ぶつぶつ日記
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2003年12月17日(水) 文句ばっかり

野党について、よく言われることだが、
「文句ばっかり言って、何もしない。」
一見すると、正しい言い分のように思う。
私自身、そう思うときも多々あるし。
しかし、こういうことを言う時、
1つのことがすっぽり抜け落ちていることに、
言っている本人たちは気がついているだろうか?

野党は、文句を言うことくらいしか、出来ないのだ、この国じゃ(世界的に見てもそうか)。

自民党は一応決めてやっている、っていうけど、
そりゃあんた、当然でしょ。
与党なんだから。
与党が何も決めなかったら、それこそどうにもならないじゃないの。
そして、野党が提案したことを、
与党である自民党が受け入れて、採用してくれれば、
野党だって建設的な意見をもっと出すだろう。
そういう実績があれば。
でも、そういうことって、あるんですかね?
あんまり考えられないし、聞いたことない。
だとしたら、「建設的な」意見を出す前に、
まず反対。
何でも反対。
とりあえず反対。
そういう戦法くらいしか、ないわな、実際。

文句言いで結構、
野党が文句も言えない国になったら、
それこそ暗黒なのだ。
そういうのを、独裁って言うんでしょう。
ばんばん、文句言ってください、野党の皆さん。
でも、文句の後に来る現実的な代案も、
もちろん、考えてるんですよね?


2003年12月15日(月) 繰り返し

この日記も結構膨大な数になってきているので、
バックアップをとっていたのだが、
内容をチェックすると、
結構繰り返し同じようなことが書いてあるなと思う。
仕事の愚痴だったり、人生についてだったり、
それはしょうがないことのような気がするが、
それ以外のこと、
自分には直接関係のない、国際政治的なこと、
それもまた、繰り返し同じ気持ちが書かれていた。
偶然にも、911の前日にはじめたこの日記。
911からの時代の流れを目にしながら、
あと何回、繰り返し繰り返し、
同じことを私は言っていくのだろう。
何も変わらない、むしろ悪くなって行くばかりに見える、
この時代の中で。


2003年12月13日(土) 石油が欲しい

すき焼きをつつきながら(のんきだなー)、
父親とまたしても意見の相違を見たのだが、
この人も、「にほんのため」自衛隊派遣やむなし派だったらしい。
でも、何で日本のため。
それは石油が必要だから。
わけのわからない国益とか言わないだけ、潔いかもしれない。

そういうことを考えても、
今回の派遣が国の将来のためになるとは、
わたしゃ思わないが
(なぜならアメリカが世界で唯一石油を産出している国ってことじゃないから)、
国益とか国際貢献とか、綺麗事を言っていないで、
「石油が必要なんだ」とか、
「アメリカなしじゃあ日本はだめなんだ。」とか、
国際的にはっきり言ってしまえば良いのに。
かっこいいこと、わかったようなことを言ったって、
この国は結局、世界の中ではしょせんいわゆる『二流国』から
脱していないってことでしょう。
アメリカやイギリスに並んでいると思っている人も多いし、
アメリカは日本を特別に思っていてくれる、
と思う人も多いけれど、
そんなのを思っているのは、自分たちだけだ。
自分たちが、少し下に見ているであろういろいろな国と、
日本は何ら変わりはない。
むしろ、いっちょ前の顔をしている分だけ、
始末におえないチンピラみたいだ。
アニキがいないと、なーんにもできない。


2003年12月10日(水) 何も考えたくない

どうして、もっとお気楽になれないのかな、と思う。
コイズミの熱弁に、諸手をあげて感動したり、
イラクの人はきっと、日本が自衛隊を派遣する理由を理解してくれると
単純に期待したり。
アメリカは、利権のためじゃなくて、世界のことを考えているって、
まるでヒーローを見るように思ったり。
悪いのは全てイスラム教徒で、世界の問題は全て、
宗教がその原因なんだ、と言い切ったり。

どれもこれも、私には出来ないことばかり。
裏の裏の裏を、どうしてもみてしまう。
どうしても、それが気になる。
世界の政治家なんて、自分たちの利権のことしか考えていないし、
イラクの人たちが日本の立場を理解することなんて、
多分ほとんどないだろうと思う。
宗教のオブラートを着せられているけれど、
世界の紛争の問題はほとんどが大国や指導層の利権争いが原因で、
アメリカはあらゆる利権を得るために、
深く広く暗躍しているとか。

本当は、そんなことを考えたくない。
もっとのんきに、自分の生活のことだけ考えていたい。
だって、私がいくら考えたって考えたって考えたって、
何1つ、世界は変わらないんだから。
耳をふさぎ、まるで水の中で水面上の音を聞くように、
遠くで誰かが何かを言っている、
でも、自分には関係ないし、ってそういう風に思いたい。
自分には関係ないし、自分は平和で安全だし、
ってそういう風に満足して何も心配しないで生きてみたい。

でも、だめなんだ。
どうしても、そんな風になれない。
なろうとしても、なれない。
ずっとずっと、考え続けるだろう。
家族や周りの人の反応に傷つき、
それでも考え続けるだろう。
世界が変わることがなくても、
やっぱり考え続けるだろう。
それは、私や私の家族や友達を、
少しでも災いから遠ざけるために。
誰かが理想を唱え続けなければ、
世界は、むごい現実にあっけなく負けてしまう。
それをただ見ているだけなのは、いやなのだ。


2003年12月09日(火) 抱えきれない

どちらが、より重いだろうと思う。
殺すことと、殺されること。
自衛隊がイラクに行って、自衛官が犠牲になることよりも、
自衛隊が行ったことにより、イラクの人が死ぬことの方が、
何倍も何倍も、重大な問題なんじゃないかと。
殺されることよりも、殺すことの方が救われないんじゃないかと。

毎日、死んでいるイラク人(そしてアフガン人)の全てが、
テロリストですか?
9人の子供たちもテロリストだったのでしょうか。
テロリストは、簡単には死なないのです。
簡単に死んでしまうのは、いつもいつも、
武器を持たないような一般の人たち。

何かがあった時、戦地に行った息子や夫や兄弟たちは、
抱え切れるんだろうか、その記憶を。
壊れることはないのだろうか、その心は。
そして、送り出した私たちは、
彼の苦悩を受け止められるんだろうか。

今、イラクに自衛隊が行くということは、
そういうこと。
全ての罪、全ての憎悪、全ての死を、
抱えるのは、実際に行く自衛隊員だけではなく、
日本という国、日本人という私たち一人一人。
私には、抱えきれない。


2003年12月07日(日) テロとの戦いは、まだ始まっていない。

カイロで一緒に生活していた友人から、混乱と慟哭のたくさん詰まったメールが届いた。
彼女は、シリアで働いていたことがあり、その時に、
亡くなった外交官の井ノ上さんと親しくしており、
奥さんとも行き来があったそうだ。
現在の彼女は、自衛隊が行っていたら、井ノ上さんは死ななかったかもしれない、そう思っているようだ。
そして、民間だから良くて、自衛隊だからだめという、
その区切りの意味がわからないという。
これは、別のところでも同じことを言っている人がいた。
私は、これは明白に違うと思う。
もちろん、国の機関が行った方が、できることは多い。
民間の資金も苦しいような機関よりも、
資金も資材も人材も豊富な組織を送った方が、
手っ取り早いしできることも多いんじゃないか、
これは確かにそうだろう。
しかし、しれは最善の案か?
とてもそうは思えない。

友達は言う。
「彼(=井ノ上さん)は占領軍のために働いていたんじゃない。」
そう、私もそう思うし、日本人全員がそう思うだろう。
そして、井ノ上さんご自身のことを知っていたイラク人、シリア人、
アラブ人の全ての人も、そう思うだろう。
でも、それ以外のイラク人(そしてアラブ人)の大多数にとっては、
彼は井ノ上さんという心優しきアラブの理解者ではなく、
占領軍の一員として、日本という国の威信を背負ってやってきた、
外国人の1人にしか過ぎないのだ。
そして、自衛隊だって同じ。
今現在、アメリカのやり方をなんら変えない状態で
自衛隊がイラクに入ったとしたら、
ほとんどのイラク人とアラブ人にとって、
日本も占領軍の一員に成り下がるのだ。
そして、日本とテロとの戦いは、
この瞬間から本当に始まる。
その瞬間から、日本は本当のテロの標的になるだろう。

それを望むのか。
それを回避するのか。


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訂正
当の友人から、訂正依頼が来ました。
自衛隊が行ったら、彼らは死ななくてすんだかも・・・
とは思っていない。
彼女は私たちが知る以上に色んなことを見聞きしていますので、
もっと深く現状を見、やりきれない気持ちになっているみたいです。

でも、この日記はこのまま残しておきます。
私は、「もし自衛隊が行ったら・・」と思う気持ちが、
悪いことだとか、浅はかだとか、そういう風には思わないので。
彼女がそう思っていなかったとしても、
そう思っても当然だと思うのです。
悲しみの中、ありとあらゆる「もしも」を考えてしまうのは、
人間の本能だから。


2003年12月05日(金) 屍を乗り越え・・・

屍を乗り越えて行くんだそうだ by コイズミジュンイチロウ

一体どこへ?
過去の大戦、そうしてたくさんの若者が戦地に散った。
その後で、何が起こったか。
原爆が広島と長崎に落とされ、罪もないたくさんの人が死んだ。

今の、日本のハンエイはその人たちの命の上に乗っかっている。
でも、その人たちの死が、「必要なものだった」なんて、
絶対に思わないし、思えない。

屍を乗り越える必要はない。
屍を、出さないことが重要なんだ。
それは、日本人だけじゃなく。
イラク人も、アフガニスタン人も、パレスチナ人も、ユダヤ人も、
全ての人が、等しく同様に。


2003年12月04日(木) 開き直って何が悪い

このまま、自衛隊をイラクに派遣しない場合、
日本は「面目」を失うんだそうだ。
常日頃思うことだが、
日本は、そんなに国際社会に貢献していない国なんだろうか?
兵隊を出さないことが、どうしてそれほど非国際貢献なんだろうか。
どんなご大層な大義名分だって、お金がなくっちゃ実現しない。
本当〜にイラクを復興するためには、
どれだけの資金が必要か。
アフガンにしろどこにしろ、
一体日本はこれまでどれだけの資金を出してきたんだろう。
そのお金を誰がどう使ったの?

人は出さないですけど、お金は出してます。
それのどこが悪いのか。
金は出せない、だから人を出す国の方が多いのだ。
そして、余剰な人は組織のお荷物になることも多いけど、
余剰なお金は、色んなものに使える。
資金的援助をすることは、決して恥ずべきことではない。
ましてや、世界的に(除く政治家)
イラクへの侵攻が無駄なものであったという意識が広がる中、
人を派遣して、誰に対して点数を稼ぐのか。
それは、アメリカだけにでしょう?

今、この時期に、
人を出さないことを恥ずかしいと思う必要は全くないと思う。
人を出すのなら軍隊ではなく、
本当の意味での復興を手伝える時期に、
手伝える人を送ればいいのだ。


2003年12月03日(水) 命の重さ

全ての人に平等に訪れるものがあるという。
その名前は、「死」。
王様も法王も、物乞いも、人も動物も、死からは逃れられない。
でも、死ぬ瞬間というものは、平等じゃない。
穏やかに死んでいける人、苦悶のうちに死ぬ人、
自分が死ぬことを意識せずに、いきなり命を奪われることだってある。
そして、同じ場所で死んでも、
その死は全く、平等じゃない。

初めての犠牲になった、二人の日本人外交官。
襲撃されたスペインの諜報機関の人々。
毎日襲撃され、少しずつその数を増しているアメリカの死亡者。
そして、カウントされることもなく死んでいるイラクの人たち。
いまも、混沌の中に投げ出され、その中で死んで行くアフガンの子供たち。

2人と7人と、何百人かと。
数千人と数万人と。
私たちはその数に、目を奪われるのだろうか。
数が多ければ多いほど、その死は見えなくなっていく。
まるで、誰も死んでいないかのように。


2003年12月01日(月) 詭弁を使うな

ついに、というか、やっぱり、というか、
イラクで邦人が襲撃され、亡くなってしまった。
外務省や、国の発表を聞いていると、
何が何でも自衛隊を派遣するために、
ありとあらゆる詭弁を使って、今回のことを説明しようとしている
気がしてならない。
テロではない、強盗目的だった、
日本人を狙ったという情報はない・・・。

今回のことに関しては、確かに強盗目的だったのかもしれない。
日本人と認識してはいなかったかもしれない。
だが、外国人は、全て同じ標的であることも、
また事実なのだ。
それがジャーナリストだろうが、大使館員だろうが、
国連だろうが、NGOだろうが、なんだろうが・・・。
そして、軍隊はまず、憎むべき存在であることもまた、
避けられない事実なのだ。
ラマダン中、カイロのだんなの実家に里帰りしていた友人は街中で何度も、
「ヤバーン、アスカリ(日本、軍隊)」と言う言葉を
セットで聞いたという。

日本人は何かと言うと、中東は親日で・・・という。
確かに、平時にはそうである。
けれど、平時でなくなったら、
そんな甘い考えはすぐに吹き飛ばされる。
日本は、アメリカに追従ばかりする=自分たちと敵対する、
そういう国の1つなのだ。
そしてもう1つ、中東の人たちの感情を複雑にするのは、
アメリカに破れ、戦後一から復興し、
世界でも最も豊かになった国、日本への憧れ。
自分たちも、そうなりたい、でもそうなれない、
そして、日本はいつも、自分たちを助けてはくれない・・・
そういう思いを持っていること。

毅然として、テロと戦う、と政治家は言う。
けれど、その最前線の危険に正面から立つのは、
自分たちでは絶対にない。
そして自分の親族でも、友人でもない。
先日イラクに行った視察団は、大して「視察」もせず、
引きこもり状態だったという話しすらある。
そして、安全って、一体???

自衛隊を派遣するなら、安全地帯などという言葉を使うな、
と思う。
戦地に行くのだ。
そう明言すべきだと思う。
言葉を濁し、詭弁を使い、国民をだますな、と思う。


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