ぶつぶつ日記
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2003年11月27日(木) またもや

仕事に埋もれています。
そしてなぜか旅行の情報収集〜。。。
しばしお待ちください。


2003年11月23日(日) 先の見える人生

週末のバイトは、大学生から子供が大学生以上の主婦まで、
幅広い女性が集まっている。
マン・ウオッチャーとしては大変面白い職場である。
昨日隣りに座った子はまだ大学生。
でも、結婚を意識している人がいて、
だからアメリカへの留学を断念したとか、しないとか。
彼女いわく、人生はもう、あらかた終わったようなものなんだそうだ。
先はもう、見えている。
そうじゃないですか?
全然(苦笑)。
先なんて、全然見えない。
見えていたら楽だろうと思うが、
これがもうどうなるのか、3年先だって想像できない。
それは、私が人生の正道をかなり前に降りてしまった、
からではなくて、
先が見えていると思える人生でも、
やっぱり何が起こるかなんて、全く見えないものだと思う。

彼女のように、有名大学に入っていて、
道を踏み外すことなどあまり考えないような子だと、
好きな人もできて、仕事についても考えてしまったら、
それで、人生はまっすぐ死ぬまでそのまま続いていくと、
考えてしまうのも、ありがちなのかなと思う。
また、20歳そこそこという年齢も、
自分が大人になったような気になって、
人生を達観したようなつもりになる年齢なのかも知れない。

でも、私の前に座っていた私と近い年の女性が言っていたように、
そのまま続くと思っても、あるきっかけで180度変わることだって、
良くある話なのだ。
そうではなくても、どこで何が起こるか、
順風満帆なままいければいいが、
風の向きは毎日変わり、
気がついたら思いもよらなかった岸辺にたどり着くようなこともある。

就職して、結婚して、子供が生まれて・・・。
極普通の「先が見える」ように思われる人生だって、
何が起こるかわからない。
それを、一瞬先は闇と思うか、
びっくり箱を開けるようなものと受け取るか。
毎日、びっくり箱を開けよう。


2003年11月21日(金) 何が良くて、何が悪いのか。

生きた家畜を輸出することに反対しているオーストラリアの動物愛護団体の男性が、
中東輸出向けの羊にポークハムを食べさせて逮捕されましたね。
こういうのって、私よくわからない。
生きた羊は良くて、すでに解体された肉だったら良いわけ?
船の中にぎゅーぎゅーにつめられて環境劣悪なのがかわいそうだから?
それとも、イスラム教徒に動脈ばっさりやられることがかわいそうだから?????
豚のハムを自分たちの抗議行動に利用することは、
豚に対する保護との矛盾はないわけですか????
それとも、羊よりも豚の方が劣っていると????

命を奪うということを突き詰めると、
人は何も食べられなくなるんじゃないかと思う。
なぜなら、植物だって「生きて」いるんだから。
植物も愛情を持って育てれば、
その愛情に答えてきれいな花を咲かせるという。
それも「命」。
でも、人も動物も、そして植物も、
何かを「食べ」なくては生きてはいけない。
無駄なものを殺さないこと。
残飯を出さないこと。
飢えている人が今この瞬間にもいること。
そして、自分の生が、別のものの死の上に成り立っていること。
必要なのは、羊に豚肉を食べされるようなことじゃなくて、
こういうことを、子供たちに教え、
そして私たちが無駄ない食生活を実践して行くことだと思う。

抗議をするよりも、実践する人でありたい。


2003年11月19日(水) 先行きの不安

多分、どんな仕事をしているにしろ、
ほとんどの人が先行きに対して何らかの不安を持っていると思う。
将来に対する不安を持っていない人がいるのだったら、
それはよっぽどおめでたい人か、もともとお金があって生活に困らない人か・・・。

日本語業界なんてところにいると、先行きの不安だらけで、
それでもなんで続けている(続けたいと思う)のか聞かれても、
明確な答えは出せない。
一口にやりがいと言っても、やりがいだけで生活していけるわけじゃないので、
気がつけば私の周りにも「元日本語教師」という人が何人もいる。
結果、現在の主流は主婦の扶養控除内という先生が主流で、
こういう人たちは多くを求めないし、
学校としても業界としても多くを求めない人の方が使いやすいし、
別のスキルがある人とか、ある程度の若さで生活がかかった人は、
好きでもこの仕事をあきらめざるを得ない・・・
と言うような悪循環に陥っていることも確かである。
その上、入管(というか国か)の気まぐれな改正によって、
学生数が左右され、来年からは、また氷河期が始まると言う話・・・。

そんな中で、働き続けることとか、勉強を続けることとか、
果たして自分はどうなるんだろうか、
もっと違うことをした方がいいのかもしれない、
などと思ったりすることもある。
勉強を続けたところで、それがすぐに待遇に反映されるわけでもないし。
それでも、気がつけば他にやりたいこともさしてあるわけじゃないし、
だったら、やりたいと思えることをやり続けるしかないんじゃないの、
と、自問自答を繰り返す。
先行きの不安は何一つ消えるわけではないが。


2003年11月17日(月) やるせない話し

いつも楽しい話を聞いていたいと思うが、
聞く話はやるせない話が多い。
そして、そんな話しを聞きながら、
自分ってのんきに幸せに暮らしているなーということを、
確認してしまう自分が、またちょっと嫌だったりする。

でも、毎日生きていると、
自分がどれだけ恵まれていることなんか、
全くわからなくなっていて、
自分が大変、自分がかわいそう、自分が、自分が・・・・
となってしまっているのだった。

だからやっぱり、やるせない話しを聞くのは、
大切なことなのかもしれない。


2003年11月14日(金) 弊害

私は「銀粘土」といい素材が大好きだし、
とてもいい素材だと思っているのだが、
どうも、「インストラクター資格=お家元制」が
うまく機能していないどころか、
弊害になっていないかな、と思うことが多々ある。
どういうことかというと・・・。
イントラ資格を取るには課題をこなさなくてはいけないのだが、
あまりにも、それが型にはまりすぎていて、
イントラ資格を取りたくない人を相手にしない先生や、
必要ないって言っているのに、無理無理押し付ける先生や、
先生自体の作品が見えてこない場合も多い。
もちろん、ある程度技術を統一させるためには、
規格的な課題は大事だと思う。
でも、そればっかりってどうなのよ?と喧嘩を売りたくなるのだ。

それに、この資格は店子の資格でもあるため、
本部から割引で仕入れたものを生徒さんに売ることが出来る。
それを悪用に近い形で、「本部が、決まりが」という言葉を常套手段として、
とにかくありとあらゆるものを、
自分のところから買わせようとする先生も、
残念ながら存在する。
もちろん、周りにお店がないような土地柄であれば、
先生から色々購入できるのは、便利な制度でもある。
でも、これだけネットが普及してその場に行かなくても
ほとんどのものが買えるようになっている現在、
情報収集をしない先生たちよりも、
生徒さんの方が色んなことを知っている・・・ということも多いのだ。

生活がかかっているから、ちょっとうそをついて生徒に買わせても・・・、
ということを、私は良いとは思わない。
そういうことをしていると、絶対に自分に付けが回ってくるものだ。
あの先生はね・・・・と、悪いうわさが飛び交って、
そして自分が教えた生徒が自分よりももっと良い先生になっていたら、
多分、その先生の教室は寂れる。
その時に慌てたって、遅いんだけれど。

銀粘土が出始めた頃とは違い、銀粘土を楽しむ人口も、
インストラクターもどんどん増えている。
インストラクターとして、銀粘土技工士(そんな名前でしたっけ?)として、
自分が、他の先生とは違うこと、
他の先生には出来ないこと、
そういうことで、習いたい人にアピールできるように。
そうしないと、銀粘土という素材自体が、沈んで行くような気がする。


2003年11月12日(水) 誰が彼女を辱めたのか

小躍りしただろう。
いや、実際踊り狂ったかもしれない。
ジェシカ・リンチさんがイラク側の病院に収容され、
彼女が「どんな」女性かわかった時に、
ホワイトハウスで、ブッシュ君とラムズフェルド君は・・・。
オクラホマミキサーか、マイムマイムか、
手に手をとって喜んだに違いない。
なんて素敵なジェシカ!
ありがとう!捕虜になってくれて!!!
って感じだっただろうなあ、と、
ジェシカ・リンチさんの写真を見てあらためて思った。
なんて、キュートなんでしょ。
しかも本物の金髪でっせ(低俗にいうなら、パツ金)。

戦争にはヒーローが必要。
汚いものにふたをするために。
ジェシカさんは、まさにうってつけだった。
その若さ、容姿、女性であること。
全てが完璧に、世論にアピールできる存在。
しかも、「敵国」イラクはイスラム教徒が大多数を占める国。
彼女の自伝だかなんだかにも、
破廉恥にも書かれていることだが、
レイプされているかも???という、期待すらあっただろう。

残念でした。
そんなことは全くなく、
イラク人の医師はあくまで人道的、
看護婦たちはおびえる異国の女の子に子守唄を歌ってくれた。
米軍が迎えに来るのを(文字通り)門を開けて待っていたのに、
夜半に突然の襲撃。
だから、武器なんてないんだってば!!!
いっそのこと、救出作戦に失敗して、
特殊部隊のの将校と2人、敵地をさまよう間にあっつい愛が芽生えて・・・とか、
イラク人医師と敵味方を超えた禁断の愛が生まれる・・・とか、
ハーレクインロマンスばりの展開を見せてくれたら、
全世界の女性はもーーーーーっと注目しただろう。
でも、所詮は「大救出作戦」程度が関の山。

ジェシカを侮辱し、辱めたのはイラク人じゃない。
彼女は今まさに、アメリカに侮辱され辱められているのだ。


2003年11月10日(月) 戦争と平和

いつもそんな時間にテレビを見られる場所にいないのだが、
夜の授業がタームの谷間で、ぼーっとしていたら、
「へーへーへー」といいながら机をたたく番組をやっていた(初めて見ました)。
その中で、「自衛隊は大砲を楽器として使っている。」というのがあって、
チャイコフスキーのいわゆる「戦争と平和」の最後の最後に、
どかんドカンと大砲がぶっ放されていたのをみた。
以前だったら、「ったく、こんなことに税金使うなよ。」と
腹が立ったであろうが、
今回は、「交響曲に大砲使う方が、イラクで使うよりも全然まし!」
という気分になったのだった。

イラクは、安全、だから自衛隊を送っても大丈夫、とか。
自衛隊は軍隊だから、憲法を改正する時期だ、とか。
勝手気ままなことを言っている国家元首がいるか、
でも、自分は行かないんだもんね。
自衛隊だろうが、軍隊だろうが、
結局は自分たちは一番安全なところに居続ける。
自衛隊が軍隊になったとき、
そしてその軍隊がどこかに送られる時、
一番最初に犠牲になるのは、どんな人たちなんだろう?
じゃあ、自衛隊なんて辞めちゃえば?という人もいるだろう。
けれど、家族を抱えてこの景気の悪いご時世、
早々簡単に次の仕事が見つかるのか?
しかも、特殊な仕事をしていたのだから。
そう考えたら、死ぬかもしれない可能性のほうが、
まだ、家族の生活を守れるかもしれない・・・と、
考えてしまう人だって多いだろう。

奇麗事、とか、理想とか、
憲法第9条をそう受け取る人も多いらしい。
でも、奇麗事で、理想で、何が悪い?
戦争で、お金がもうかって、おいしい目にあうのは、
雲の上にいる、お偉い人たちだけなんだから。
平和の方が一般市民にとっては良いに決まっているのだから。
戦争に進む可能性のある道を遮断しておくべきなのは、
一般市民の自衛手段なのだ。


2003年11月06日(木) おぼれております(^^;)

仕事に・・・・。
しばらく日記が滞ってますが、
気長に待っててやってください。


2003年11月04日(火) ことの顛末

何事かと思われた西安での「裸踊り」騒ぎ。
冷静になってみれば、日本の学園祭のりを
その大学の催し物の中でも権威ある会で行ってしまった・・・
ということらしい。
本人たちも、ふたを開けてみてびっくりだっただろうし、
そのとばっちりで暴力を振るわれ怪我をした留学生にとっては、
さぞかしショックだったことだろう。
その大学がある場所柄とか、学生気質とか、
これが北京や上海だったら、大して騒ぎにならなかったと言う人もいるし、
当の街でも「大学の話を外に持ち出すな。」と思った人もいたそうだ。

中国や韓国に留学する日本人学生が増えているのは、
とても喜ばしいことだと思う。
今まで近くて遠い国だったこれらの国との関係が、
そちらの国からも留学生が来る、
こちらからも行く、と相互作用で、
今までにない関係を築けていけるだろうと思うので。
ただし、これらの国に行く場合には、
本当に本当に、ありとあらゆる注意も必要だと思う。
欧米に行くのとは違い、
日本人という存在自体を快く思わない人々が明らかに存在するので、
今回のことのように、本人たちのあずかり知れぬところで、
何が発火し、燃え上がるかわからないからだ。
そして、それを発火させるのは、当事者だけではないのかもしれない。

世界というのは、あまりにも中はどろどろ。
ちょっとした機会を狙って、日本の足を引っ張りたい国、
東アジアの一体化を阻止したい勢力、
そんなものが、小市民には見えないところで
(そしてジャーナリズムが見ようとしないところで)、
うようよとうごめいているのだ。

目に見えることの顛末。
目に見えないことの顛末。
今回も、長期的に観察してみることが必要かも。


2003年11月01日(土) アル・アトラール

アル・アトラールというアラビア語を最近知った。
意味を調べてみると、「残されたもの、遺跡。」そんな意味で、
ウンム・カルスームが歌っていると言うことも聞いた。

数えるほどの出会いの中で、
その人が私にくれたものは、とても大きい。
大好きな、尊敬できる人から、思いもかけず、
「あんたは、いい女だよ、いい女になった。」
と言われることほど、
女冥利に尽きるものはないんじゃないかと思う。
突然言われたそんな言葉に、どうして言いかわからず、
いつものようにおちゃらけて、はぐらかすことしかできなかった私は、
やっぱり、全然いい女なんかにはなっていないのに。
でも、胸の中がぽっこりと明るく暖かくなって、
誇らしい気持ちにもなったのだった。
その人が描く絵のような、
不思議な形をした光が、胸を満たした。

その人がもういないと言うことを知らされてから数日たって、
徐々にそれが実感となりつつある。
もう、「いい女になった。」なんて言ってもらえないのだ。
あの山間の町に行っても、もう会えないのだ。
そんなことを考えながら、手だけは動いた。
デザインを考える事もなく、
溢れるように文字が指輪に彫りこまれた。
「アル・アトラール」残されたもの。

この指輪をして、きっとあの町に行こう。
あの町の空気の中には、あの人がいる気がするから。
声が聞こえる。


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