ぶつぶつ日記
DiaryINDEXpastwill


2004年10月31日(日) 若者よ、家族を泣かすな。そして想像力を持て

今回、イラクの人質事件については、ほとんど言及していませんが・・・。
こういう結果になり、とても残念です。

1つ思うのは、プロのジャーナリストでもない限り、
やはり、家族に心配をかけたり、泣かせたりすることは、
やめようよ、若者、ということ。
以前亡くなった外交官の方々や、橋田さんの場合、
仕事として、職務を全うしていた中での被害であり、
また、旧拉致られ衆の人たちも、
それぞれ、すでに自分の活動の場を持っている中での事件。
少なくとも、「自分探し」だの、
「見なくてはわからない。」といった、
若者特有のセンチメンタルな感情では、
行って良い場所と、だめな場所があるということ。
他人を救う前に、家族を泣かすな。

そして、現地に行かなければわからない、
という言葉を全てに当てはめるな、と言うこと。
戦地について、確かに行かなくてはわからないだろう。
百聞は一見にしかず。
けれど、人間は、全てを実際に実体験しなければ、
何も理解できないものなのだろうか?
否、と私は思う。
想像すること。
そして、その想像の中で他人の痛みを思いやること。
そこから、自分の出来ることを、具体的に探すことはできる。
多くの人が、そうして、自分の活動の場所を見つけてきた。
見るだけでは、探せないものも多いということ。

失った代償は、あまりにも大きく、
家族に残された悲しみも、計り知れない。
家族を、泣かすなよ、本当に・・・。


2004年10月29日(金) 残酷な現実

新潟地震の3歳のお姉ちゃんは、結局死亡が確認された。
現場の状況から、遺体収容も一時中断されるという。
被害者の方とは縁もゆかりもないが、
それでもやはり、とてもつらい。
たった一人で、これからまたしばらく、
助け出されるまで1人でいないといけないのだ。
命はすでになくても、そういうイメージが頭をよぎる。

もちろん、現場の様子を見ていれば、
救助隊の方々の危険性もわかる。
救助隊の方々にも家族がいて、
自分の子供たちの姿と車の中に閉じ込められている子の姿がだぶり、
きっと、早く助け出したいという気持ちを持っているだろう。

災害とは、なんと残酷なものだろうか。
「断腸の思いだが、関係者の方々には深く感謝をしています。」
という祖父の言葉が、胸をえぐる。


2004年10月28日(木) 消えない命

土砂に覆われたほとんど見えない車体、
誰も、希望すら持てないような状態から、
小さな命が助け出された。
4日ぶり。
お母さんは即死だったという。
極限の中で、その小さな命は、どうやってつながっていたのだろう。
陳腐な言葉だが、奇跡と言う言葉しか、思いつかない。

どんな時でも、どのような状態でも、
助かる命があり、
私達の希望をつなぐ。
かすかな希望をつなげて、私達は生きてきた。
そしてこれからも、生きていく。



2004年10月27日(水) 必要最低限の情報

イラクに行こうとする人間が、イスラエルに先にいっているか、おい。
必要最低限の情報くらい、きちんと把握してくれ!


2004年10月26日(火) 何度も、何度でも

それにしても、この10月ほど、日本って言うのは災害大国・・・・
と思ったことは、最近なかった。
相次ぐ台風の被害、その上地震。
避難生活に追い討ちをかけるように、また雨・・・。

三宅島の全島民離島って、まだ解除されてなかったっけ?
浅間山の噴火って、結局どうなったの?

思い出そうとすると、次々と自然災害の被害が出てくる。

日本語の別れのあいさつ「さようなら」が、
「そうならば・・・(仕方がない)」という所からきているというのは、
ずいぶん前に日記で書いたけれど、
自然災害の多い日本にとって、別れは神や仏の加護にすがるのではなく、
「仕方ない、そうならなければならないのなら。」と、
ただただ受け止め、昇華して行くしかないものだったのかもしれない。
遥か古代から、村中が土砂に多い尽くされても、
津波に襲われても、地震で壊れても、火山に燃やされても、
「よっこらしょ」と、悲しみの中から腰を上げて、
日々の暮らしを繰り返してきたのだろう。
何度も、何度でも。

そしてこれからも、多分乗り越えて行く。
何度も、何度でも。


2004年10月24日(日) ちょっとインターバル

すっかり毎日じゃなくなってるこの日記。
はあ、今月はなんか、結構精神的に疲労気味・・・。
とあるテストが2つ、展示販売会が一つ、
しかも、それが昨日でようやく一段落着きました。
結果は、絶対に!思わしくないけど( ̄□ ̄;)。

めげずに行こう・・・・。


2004年10月19日(火) エジ版「ターミナル」

トム・ハンクス主演、スピルバーグ監督(でしたっけ?)の
「ターミナル」という映画のストーリーを読んでいたら、
エジプトが誇る偉大なコメディアン、アーデル・イマームが
かなり以前に同じようなシチュエーションで映画を撮っていたのを
思い出しました。
トム・ハンクスは、空港から出られなくなってしまいますが、
アーデル版は確かイスラエルとエジプトの国境だったはず。
その、ほんの数メートルの空白地帯で生活し、恋をし、結婚をし・・・。
シニカルで激しいアーデル版では、
主人公は確か、最後に爆死してしまうというストーリーのはずです。
カイロにいた時にその映画の話を聞いて、
今でもとても見たいエジ映画の一つなのですが・・・。
次回エジプトに行ったら、ビデオかDVD(ないかなー)を
探してみようかな。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時折、ノクタ(エジ版ブラックジョーク)を紹介していますが、
エジプト人は、コメディーとして社会風刺をするのが、
とてもうまい。
それくらいしないと、やってられねーよ!って感じなんですけど(^^;)。
アーデル・イマームはその代表格です。
ピラミッドを見に行く途中、ピラミッド大通りの右手に、
地球に腰掛けた軍服姿の男性の看板を目にした方も多いはず。
それがアーデル・イマームの「アル・ザイーム」。
今は演目が変わったかな?


2004年10月17日(日) 学校=安全、ではない場所

大阪の池田小事件が、日本中に衝撃的だったのは、
もちろん、亡くなった子供たちの多さもそうだが、
本来、安全であるべき、いや、安全だと盲信されていた
学校という場所で、凶行が行われたことではなかったかと思う。
子供が安全に、学べる場所。
大人たちが、安心して、子供をあずけて置ける場所。
それが、学校のイメージだったのだと思う。

荒れる学校というのは、世界中で問題になっていることで、
アメリカだけではなく、複数の国で、銃の乱射事件が起こっているし、
門の正面に警備員が立っていない学校というのが、
むしろ少ないくらいかも知れない。

けれど、戦時下でもないはずなのに、
学校の教室で勉強していて、
軍の発砲する流れ弾にあたり、
子供が、傷ついたり、命を落したりするような国は、
多分、パレスチナくらいしかない。
しかも、それらの学校のほとんどは、
国連の援助の元に運営されている学校なのだ。

今月の12日にも、一人のパレスチナの少女(11歳)が、
授業中に流れ弾に当り、次の日に死亡した。
取材中の日本人記者は、その学校でやはり銃撃にさらされた。
そんな風に命を落したり、障害を持つようになってしまった児童は、
今年に入って一人や2人ではない。
今月5日には、立ち入り禁止区域に入り込んでしまった、
しかし制服姿の13歳の少女が、
全身15か所以上を撃たれて死亡している。

理由は、いつも同じだ。
パレスチナ側のテロリストの銃撃、それに反撃するため。
事実はわからない。
そうなのかもしれない。
そうじゃないのかもしれない。
どっちにしろ、犠牲になるのは、
「まだ」テロリストではない子供たちだ。

なぜ、死ななければならないのか。
なぜ?
むなしい問いだけが、正義を叫ぶ声にかき消される。
そして、いくつもの命が、今も消えようとしている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10月17日(日)毎日新聞に、
詳しい記事が載っています。
興味のある方は、図書館などでご覧になってください。


2004年10月14日(木) ラマダーン・カリーム、ムバーラク・ラコム

アル・ジャジーラネットをチェックしていたら、
始まりました!
ラマダーン。

http://www.aljazeera.net/NR/exeres/EA4588F1-A37F-47B7-919D-CA444EB9B9A6.htm

ラマダーン・カリーム、ムバーラク・ラコム。
去年のラマダーンから今年まで、
色々ひどいことがありました。
ラマダーン期間中は、せめて心穏やかに過ごしてもらいたいものです
(多分、無理だけど)。


2004年10月12日(火) 危機管理能力

土曜日は、国分寺のその先までバイトに行っているが、
台風ということで、バイトも休み。
元はといえば、大学で行われる講義の方が先に休講になったので、
じゃあバイトも休みにしちゃお、ということだったのだが。
昼間は、全然雨風もなく、バイトを休んだことが
ちょっともったいなかったが、
夕方になったら、一瞬かなりの雨風。
私が乗るはずの中央線では、四谷あたりで土砂崩れで、
2時間くらい電車の中に閉じ込められた人もいたとか。
あー、行かないで良かった。

一見すると、無駄なことだったように思う危機管理というのは、
とても大事なのである。
結果、そんなことはしなくても良かったということになったとしても。
それが、保険というものであろう。
組織として、恐ろしいほど危機管理が欠如しているのを見ると、
どうすんだよ、おい、と思う。
でも、下っ端が言ってもどうにもならないわけですが。
ほんと、どないすっとー・・・。


2004年10月05日(火) 試験勉強

何が嫌って、試験勉強が苦手である。
くだらないことは、覚えるつもりがなくても、
どんどん覚えていくくせに、
こと、覚えなければいけないことに関して、
ぜーんぜん、覚えられない。
それに、いわゆる大学入試ってやつを経験していないので、
試験勉強のノウハウが身についていないのだ。
だから、試験にはよく落ちる。
運動神経が鈍いんだから、仮免本免の実地試験の方が
よっぽど苦手だろうに、
こっちはどっちも一発で通ってしまい、
たかだか選ぶだけの筆記を一度落として、
大馬鹿扱いされたこともある(ほっとけ!)。

あー、そして現在試験勉強中・・・。
終わってる、すでに終わってる〜。
右から左にするすると、抜けていってるぞーーーーー(−−;)。
エジの、使われていない脳みそが欲しいぞ!

(エジの脳みそ>エジプトの有名なノクタ(ブラック・ジョーク)より)
脳を移植する技術が開発されました。
とある金持ちの老人が、新しい脳を移植しようと思い、脳外科を訪ねます。

医者:ご予算によって、色々な脳を用意しておりますが。
金持ち:ほう、例えば?
医者:ドイツ人は3万ドル、アメリカ人は、5万ドルです。
   一番お高いのは、エジプト人で10万ドルですね。
金持ち:エジプト人がなんで一番高いんだね?
医者:そりゃあ、使ってないからに決まってるじゃないですか!
   ぴかぴかの新品同然ですよ!

万事、終わりがよろしいようで・・・・。


2004年10月03日(日) 生き字引から学ぶ

お手伝いに行っている某通信制の大学の研究室には、
色々な学生さんが出入りしています。
特に、大学院のゼミの方は、多種多様な方がいて、
ゼミの末席に座って話を聞いているのはとても楽しいです。

その中で、今年大学院の一年になられた元小学校の先生がいます。
お年の頃は、80歳ちょっと前くらいでしょうか。
その方が働いていたのが、私の育った江戸川区ということで、
自分でも知らなかった、学校についてのあれこれを
聞く機会があります。
私が通っていた学校は、都内でも有数のすぐれた国語教育者を
輩出していた学校だったとか。
自分が当然のように食べていた給食が、
都内でもかなり恵まれた条件だったとか(笑)。
自分が、学校でもらっていた国語の副読誌がどうやってできていたか、とか。

国語教育の視点から見ても、昭和の貴重な情報を、
院の論文にまとめられようとしているそうです。
お体をお大事にされて、ゆっくり、そして最後まで、
論文を完成させるのを、みんなが楽しみにしています。


colacaco |HomePage

My追加