくなった電車での長時間移動は、ちっとした拷問チック。夜10時前の地元に到着。明日は、紀伊半島一周電車の旅、をする予定です。

 今年もよろしくお願いします。