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しもさんの「気になる一言」
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2014年07月31日(木)
俺は、柴田トヨって人をほとんど知らなかったんだなぁ。

映画「くじけないで」(深川栄洋監督)から。
90歳から書き始めた詩人、柴田トヨさんは
もう詳しい説明はいらないだろうが、
その役を八千草薫さんが演ずるとあって、
期待に胸が膨らんだことを、事前に記しておきたい。
作品中にタイミングよく挿入される詩は、
何度耳にしても、温かさを感じる素敵な詩である。
しかし、今回私が選んだのは、柴田トヨさんの息子、
武田鉄矢さんが演じた、柴田健一の台詞。
母親の詩を丁寧に整理しながら、読み返していくうちに
あることに気づき、込みあげてきたものがあった。
「俺は、柴田トヨって人をほとんど知らなかったんだなぁ」
そして「俺が知ってたのは、ごく一部だったんだなぁ」
この台詞は、本当によくわかる。
自分も息子として、母親のことをよく知っていたつもりが、
実は、若い頃のことも含め、ほとんど知らないことばかり。
息子(娘)だから、親のことは自分たちが一番知っている、
それは、間違いだと気付いた。
親は子どものことを知っているかもしれないが、
子どもが親を知っているか、と尋ねられたら自信がない。
意外にも、嫁であったり孫であったりこともある。
もう少し、親のことを知ろうとしなくちゃいけないな、
たった一人の親なんだから。



2014年07月30日(水)
カウンセリングは、頭の先から足の先まで

「カウンセリングは、言語・文字ではなく、
視線、声の調子、姿勢、指先、息遣い、手の動きなど、
頭の先から足の先まで観察する必要がある」
そんな話を耳にして、へぇ〜と思いながらも、
予想以上に大変な仕事だな、とも感じた。
相手の話を聴いて、アドバイスするだけでは、
「カウンセラー」とは言わないということなのだろう。
最近は、パワハラだ、セクハラだと騒がれるけれど、
本来、上司は部下の様子をそれくらい知っておくべきだ、と思う。
なかなか難しい問題であるが・・。(汗)
そう考えると、多くの母親はカウンセラーの資質を持っている。
わが子の視線、声の調子、姿勢、指先、息遣い、手の動きなどから、
いつもその変化を意識して、様子を窺がっている。
それも24時間、休むことなく・・・。
だからこそ、母親と子どもの関係は、父親と比べて強いのだろう。
一所懸命子育てをしている母親の支援、やっぱり大事である。
そう言えば、野菜を大切に育てている人も、
同じようなことを言っていた気がする。
「育てる」って、そういうことなんだな、きっと。



2014年07月29日(火)
日常のささやかな営為に、優しくほほえみかける。

歌集「未知の時間」(前田鐡江著・角川学芸出版刊・203頁)から。
とても身近な知人の歌集であり、登場する人物・景色が、
鮮やかに映像化され、言葉の温かみを感じた短歌が溢れていた。
タイトル「未知の時間」の元になっている一首、
「三年日記真つ新のページひらきたり未知の時間は罫線である」は
何も書かれていない罫線だけのページを眺めながら、
これからどんなことが少しずつ書き込まれるのか、
ワクワクした気分になったことを思い出し、ひとりで頷いた。
お気に入りの短歌を選んで紹介したいが、字数に制限があるので、
歌集の帯に書かれていたキャッチコピーの一部を残したい。
「日常のささやかな営為に、
海が、風が、花木が、優しくほほえみかける。
森羅万象を繊細に詠みあげた第一歌集。」
そうそう、日々の生活・心の動きを題材にすることが、
創作活動の継続する秘訣だよな、やっぱり・・
そんなことを感じながら、
そして知人の顔を思い出しながら本を閉じた。



2014年07月28日(月)
つまり反省だな、セルフ・エキザミネーションだ

映画「早春(1956)」(小津安二郎監督)から
私の感性が低いのか、監督はこの作品を通じて、
私たちに何を伝えたかったんだろう、と考えこんでしまった。
当時の様子がわかる映像が散りばめられていて、
60年近くたった今見ると、楽しいシーンも多いが。
他の作品もそうだけど、時々、英語がぽっと台詞に含まれる。
そんな覚えたばかりのような英語を使うあたりが、
戦後間もない作品だなって感じて、メモをしてみた。
(違和感と言ったら失礼になるだろうけれど・・)
特に、働いている若者同士が一斉に手拍子で
「ツーツー・レロレロ・ツーレーロ・・」と歌いだしたり、
狭い部屋で1つの鍋を囲んで激論したり、楽しそうだ。
そんなワンシーンで使われた英語。(笑)
「つまり反省だな、セルフ・エキザミネーションだ」
「人道上な、ヒューマニズムだよ」とやたらと英単語が並ぶ。
女性の洗面所で「シャボン、もういい?」と言われた時は、
「石鹸」のこととは気づかず、メモしそこなった。
何かを意識して、英単語を使っていると思うのだが、
その意図がわからず、不完全燃焼で観終わった。(汗)



2014年07月27日(日)
安酒は飲むな、いい酒を飲め。

「ウシオ電機創業者・牛尾冶朗氏」が、ある方に教わった、
仕事のイロハから酒の飲み方の一部であるが、
アルコール好きの私にとって、このアドバイスは心に留めたい。
(すみません、情報源はメモ忘れです。(汗))
深夜まで酒につき合わされたときに
「明日は遅くとも、八時までに出社するんだよ」と教えられ、
「安酒は飲むな、いい酒を飲め」と助言を受け、
「酒はその人の品格を表すものだから」と理由を教えられたと言う。
それは、人間関係にもつながる考えで、
「自分より優れた人と付き合う」ことの大切さを教えている。
「安い酒」イコール「自分よりお粗末な人を見て安心し、
自分の方がましだと満足する考え方」を捨てて、
「いい酒」イコール「優れた人との出会いを求め、
その人に少しでも近づきたいというエネルギーに変え、
その人を乗り越えようとする努力に繋がる」と解釈できる。
お金がないから、を理由に、安いお酒を飲むよりも、少し我慢してでも
手間暇かけた「焼酎・日本酒・ワイン・ウィスキー」を飲んでみる、
その心構えが大切と理解した。
言われてみれば、じっくり味わうために口にするのは、
「安酒」ではなく「いい酒」だものなぁ、納得。
もしかしたら、焼肉の「肉」も同じかなぁ・・(笑)



2014年07月26日(土)
全てを知ったうえで、自分の進むべき道を決めるべきだ

映画「真夏の方程式」(西谷弘監督)から。
推理小説の映画化は、犯人がわかっているし、
あまり面白くないだろう、と思っていたけれど、
やはり、脚本がしっかりしていると、違った意味で楽しめた。
東野圭吾さんの原作を意識せず、耳に残った台詞をメモしていたら、
「全てを知ったうえで、自分の進むべき道を決めるべきだ」が
3回も使われていた。
「相手の言い分に耳を貸そうとせず、自分たちの主張を繰り返すだけだ。
今の日本にとって資源の問題は避けられない。
選択すると言っても、ゼロや100を選べと言っているんじゃない。
お互いをよく理解し合って、ベストな方法を探す。そのための議論だろ。
全てを知ったうえで、自分の進むべき道を決めるべきだ」
この台詞は、いろいろな場面で使えるな、とメモをした。
会議・討論だけの台詞ではない。
人間関係、コミュニケーションの話題でも使えるし、
生きかた、人生などを真剣に考えた時にも、使えるフレーズだ。
中途半端な知識と情報で判断するから、ベストな選択ができない、
そんな意味にも取れるからだ。
もう一度、原作を読み返してみうかな、と思える映画作品であった。



2014年07月25日(金)
小保方さんへエールを送りたい

こんなことを書くと、また変なことを言い出した、と
言われそうだが・・STAP問題はどうもしっくりこない。
子どもたちに「持続力・継続力」の大切さを教え、
エジソンは白熱電球を発明するのに、
1万回以上の失敗をしたのに諦めずに続けたからこそ、
今の私たちの生活が変わったんだよ、と例え話をする。
ライト兄弟のキティホークの飛行実験、マルコニーの無線、
もっと遡れば、ガリレオ・ガリレイの地動説さえ、
当時の人達には、受け入れられず、彼が地動説を唱えた、
それを理由に有罪判決を受けたことは有名である。
そんな話を思い出すたびに、巷で大騒ぎしている
「STAP細胞問題」の顛末が気になって仕方がない。
10年後、20年後、もしかしたら50年後、
やはり「STAP細胞」はありました、となった時に、
誰がどう責任をとるのだろうか。
若い女性のユニットリーダー出現で一世を風靡し、
論文の不備を見つけたら、若い女性をみんなでいじめている。
そんな流れが見え隠れして、私には理解できない。
片方では子どもたちに「いじめはいけない」と言いつつ、
もう一方では「堂々と(公然と)いじめをしている」。
こんなことを書いている間に、NHKの取材班が、
彼女を「取材のため」に執拗に追い回し、
全治2週間のけがを負わせる事態となったらしい。
英国・ダイアナ妃の事件(事故)を、もう忘れたのだろうか。
(本当なら、NHK受信料を払いたくなくなってきた・・)
少なくとも「STAP論文」を1度も読んでいない私は、
批判も賞賛もしてはいけないんだろうな、と思っている。
今回ばかりは「小保方さんへエールを送りたい」



2014年07月24日(木)
人ひとりが亡くなるって、もの凄い財産を失うこと

前職場で大変お世話になった方のお通夜だった。
とても気さくで、若い私たちに対しても、
常に笑顔で接してくれた人だったので、
突然の訃報に、驚いたというより、信じ難かった。
体調がすぐれないんです・・と弱気になった時も知っているが、
おかげ様で元気になりました、と会話を交わしたのは数か月前。
この人がいれば、ほとんど任せられるという、知識と技術、
そして、誰にでも優しく接していたコミュニケーション能力。
もう一度、一緒に仕事がしたいな、と思っていたくらい、
私にとって、初めての課長職を影から支えてくれたひとりであり、
もしかしたら、私以上に課員の面倒を見てくれた方かもしれない。
祭壇に飾られた「遺影」を眺めたら、涙腺が緩み、
そのうち、遺影が涙で歪んでしまった。
1人の人間の死は、その人の持っている
「知識・知恵・技術・人間関係・・」を全てクリアにしてしまう。
「次世代に繋いでいく」なんて、言葉としてはカッコいいが、
現実は「人ひとりが亡くなるって、もの凄い財産を失うこと」、
そう気付かせてくれた、若すぎる死であった。
人生の先輩の話を、一度、ゆっくり聴きたかったなぁ。
それにしても「声が耳に残っている故人の葬儀は、辛すぎる」
ご冥福をお祈りします・・・合掌。



2014年07月23日(水)
これが黒田官兵衛の策か・お主が黒田官兵衛か?

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」から。
う〜ん、気になる、この黒田官兵衛の評価。(笑)
「これが黒田官兵衛の策か」「お主が黒田官兵衛か?」
もちろん主人公だから仕方ないけれど、
これから展開される秀吉の功績のほとんどが、
黒田官兵衛の手柄になってしまいそうで・・。
メインイベント「本能寺の変」、
そして当然、官兵衛の助言とされる、中国大返しをし、
山崎の戦いにて明智光秀を討伐後「清須(洲)会議」へと続く。
この一連の流れは、官兵衛の一番輝いている時である。
今の時代と比べるのもおかしな話だが、
一度、二度の成功では、全国に名を馳せるほどの評価が
得られるとは思えない。
一度も会ったこともない軍師の評価が、
こんなにも広まっているのは、不思議な気さえするのは、
いつものように、私がへそ曲がりだからだろうか。
「竹中半兵衛」の方が、もっと評価されてもいいのに。
もしそうならば、誰かが「秀吉の軍師、黒田官兵衛」は
凄く切れる男だぞ、と事前に広めていたのかもなぁ。
あまり評価されてしまうと、事前に研究されたり、
身構えるものだから、どの世界でもやりにくくなるから。
う〜ん、これからどうなっちゃうんだろう、官兵衛。
出家して「黒田如水」になってからの話、
もちろん「水」に関する話があるんだろう、楽しみだな。



2014年07月22日(火)
お財布の 体力をみて 暑気払い

やっと梅雨が明け、これから暑い日が続き体力が落ちてくる。
そんな時、誰彼となく「暑気払い」という単語が飛び交い、
徒歩で通勤している私は、いつでも準備態勢OKなので、
誘われると「じゃあ、ちょっとだけ」となるパターンがある。
2次会、3次会へと続かなければ、翌日に疲れも残らず、
本当に「暑気払い」が「体力回復」に役に立っている。
しかし、もうひとつ気にしなければならないのが、
「お財布の中身」という現実であろう。
先日、ある方が暑気払いの〆の挨拶で、川柳を披露した。
「お財布の 体力をみて 暑気払い」
思わずニヤリで、メモをした。
体や心の体力は回復しても、財布の体力がなくなっては、
気持ちに余裕がなくなり、ストレス発散のままならない。
物事には全て「限度」というものがあるから、
お財布の中身を気にしながら、暑気払いをするのは本末転倒、
そう心に刻んで、この夏の「暑気払い」をしていきたい。
でも・・誘われると断れないんだよなぁ。(汗)



2014年07月21日(月)
無数の魂の爆発が、二千トンの鉄の塊を宇宙へ運ぶ

映画「宇宙兄弟」(森義隆監督)から。
台詞の主は、アポロ11号の人類初の月面歩行をおこなった
オルドリン宇宙飛行士。「Edwin Eugene "Buzz" Aldrin Jr」
ロケット打上げを遠くから眺めていた彼が、
座っていた椅子には「BUZZ ALDRIN」の名が刻まれていた。
彼が主人公に訊く。
「お前さん、あのでかいロケットの動力を知ってるか?
それは『人間の魂』だ。
ロケットの乗り込んだ宇宙飛行士たちの勇気と情熱。
それを支える地上の技術者たち。
彼らエキスパートの英知とプライド。
そして見守る人々の希望と祈り、そして敬意。
そうした無数の魂の爆発が、
あの二千トンの鉄の塊を宇宙へ運ぶんだ。
つまり、お前のその面倒くさい心の内のモヤモヤも、
あのロケットが飛ぶのに少し役立つのさ」
「ところで、あんた誰なんだ?」
「遠い昔に、月を歩いたことがある、しがない老人さ」
このシーンでグッときてしまった。
オルドリンと言えば、アームストロング船長が
人類の歴史に名を残すほど注目された影に隠れて、
「月面に降り立った二人目の人類」という名誉を
「遠い昔に、月を歩いたことがある、しがない老人さ」
という表現をしたことに、私の心が動かされた。
あんな重たいロケットが飛ぶ仕組み、納得してしまった。

P.S.
月面着陸は、1969年7月20日。(昨日だったのを忘れてた)
でも、着陸場所が「静かの海」(今日は「海の日」だから)
まぁ、ネタとしては、タイムリーということで。(笑)



2014年07月20日(日)
コンタクトレンズを捨て、眼鏡、ヒゲ、丸坊主。

長泉町教育委員会・男(ひと)と女(ひと)のチャレンジらいふ講座
メインテーマ「〜見つけよう!本当の自分らしさ〜
『オトナの楽校』で学ぶ、本当の自分を見つける旅!」
講師「(株)ビオファームまつき 松木一浩氏」
演題「自分らしい生き方を見つけよう!」から。
今まで積み上げてきたキャリアを投げ捨てようと考えたきっかけ、
生き方を変えようと思った時の行動は、彼らしいと思った。
東京のレストランなどのサービス業は、ほとんど毎日、最終電車で帰宅。
もちろんその最終電車は満員。それもほとんど酔っぱらい・・
その雰囲気を観ているのが嫌になった、と語り、
東京の生活に行き詰っていたことも、さらっと紹介してくれた。
「どこかで農業でもやりながらのんびり」と当時の気持ちを語りながら、
「こんなこと言ったら農家の人に怒られるよね」と気遣いを忘れない。
「その時、その時、いいと思う方向に進んできた」と照れながらも、
今までの自分を捨てるために、彼が起こした行動は、私を驚かせた。
それが「コンタクトレンズを捨て、眼鏡、ヒゲ、丸坊主」。
今までサービス業として御法度だったものに「挑戦」したらしい。(笑)
転職には、これくらいの覚悟がいるのかも、とメモしながら笑った。
有機野菜のフィロソフィ(哲学)は「ある程度、虫にあげてもいいよね」
そして「種を3粒、蒔きなさい。(全部、収穫するのではなく)
空の鳥のため、土の中の虫のため、自分たち人間のため」
やっぱり、生きるための哲学ってカッコいいなぁ、誰の言葉でも。



2014年07月19日(土)
スパイダーマンって、クモだって知ってた?

映画「そして父になる」(是枝裕和監督)から。
子どもの取り違え事故をテーマにしながらも、
どこにでもいる「父・子」のコミュニケーション、
その難しさを感じながら、メモを振り返った。
物語の前半とラスト、2度に渡って登場したフレーズ、
「スパイダーマンって、クモだって知ってた?」
息子の知らないことを教えてあげるのも、父親の役割。
さらに、息子が自慢げに話すことに、へぇ〜と
驚いてあげることも、父親の役割、と教えてもらった。
「もちろん知ってたよ」と大人の会話をするのではなく、
「ううん・・初めて知った」と答えてあげることが、
子どもの好奇心をくすぐることになるし、
パパの知らなかったことを、自分が教えてあげたという
ちょっとした自慢から、子どもは自信がついていく。
だが、子どもとの時間を最優先する父親は羨ましいけれど、
実際は、仕事を最優先しなければならないのも現実。
だからこそ、些細な会話で子どもとの関係を保つ努力は、
こういった何気ない気遣いが必要になるのだろうな。
もっと早く知りたかったなぁ、こういうことって。(汗)

P.S.
子どもが弾くピアノ曲「チューリップ」がキーワード。
「どの花みてもきれいだな」が、子育ての基本だものなぁ。



2014年07月18日(金)
京都の露天商には、語学が必要

ざっと書き出してみた、今回の家族旅行(京都)。
(1日目) 祇園祭・前祭山鉾巡行
法華宗大本山・本能寺(織田信長公廟)拝観
神幸祭神輿渡御 八坂神社拝殿廻し石段前差し上げ
先斗町で京料理(京都地酒付き(笑))
(2日目) 鴨川(早朝)散策 
鞍馬寺・貴船神社(七夕まつり飾り・水おみくじ)
京都府立植物園・京都府立陶板名画の庭
山寺 後藤美術館コレクション展(バルビゾンへの道)
近いうちに、写真や動画を整理しなくては・・と思うが、
一番驚いたことは、外国人が多かったこと。
近くで会話を耳にすると、ほとんど「中国語」、
台湾やフィリピンらしき音・英語・フランス語の音も耳にした。
(それに比べ「韓国語」は、少なかった気がする(汗))
もっと驚いたことは、たぶん学生時代に考えられない、
露天商の若いつっぱった感じの男の子が、中国語や英語を駆使して、
お好み焼きやフランクフルトを売りさばいている風景。
だから「京都の露天商には、語学が必要」を残しておきたい。
笑ってしまうような会話だけど、その必死さが伝わってきて、
私は、けっこう感激してしまったのも事実。
これから、2020年の東京オリンピックが近づいてくるにつれて、
外国人がもっともっと増えてくるのだから、どんな職業でも
語学が必要になるんだろうなぁ、きっと。
京都の景観政策、外国語表記・・見習うところは見習わなけりゃな。



2014年07月17日(木)
大人の家族旅行の形、見つけました

早々と厚生休暇をいただき、妻・娘と3人で、久しぶりの家族旅行。
目的地は京都、そう、祇園祭に合わせて1泊2日、京都の旅。
もちろん、メモ魔の私は書きたいことがいっぱいあるけれど、
一番の収穫は「大人の家族旅行の形、見つけました」ってこと。
子どもが小さいと、子ども中心に計画された旅行になるけれど、
子どもが大きくなるにつれ、なかなか家族旅行もままならない、
そんなモヤモヤがあったけれど、今回の旅行でヒントを掴んだ。
娘と親は当然「年齢」が違い、妻や娘と私は「性別」が違う。
もちろん、3人とも性格や行動パターンも同じとは言えない。
そんな些細なことが原因か、必ず、誰かがイライラしたり、
ケンカ腰の会話になってしまったりして、どこか負の部分を抱え、
思い出話に花が咲かないのが、今までのパターン。
だからこそ、今回は楽しかったねと言える旅行を、と考えていた。
「1日目はみんな一緒に行動し祇園祭を堪能し、先斗町辺りで夕飯。
2日目は、別行動。帰りの新幹線のホームで待ち合わせね」
そんな旅行ができるのも、大人だけの家族旅行ならでは・・と
気付いた。(結局は、妻と娘は一緒に行動したらしいが・・(汗))
帰りの新幹線で、これまた自由に買ってきた駅弁や夕食を、
口に運びながら「今日はどこへ行ってきたの?」と訊かれ、
写真や動画を見せながら、得意げに説明することも出来た旅行。
このパターンの家族旅行、もう少し続けてみようかな。



2014年07月16日(水)
同じ話でも、テーマが違うと気付きも違う

隣町で「男女共同参画社会」関連の講演会があり、
講師が「ビオファームまつき 松木一浩さん」、
演題「自分らしい生き方を見つけよう!」だったので、
夜7時からだったが、参加させていただいた。
ほんの数ヶ月前に彼の話を聴いて、多くの気付きをもらい、
「畑の一年を伝える」「畑の仕事をライブで伝える」という
コンセプトの話題で、気になる一言を書いたばかりだったのだが、
彼の気さくな話し方に惹かれ、もう一度聴きたい、と会場に入った。
そこで私は、今までにない経験をすることになった。
講演前に「前回のお礼」を含め、軽い挨拶を交わした時、
「前回と同じ話ですよ」という彼の言葉を信じず、有機農法といった
全く違うジャンルをどう結びつけるのか、とても関心があった。
もちろん、話す時間も対象者もテーマも違うのだから・・という
私の思い込みもあったが、彼は前回と同じく、笑顔を絶やさず、
ほとんど同じ内容を、丁寧に話してくれた。
そして帰宅後、メモを整理し講演内容を振り返ってみると、
前回とは違ったフレーズのメモが溢れていた。
この驚きは、何十年前に楽しんだ、映画や書籍の感想と、
現在鑑賞し直したり、読み直した時に感じる違和感とは、
明らかに違う気がする。まだ数ヶ月前に聴いた話だから・・。
だから「同じ話でも、テーマが違うと気付きも違う」を残そうと思う。
今日の講演の気付きは、また近いうちに取り上げたい。
講演会って、聴講する側の意識が、大切ってことなんだなぁ。
また1つ、面白い「講演会」の楽しみに気付いちゃった。(笑)



2014年07月15日(火)
約1000年間、芸術のモチーフになっている「富士山」

日本大学国際関係学部・市民公開講座(平成26年度上期)
統一テーマ「富士山 世界遺産登録とその魅力」
講師「日本大学国際関係学部教授 神山眞理氏」
演題「絵画にあらわれる富士山」から。
様々な年代の様々な画家の富士山をスライドで紹介しながら、
「発見しながら、観てもらいたい」と話し始めた。
配布された文字資料は「家に帰ってから思い出すため」と
会場の電気を暗くして観た「富士山の画像」は迫力があった。
鎌倉時代の富士山図から現代まで、本当に多くの画家が、
自分の想いを筆に託して、描き続けている。
江戸時代を代表される、葛飾北斎・歌川広重などの版画も含め、
どのように「富士山」を表現したのか、大変興味があった。
もちろん、絵画だけでなく、文学・音楽・工芸等、
その表現方法は、多角的に広がっている。
近年では、写真や映像といった「デジタル表現」も加わり、
その魅力は、これからも続くと思われる。
「約1000年間、芸術のモチーフになっている『富士山』」は
世界にも珍しい山と言えそうだ。
これが「世界文化遺産」となりうる根拠であり、
日本人の誇りとして、これからも作品が残されていくだろう。
文化芸術の専門家が残した
「日本の場合、四季が文化を作ってきた」のフレーズは、
一年中、文化が堪能できることを気付かせていただいた。



2014年07月14日(月)
柿田川で、冷た〜いと思うの、すごく大事だと思うよ。

講師「地元出身の絵本作家・宮西達也氏」
演題「絵本の世界を通じた豊かな心づくり」から。
母校での講演は初めてなんですよ、とちょっと照れながら、
1部「低学年(1〜3年)」2部「高学年(4〜6年)」を対象に、
自作の絵本の読み聞かせを交え、楽しい時間を過ごした。
作品「うんこ」では、「みんなで、ここでしてみようね」と言い、
「せぇの・・う〜ん」と大声で、その真似をしてみせた。
そんな話の中で、彼の作品のほとんどは、自分が小さいころに
遊び親しんだ、柿田川をはじめとした清水町の自然が、
大きな影響を与えていることを、子どもたちにもわかるように
丁寧に、そしてゆっくりとこう話した。
「柿田川で、冷た〜いと思うの、すごく大事だと思うよ」
「きれ〜い」ではなく「冷た〜い」という感覚の大切さ、
これをしっかり伝えていて、すごいなぁ、と感じた。
柿田川の河岸を教材園としてもつ小学校だからこそ、
この言葉は、子どもたちの心に残っていて欲しいし、
大人になった時、自分の原風景として、柿田川を思い出して欲しい。



2014年07月13日(日)
親分のいない「Remyの会」

妻の知人が出演するというので、一緒に足を運んだ音楽会。
ピアノ演奏を中心に、ソプラノ独唱・ハープ演奏などもあり、
久しぶりに、生の楽器の音を耳にして、癒された。
メンバーは、音大を卒業してから、結婚・子育てといった、
普通の生活に追われながらも、音楽を身近に置き、
今は指導する立場になっても、いつまでも勉強しましょうよ、
そんな前向きな気持ちを持った女性たちばかり10人。
私が気になったのは「Remyの会」という会の名前。
「レミー」と言えば、映画「レミーのおいしいレストラン」を
思い浮べたが、音楽家たちが「レストラン」というのも妙だし、
きっと「どこか外国の作曲家?」程度の想像しか出来なかった。
ところが、演奏終了後に「Remyの会」の説明があった。
音楽家だから「ドレミファソラシド」という音階の一部らしい。
それなら「ドレミの会」でも良さそうだが、そこで一ひねり。
「ド」という音符の親分みたいな存在がいない、
みんなで切磋琢磨して、一生勉強していきましょうという意味で
「レミの会」・・「Remyの会」と名付けたようだ。
う〜ん、奥が深いなと、嬉しくなってメモをした。
会の名前は、飲食店の名前と同じくらい興味関心がある私は、
「何か意味があるんですか?」とついつい訊いてしまう癖がある。
そう言えば、私が長年、賛助会員として参加させていただいている
「働く女性の会 A.T.G」も「明るく、楽しく、元気よく」の略。
会の名は、参加メンバーを想像させる大切なファクターだな。

P.S.
「音符の『ド』は親分的存在」って発想、これには笑えた。
私には、この視点は全くなかったから・・(汗)



2014年07月12日(土)
カタカナの「ト」の字に「一」の引きようで

自分の名前に関係しているからか、以前から気になっていたフレーズ。
「カタカナの『ト』の字に『一』の引きようで
『上』になったり『下』になったり」・・・
文字数からいうと「短歌」なんだけど、川柳のように、
ちょっとひねくっているところが好きある。
最初に耳にしたのは、落語の演目「目黒のさんま」だったかなぁ。
上手いことを言うなぁ、とメモしたのを覚えている。
だから「世の中は「中」がいい。「中」という字は口を書いて、
上下へ棒が抜けてます。だから上下へ口がきける」と解釈するのだろうが、
「一」の字は、心の置き場所、という言い方も出来る。
自分が、どこに「一」を置くかによって、その人の気持ちが表現される。
「ト」の字の上に「一」を引いたら「下」、下に「一」を引いたら「上」、
この正反対の結果が、私には面白くてメモをした。
本人は、上から目線のつもりでも、周りの者からは「下」の評価、
逆に、自分の心を下に置くと、周りの者からは「上」の評価が得られる。
「実るほど 頭(こうべ)を下げる 稲穂かな」
「下がるほど 人は見上げる 藤の花」
昔の人は、こんな表現が本当に上手く、いつも感心させられることばかり。
「上の人は下の気持ちがわからない」「下の人は上の気持ちがわからない」
そんな使い方だけは、したくないなぁ。



2014年07月11日(金)
カードを読め、賭けをするな

映画「ラスベガスをぶっ飛ばせ」
(ロバート・ルケティック監督)から。
私には、その仕組みがどうもわからなかったけれど、
ラスベガスのカードゲームで儲けるには、
掛けてはいけないようだ、「カウントする」らしい。(汗)
(本当に、最後まで理屈がわからなかった)
「カードを読め、賭けをするな」
ラスベガスへ行って「賭けをするな」ってフレーズが
どうも気になって・・。
どうやら、ご法度を破った戦法らしい。
「負けは許す、失敗は許さん」この言葉が、裏付けている。
勝ちっぱなしもおかしいし、相手のカードによっては、
いくらカードを読んでも、負けてしまう。
だから「負けは許す」。
しかし、儲けるために組織で動いているのだから、
感情に左右された個人の「失敗は許さない」。
「ブラックジャック」の深さが、ちょっとわかってきた。



2014年07月10日(木)
「自分史」できました。

ここ数日の間に、立て続けに同じセリフを耳にした。
それが「『自分史』ができました」
高齢の女性が、わざわざ職場まで届けてくれたので、
気になる一言に残そうと思う。
以前から「生きた証を形にして残しましょう」と言い続け、
「自分史の書き方」なども、アドバイスをした記憶が蘇った。
今回、ある女性は、出版という方法で「形」にし、
またある女性は、すべて手作りで印刷・製本するという方法で
みごと「形」として残してくれた。
「未完成作品をたくさん持っているより、完成品をひとつでも
もっている方が素敵ですよ」という話をしたことを思い出した。
嬉しかったのは、それを報告に来てくれたこと。
「先生が、後押しをしてくれたから・・」そんな台詞もいただいた。
アドバイスを実行するかしないかは、助言を受けた方の勝手だから、
私は、ただ見守るだけだったのになぁ。
いや今度は、作品を読んで、感想を伝える楽しみが出来た。
もっともっと「自分史」を書いてくれる人が増えるといいな。



2014年07月09日(水)
生3つ。からあげ、枝豆、串盛り、ああ、煮込みも。

映画「ある夜のできごと」(鈴木聖史監督)から。
主人公が誰なのか、何を伝えたいのか、いろいろな意味で
わからないことが多い作品だった。
男3人が故郷で集まっても、よほどのことがない限り、
平凡に、そして普通に、なんとなく時間が過ぎていく。
どこにでもある風景を切り取ったに過ぎない気がしてならない。
だからこそ、32歳の男3人の居酒屋の会話を、一言にした。
畳に座って、おしぼりをいじりながら、メニューを見る。
たぶん、メニューを見なくても、店が違ってもこの台詞だろう。
「生3つ。からあげ、枝豆、串盛り、ああ、煮込みも」
「このラインナップは外せないよね」
「玉子焼き、漬物の盛り合わせ。シーザーサラダ」
メモしながら、自分でも可笑しくなった。
私たちも、ほぼ同じパターンの会話をしているからだ。
55歳は歳を重ねた分、ビールのお代わり時に、
「もう一杯ビール」「俺は、焼酎に変える」「冷酒」と分かれ、
あとはマイペースで注文していくのであるが・・。
う〜ん、だからタイトルが「ある夜のできごと」なのかな。



2014年07月08日(火)
七夕前日の雨を、洗車雨(せんしゃう)と呼ぶ。

京都・貴船神社のfacebookで知った「七夕」ネタ。
(「七夕」と「ネタ」って、なんだか形が似ているなぁ)
今年の「七夕前日」(7月6日)も、雨が降っていたが、
この記事を読んで、前日の雨も悪くないなぁ、と感じた。
「七夕前日の雨を、洗車雨(せんしゃう)と呼ぶ。
彦星が織姫を乗せる牛車を、
一年に一度の逢瀬に備えて洗っているのだ、という。
その激しい水しぶきが、貴船神社にも降り注いでいる」
私も、週末ドライブに行く前に「洗車」したいタイプ。
せっかく行くのだから・・という想いが先に立つから。
ただ車は洗車するのに、自分の服装はビショビショで、
出かける前に、もう一度、着替えることもしばしば。
私が気になっているのは、そんな男性(彦星)の気持ちが、
女性(織姫)に伝わっているだろうか、ということ。
ファッションだけでは語れない、男のこだわりの部分、
男って、意外なところに時間とお金をかけるんだよ。
ドライブ用に彼女の好きな曲を編集してテープに吹き込む、
なんて、今じゃ考えられないんだろうなぁ。きっと。

P.S.
「洗車雨」って、俳句の季語になっているだろうか。



2014年07月07日(月)
「サラダ記念日」に「俳句」の話題ですか?

「やっぱり、気がつきました?(笑)」って返信したけれど、
コアな読者がいるもんだなぁ、とひとりで苦笑いとなった。
夕食後は、NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」を観るだろうし、
今日は早目に「気になる一言」を書いちゃおうとPCを起動。
フレーズだけを「瞬間冷凍」した、ネタの倉庫を探ったら、
目についたのが、昨日の「俳句ネタ」。
毎回メモしたフレーズを整理しながら、言葉に肉を付けて、
なんとか、読んでもらえる程度の「一言」に仕上げるのだが、
実は、俵万智さんの有名な短歌
『「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日』
をモチーフにして、何か書こうと思ったけれど、思いつかないし、
私が作る「短歌」って、どうしても説明になってしまい、
自分が口にしても面白くない。だから敢えて(こっそり)
「俳句ネタ」にしてみたら、気付かれてしまった。(汗)
届いたメールが「『サラダ記念日』に『俳句』の話題ですか?」、
私のことだから、きっと「短歌ネタ」ではないかと期待したら、
フェイントをくらい笑っちゃいました・・と付け加えてあった。
そうか、それなら今日は「七夕ネタ」を予想してるんだろうな、と
またまた、外そうと思う。(笑)
だけど、そんな読み方をしてくれる読者がいることは、嬉しい。
「気になる一言」のネタを予想して、当たれば喜び、外れれば苦笑い。
私は、こういう読者に支えられて、20年も書いているんだなぁ。

P.S.
(メールのお礼に「短歌」のつもりが「都々逸」になってしまいました)
「顔も名前も 知らないけれど 「メル友」という 友がいる」 



2014年07月06日(日)
俳句は、引き算の、余白の文学です。

ある新聞で見つけた「俳人・黛まどかさん」のインタビュー。
同じ俳人の鈴木真砂(まさじょ)さんが、
「俳句は、懸命に日々を生きる庶民の傍にいつもある」と
記したことも紹介し、俳句が身近な文学であることを伝えていた。
そして、私がメモしたコメント。
「俳句は、引き算の、余白の文学です。
今の日本は、利便性を追求し、経済優先ですが、
それが本当の豊かさだとは思いません。
日本の『引き算』の文化を世界に発信すべきだと思います。
儲かればいい、という発想が支配的ですが、
足し算で日本は取り戻せません」と。
う〜ん、なるほど・・俳句は、世界で一番短い文学だけど、
それは、削りに削って、その想いを17文字に込める、
その文字間・余白にも、雰囲気・情感が感じられる
それを「引き算の文学」と表現したところが、素晴らしい。
その「俳句」に代表される日本の文化も「引き算」と例え、
今の日本に必要なのは、イケイケどんどんの「足し算」ではなく、
本当に必要なものを慎重に吟味して残し、
あったら便利だろうな、というものを削っていくこと。
そこに残ったものが、きっと明日の日本を支えてくれる。
そんなことを感じて、この記事を読み終えた。



2014年07月05日(土)
「戦争反対」・・「だから、賛成」「だから、反対」

「集団的自衛権の行使」について、日本国内が揺れている。
気になっているのは「戦争反対」という想いは同じなのに、
「だから、賛成」という人と「だから、反対」という人がいること。
昨日紹介した「軍師 勘兵衛」の決め台詞「道は一つではありません」、
富士登山道も、幾つかの方向から頂上を目指すのと似ている。
誤解ないように前置きすると、私が心配しているのは、
多くの国民の一方的な「賛成・反対」の主張ではなく、
マスコミ各社の論評がほとんど「だから、反対」ということ。
どこかのマスコミが「だから、賛成」という主張をするのであれば、
論議の対象となるが、一方的な偏った報道は、情報操作を疑いたくなる。
へそ曲がりとはいえ、元来、議論とはそういうものだと認識している。
そんな考えを前提に、私は「だから、賛成」派。
判断の基準は、2014年04月24日(木) の日記に書いた
「アメリカ抜きに『戦後日本』は成立し得なかった」に基づく。
書籍「『永遠の0』と日本人」(小川榮太郎著・幻冬舎新書刊・259頁)で
著者が「我々日本人は『平和憲法』のおかげで、平和が続いたという
フィクションを信じ込んでいる」と主張する考え方に近いからだ。
さらにこう続く。「平和を守っているのは、その平和主義とは全く関係のない
アメリカの核兵器だ。そして、アメリカの軍事力に信用を与えているのは、
アメリカが世界中で保安官の役割を担い、アメリカの若者が絶えず、
外地で死に続けている事実だ。つまり、邪悪な兵器であるはずの核と、
アメリカの若者の血が、日本に平和を与えている、これが現実なのである」
この解説が、今の私の気持ちに近い気がする。
今の時点で「戦争反対。だから、賛成」という立場に一票を投じたい。

P.S.
「語る」ということは、人の意見をそのまま「言」うにするのではなく、
一度、自分で呑み込んで「吾」の考えを加えるから、漢字が示すように、
「語」という字が出来上がっている。是非、自分の意見を語って欲しい。



2014年07月04日(金)
道は一つではありません

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」から。
「平清盛」や「八重の桜」の時もそうだったが、
毎回メモしていると、なんとなくであるが、
全体を貫いている考え方が見えてくる気がする。
前半は「命を無駄にするな」「命を粗末にするな」
「生き残ってこそ」・・などの台詞が多かったが、
軍師・官兵衛として、調略する時の決め台詞は、
「道は一つではありません」
「調略」とは、辞書によれば
相手を味方(あるいは中立)にするための働きかけ。
相手を陥れるためにする働きかけ「謀略」とは違う。
この「調略」こそ、軍師の大切な役割であり、
敵の裏をかく奇抜な戦略で戦を勝ち抜いていくのとは
ちょっとわけが違う。
そう考えて、今までのメモを読み返してみると、
意外と「道は一つではありません」を使っている。
目的は同じ、ただ、それを得るための手段が違うだけ。
そういえば「目指すところは同じだよね」という視点、
私も、よく使う気がする。(汗)
会話から想像すると「軍師向き」なのかなぁ。(笑)



2014年07月03日(木)
歴史は戦いを記憶し、流した血を忘れる

映画「リンカーン 秘密の書」
(ティムール・ベクマンベトフ監督)から。
邦題に惑わされて、リンカーンに関する作品と勘違い。
原題の「Abraham Lincoln: Vampire Hunter」だったら、
吸血鬼大嫌いの私は、観ることがなかっただろう。(汗)
おそるおそる観ていたにしては、メモは多く残り、
作品中、何度か流れるフレーズを、頷きながらメモをした。
「歴史は、人そのものより伝説を好む。
残虐さより気高さを好み、人知れぬ行為より、声高な演説を好む。
歴史は戦いを記憶し、流した血を忘れる」
このフレーズは、ヴァンパイヤも形を変えて口にする。
「歴史はお前を人ではなく、魔物として記憶する」と。
さらにラストシーンで、リンカーンが演説する時、
「歴史が私について、何か記憶するとしても、
それらは真実の断片にすぎない」と「歴史の記憶」について
要所要所に散りばめられている気がした。
今まで長い歴史の中で、何度となく繰り返されてきた戦いは、
歴史の教科書に、文字として記憶されている。
その戦いで失った、幾万もの命については、統計の一部として、
「〜万人戦死」という数字と文字に化けるだけだ。
歴史は、試験のための暗記ではなく、それが起きた時代背景や、
どんな人物が、どんな場面で関わって、どんな負傷をおったなど、
もう少し、血なまぐさい「歴史博物館」があると、
また違った角度から、歴史を考察できる気がしている。

P.S.
「記憶」と「記録」・・この使い方にも関心が残った形となったが、
たぶん「歴史の記録」という単語はなかったと思う。



2014年07月02日(水)
週に1度は「Google Earth」(グーグルアース)

「Google Earthなら地球上のどんな場所へもひとっとび。」
こんなフレーズでお馴染みの「衛星写真、地図、地形など、
楽しいコンテンツが満載のソフト」だが、
読者の皆さんは、どんな利用をしているだろうか。
私は、週に1度は必ず、スマホで起動して楽しんでいる。
「そんなに行きたいところ、探したい場所があるの?」
と思うだろうが、実はあまり利用していない。(汗)
お気に入りは、起動のオープニング画面。
暗闇に浮かび自転している「地球」から、私の自宅まで、
一気にズームアップしていく様子が、たまらなく面白い。
自分って、こんなちっぽけなんだ・・と感じながらも、
だからこそ「自分の悩みもちっぽけなんだ」と思える。
逆に、こんな広い地球の中の「日本」という国に生まれ、
今、こうして生きているという事実はとても不思議であり、
だからこそ「一所懸命生きなければ・・」とも思える。
何を考えるにも、鳥の視点と言われる「俯瞰」は大切だが、
もっと高い位置から見た「宇宙船」の視点も大事にしたい。
「週に1度は「Google Earth」(グーグルアース)」
このフレーズを、記録に残しておこうっと。



2014年07月01日(火)
いいお湯・・遠くを見ることなんて忘れてた

映画「阿弥陀堂だより」(小泉堯史監督)から。
寺尾聰さん、樋口可南子さんの夫婦役を軸に、
おうめ婆さん役の北林谷栄さんなどが加わり、
なんともいえない、ゆったりとしたリズムが全編を包む。
さらに、喉の病で喋ることの出来ない娘・小百合役を演じた、
初々しい小西真奈美さんが、おうめ婆さんから聞いた話を
「阿弥陀堂だより」として文字にする設定は、まさしく私好み。
タイトルの「阿弥陀堂だより」は、作品の中では「5作」。
どれも素敵な文章で、甲乙つけがたいので、紹介は後日。(汗)
気になる一言は、冒頭、樋口可南子さんが露天風呂で呟くシーン。
本当に気持ちよさそうに、そしてリラックスした感じで
「いいお湯・・遠くを見ることなんて忘れてた」。
お湯に浸かりながら目の前に広がる信州の遠景。
どれほど、彼女を癒しただろうか、と羨ましくなった。
自分を振り返ると、たしかに最近、遠くの景色を見ていない。
遠くを見る、それだけで緊張感がとれることを、
この台詞で思い出された。
木版画家・前田光一さんが作り出す風景とそっくり、
そんな視点で眺めてしまった。
さすが、長野県。派手さはないが、久しぶりの「秀作」だった。