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しもさんの「気になる一言」
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2016年11月30日(水)
近いうちに調理するので、待っててね

11月は、休む暇なく目まぐるしく過ぎていった。
会議・講演会・コンサート・イベント・映画鑑賞・読書、
さらには、柿田川観察、ポケモンGO(笑)。
どれも、記録として走り書きを取るので、メモは溢れる。
ただ、それから「気になる一言」に進化するには、
多くのメモの中から一つを選び、落としどころを決め、
500字程度の読み切りとしてまとめる作業が必要であり、
メモは、単なる新鮮素材(ネタ)に過ぎない。
言い換えれば、メモを瞬間冷凍して冷凍庫に保管する感覚。
その時の疑問、感想、感動も一緒に閉じ込めておいて、
再びメモを読み返してきた時、蘇ってきたフレーズを
「気になる一言」にしている。
記憶が鮮明であればあるほど、書くのは数分で仕上がり、
何年後かに読み直しても、印象に残るから不思議だ。
ところが、11月末日、メモの倉庫が溢れそうになり、
素材たちの悲鳴が聞こえてきた。
そこで、私がメモたちに残した台詞が、気になる一言。
「近いうちに調理するので、待っててね」
議会が終わったら、一気に書き上げようっと。



2016年11月29日(火)
声聞いて、あっ、しもさんだ、と思ったから

先日、ある居酒屋で、知人とばったり会った。
最近の居酒屋は、小単位で区切られていて、
個室とはいかなくても、プライバシーが守られている。
だから、廊下から急に女性の顔が現われ、
「しもさん、お久しぶり」と声を掛けられた時、
嬉しいというよりも、驚いて体が固まってしまった。
「本当に久しぶりだね、元気にしていた?」と返すところ、
「どうしてこんなところにいるの?」と返してしまった。
私の本当の質問は「姿が見えなかったのに、
どうして私が入ってきたのがわかったの?」だった。(汗)
暫く雑談をして、心が落ち着いてから訊ねたら、
「声聞いて、あっ、しもさんだ、と思ったから」。
普段から滑舌が悪いのはコンプレックスになっているので、
話声でわかった、と言われて驚きだった。
声のトーン?リズム?・・あまり大きな声でもないし・・。
でも、声で私がわかった・・と言われて、嬉しかったな。



2016年11月28日(月)
1人の人物が周囲にいい影響を与えること

映画「マイ・インターン」(ナンシー・マイヤーズ監督)から。
映画鑑賞が終わると、いつも考えるのは、
「この作品は一言でいうと、〇〇な話」と表現したいし、
監督や脚本家は、この作品を通して、
私たちに何を伝えたいのだろうか、ということである。
その答えは、DVDだからこそ鑑賞できる特典映像の中、
監督や脚本家らのインタビューで見つかった。
「普通なら出会わない2人に友情が芽生える話よ」
「年の功が若さに優ることもある」
確かに、ワンフレーズにすると、この表現がピッタリだ。
では「この映画が伝えたいのは何か?」の問いにも、
「1人の人物が周囲にいい影響を与えること」と明快だった。
この2つがしっかりしているからこそ、ぶれることなく、
鑑賞後の後味が、爽やかな気分となった。
特に、同じ年代の男性が主人公だと、自分と比較したり、
時には、自分に置き換えて感情移入してしまうから面白い。
「周囲にいい影響を与える人物」になることは、
私たち年代の理想の形であり、自分もそうありたいな、と
つくづく思うこと。
若者ばかりの中であっても、女性ばかりの中にあっても。



2016年11月27日(日)
「富士山」を見せても「それで?」と言われる

あるまちづくりの会議で、こんなコメントもあった。
それが、世界を舞台にしてきた人の発言だから興味深い。
「『富士山』を見せても『それで?』と言われる。
『そこで何ができるの?』と訊かれる」と。
ここに大きなヒントが隠されている気がした。
今まで「観光」といえば「その土地の光を観る」とばかり、
他の土地では観ることが出来ない「景色(絶景)」を見つけ、
それをPR(売り出)していく手法が取られてきた。
しかし、先ほどのコメントは違う。
これくらいの景色は、世界的にはどこでも見つかる。
大切なのは「その土地に行って、私は何ができるの?」、
言い換えれば「体験型」というか「自己満足」でもいいから、
その場で何かをしたい、という欲求に変わってきたということ。
それは「〇〇教室」「ワークショップ」に限らず、
「自然保護活動」とか「ボランティア活動」でもいい。
そこに足を運ぶからには、何かをしたい、
そんな欲求に対応したメニューが受け入れられる気がするな。



2016年11月26日(土)
答えは、その時に分かる

映画「クリード チャンプを継ぐ男」
(ライアン・クーグラー監督)から。
名作「ロッキー」の続編、という紹介もあるが、
それにこだわらず、一つの作品としても筋道がわかる。
(もちろん、知っていた方がよりわかりやすいが・・)
どのジャンルでも、父親が偉大な功績を遺した場合、
二世には、私たちのわからないプレッシャーがあり、
その重圧に負けていった人たちを多く知っている。
そういう意味では、父親(アポロ)のライバルであった
盟友(ロッキー)をトレーナーに頼むのは面白い視点。
練習が過酷なのは言うまでもない。
それに耐えられると言い切れるのならば・・が大前提で
ロッキーが、二世の主人公の要請を受ける前に呟く。
「お前の親父は、特別だ。お前も特別か?
やってみなきゃ分からん。
何度も殴られ、倒され、そして立ち上がる。
答えは、その時に分かる」
特別ならば、何度でも立ち上がってくるはずだと。
その瞬間、お前は特別な存在だと証明できるはず。
父親の血が流れてる「二世」としての評価ではなく、
自分自身の伝説ができる、と言うことだろう。
道具を使わず、自分の拳だけで殴りあうボクシングが
感動しやすいのは私だけだろうか。



2016年11月25日(金)
行政が民間を「本気」で応援している

あるまちづくりの会議で、こんなコメントがあった。
全国のまちづくりを見てきて、気になったことだろうか、
成功している事例から感じたことかもしれない。
「民間が頑張って、行政が応援する形がBest」という発言は、
ビジネスという視点がない行政が頑張るよりも、
勢いのある民間の頑張りを支援している形の方が、
うまくいっていることを物語っていた。
さらに言えば、全国的に注目を浴びるところは、
「行政が民間を『本気』で応援している」ようだ。
形だけの「官民連携」ではなく「本気」であることが大切で、
その心意気を、民間は肌で感じるのだろう。
そんな意味で「行政の本気度」が試されていると言ってもいい。
それだけ、民間は必死なんだ、ということが伝わってきた。
辛口で言えば「行政の言葉遊びに付き合っている暇はない」、
そんなことなんだろうなぁ。



2016年11月24日(木)
ハンカチは貸すためにある

映画「マイ・インターン」(ナンシー・マイヤーズ監督)から。
高齢者は歳を重ねた分、経験から得た知恵が増えてくる。
そんなことを感じながら観ていたら、面白いシーンにぶつかった。
私たちからすれば、出かける時には必ず、ハンカチを持つ。
それは小さい頃から、母親に「ハンカチ持った?」と、
何度も何度も口酸っぱく確認されたからかもしれないが、
どうして必要なのか?と問われれば、トイレで手を洗ったあと、
ズボンなどで手を拭かないため、という理由しか浮かばなかった。
作品中、若者が「ハンカチって意味ある?・・分かんない」と、
高齢者に訊ねるシーンがある。
動揺もせず、高齢者はサラッと答える。
「必需品だ。知らないのは罪だぞ。ハンカチは貸すためにある」、
そして、こう付け加えた。
「女性が泣いた時のため。紳士のたしなみだ」と。
いいねぇ、そんな答えが欲しかったんだ、とメモをした。
「濡れた手を拭くため」よりも「女性が泣いた時に貸すため」、
だからハンカチは、必要なんだという発想がいい。
こんなことは誰も教えてくれないことだからこそ素敵だな。
でも・・・女性に泣かれることの方が、少ない気がする。(笑)



2016年11月23日(水)
伯父さんが、一番わかりやすかったです

甥っ子(妹の息子)が先日結婚し、身内の顔合わせと称して、
沼津市のフランス料理「ヌーヴォサンス」食事会に招かれた。
ほんの10人ほどの小さな小さな祝宴であったが、
和やかな雰囲気と、美味しい料理に囲まれて、
とても素敵な、そして贅沢な時間を流れた宴てある。
若い2人の意向もあって、披露宴をせずに、
これから一番繋がっていく人たちとの食事会を選んだようだ。
終始、温かい雰囲気がテーブルを包んでいたが、
特筆すべきは、2人が選んだ、私たち身内へのプレゼント。
「お世話になりました。これからも宜しくお願いします」の
想いが伝わり、涙腺が緩んだ。
たぶん、一人ひとりの生活を思い浮べながら、
今、何に夢中なんだろう?、何を欲しがっているかな?、
何をプレゼントされたら喜んでもらえるかな?、など、
考えて選んでくれたに違いない。
ウォーキングをしている人には靴、ワイン好きの人にはワイン、
疲れているな、と感じたから、マッサージ器具、
いつまでも元気でいてほしいから、温かい電気ブランケット、
前から欲しがったいたから、ダイソンの掃除機など、
選んだ理由が披露され、皆がその場で包み紙を開けて喜んだ。
さて、私は・・というと「吸引式万年筆」と「インク」。
どうして欲しいものがわかったのかな?と感じていたら、
甥っ子が「伯父さんが、一番わかりやすかったです」と苦笑いした。
好奇心旺盛の私の欲しいものを選ぶのは苦労しただろうな、と
心の中で呟きながら、帰宅後、さっそく使ってみた。
なぜか文豪になった気分を味わい、原稿用紙を探してしまった私。
若い2人の気持ちに応えて、いろいろ書き始めようかな。



2016年11月22日(火)
地域のことを地域の人が、地域の言葉で伝える

「第2回清水町泉頭(いずみがしら)歴史フォーラム」
「2部 パネルディスカッション」のテーマ
「歴史情報をどう活かすか」
(都市ブランドの形成に向けて)から。
それぞれの立場を背景に持つパネラーから、
大所高所から、多くの提言、ヒントをいただいた。
「選ばれる都市になるために必要なこと」については、
「地域にも個性があり、歴史という要素がある。
だから、歴史を紐解くと、地域の特性がわかる」。
まさしく「温故知新」なのだと理解した。
「歴史的価値を高める手段」については、
「マスメディア・ソーシャルメディア」に加えて、
「オウンドメディア」と呼ばれるメディアを知った。
「オウンドメディア」とは、自分のことを自分で発信。
「地域のことを地域の人が、地域の言葉で伝える」が
最近の流れという視点は新鮮だった。
さらに「清水町の『顔』づくりの提言」については、
「都市ブランド」と言葉を言い換えて「情報の鮮度」、
「地元の生の声」の大切さを再認識させていただいた。
まずは、自分の出来るところから始めたい。
「オウンドメディア」の活用だなぁ。



2016年11月21日(月)
年上の天使が11歳はいい年だと言う。

映画「Re:LIFE リライフ」(マーク・ローレンス監督)から。
アメリカで最優秀脚本賞を獲った主人公が、
脚本家を目指す若者に講義する場面、私のメモが増えた。
特に、客員として働いていた、大学のルールを破り、
退職させられる最後の授業で、こんな話が飛び出した。
「昔書いた映画の中で・・」と前置きをした後、
「(ある天使に)年上の天使が11歳はいい年だと言う。
11歳の時は、好きも嫌いも本気の感情だから。
ただ長く生きていると・・いろんな妥協を強いられる。
書くことも同じだと思う。
11歳の自分はハッキリ『面白い』とか『バカだ』と言う」
いつまでも、子どもの気持ちでいて欲しい。
もう何年も前から使われている手垢のついたフレーズや、
誰から異論反論を受けるかもしれない、と考えるあまり、
ありふれた表現になりがちだけれど、
そんなことを意識しなかった11歳の頃の気持ちに戻って、
作品を書いて欲しい、そう伝えていた気がする。
美しいものは美しい、汚いものは汚い、ズルいものはズルい、
その心の揺れを素直に文字にすることが、読者の胸を打つ。
そういうことなのだろう、なるほどなぁ・・とメモをした。

P.S.
原題は「The Rewrite リライト」なのに、
どうして邦題は「Re:LIFE リライ」なんだろう。(?)



2016年11月20日(日)
届けたいのは「特別映像」ではなく「普段の柿田川」

昨年の冬、一番の楽しみにしていた「鮎の産卵」が、
「柿田川公園、舟付き場」で見ることが出来なかった。
(実は、今年もまだ判らない。鮎の数が少ないから・・(汗))
ただ、もしも運良く「鮎の産卵シーン」に遭遇できても、
水中にカメラをつけて「産卵シーン」の撮影はするつもりはない。
私が近づくことで、鮎が怯えたり逃げたりしては、
せっかくの生態系を崩すことになりかねないと考えているから。
私の役割は、柿田川の生態系を壊すことなく、
最新の情報を、観光客の目線でお裾分け、と決めている。
だから、鮎の遡上も産卵シーンも、展望台や遊歩道から、
誰もが目にすることが出来る角度から撮影しているつもり。
(水中の画像は、外来種駆除活動後のサービス撮影タイム(笑))
水中からの「産卵シーン」を期待している人たちにとっては、
鮎の様子を上から撮っても、黒い背びれが動くシーンだけで、
つまらないかもしれない。
絵にならないことは、百も承知で撮影している。
日々の柿田川の様子を、目の前で観察できる私の役割は、
実物を観に訪れてもらえるように、最新情報を伝えることにある。
届けたいのは「特別映像」ではなく「普段の柿田川」だから。

P.S.
今、最上流部には、メスを待つオスの鮎が遡上しています。
ここでしか、そして今しか見られない景色、是非、第1展望台へ。



2016年11月19日(土)
ピアノって、こんなに大きな音が出るんだね

先月下旬、ロシアの天才ピアニスト「デミトリー・シシキン」、
ピアノリサイタルを聴きに三島文化センターへ足を運んだ。
5年前、わが町で演奏していただいた時は、19歳。
2011年6月5日(日)の「気になる一言」に
「音が強いけれど、乱暴じゃないよね」という感想を
驚きとともに、言葉として残していた。
今回は「あれから5年、容姿も音も成熟したよなぁ」と
ちょっと丸みを帯びた、柔らかい雰囲気に絶賛であった。
(専門家ではないので「そんな感じに聴こえた」程度ですが)
私が一番驚いたのは、ピアノの音量。
最近、静かなクラシック中心のピアノ曲や、
ジャズなどのBGMとしてのピアノの音、
または、合唱の伴奏としてのピアノの音を耳にしていたので、
彼が弾くピアノから溢れ出てくる、ピアノの音量に、
5年前以上に驚かされた。
横で気持ち良く聴いていた妻に、思わずこう呟いた。
「ピアノって、こんなに大きな音が出るんだね」
その楽器の最大の音量って、あまり聴いたことないものなぁ。



2016年11月18日(金)
アフリカに殺人事件などありません。

映画「ナイロビの蜂」(フェルナンド・メイレレス監督)から。
(10年ほど前の)アフリカで暮らす、
英国外務省一等書記官ジャスティンと妻テッサ。
彼らは、文明社会がアフリカ人をモルモットして、
新薬の研究をしていることを知り、大きな敵に立ち向かう。
物語の最後に、そんな悲惨なアフリカの状況と、
先進国の残酷さを伝えるメッセージが語られるシーンがある。
「アフリカに殺人事件などありません。
『痛ましい死』があるのみ。
そのような死を超え、文明社会は利益を得ます。
利益はたやすく得られます。
彼らの命は、あまりにも安いからです」
「世界中がアフリカを食い物に・・」というフレーズで、
胸が痛くなるのを感じた。
彼らの犠牲の上に、私たち先進国の人たちが生きていることを、
どれだけの人が意識しているだろうか。
これは想像の話ではなく、現実なのかもしれない。
外交官の夫が寝ている様子を、妻がビデオで映しながら、
こんなメッセージを添えている。
「(夫は)理想の世界を夢見て眠ってる。
彼の理想の世界とは・・雑草のない世界よ」と。
そして彼女は、ガーデニングを趣味と言いながら、
「雑草を抜かなくちゃ」と、大きな権力に戦いを挑み亡くなる。
この結末に、やるせない気持ちで観終わった。
まさか、エイズの治療薬も「アフリカ」で試してないよね。(汗)



2016年11月17日(木)
昆虫採集する兄弟みたいですね

業務終了のチャイムが鳴ると、どちらかともなく
「今日もポケモン、捕まえて帰る?」となる。
「ポケモンGO!」にはまってしまったのは、
今年定年退職の先輩と、58歳の私。(汗)
しかしゲーム内のジムで戦うとか、そういった野望もなく、
帰宅途中の「ポケストップ」で道具をゲットし、
突然現れる「ポケモン」に、一喜一憂しながら、
ただただ、スマホ片手に歩く、歩く。
(時々、ぶつぶつ言いながら、立ち止まるけれど)
そんな様子を見ていた女性職員が、私たち2人に向けて
「昆虫採集する兄弟みたいですね」と声をかけてくれた。
宮崎駿さんの世界よろしく「夏の暑い日、ランニングシャツに
麦わら帽子を被り、虫取りの網を片手に、兄弟仲良く、
昆虫採集に飛び出していく姿」がダブったようだ。
ちょっと違うのは、歩くのに疲れた2人は、時々、
1000円札握りしめて「生ビールだけ飲んでくか?」と、
なることかなぁ。(笑)(実は、これまた楽しい。)



2016年11月16日(水)
今、日本の話題は「清宮・清武・清水」(笑)

今朝、いつものように新聞を広げたら、
目に飛び込んできたのは「清○」の単語だった。
野球関連記事で「清宮」、サッカー関連記事で「清武」。
さらに、まちづくりの記事で「清水」となればリズムがいい。
「キヨミズ」でなくて「シミズ」でしょ?なんて、
野暮な突っ込みは、置いといて・・(汗)。
キャッチフレーズなんて、耳に残ればいい、と思っている。
以前話題にした富山県のキャッチコピー「宇宙戦艦トヤマ」、
「タヒチ島・ハワイ島・オワフ島・バリ島・グァム島・・・
そして「あの島より、福島。」という福島県のキャッチコピー。
もちろん、これらには及ばないが、突然思い浮かんだ、
「今、日本の話題は『清宮・清武・清水』」だって、
目に入ってくる「文字」や、耳に入ってくる「音」にとしては、
悪くない気がする。(汗)
シティプロモーションも、キャッチコピーも、
面白い、と感じてもらえるか、ふと立ち止ってもらえるか、
そんなもんじゃないかな?と思っているから。
好奇心旺盛の私は、いつもそんな視点で町を徘徊しているから、
ウォーキングが楽しくて仕方がない。



2016年11月15日(火)
戦略のない単発の複数企画は、地域に疲労感を残すだけ

全国で、地域おこし、シティープロモーションが華盛り。
夏休み中、毎日どこかで賑やかなイベントが開催され、
これでもか・・というくらい、花火が打ち上げられた。
(11月も、毎週どこかでイベントが・・)
別にそれを否定しているわけではない。
ただ、単発で打ち上げられる、各自治体の花火(行事)は、
周りの様子に関係なく繰り返されているようにも感じる。
そんなことを考えながら、インターネットを眺めていたら、
ある方のコメントに、こんな言葉が書かれていた。
「戦略のない単発の複数企画は、地域に疲労感を残すだけ」
全国のまちづくりで名を馳せた、地域コーディネーターらが、
地元民では気付かなかった「観光資源」に光を当てて、
一時的に「有名」になる、ここまではいい。
しかしながら、それは各市町に雇われた「仕事人」であり、
隣接した市町のまちづくりまでは、関与しないから、
限られた新聞地域情報の紙面を奪い合うことになっている。
これまた、それ自体を否定しているわけではない。
ただ、もっと広い視野に立てば、どんな戦略に基づいて、
どこを競争相手としてイベントを開催しているのか、
それが見えないことが、ちょっと淋しい気がする。
相手は「東京ディズニーランド」であったり、
「ユニバーサルスタジオ」かもしれないのだから。
振り返れば「まちづくりに疲れたぁ」という人たちが増えた、
そんなことにならないようにしたいな。



2016年11月14日(月)
旦那にご飯食べさせなきゃならないから帰るよ

先週、町芸術祭(発表の部)に観客として訪れてくれていた
おば樣方が口にした、お決まりの台詞が気になった。
プログラムが進み、お昼近くになると、そわそわ帰り支度をする
高齢者の女性たち。
「そろそろ帰らなくちゃ・・」と呟いたかと思うと、
「午後のプログラムは見ていかないの?」という友達の問いに、
「旦那にご飯食べさせなきゃならないから帰るよ」
「そうだ、私も食べさせなきゃ」と、続く会話が可笑しかった。
世の男性陣を代表して言わせてもらえば、今ではコンビニもあるし、
奥さんがいなくても、お昼の一食くらいなんとかすると思う。
いざとなったら、食べなくても死ぬわけじゃない。(笑)
それなのに、帰る理由が「旦那にご飯を作ってやらなくちゃ」。
1人ならまだしも、何人かが同じ台詞を口にしたからメモをした。
そんなにご主人のことを愛しているのか、それとも心配なのか、
はたまた、顔が見たくなっちゃったのか、本意は判らない。
旦那さんは、お腹をすかして待っている赤ちゃんでもないし、
家でご飯を与えてくれる人を待ってる、犬や猫でもない。
そんなことは誰でも知っているのに、何も出来ない(汗)ご主人を
その場から帰る理由にするって、女性たちでは暗黙の了解なのかな。
男女共同参画社会が進まないわけだなぁ。(汗)



2016年11月13日(日)
そんなことはどうだっていい。死ねばゴミだ

映画「エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)」(平山秀幸監督)から。
国民の祝日に「山の日」が制定されたからではないと思うが、
「エヴェレスト」に関する作品が続いた気がする。
その山に、イギリスの登山家ジョージ・マロリーが、
1942年6月8日に初登頂に成功したのか否か、の関心が高まる中、
山岳カメラマンの深町が、伝説のアルピニスト・羽生丈二に訊ねる。
「マロニーは、頂上を踏んだかなか?」
「生きてこなかった奴が、頂上を踏んだかどうか、
そんなことはどうだっていい。死ねばゴミだ」
この言葉は、冷酷のように感じるが、実は重くて温かい。
だからこそ、何としても生きて下山してこい、と諭す。
評価されるのは、最初に登頂した時ではない。
登頂し、さらに厳しい岸壁を無事に下山できた時、
世界の人々は、彼らを評価する。
いつまでも、誰が最初に登ったか、などに拘っているな、と
山に登る人たちに向けて発せられたメッセージのようだった。
最近、日本・世界の名山を登る人たちが増えている。
この考えは「エヴェレスト」に限らず、胸に刻んでおきたい。



2016年11月12日(土)
「近隣のイベントを満喫できる町」っていいな

11月は毎週のように、とこかでイベントが開催されている。
特に、わが町と隣接している沼津市や三島市のイベントは楽しい。
わが町の「公道周回自転車レース」(クリテリウム大会)を明日に控え、
なぜか、ぽっかり空いてしまった土曜日は、忙しかった。(汗)
早朝、前日の雨から想定して、今日の富士山は真っ白だろうな、と
長靴に履き替え、いつもの「柿田川撮影」からスタート。
さらに午前中は、狩野川沿いに歩き、沼津市のイベント
「よさこい東海道」に顔を出し、鳴子に合わせて踊る人たちから、
エネルギーをたっぷりいただいた。
せっかくここまで来たから・・と、千本浜まで足を伸ばし、
静岡県東部では「ポケモンGO!」の聖地?となりつつある場所で、
珍しいポケモンをゲットしてご満悦。
その後、沼津駅から三島駅まで電車で移動し、三島駅前の楽寿園へ。
浜松城を数多くの菊で飾った「菊まつり」や、見頃となった紅葉、
またまた珍しい「ポケモン」をゲットして、帰路についた。
万歩計は、久しぶりの20,000歩超え。(笑)
昔から言われる「沼津と三島に挟まれた、ベッドタウン」、
には変わりがないが、パンケーキのように平らな町に住み、
沼津や三島のイベントに、自分の街のイベントのように行ける。
(私の場合、全て歩いていける距離のイベント)
これも、わが町の特性だなって思いながら、こうメモした。
「近隣のイベントを満喫できる町」っていいな。
あとは、その「近隣のイベント情報」をいかに町民に届けるかだね。



2016年11月11日(金)
私ももう、そろそろ、このへんで

親戚の伯母さんの「通夜・火葬・本葬」に足を運んだ。
他界する間際の様子が気になったが、家族から聞いた話では
「みなさん、お世話になりました」と前置きをして、
最後の言葉は「私はもう、そろそろこのへんで」だったらしい。
兄弟姉妹も配偶者も、とうの昔に死に別れたからか、
迎えにきていたのかな?という身内の台詞にも頷いてしまった。
94歳という年月を生き、大正生まれらしい気丈な生き方に、
尊敬もしていたし、最後の最後までお洒落だった女性である。
死の直前、仲良しだった猫が突然、行方をくらましたり、
彼女の異変を敏感に感じた動物たちの動きもあったようだ。
それにしても、やはりこの台詞に涙腺が緩んだ。
「私ももう、そろそろ、このへんで」
自分に与えられた「生」を、精一杯生き切ったという、
満足感が伝わってくる台詞である気がしてならない。
自分もこんな素敵な言葉が、死ぬ間際に自然と口から出るような
そんな生き方をしたいと思う。
「死に様」とか「辞世の句」って、やっばり大事だな。



2016年11月10日(木)
私は今でも、世界を変えたいと思っているのですよ

映画「杉原千畝 スギハラチウネ」(チェリン・グラック監督)から。
鑑賞後、走り書きで書いたメモを眺めてみると、
やはり「世界を変えたいと思う」がキーワードとなって浮かぶ。
「世界を知れば、日本をもっとよく国に、素晴らしい国に」という、
熱い想いで、障子越しに寝ている(はずの)友人に向かって、
「なぁ、お前は世界を変えたいと思ったことがあるか?
俺は常に思っている」と言い切るシーン。
また、初めて自分の名前を正しく読んでもらった女性と結婚し、
その彼女が訊ねる。「ねぇ、千畝(チウネ)さん、
あなたは今でも世界を変えたいと思っていますか?」の問いかけに、
間髪入れずに「常に思ってる」と答えるシーン。
そして昭和40年、当時スギハラに助けられた人の1人が、
その時のお礼を言いたくて28年間も探し続け、モスクワで再会。
「居場所を見つけたのですね」と喜ぶと「いいえ」と呟き、
「私は今でも、世界を変えたいと思っているのですよ」と語り、
静かにフェードアウトしていくシーン。
幾つになっても、どんな場面でも、日本のために
「世界を変えたい」と考え、その信念を曲げなかった彼だからこそ、
今でも、世界で語り継がれているに違いない。
彼の残した戦時中の業績よりも、その信念に拍手を送りたい。



2016年11月09日(水)
書きたいこと、いっぱいの日

いろいろなことが起きる日は、重なって困ってしまう。
メモ代わりに始めた、ツィッターの呟きも多くなった。
だから「書きたいこと、いっぱいの日」として残したい。
社会人野球初優勝の「ヤマハ」の創部は1958年。
私の生まれた年なので、58年の歴史と重なったこと。
親戚の伯母が94歳で亡くなり、最後の言葉が、
「私ももう、そろそろこのへんで」だったことを聞いて、
感激してしまったこと。
そして「アメリカ大統領選挙の結果」というよりも、
どうして、選挙が平日なんだろうか、という疑問と、
身近な選挙の投票率が低いのに、他国の大統領選挙に
こんなに注目し、大騒ぎする国民性が可笑しかったこと。
「気になる一言」のメルマガが「5500号」に達したこと。
さらに毎日、観察している「柿田川に遡上している鮎」が、
例年に比べて、極端に少なくて、心配していること。
ついでに、現在開催中の「ポケモンGO!」の記念イベントと、
それにつられ、ただただ歩き回って「レベル25」達成など、
「気になる一言」に書きたいことが溢れてた1日だった。
勿論、今読んでいる本や、DVDで鑑賞している映画の話、
会議や講演会での気になるフレーズなどもメモしてあるし、
しばらくは、話題に困らないなぁ。(笑)



2016年11月08日(火)
誰あろう、その母から生まれてきたのだ。

書籍「しずく」(西加奈子著・光文社刊・210頁)から。
短編「シャワーキャップ」の一文にハッとさせられた。
「私のために泣き、私を恐ろしいほどに愛している、母がいる。
どれほど頼りなくても、情けなくても、
母は全力で、私の『母』だった。
母のことを子供のようだと思っていた私は、
誰あろう、その母から生まれてきたのだ。
その事実が、どれほど私を慰め、そして勇気づけたか」
親子だからこその愛憎は、どの世代でも存在する。
反抗期の時は、うっとうしかったりしたけれど、
就職して初めての給料で母親にマッサージ器を買った。
年を重ねて、耳が遠くなってきたことを指摘すると、
大きな声で「まだ若いよ」と言い返す母親の姿を見ながら、
子どものようだな、と思った矢先に、この表現にぶつかった。
子供が母親に対して抱く感情は、やはり特別なんだと感じる。
しかし、よく考えると、私はこの人から生まれたんだ、と
思えると、不思議に心が安らぐことを知った。
親子の関係、特に「母子」の関係だけは、切っても切れない、
それを喜ぶ感情を、いつまでも持ち合わせていきたい。



2016年11月07日(月)
10,000歩と15,000歩は、大きな違いがありますよね

先日紹介した「1ヶ月(31日)連続、毎日10,000歩超えの記録」、
ウォーキング大好きの方から、メールが届いた。
私と同じように、毎日、万歩計の記録を書き写しているらしい。
時候の挨拶の後「同じ趣味の人がいて、嬉しくなりました」と綴り、
「さらっと書いていますが、本当に平均15,000歩超えですか?」と
ちょっと信じられない様子が伝わってきた。
歩いている人だからこそわかる「15,000歩」の大変さを
「10,000歩と15,000歩は、大きな違いがありますよね」と
表現してくれていた。
以前「五十歩百歩」は、
「わずかな違いだけで、本質的には変わらないことのたとえ」
「五十歩二百歩」は「ちょっと差があるたとえ・・」なんて
ジョークで書いたことがあるけれど、それに合わせれば
「一万歩一万五千歩」は「とっても大きな差があるたとえ」。
自分でも信じられないこの記録は、
毎日の徒歩通勤と、週末の柿田川散策、さらには「ポケモンGO!」が
大きな要因となっている。
気持ちも「歩くのが好き」から「歩くのが楽しい」と進化している。
たぶん「歩くのが楽しみ」になることが増えたんだろうなぁ。



2016年11月06日(日)
短調だと『懐かしい味』、長調だと『陽気な味』になる。

映画「ムード・インディゴ うたかたの日々」
(ミシェル・ゴンドリー監督)から。
う〜ん、私には、設定がなかなか理解できなかった作品、
まずは、第一印象を記しておこう、と思う。
そのうえで、気になったシーンを思い出すと、
物語の前半に「カクテルピアノ」という楽器?が登場する。
演奏の強弱に合わせて、オリジナルのカクテルが作れる仕組み。
「分量は『音の長さ』で。
短調だと『懐かしい味』、長調だと『陽気な味』になる。
強音ペダルは、泡立てた卵だ。
ホットな演奏だとオムレツになるぞ」・・
まったくくだらない、と思いながらも、しっかりメモをして、
こんな機械(楽器)があれば、一度は飲んでみたいな、と
思ってしまった自分が、可笑しくてたまらなかった。
「猫ふんじゃった」なら、どんなカクテルが出来るのだろうか、
「ビバルディ・四季」は、季節によって味が変わるのかな?
そんな想像が膨らみ、けっこう楽しめた。
ただし申し訳ないけど、やっぱりこの作品を映画化して、
監督は何を伝えたかったのだろうかはわからなかったなぁ。
そんなところも「フランス映画」らしいけど・・。(笑)



2016年11月05日(土)
会うべき人(仲間)に出逢えることを、人は仕合わせと呼びます

この「気になる一言」に何度も登場している、
清水中学校同級生の男女で編成する、混声合唱団。(恩師も含む)
結成11年目、恥ずかしながらも、町の芸術祭に参加させていただき、
明日で、上手い下手に関係なく、10回目のステージに立つ。(汗)
月に1度、土曜日夜7時30分から約1時間、毎年2曲ずつ練習してきた。
男性陣は、住まいが町内だけど、女性陣は町内だけでなく、
嫁ぎ先の沼津市、裾野市からも集ってくる仲良しグループである。
明日は、指導者が参加できなくなったため、富士宮市から、
助っ人として、これまた同級生にピアノを弾いてもらうことになった。
(こんな無理なお願いを受けてくれたのも、同級生だからかな?)
今年は「糸」と「若者たち」の2曲。
特に「糸」(作詞・作曲 中島みゆき)には、
「縦の糸はあなた、横の糸は私」のフレーズが耳に残るけれど、
このあと、こんな台詞が続く。
「織りなす布は、いつか誰かを暖めうるかもしれない」
「織りなす布は、いつか誰かの傷をかばうかもしれない」
「会うべき人に出逢えることを、人は仕合わせと呼びます」
これは夫婦や親子、恋人たちに向けて作った曲かもしれないが、
職場の仲間や、こうした仲良しグループにも当てはまる気がする。
彼ら、彼女らがいなければ、私が合唱でステージに立つことなんて、
考えられないことだったから。
歌い終わったあと、彼ら、彼女らと思いっきり打ち上げだな。(笑)



2016年11月04日(金)
全国の大名から熱いまなざしで見つめられていた場所

「第2回清水町泉頭(いずみがしら)歴史フォーラム」
講師「大嶌聖子」氏(東京大学史料編纂所研究支援推進員)
演題「徳川家康の隠居を巡る大名の情報戦略」から。
わが町の「泉頭」という場所は、ある時期、
(元和元年(1615年)12月〜元和2年(1616年)1月)
全国の大名から熱いまなざしで見つめられていた場所、
そんな説明に、400年前に想いを馳せてみた。
徳川家康が、当地に隠居所を建てようと計画していた、
その事実が、彼女の紐解く資料から明確になっている。
現実は、諸事情から断念せざるを得なかったが、
一度は、部下に指示を出したのは事実であり、
その地に住む私たちは、自信と誇りを持って他地域の人に
この地の素晴らしさを伝える義務がある気さえした。
ただ伝える情報が、どういう意味をもっているのか、
「Intelligence」(評価・価値ある情報)なのか、
「Information」(周知するだけの情報)なのか、
という情報の質を考えると、全国、いや世界に向けて、
「伝える価値のある情報」として発信をしていきたい。
歴史が変わっていたかもしれないのだから・・・。



2016年11月03日(木)
富士山を見るならば、三島と沼津の間で見ろ

三島市の佐野美術館で「横山大観 大気を描く」と題して、
展覧会が開催されているので、先日、楽しみに足を運んだ。
彼の描く「富士山」は、ゆったりとしていて、
観ているだけで、大きな気持ちにさせてくれる力がある。
私にとっては、いつも見慣れた富士山であるが、
他県から訪れる観光客に対する会話は、
「今日は富士山が見えてラッキーでしたね」で始まり、
しばらく、富士山談義で盛り上がることもしばしば。
そして「どこから観た富士山が一番ですかね?」という問いに、
私は、いつもこう答えることにしている。
「富士山を描かせたらこの人、と言われている
『横山大観』はこう言っています。
「富士山を見るならば、三島と沼津の間で見ろ」と。
だから、位置的には、清水町か長泉町ですかね」
(文化勲章受章者を、呼び捨てにしてすみません。(汗))
自分勝手な解釈であるが、この言葉を会場内で見つけた時、
以前から知っていたけれど、またメモをし直してしまった。
そんな場所に、私たちは住んでいる。それだけでも嬉しいな。

P.S.
徳川家康が、終の住処(隠居所)を立てようとした場所でもある。
この話は、また後日。メモを整理してから・・。



2016年11月02日(水)
1ヶ月(31日)連続、毎日10,000歩超えの記録

皆さんご存知、メモ好き、記録マニアの私であるが、
久しぶりに自分を誉めてあげたい記録が生まれた。
数年前から、万歩計の数を、ただひたすらカウントし、
手帳に書き写すだけの単純な作業に、一工夫して、
表計算ソフトに集計しながら、楽しみながら歩いていた。
理想は、1日10,000歩だが、雨の日や体調不良の日もあり、
月単位で、1日平均10,000歩超えを目指した。
もっと言い換えれば、1年3,650,000歩達成すればOKとし、
2012年以後、目標達成の祝杯を大晦日にあげて楽しんでいる。
しかし、今まで振り返ると、達成していない記録が1つあった。
それは、1ヶ月(31日)連続、毎日10,000歩超えの記録。
こればかりは、本人が相当意識して歩かないと続かない大記録。
それをとうとう2016年10月に達成してしまった。(嬉)
野球で言えば、連続安打記録かな。
それも、なんと1日平均15,000歩超えのおまけ付き。
9月は予想以上の長雨と、10日間の厚生休暇が影響し、
1日平均10,000歩の記録を大きく下回り、
自分の意志の弱さに落ち込んだけど、それが発奮材料になった。
いつかは途切れる記録だけど、出来るところまで続けてみたい。
「続ける技術」って、意外といろいろな場面で役立つから・・。



2016年11月01日(火)
映像から関係書類一式を「USB」に入れて渡す

以前、ビデオ撮影・編集を仕事としている同級生と、
「映像」の話をしたあと、業界の話をしてもらった。
「柿田川の魅力は、写真だけでは伝え切れないから、
DVDなどの映像にして、手渡そうと思うけれどどうかな?」
そんな質問をしたら「それではなかなか見てくれないよ」と、
営業の現場でしかわからないアドバイスをもらった。
要約すると「忙しいところをおじゃまして、貴重な時間をいただき、
パンフレットで一つひとつ説明する、のには気が引ける」
「だからといって、テレビやPCと接続してある『DVD再生機』を、
わざわざセットしてもらうのも申し訳ない」。
その煩わしさが、持参した資料・映像を見てもらえないらしい。
「ではどうしたら、見てもらえるの?」と訊いてみたら、
「映像から関係書類一式を『USB』に入れて渡す」と言う。
会社なら、PCは1台くらいは、いつでも電源が入っているから、
時間が空いた時、手渡された「USB」を、ポチッとセットして、
見てもらえる可能性が高いようだ。
「もし興味・関心がございましたら、こちらへ連絡してください」と
メッセージをつけることを忘れずに・・。
少しでも面倒くさいと、どんなに素晴らしい写真、動画でも、
見ることもしない、のが今風なのだろう。
私には、久しぶりの「目から鱗の気付き」だった。
作って終わりではなく、あくまで相手の心に届けなくては・・。