***心コロコロ***
風の吹くまま、気の向くまま、心のままに。


2003年01月29日(水) 母乳の味は?


つい先日、某新聞に「母乳には和食で質素な食事が良い」みたいなことを書いていた。

つまり、ご飯に味噌汁・・・というのが一番なんだろうな。

水分をマメに採らなければならないことも然り。

何人かのお友達に、母乳がよく出る食べ物を聞いてみた。

実に様々であった。

甘いものを食べると甘いおっぱいとなるらしい・・・

味見はしたことないので分かりませんが、確かにそういう匂いはする。



カフェインもダメ。

辛いものもダメ。

アルコールなど、もちろんダメっ!!

脂っこいものも避けましょう・・・などと、

制限されていることの方が未だ多いじゃないか?!と思うのだが、

やはり子供のためには母乳が一番だし、今しばらくの我慢か。。。





退院してから家で臍の緒の消毒をしていたのだが、

昨晩やっと取れた!!

ちょっと遅いから心配だったのよね、、、

ちゃんと保存しておかないと。

少し男顔になってきたぞ♪

・・・・と同時に、下膨れの顔になりつつある。








2003年01月27日(月) 週末は眠れない・・・  《初めての通院》


退院して二度目の週末であった。

みんながぽん太の居る所に集まるものだから

ゆっくり眠れない、、、、

朝昼と一時間づつぐらい目を開けて遊ぶようになった。

まだ授乳時間は2〜3時間おきとマチマチだ。





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退院後、ぽん太の検診は4日後、わたしは6週間後に予約を入れるようにと言われていた。

ずいぶん早いと思ったけど、通院してるときに生まれたばかりと思しきベビーを何度も見たもんなぁ。

連れて行ってみれば、黄疸がちょっと気になると言われ、血液検査をすると。
そして、第一回目のB型肝炎接種を受ける。


採血の数値次第では明日もう一度来てね・・・と言われ、結局3日間採血に通った。母乳も制限されたりして辛かった。

結局「大丈夫でしょう・・・」と言うことになったのだが、とても精神的に悪かった。




検診の折、子供の血液型が分からないのかと聞いてみた。

アメリカでは、血液検査は希望しないとしないらしい。

だから、自分の血液型を知らない大人は何人もいるよ・・・と。




黄疸騒ぎが落ち着いて、次は2ヶ月検診に来てくださいとのこと。

そんな先なの?!って感じ。

そしてそのときはまた予防接種を何本か・・・・の予定。

ポリオは経口ではなく注射らしい。

可哀想だぁーー・・・・



この通院騒ぎの最中、母もダウンしてしまった。

昔の持病の狭心症が疲れで出てしまった。

退院後2日目から動かざるを得なくなった。

早産騒ぎから出産後までも、と悲しくなった。

両親には先週で日本に帰国してもらったので、パパと姫太郎と三人で頑張るしかない。

食べて寝ること。

そんな単純なことが困難であった。

みんなクタクタであった。

ぽん太の笑顔に何度も救われた。











2003年01月24日(金) 予定日は今日だった・・・  《退院編》


予定日は今日だったのよね・・・

この日までお腹にいたら、どんなに大きくなってたのだろう。

小さくてもあの痛みだったのだから、って思うと早く生まれてくれて良かったが、、、

少しずつポッチャリしていってるのが目に見えて分かります。

よく飲み、よく眠ってくれるほうだと思う。

姫太郎のときは、飲まなかったからなぁー・・・・





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陣痛促進剤を使わずに自然に産めて良かったと思った。

タダでなくても、早産で入院した時にキツイ薬をバンバン投与されていたんだから。

小さくても自然に・・・


出産後母子ともに後処置が終わったら、どんどん部屋が元の通りに片付けられ始め、

蓑虫のように包まれたぽん太(仮称)を胸に抱かせてもらった。

小さくても私にはどっしり重みを感じた。


「おっぱい、あげますか?」


ナースの呼びかけに、「もう上げてもいいの?」「出るかな・・・」

という不安を抱えながら、恐る恐る授乳した。

誰に教わったわけでもないのに、上手におっぱいを吸った。

「すごい!!」

はははっ、、、、私のほうが新米者のようだ、、、

手つきもアブナイッてっ!!


「バスルームにも行って下さいね。もうすぐリカバリールームに移動するから・・・」


もう立って動かされるんだ!?

聞いてはいたけど、本当に早くに動かされると思った。

痛かったら痛み止めも上げる・・・って、まさに回復早めるためのことはなんでもって感じ。


そして、また車椅子に乗ってぽん太を膝の上に抱き。上の階へ移動。

こうして、処置ごと、階ごと、部屋ごとにどんどんナースは変わっていく。

前の入院で慣れたけどね・・・

ここで退院まで母子同室。

ナースと言えど、ちゃんとIDカードを持った人以外にベビーを渡さないように・・・と何度も注意を受ける。

ベビーと私の両方にいろんなチェックが入るため、度々ナースやドクターが出入りしてゆっくり眠ることも出来ない。

日本人学校が終了後、姫太郎と両親を連れてパパが再度病院に来てみんな帰宅してしまったら、

初日から本当にぽん太と二人っきりにさせられてしまった。

日本で母子同室の病院が増えてきているらしいが、

初日ぐらいゆっくり眠りたい、と思ってしまう。



翌朝、朝食後ボォー・・・っとぽん太を眺めていたら、

担当だったドクターが覗きに来てくれた。

「どうしたんだぃっ???」

予定通り入院してるかな・・・と当直に来てみれば

もう産まれました、とナースから報告を受けたと。

“I don't know !!"



ほんとぉーーーーに、アイドンッノォーーー!!だよ、、、、

私が聞きたいくらいだ。

「今日、退院したいかぃ?」



翌日なら月曜日。

本来なら明日までいたほうがいいのだろうな。

だけど、そうするとまたパパは会社を休まなくてはいけないし

家のほうがゆっくり眠れる気がしたので、帰ることにした。

食べるものも合わないし。



朝早くから駆けつけてくれたパパと退院時の手続きを進めながら

それでも退院できたのは午後一時を廻っていた。

初めてのドライブ・・・・親の方が緊張した。



Welcome home !!



しかし、4日後にいきなり検診である。













2003年01月23日(木) 回想録 《出産編》


1月10日、出産した前日は検診日で、ドクターと相談の結果、

度々の進まない陣痛に不安が付きまとうものだから

「明日、入院して産みますか?」

という話になっていた。

検診時の病院と産院となる病院は別々なのである。

産院の病院は、家からハイウェイに乗って約30分。

パパがいるときなら兎も角、居ない時にはどぅーーしょーーという気持ちで一杯だったから。。。


家に帰って、「明日産むのかぁー・・・」なんて思いながら

いつものようにベッドに入って休んだら、夜半2時半頃急激にお腹が痛くなり、

痛いと思っていたら、破水のような・・・

トイレに往復しつつ身支度を整え、今度は間違いないと思いながら病院に向かった。

間違いないと思った陣痛の強さは強く、時間は既に4分間隔だったし

こんなに痛みが早く強くなっていいのかな?という感じたった。


病院に着いてまず尿を採り、モニターを付けられ内診したら4センチ開いてるとの事。

陣痛が来たらもう余裕も何もなく、麻酔を早くして・・・と願うばかりで。

すぐに分娩室に移動しましょう、と車椅子で移動。

たぶん水分補給の点滴を付けられ、無痛分娩に際する書類にサインしろだとか何とか・・・

そんなことより、先にドクター呼んでくれぇ〜〜、、という感じ。

そうこうしてるうちに、どんどん痛みが強くなるわ、自分でもお産が進んでいるのが分かるって言う感じで、

その時もう10センチ開いてるって、、、(@_@;)

ということは・・・・???







「麻酔できません・・・・」







非情なるナースの言葉、、、(ノ_・。)ぐすん。。。







このまま自然分娩するなんて約束が違うぞっ!!

なんて、誰に当たっていいのかも分からず、

パパに「嫌だ、嫌だ」と泣きながらの陣痛との戦いであった。


いくら経験者であったといっても、この産む痛みは何度も味わいたくない痛みだ。

そして何度も言うように、私は極端に傷みに弱い。

痛がりの怖がり・・・なのです。



そのうち、部屋の中はすっかりベビーを迎える体制が整えられ、

ドクターはジッと黙ったまま冷静にベビーの登場を待ってるし、

ナースたちは“PUSH!PUSH!!”と急き立てるし、

私は内心もう少しゆっくり産ませてよ、、、と考えてるし、

パパは「息吸ってっ!!」と簡単に言うし、、、、





そんなこんなで・・・病院に入って約3時間で生まれました。。。

張り止めの薬を使っていたため、薬を中断した場合

急に陣痛が来ることがあると聞いていたし、

私の場合はかなり早くからベビーの頭が下がっていたから

お産が早く安産(?)となったのだろうけど

やっぱりこんなことはもう二度と嫌だ!!

と、もう3度はないにも拘らず思ってしまった次第で。




無事に産まれたベビーは、小さいながらも大きな声の男の子だったのでした。





















2003年01月18日(土) 生まれました、、、、


まだバタバタしてますので、とりあえずご報告。。。

1月11日、午前6時3分。

2690gの男の子が生まれました。

小さいながらも元気です。

出産のときの感想は・・・・







痛かったよぉ〜〜〜、、、、、、、、、、(ノ_・。)













無痛分娩、間に合わなかったんだよ、、、









2003年01月09日(木) 参った、、、、


まだ、生まれてません。



一昨日ぐらいからお腹に痛みを覚えるようになって、

薬も飲まなくなったし、「いよいよか?」と思うのと

早産の恐れがなくなって喜ばしいことと同時に

両親の長期滞在に疲れも見えたり・・・

みんな、待ち遠しいのよ、、、



昨晩は、深夜一時から一時間もお腹が痛かったものだから

車走らせて病院に行ったのに、陣痛の感覚がまだ長いから・・・

と、帰らされてしまった。

期待に反して、陣痛が進む様子もなく、ガックリ。


緊張と疲れと寝不足で、今日は一日眠かった。



みんなをハラハラドキドキさせて、どんな顔で出てくるのだろう?

それよりなにより・・・・

気疲れで母は参ってしまいそうだよ、、、(ノ_・。)














2003年01月01日(水) あけまして おめでとうです。


あけまして おめでとうです。

昨年は、思いがけない妊娠により

最後までハラハラさせられた一年だったような。


久しぶりに家で過ごした年末年始は

両親と過ごせたこともさながら

紅白で中島みゆきも見れた幸せと

お雑煮の美味しかったこと・・・(o^-^o)


こんな落ち着いたお正月もしばらくは無理だな、もう。。。




何もないと思うことが

悪いことではなく

何もない故に

気付かされるものを

見落とさないことのほうが

大事だと 思う




あと もうひと踏ん張り。




もくじ過去次の日の日記


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