天使のながばなし
maki



 言葉が伝えるもの

どうしてこんなに書くんだろう。
書くことのどれもがたったの一部過ぎる。
本当ではなく何も表してくれないような気さえする。
話すことだって一緒だ。
話しすぎるとますますわからなくなる。
過去と今しか話せないのに、
相手に渡った時には全部過去で、
あたし自身は未来にいるんだから。

変化に対応しきれず、それでも書き続ける。
書いても書いても変わってしまう。
言葉が伝えるものってなんだろうか。

例えば歌うことに迷って苦しんで、
一度歌うことから離れて、
自分にとって歌うことがどれだけ大切だったか気づき再び歌い出す。
みたいな話、よくあるね。

そんな話があたしの頭の片隅にもあって、
一度書くことをやめてみたらどうなのかと思ったりする。
あくまでも、そうゆうのしてみようかなとゆうレベルで。

でも本当はやめる気なんて全然ないみたい。
意味がわからなくても、書こうと思う。
なぜかは私にもわからない。

あぁ、そう。
言葉は事実をねじ曲げてしまうし、
そのまま伝わることなんて有り得ないけど、
それでも、言葉が好きだ。
言葉の持つエネルギーが、私は好きだ。

好きと言える、言葉が好き。
愛してると言える、言葉が好き。
ありがとうと言える、言葉が好き。

私は言葉が好きだから書くんだ。


2006年08月31日(木)



 そのまま、そのまま

シュールメンバーのおうちに行きました。
彼女が出産してもう1ヶ月以上経ったんだな。

その間、私の身にいろんなことが起きて、
心の余裕はぜんぜんなかった。
祝福する気持ちは、ずいぶん自分の状態に影響されるもんだ。

久しぶりに彼女と話せて良かったです。
今の状態が確認出来た気もする。

私の中には確かに悲しみや辛さがある。
それが簡単に無くなったりはしない。
消そうとしてもムダだ。
いつか消えるかもと希望を持つことすら苦しみを生み出すだけだ。

それに注目し続けることは私を過去につなぎ止める。
だから、あると知った上で置いておこう。
そうしておける時はそうして、
それについて話すときだけ涙と一緒に取り出そうと思う。

タイミングは自然だ。
無理に隠しもしないし、見せびらかしもしない。
そのままにしておこう。


2006年08月28日(月)



 それぞれの視点

何に向き合うにしても、それぞれの思いがあるね。
お互いそんなことは露程も知らずに時間は流れてゆく。

たまにそんな思いの一端を聞かせてもらうと、
ほっとするのはなぜだろう。
自分が普段見ているレンズの小ささにも驚くけど。

それぞれの視点を見せ合えて、
ジャッジしないでいられる関係に心が緩む。
いつもありがとう。


さて今日は、松居一代を見習って細かいところなど掃除をすることに。
張り切って隅っこ掃除を一生懸命やリ過ぎて疲れてしまい、
夕方から寝てしまった。
夕飯の時間に起きたら、何だか気持ち悪い。
あぁ、食べたいのに食べれないのは残念だぁ。

2006年08月27日(日)



 特別なこと

ずっと前にもこんなタイトルで日記を書いた気がする。

とてもとても特別だったことを何も特別ではないと言われて、
私がしようとしたことは、
特別だったそれを「特別じゃない」と思うことだった。
それは苦しみを生み出した。

果たしてどこが間違っていたのか。

私は「特別」ばかりで判断して、
確かに「大切」だったことを隅っこに隠してしまった。
確かに「かけがえのない」ことを追いやってしまった。
トップではなく、アンダーラインに合わせようとしてしまった。
それで「特別」から逃れられるんだと思った。

すべてをすべて特別と思えないなら、
思えることから1つずつ大切にしてゆくべきなのに。
それが1歩なのに。

その先に、すぐ先に、
すべてが「特別」で「大切」で「かけがえのない」世界が広がっている。

今私に残るものは、良かったとゆうことだけだ。
本当に良かったとゆうことだけだ。

2006年08月25日(金)



 今日、光のほうへ。

光のほうへ。

昨晩遅く遅くまで語っていたこと。
パオちゃんがそのことを話し出した時、
急に声が耳元に迫ってきた。
大迫力サラウンド。

光のほうへ。
なぜ忘れていたんだろう。

複雑な感情が覆いかぶさって、
いつだって差し込む光をあっちのほうへ追いやっていた。


今夜ライブで歌われた歌詞で、
「あなたとわたしが美しければいい」っての聴いて、
それだった、と思った。

「今」を肯定することは、
これまでの全部も素晴らしかったと太鼓判を押すことだ。
変なふうにねじ曲げて納得しようとせず。
「今」を頑張ることで、 未来まで最高になるんだった。
同時に過去も輝くし。

いつだってシリアスなのがわたしの特権だけど、
輝くシリアスを表現したい。

わたしもあなたも、世界も、美しくするために生きたい。


2006年08月24日(木)



 ほにゃらら心と秋の空

昨日まで許せなかった人が、今日は愛しかったりする。
そんで、こっちのがちょっと力が抜けてる。
これもまた本当なのかわからない。
まだまだ残暑真っ最中だけど、心は秋の空か。

しかし今日のカミナリとどしゃぶりにはやられたな。
細かく忙しい1日。アシタも。

2006年08月22日(火)



 許すことで

自分に起こった何かについて、
わかりやすく関わった誰かがいれば、その人にせいにしたくなる。
わかりやすく関わった何かがあれば、その事のせいにしたくなる。

頭では、そのすべてが自分の選択で、
その結果の体験なのだと分かっていても、
外側の何かのせいだという感情は、わたしにへばりついている。

その結果の体験は今なお続いている。
体を通してリウマチとして具現化してしまって、
元に戻すにはそれなりの時間がかかるだろう。
治らないと言われ続けることの多い世の中で、
元に戻すには私の心が大きく関わってくる。

トラウマのような思いもなかなか手放すことが難しい。
もう考えなくてもいいことも、
クセのように無意識に私の中を駆け巡る。

新しく踏み出そうとしても、
きっちりへばりついたこれらのことが、私を引き止める。


結局、許すことが出来ないんだ。
なぜ私だけに、
こんなにたくさんのものがへばりついたままなのかと思ってしまう。
本当はそうじゃなくても。
ずうっと誤魔化して覆い隠してきた感情だったから、
今浮き出るしかないんだろう。
認めて、しばらく見る。見ていよう。

それからのち、許すことが出来た時、
私は本当に新しい道を歩き出せるんだろう。

2006年08月21日(月)



 レンタル三昧

最近はすっかりレンタルっ子になってる。
今日観たのはディズニーの「リロ&スティッチ」
イトコが前から好きだ好きだと言ってて、
また借りてきたビデオを観させてもらいました。

すごくかわいくておもしろくて感動的で私もお気に入り。
ハワイの音楽やにおいってゆうか雰囲気もよくて。
実は今までハワイの行きたいと思ったことがないのだけど、
初めて思ったな〜。

アロハ〜☆

2006年08月16日(水)



 お盆。

お盆。

お盆は、いつもと人の流れが違う。
うちも外も。
里帰りも旅行もなく(家は本家なので人が来るほう)
とりあえず家にいたりするけど、
それほどやることはないのだ。

だからDVDやビデオやテレビを観て、
ライブのこと考えて、楽譜の整理して、作詞して、
スイカやぶどうを食べて、冷たいものをついつい飲んでしまうくらいだ。

やることがないと言ったが、
実際はお盆のお仕事はおばちゃまたちがやるのでヒマだ〜。
なので、未だに一連の用意や流れを詳しく覚えてない。

夕方、送り火前に仏壇の部屋にみんな集まってたので交じってみた。
般若心経読む?とゆうので読むことに。
右にお父さんのお姉さん、木魚係り。
左におじさんのお嫁さん、チ〜ン係り。
私、お経係り。
読み出すと、
「どっかでチ〜ンって入れるんじゃない?」
「なんだ、みんなわかってないじゃん」
とか言いながら笑いながらの般若心経。
好き勝手にチ〜ン♪と入れ、木魚はどんどん進み、
歌うように読むわたし。
こりゃまるでセッションだ!と心の中でウキウキ。
不謹慎ですんまそん。
いやいや、これで良いのだ。楽しくて良いのだ。


そんなお盆。
「エミリーローズ」を観た。
お盆に悪魔憑きのお話か。
怖いとかぜんぜんなくて、感動してしまった。
使命を受け入れたエミリーも、
世の中に伝えようと強い信念で立ち向かう神父さまも、
正しい道に立ったとゆう感覚で歩き続けた弁護士さんも、
みんなすごい。かっこいい。

あたしは、
とんでもなくクダラナイ自分の思いを見つけて、
うへぇと吐き出して、まだ見てる。
残念ながらまだ見えるぞ。

あ、そうそう近くの本屋さんに詩集を置いてもらえたから、
自分から紹介POP書いてきちゃいました。



2006年08月15日(火)



 あ〜あ。

今日は病院の日。
鍼灸治療の同意書にサインをしてもらわないといけない。
じゃなきゃ、保険が使えないシステム。
2週間ほど前に電話して看護婦さんには話してあったので、
診察室入ったらお医者さんはすぐに書いてくれた。

でも、
「鍼灸は痛みをとるだけで、根本的なリウマチの治療にはならない。
 それはもう研究されてハッキリしとる。絶対治らない。」
と言い切られた。

「でも薬飲んだって治らないって言うわけじゃないですか」と言ったら、
「今は完治します」って自信満々に言われた。

その新薬はすごく高いうえに、
日本の謎のシステムでは、
今までのリウマチの薬を色々飲んでダメとゆう実績?がないと、
その新薬は使えないらしい。
なんじゃそりゃ。
お金があって、最初からその薬を使いたくても、
完治しない薬を色々試した後じゃなきゃ使えないなんて。
なんなんだそりゃ。

お医者さんは曰く、
リウマチの治療では必ず患者さんが治療方針に悩む時期があって、
病院へ来なくなる人も多いらしい。そりゃそうだ。
そして何十年かたって骨が変形して戻ってくる人も多いとか言う。
痛みがとれても、リウマチのモトが治ってなければ変形は進むと言う。
「モトってなんですか?」と聞くと、
「MMP-3」とゆう軟骨破壊の数値のこと。
それだけで見るのかと思う。

私が何か言うたびに、
「あなたも勉強すれば分かる」
「今は聞く耳持たないかもしれないけど」と言う。

統計でしっかりしたデータが出てると言うけど、
鍼灸や他のもので治ったとゆう人の話は、
全部でっち上げとゆうのだろうか。
だって「絶対」って言うんだもん。
何かにつけてそうだから「あ〜あ」って気持ちが萎える。

何十年も専門医をやってきたわけだから、
数えきれないほどの症例や勉強や情報のうえに自信も相当なのだろうけど、
私には何かが欠落しているとしか思えない。
外部の話を少しでも受け入れようとゆう姿勢が微塵も感じられない。
こうゆうことって何にしても言えることなんだろうけど。

病院へ行くと疲れる。気持ちが。
疲れたから夕方から3時間も寝てしまった。

2006年08月12日(土)



 リトルターン

今週もあっとゆう間に過ぎようとしてるなぁ。
月火は台風接近のせいだろうか、すっご〜くだるくて。
起きた瞬間からだるくて、参りました。

台風が過ぎ去った水曜日、私のダルさも台風とともに去って、
気持ちにもゆるやかに変化が起きてきました。
あぁ、私は大丈夫そうだ。
でも今までそう思ってそうじゃないことがあったし、
自分のことを慎重に見守っていた。
どうやらぼちぼちイケそうだ。

今まですべてだと思っていたものを全部投げ捨てるとゆう覚悟。
本当にその覚悟をしたときに、それを乗り越える。
消えることはなく、意味が変わるだけ。
私の人生は決して無くなったりしなかったし、
新しく始まっただけだった。
良かったと決めるのも、つらいとひきずるのも、私だった。

今日ね、急な友達の提案でゴス友ちゃんのヒーリングのお店に行った。
行く前に「リトルターン」とゆう本を借りた。
友達がマッサージ受けてる間に、それを読もうと思ったのだけど、
なんとなく朗読し始めて、最後まで読みきってしまった。
読みながら、かみしめていた。
私に向かってくっきりとメッセージの輪郭を示していた。

良い一日だった。
なんだか清清しいです。
明日にでも「リトルターン」を買いに行こう。
ついでに、
近くの本屋に置いてあるはずの「茎のつづき」5冊を平積みしてきちゃおう。

2006年08月10日(木)



 音楽のちから

昨夜はBラッキーと別のクワイアのお友達のジャズライブに行ってきました。
ジャズといっても、選曲は多種多様で、
スタンダードからケルティックのアカペラ曲まで、とっても楽しかった。

首と頭の力を抜くと、首が勝手にリズムに合わせて振れて、
細かく速く刻むリズムも容易に楽しむことが出来て不思議だった。
私は今までこんなふうに音楽を楽しんでいたかなぁ。
また行こう。
いろんなの聴きに行こう。

そうそう、
この日のお昼にNHK教育で、
青島広志が子供達と「音楽のちから」ってゆう番組をやってて、
のど歌をやってみように反応して見て、マネして遊んで、
そしたらそれはあっとゆう間に終わって、次はヨーデルの練習、
と思ったらインドの歌手が出てきて歌って、
AFRAが出てヒューマンビートボックスをやって、
なんと最後に全部でセッション。
馬頭琴、ピアノ、カズ−、子供達の歌まで加わって。
すっご〜くおもしろかった!
まとまってるなんてことは1つもないんだけど、
それでOK!なんでもあり!って感じで。
まさに音楽の底力を見ました!
大きいな〜。ジャンルってなんだろうか。
こんなにも自由でいいんだって、目からウロコ。


今日は家でボ〜ッと過ごしてました。
今度のゴスペルライブのソロの歌詞の整理と練習を少しして。
暑いのも手伝って、まだ動く気力が湧かない時もある。
それでいいや。
でも新しくやってみたいことは頭の中にある。
でもでも、まだゆっくり。
急がず、無理せず、いろんなことを許していこう。

2006年08月06日(日)



 ただ意志の上にしっかり立って

こうなることはどこかでわかっていたような。
でも有り得ないことだと信じたかったような。

私には特別なことがあった。
とてもとても特別で、
この世に2つとない素晴らしいことに出逢えたと思ってた。

衝撃的で、人生がひっくり返ったような気持ち。
生まれてからずっと求めていたことに出逢えた。

でもどうやら、
耐えて耐えて耐え続ける部分で、それを保っていられたみたい。
とても特別なんだ!って証明したくて、やり遂げたくて、
私は頑張ってしまったんだろう。
そのへんにあるものとは違うんだ!って、叫ぶ代わりに。
どんな形がそうなのかはわからなくても、叶えたかったんだなぁ。

限界を感じても戦って戦って、
どんだけでも超えて行こうとしてしまったよ。
肯定する心とはウラハラに、体はどんどんしんどくなってしまったよ。
一生やろうなんて、無理だよね。
このまま気づかなかったら、きゅ〜っと縮んで、
死んじゃってたかもしれない。

特別なことなんて何もなかった。
全部が特別なことなんだもん。
これだけが特別なんてことないんだよね。
ずいぶんかかった。4年も。

でもね、早く気づけばよかったってことでもないよ。
今だったんだと思う。
すごくいろんなことに気づけたし、
私の人生は、本当の私の人生が始まる方向へとシフトしたし、
病気もなければよかったとは思わないんだ。
全部が私には必要なことだった。

持っているものを放り投げるのは難しいもんだな。
変化を受け入れて、別の道を歩き出すのは難しいもんだな。
今はまだそこにいるから。

それを大切にしてしまえばしてしまうほど。
特別だと思えば思うほど。
今はまだそれを抱えていたいと思ってしまうから。

私はただ意志の上にしっかり立って、
どの風も、どの雨も、どの照りつける陽射しも、こだまも、
砂煙も、緑のにおいも、川の音も、
通り過ぎる人も、握手してハグしても、
しばらくしばらく同じ夢を見ていたとしても、
受け入れ、見送り、受け入れ、見送り、
それでもただ意志の上にしっかり立っていられますように。

2006年08月04日(金)
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