ぶつぶつ日記
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2003年01月30日(木) ああ゙〜、すぐに復活(T^T)

って何がかっていうと、
日常的なくだらないストレス。
人間、ストレスが全くないって言う生活にも
耐えられないらしいけど、
それにしたってこんなに簡単に戻ってこなくっても、
いいじゃないかぁかぁかぁかぁかぁぁぁぁぁぁ〜<こだま
そして爆発する買い物パワー、とほほ。

・・・はい、がんばります・・・・。


2003年01月29日(水) 身近な人種差別

別段日本語教師をやっているからと言って、
アジア人に対してものすごい理解があるとか、
友好的ってわけではない。
はっきり言って、普通の人たちよりも
ギャップを感じて憤慨することも多いし、
そうそう暖かい目で・・・というわけにいかないことも多い。
それでも彼らのおかげで日々の糧を得ていると言う意識はある。
現在の日本語業界は欧米系よりは
アジア系の学生の方が明らかに多いわけだし。

日本語学校で働いていながら、
そして色んな意味で学校を自由に出来る立場のある人が、
アジア人蔑視、白人至上主義だとどうなるだろう。
大して来ない欧米系のために、
割を食うのはいつもいる学生たち。
それをしている本人たちは学校のことを考えているつもりでも、
学生と学校の信頼関係は、がたがたに崩れていく。
そしてそのことで一番迷惑をこうむるのは、
学生に毎日接している先生たちだ。
校内で平然と行われている人種差別の話を聞くと、
心が荒んでくる。
日本人だって、欧米系に尊敬されてるわけでもないのにね。


2003年01月28日(火) 間口が狭まる

子供の頃は、ある日突然自分が成功して幸せになれるような気がしていたけれど、
最近では、結局一つひとつ自分が積み上げていく姿をイメージしている。
自分が積み上げなかったことは、結果として現れない。
運が天から降ってきているように見える人も、
結局は私たちの見えない所で、
自分の手で毎日毎日、レンガを一つひとつ積み上げているのだ。

自分にも他人にも、性別や年齢やあらゆることで制限を決めたりはしたくない。
それでも、社会的にはやはり制限と言うものは存在してしまう。
それが人々を焦らせるし、諦めさせもするのだが、
最近の私は、この制限をうっとうしく感じることが少なくなった。
年齢により間口が狭まったことにより、
自分がするべきことが、よりしぼられた感じがするからだ。
元々「やりたい欲求」は人よりも強い。
そして器用貧乏なので、大体のことはある程度できてしまう。
そしてある程度できてしまうと飽きてしまって、
次のことを探し始める。
若い時はそれで良かった。
次々と乗り換えることが出来たが、
この年になるとそうそう乗りかえも簡単じゃない。
その代わりに、前よりもじっくり、
1つのことに集中できるようになったと思う。
1つのことに厚みをつけようという気持ちが生まれてきた。
まだまだ色んな欲はあるけれど、
とりあえず本道の1本2本は決まってきている気がする。
野望も野心も夢も希望も持っているが、
それはぎゅっと濃縮されてきている。


2003年01月27日(月) 頑なさ

ニューオーソドックス(新保守派)と聞くと、
いや〜な感じに襲われる。
ユダヤ教にしても、アメリカにしても、
ニューオーソドックスの人たちはある意味、
彼らが忌み嫌う、イスラム原理主義者と合い通じるものがある。
目指すものは明らかに違うが、
彼らは自らの思想が「正しく、健全で」あると思い、
社会をよりよくすることが、
自分たちの使命だと固く信じて、
それぞれ行動に打って出る。
それがテロとなるか、ロビー活動となるかは、
その差は案外紙一重でしかない。

相手こそが悪であり、自分こそが正しい。
双方がそう思っている限り、
そこに解決の糸口は生まれてくるのだろうか?
頑なさというのは、あらゆる事に関して
マイナスでしかない。
そして声高に思想を叫ぶ人たちのほとんどが、
巌のような頑なさを誇りとしている。
雪はやがて春の光に溶けていくが、
岩の形を変えるのは、そうそう簡単なことではない。
力で無理やりに変えるか、
長い時間をかけて自然に風化されるのを待つか。
私たちに、双方が変わるのをじっくり待つ時間は
果たして残されているのだろうか。


2003年01月26日(日) 文化的相違?

ブリトニー・スピアーズにストーカー行為をしたとして
とあるいい年をした日本人男性が訴えられ,
その初審議がアメリカで始まった。
弁護人は「文化的相違」だとか何とかっていうのを
持ち出しているらしいけど、
日本人からしたら、すっごい迷惑!!
なにかい、文化的相違ってことは
この男性のやった行為ってのは
日本ではありがちな当たり前のことなんかい?
ふざけるなーーーーー。

古きよき日本男子たるもの、
婦女子を追い掛け回したりするものですか!
自分の思いを告げることもなく、
じっと見つめて遠くから守るようなのが、
「日本男児」のイメージだろう!
それでなくても日本人っていったら、
そっち方面お手軽って思われてるのに〜
(女の子はお手軽、おやじは買春ってイメージ?)。

こういう勘違いを増長させるようなことは、
厳重に注意したいものである。


2003年01月25日(土) ただいま、体験中(汗)

って何をかって言うと、
ネットの世界って本当につながっていて、
色んな人が色んな悪いことをしてるんだなーってことを(苦笑)。
サーバーを立てていて、
それがぼろかったりセキュリティが甘いと、
色々悪さに使われるってことは、
前から頭ではわかっていたけど・・・。
現在やられちゃってます、某所。
そのせいで今日も同僚は休日ただ出勤でしょう
(休日手当てはよっぽどのことがない限り、でない)。
同僚も私も、しばらくつきっきりの時間が続きそう・・・。
だからこうなる前に、どうにかしておけば・・・
と言うのは誰にでも言える事で、
言ってもどうにもならないからため息。
私のPCなんてたいしたものは入っていないと言いつつも。
もしかしたら、誰かがいたずら目的でのぞいているかも知れない。
便利との紙一重。


2003年01月23日(木) どたばた

昨日一昨日と(いや実は週末からだったらしい)、
職場のメールサーバーが発狂していた。
もうマシン的にも人的にも(担当者ってこと)、
キャパを超えていて、どうにもならない状態になってると思う。
担当はどたばたしていて、
実際にメールを使っている人たちも困っていたけれど、
何せマイノリティー。
それが新しいシステムを導入するきっかけにならないのも
毎度のこと。
付け焼刃の対処で何とか動いているけど
(同僚はおかげで泊り込み、午前中には授業もあるって言うのに)、
これもいつまでもつか・・・。
観察力のない経営陣っていうのは、
本当に困るわね〜。
そして同僚よ、頼むからきちんと上に報告してくれ!
今回のことを。
言ってもわからない人たちなんだから、
普通よりも言わないとだめなんだってば〜。
おかげで頭痛・・・。


2003年01月21日(火) 考えなくちゃ

日本人はとにかく考えなくなったと言われている。
無関心とか、生きていることに実感がないとか・・・。
日本の外だけじゃなく、日本でもどんなことが起こっていて、
それがどう自分たちに影響してくるのか、
もちろん誰にもすぐにはわからないけれど、
でも、私たちは全く孤立して生きているわけではないから、
何かがあったら、自分たちにもその余波がそっと、
気がつかないうちにおよんでいることの方が多いのだ。

友だちにまた子供が生まれた。
日本とパキスタンとサウジアラビアの血を持った男の子。
彼は住む事になるであろうサウジだけではなく、
お母さんの生まれ育った国である日本と、
おじいさんが永遠に眠るパキスタンで何かあっても、
そのことで心を痛めたり、喜んだりするんだろう。

人は自分だけで生きているわけじゃない。
私のように結婚していない子供を持たない者でも、
それなりに血縁の子供たちがいて、
彼らのために、よりよい社会を残してあげたいと思う。
それが、自分が産んだ子供だったら、どうだろう?

自分のためじゃなくて。
誰かのために。
私たちが死んだ後も、生き続ける子供たちのために。
考えなくちゃいけないことはたくさんある。
ただ直接、その子に関わること(教育や物質的なもの、金銭的なもの)だけじゃなく。
考えなくちゃ。
自分ではどうにもならないことでも。
自分とはかけ離れたことでも。
考えなくちゃ。
そしてそれを誰かに話そう。
始まりは、いつも小さい声からだから。


2003年01月20日(月) 失われたものは、二度と戻ってこない

クローン人間誕生で世の中を騒がしているラエリアン・ムーブメント。
今度は日本人クローン誕生するという。

まだまだ未知な部分が多いクローン研究だが、
例えクローンを作った所で、全く「同じ」ものにはならないそうだ。
マジック・ジョンソンやタイガー・ウッズ、アインシュタイン、ベッカムでも誰でもいい、
そう言う人たちの細胞からクローンを作っても、
100%同じマジック・ジョンソンやベッカムに作り上げる事は出来ない。
なぜなら、彼らを形作っているものは、「細胞」の遺伝子情報だけではないから。
彼らを作ってきたのは、様々な場面や時間や体験といった「経験値」。
偶然や必然から過ごしてきた様々な成長期の出来事、そういったものが
重要なファクターになっている。
どんなに人工的に作り出そうとしても、全く同じ体験をさせることはできない。
確かに遺伝的に優れていたとしても、細胞主と同じように活躍できるという保証は全くない。
似て非なるもの、が作られるだけだ。

今日生まれてくる日本人クローンの男の子は、
2歳半で死んだ子供の細胞を使っているそうだ。
子供をなくした親の喪失感、その悲しみは理解できる。
悲しみつづけても、いいことだと思う。
そして生まれてくる子は、亡くした子と同じ顔、同じ声、同じしぐさなのだろう。
でも、どこかが違う、同じではない。
それをみて、悲しみはより深くはならないのだろうか?
なぜなら、失った子そのものは、2度とは戻ってこない。


2003年01月19日(日) お腹が弱い

自分でもびっくりするほど、風邪を引かない。
熱もほとんど出さなくて(むしろ低体温かも)、
一体熱を出したのは何年前か、思い出せないくらい。
でも、理由もなくすぐにお腹を壊してしまう。
簡単な理由では、スパイシーなものを食べた時にも
絶対にこわす。
ニンニクの利いた辛い食べ物が大好きなのだけれど、
次の日必ず軽くお腹を壊してしまう。
昨日も友達と電話していて急にさいこみ。
私のおなかのことをよく知っている人なので、
「う、3分待って、また電話する・・・。」
と言って仕切りなおし(^^;)。
「全くよくお腹こわすなー、なんで?」
と言われてもよくわからない。
昨日は階下(作業場)で作業していたからだろうか?
金曜日の夜にびっくるするほど夜更かししたからかな?
ちなみに、今日は結構お腹がはってガスがたまってる。
これも風邪の症状なのかな〜とも思うが、
本当によくわからない。
子どもの頃からすぐにお腹が痛くなってしまうので、
数ヶ月に一度は、夜中にお腹が痛くなって、
トイレの帰りにお母さんの布団にもぐりこんでいた(何せ末っ子なもんで)。
だからはたから思うほど、辛くはないのだけど。

今日は暖かくして寝るとしよう。
明日からまた新しい一週間が始まる。


2003年01月18日(土) ウーマンズ・ブラボー!

昨日の夜は(最終的には今日まで)、
ずっと観たかった映画をはしごしてしまった(家で、ですが)。
「Todo sobre Mi Madre(オールアバウトマイマザー)」と
「アメリ」。
こう言う映画を観ると、
女であるって何で素敵なんだろう!と思う。

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閑話休題、映画評

「Todo sobre Mi Madre(オールアバウトマイマザー)」は
スペインの巨匠アルモドバルの最高傑作と称されている
(でも実は、私が一番好きなのはやっぱり「アタメ!」かな)。
アルモドバルの映画に出てくる人は、
皆大体において「普通」じゃない。
そしてアルモドバルはいつも、女性に優しい。
普通じゃない人や、弱いものや、そういう全ての人の
幸せを願っているような
そんな気持ちがいつも映画から伝わってくる。
だから、どんなに普通じゃない人が主人公でも、
私たちは映画を見て暖かい気持ちになれるんだろう。
傷ついた事のない人は、本当に優しくはなれない。
彼の映画を観るとそんな言葉を思い出す。
そしてこの映画を観て、私の人生の目標の1つに、
「お母さんになる」というのを入れたくなった(笑)。
結婚するか、シングルか、そんなことはどうでもいい。
でもやはり「お母さん」は素晴らしいのだ。

それにしても・・・、
アルモドバル映画2本目のペネロペ・クスルは
いつも主人公じゃないんだけれど、
ものすごく重要な役割をさらりと演じていて、
可愛くて素晴らしい!
それがハリウッドだとなんであんなに魅力がなくなっちゃうんだろう?
どの映画もどの映画も、単なるルックスだけの
全然面白くも魅力的にも見えない女優になってしまうのは残念。
そのルックスもアルモドバル映画に限らず
スペイン映画に出ている時の方がはるかにきれいに見える。
彼女には、じっくり映画を選んでもらいたいものである。

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「アメリ」が大人気になったとき、
実は密かに「ふふん( ̄ー ̄)」と思っていた私。
実はこのジャン=ピエール=ジュネ監督は私のお気に入りで、
エイリアン4をのぞいて本国フランスで作られた映画は
公開当事に全部観ていたのだ。
彼のアート感覚と世界観が大好き!!!
ちょっとブラックで、すごくキッチュで、
とてもミステリアス・・・。
だからアメリもきっと好きだろうなと思ったのだけれど、
あまりに人気が出すぎてしまって逆に見逃した(笑)。
そして観たんだけど、、、、DVDを買ってよかった。
これはもう〜、笑っちゃうけどすごい好き。
アメリの素っ頓狂ぶりが、
段々普通の女の子の悩みになっていく所が、
観ていて切ない気持ちになった。
どんな変人でも、恋する気持ちは同じ。
そして自分の殻を破かないと、気持ちは伝わらない。
色んな作戦で、他人の人生はちょっとずつ変えることができる。
でも自分のことは?
作戦なんて、練ってちゃだめ。
行動あるのみ!
実際に、自分はこんなことは絶対にしないけど(笑)、
やってみたいなって思わせる、現代のおとぎ話なんだよね、きっと。

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2つともインテリアとファッションセンスが素晴らしい!
アメリの服は日本人にも結構似合いそうだし、
いつもぺたんとした靴に靴下って、
元オリーブ少女にはたまらない組み合わせです(笑)。
そしてアルモドバルの映画では、絶対にシビラの服が使われていて、
それを見つけるのが私の楽しみ。
今回は、ペネロペ演じる修道女ロサが「真面目に」修道女をやっている時の服が
絶対にシビラだったはず。
あと「欲望と言う名の電車」でウマ演じるブランチが
最初に着ている赤いスーツも絶対にシビラだったはず。
なんてマニアックな見方でしょうか(^^;)。

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(本題復活)

女でいることは、結構めんどくさい。
毎月毎月生理は来るし、
生理がちょっと遅れれば、自分ばっかりがドキドキして
男にはそんな気持ちは理解できないし。
産むにしろおろすにしろ、
肉体的にも精神的にも大変なのは女だし。
仕事に行けばまだまだ男性優位の社会で、
結婚しなかったらしないで、ぶつぶつ言われるし。
したらしたで、これまた制約も多いし。
でも私は、生まれてこのかた女に生まれたことを
嫌だと思ったことはない。
むしろ、次に生まれるときも女でありたいと思っている。
ウーマンズ・ブラボー!
全ての始まりの半分は私たち女性の力。
女は強くしたたかで、そして可愛い。
世界の、半分なんだ。


2003年01月17日(金) イラク詣で

先年、スペインに行くことにした時、
行く時期がちょうどクリスマスにあたることから、
私は現在モロッコに行っているPとCのカップルに連絡をすることにした。
クリスマスなら、マドリに戻るんじゃないかと思ったのだ。
彼らとはカイロで知り合い、マドリッドで1ヶ月半以上、
彼らのピソにホームステイをさせてもらっていたし、
その後2人の間にはレイラという女の子も生まれているので、
子供の顔も見てみたい。
クリスマスシーズン、確かにスペインに戻ることは戻るが、
クリスマスは妻の実家であるバレンシアで、
マドリにいるのは26,7日だけだと言う返事。
その後、年明けまでイラクに行くと言う。
「イラク〜?」とは思ったものの、
Pはアラビア語が専門、Cは記者というカップルなので、
それほど疑問にも思わなかった。
子供は、マドリ郊外の閑静な住宅街にあるPの実家にでも預けるのだろう。
私のスケジュールとして、26,7日は知人を訪ねてクエンカに行くことにしていたので、
かなりタイトなスケジュールになりそうだった。

しかし、マドリに行く直前になって、
結局イラクには行かないことになったから、いつでも大丈夫だよ、
という連絡がPから入った。
それを信じてスペインに入ってから大分日がたってからPに電話すると
(前半、私はガリシアを満喫していたので誰にも連絡する気にならなかった)、
携帯は留守番電話、家の電話は誰も出やしない。
何度かトライしたが、結局連絡がつかなかった。
残念だな〜と思いつつ帰国し、
日本から「もしかしてイラクに行っていた?」
というメールを打つと、どんぴしゃり、
「昨日イラクから戻った。」という返事が来た。

それにしても、今この状態のイラクにそんなに簡単に入れるのかな?
やっぱり仕事が仕事だからかな〜と思っていたところ、
いつも送られてくる田中宇さんのメールに
「イラク詣で」のことが書いてあった。
現在、アメリカの攻撃に備え、
イラクはあらたな「人間の盾」計画をしているらしく、
記者やアラビストだけでなく、NGOなども
比較的簡単にビザが降りるらしい。
そうして、ヨルダンのアンマンに行けば、
そこからは陸路でバクダッドに入るための
輸送ルートが成立しているとか。
「これだな」、と思った。
イラクのプロパガンダは外国人に到底通用しているとは思えない内容だったが
(田中氏も苦笑気味)、
あいかわらず、世界は流動できて、情報戦。
そしてアメリカの思惑の外で、様々なパイプが瞬時にのびる。
北朝鮮問題にしろ何にしろ、
そうそう思い通りにはならないわけだ。
世界がアメリカの思い通りにならない時、
アメリカの後ろを付いて歩いている日本はどうするんだろう?
自分たちで、考えないとね。


2003年01月16日(木) 将来の目標

将来の目標というのは、前途ある若者しか持っちゃいけないものなのだろうか。
女がいい年こいて、そんなものを持ってもしょうがないのかなあ。
でも私には色々将来の目標があって、
とにかく死ぬまでにそれらをやり遂げたいと思っている。
時間がかかってもなんでも・・・。

若い時には日々過ごすことにある意味手一杯で、
明確な将来の目標を、私は立てられていなかった。
もちろんそうじゃない人もたくさんいるだろう。
子供の頃からきちんとしたビジョンを持って
計画的にやってきた人もいるだろうが、
私は全然だめだった。
漠然としたもやもやした自分の将来しか、描けなかった。
仕事としてただ何となく、好きだからデザイナーになったけど、
デザイナーとしてどんなことをしたいとか、
どんなデザイナーになりたいとかってことも考えられなかった。
それじゃあ大成するわけがない。

初めて、将来のビジョン=自分はこうしたい!こうするぞ!
と言えるものをもてたのは、
エジプトに住んでみよう!!と決めた時だったように思う。
計画して資金を貯めて、親に根回しをして・・・。
そしてエジプトに住み始めて、またもやもやに戻ってしまった。
外国で生活することは、それ自体がなんだか特別なことに思えて、
そのことが目的になってしまいがち。
でもそれでは、本当は何にもならない。
外国での生活もやがて特別なものから、極ありふれた日常になっていく。
どうしよう、どうしたらいいんだろう。
もやもやしているうちに色々あって、
日本に戻ってきて日本語教師になって、アクセサリーを作り始めて・・・。

今、私の中の将来の目標は
日本語教師としてのものと、
アクセサリーを作るというものと、
2つの部分が同居している。
それプラス、もっと違う夢も。
その全てにそれぞれやりたいことや目標があって、
それをどういう配分で実現していくのかが、
とてもむずかしい。
そのどちらもが片手落ちのような気がして、
毎日いつも焦っている。
自分の年齢が気になる。
リミットや限界や、資金難や、もろもろも障害がある。

でも、
やっぱりとりあえずやってみよう。


2003年01月15日(水) 2400万・・・

独身税やDINKS税が導入されるとか言う噂もあり、
21世紀になっても、やっぱり肩身が狭いシングルトン。
シングルでいるってことは、何の税率優遇も受けていないわけで、
もの買ってるだの旅行してるだの非難するけどさ、
それって内需拡大にだって貢献しているんだ!!!
などと吼えた所で、
政府のお役人はどうせ「家庭人」、
シングル(もしくはDENKS)なんて目の上のたんこぶなのか。

どうも、私たちの年代だと、60〜80歳までの20年間、
老後「慎ましやかに」暮らすためには
2400万円の資金を貯めなくてはいけないらしい。
しかも、これだって年金がもらえる、という計算上のもので、
年金がもらえないとしたら3500万以上・・・。
2400万って、一体年に、月に、いくら貯めればいいの・・・。
手取りこれっぱっこで、これだけ貯金・・・。
人生、何の楽しみもなくなるわけですなあ。。。。

人は誰しも老いる。
自分の面倒は自分で見なくてはいけないことはわかっている。
でも、これからの20年以上、
老後のことだけ考えて生活するのも、
なんだか生きている意味がない。
結婚する予定もする気もほとんどないし、
もしかしたら子どもの1人くらい産んじゃうかもしれないけど、
その子を自分の老後の「あて」にはしたくはない。

2400万・・・かあ?


2003年01月14日(火) 今日かまた授業

今日の夜から担当授業がまた始まります。
いつものとーり、どたばたしてます。
日記はまた明日〜。


2003年01月12日(日) ちくわぶ

おでんが好きだ。
1年経っても帰ってこない計画性のない娘に会いに、
母が一人でカイロに来ることになった時、
食べたいものナンバーワンにあげたのもおでんだった。
そして一番好きな具は「ちくわぶ」。
レトルトのおでんだね+真空パックのちくわぶを
母がエクストラでリュックに詰めて持ってきたのは言うまでもない(笑)。

ちくわぶってなんだろう。
こんなに好きなのに、実はよく正体がわかっていない。
その上、どうもこの具は関東地区(もしかして東京か?)限定らしいのだ。
関西や九州、北海道出身の人にも
「ちくわぶ?何それ?」と聞かれたことがある。
ちくわぶのないおでんなんて、
ピラミッドのないエジプトだ!!!
と私は思ったりするが、
そう思う人は割合的に少なそうである。

よく、違う地方に育ったもの同士が結婚すると、
味噌汁の味から肉じゃがの肉、
雑煮に煮物、どちらの味を採用するか揉め事になることもあるらしいが、
どちらがより正しいと言うことではなく、
「そういうもの」なんだよなあと思う。
関東のうどんの汁が真っ黒なことを
まるで見るのも嫌なように話す関西出身の人も多い。
確かに関西風のうどんはうまい、関東風よりもうまいのは認める。
でも別に、いいじゃん、真っ黒だって(^^;)。
すしと言ったら江戸前だ!と譲らない東京人も多いが、
巻き寿司もバラ寿司も、そりゃあやっぱり寿司だろう。
皆がみんな、同じ物を食べていたら、
食べ歩きの面白さなんてなくなってしまう。

日本人は白いごはんが食べたい。
エジプト人はオイル抜きで炊いたご飯なんて考えられない。
芯が残ってこそのミラノのリゾット。
そのどれもが「母の味」、私たち一人一人の思い出なのだ。
宗教も文化も習慣も考え方も、違うことが当たり前。
そのどれもを否定はしたくない。


2003年01月11日(土) 理想と現実

EUになって、どんな時に自分がヨーロッパ人かと感じるか?
という質問に、一番多かったのが、
「アメリカに行った時。」だったと言うのはちょっと笑えた。
ヨーロッパと言っても、均一な文化を持っているわけではない。
西ヨーロッパのラテン国同士だと、
違うなりにお互いの言葉でコミュニケーションが取れることもあるが、
EUが東欧まで広がった今となっては、
一番の共通言語は実は英語なんじゃないか、という
なんとも皮肉な逆接も考えられる。
経済効果にしても、今目に見えるものは決してプラス効果ではなく、
どちらかと言うと、マイナス効果のほうが多い。
安価な国から輸入される食物に脅かされる自国農業。
安価な人件費で働くEU内外からの移民(不法滞在も多数含まれる)に
職を奪われますます失業率の高まる中流よりも下の自国民。
不法入国者にはそれなりの職住が提供されるが、
こうした自国民にはなかなか目も手も廻らない。
治安も、良くなるわけがない。

世界を1つに。
それは人間が人間になった時からの夢だと思うが、
理想と現実を埋めることはあまりにも難しい。
私がスペインに行きだした頃よりも、
もっともっと治安が悪くなっているマドリッドで、
より一層増えた肌の色の違う人たちを見ながら、
人権とか権利とか差別とか、
きれい事では済まされない現実をしばし直視した。
理想家でありたいと思う。
でも、楽観はできない。


2003年01月09日(木) 安全が、ただじゃない時代

うちは東京の田舎で、のんきなだけが取り得のところだったはずだ。
つい最近まで、留守にする間も鍵をかけていくうちすらマレだった。
隣近所に、「ちょっとでかけてきますから、よろしく〜。」
なんて声をかけておけばそれで安心。
1つには大通りからかなり奥まっていてしかも袋小路の一角なので、
知らない人が入ってきにくいと言う事もあったのだけれど、
最近では、どうもそうそうのんきに構えてもいられなくなってきた。
昨日も、実家に帰ると母が血相を変えて
「〇〇さんちに泥棒が入ったんだってよ!」
と話してくれた。
そう言えば、一昨日の夜、
実家で風呂に入って自分の寝床に戻る時にそのうちの前を通ったら、
おまわりさんの自転車が置いてあって、
「なんだろう?」思ったのだった。
早速、窓を開けると警報がなるという装置を一番やばそうな窓に取り付ける。
通帳やカードなどは、実家にお預けにしているから、
そっちをやられなければ大丈夫だろう。
ただ、最近になって入手したとあるものが異常に気がかり。
う〜む、いい隠し場所が浮かばない。
えい!とばかりに身に付けていることにした。
もともとほとんどものをなくしたりすることがないから、
身に付けているのが一番安全かもしれないのだ。
それも一重では不安なので2重にして身に付ける。
ほっと一息。

こんな街でも安全はただじゃなくなってしまった時代。
それはとてもさびしい、殺伐とした気持ち。


2003年01月08日(水) ぽとん

なくしそうだな〜と、作った時から思っていた。
そしてやっぱりなくして帰ってきた、月のブローチ。
気に入っていたのだけれど、予感があったのであまりがっかりしていない。
なくした場所は、マドリッドのプラド美術館。

プラドには私の大好きな画家の作品がたくさんある。
エル・グレコ、ベラスケス、
そしてボッシュ(ちなみにスペイン語ではボスコ、という)。
その他ちょっとした秀作たち。
ボッシュの絵を見るために、
そして大好きなローマ時代の教会の壁画を見るために、
まいごになりながら、広大な建物の中を
1人さまようのは楽しい。

一体ブローチをどこで落としたんだろう。
気がついたのはやっぱりボッシュの部屋でだった。
じっくりと好きなだけ、自分の見たい絵の前に立ち止まって、
絵の洪水に麻痺しそうな頭をしゃっきりさせるために
目を凝らしているうちに、
ふと、セーターの襟につけたブローチがなくなっていることに気がついた。
「やったな〜。」と思い、それでもうろうろと少し探してみた。
もちろん見つかるわけもない。
日曜日のプラドは無料公開日。
観光客だけではなく、たくさんのマドリ市民が暇つぶしに押し寄せていて、
ぎゅーぎゅーとまでは行かなくてもそれなりの人ごみだ。

ま、しょうがない。マーレーシュ。
予感があったのでさっさとあきらめて次の絵にむかう。
執着しないこと。
執着すればするほど、物事はうまく行かず空回りして、
大事なものが指の隙間から逃げていく。
そう気がついたのも、あれは2年前のお正月のマドリッドでだった。

2週間の休暇のあと仕事が始まって、
ふと気がつく。
マドリッドでおとしてきたものは、ブローチだけではなかったことに。
ぽとん。
仕事でのくだらない執着や頑なな心。
行き場のない不満。
どうやらそういったものも、ブローチと一緒にどこかに落としてきたらしい。
今も私はシニカル。
職場に忠誠なんて誓えない。
でも、やるときはやる。
そして自分の時間ももっと大事にしよう。
割り切れるような気がする、もっとクールに。
今の私の気持ちは、
ゆったりと大らか、でもちょっと攻撃的に行動。
1年、継続できればいいけど(笑)。


2003年01月07日(火) 携帯社会

うちの父親は電車通勤をしていないし、
かなり遠くまで行くのでも自転車で行ってしまうので、
めったに電車やバスに乗らない。
だからたまに電車に乗ると、無言で携帯をピコピコしている人の山に、
かなり不気味さを感じてしまうらしい。
自嘲気味に日本人の携帯電話依存をあざ笑ったりするが、
今回旅行に行ってみて、
それは何も日本に限ったことではないと、改めて思った。
そう言えば昨年カイロに行った時も同じようなことを
思ったんだっけ・・・。

エジプトでは携帯は持っているものの通話料が馬鹿にならないため、
学生の間で日本と同じように「ワン切り」が流行っていた。
そして着メロもばっちり。
パリのシャルル・ド・ゴール空港でも、
どいつもこいつも、暇を見つけては携帯メールを送り、
電話をかけまくっていらっしゃいました・・・。
「今?CDGなんだよ、飛行機が遅れててさ〜。明日?仕事に行くよ、じゃあ会社で!」
「あ、ママ?私。飛行機が遅れてるの。〇時にはつくと思うわ。じゃ,後で。」
なんて会話。
重要、とも言えるし、どうでもいいとも言える・・・。

目的地であったスペインなんて、元々家族&友だち依存症人種。
携帯が流行らないわけがない。
この国の携帯電話は日本人からすると驚くほど高い。
それなのに携帯売り場にはいつも人が群がっているし、
若い子もみんなやっぱり持っている。
そのせいか、携帯をかけながら歩いていて、
通りすがりに携帯をもぎ取られて盗まれることもあるとか。

そんな人々を斜めに見ている自分であったが、
実は今回私も日本から海外でもつかえる携帯電話を
レンタルして持っていっていた。
はっきり言って、便利だった(^^;)。
スペインで泊めてもらっていた友達は一人暮らし。
携帯だけしか電話は持っていなかったので、
もし私がレンタル携帯を持っていなかったら、
他の友人と連絡を取るのが、かなり面倒くさかっただろうと思う。
そのことで精神的にカリカリすることもあったんじゃないかと思うが、
お互いに携帯があるので、結構余裕を感じられた。

必要な時にあると便利なもの。
携帯電話もこのあたりで止めておけるといいのだが、
いったん持つと依存してしまうのは、
みんなさびしいからなのかなあ。

日本の携帯は、まだ海外には(特にヨーロッパとか遠方には)もっていけない。
でもきっと、そのうちに自分の使っている携帯電話をそのまま、
旅行先でもつかえるようになる日が来るのだろう。
怖いのは、パリやロンドンやマドリッドの路上で、
のんきに携帯で話しているうちに、
泥棒さんに一切合財持っていかれること。
これって、絶対に起こりそうですよね。


2003年01月06日(月) 年頭の覚書

ブルーはたったの2日で終了。
ああ、単純な性格でハムドリッラー。
でも時差ぼけは全開です。
今朝も夜明け前に目が覚めて2〜3時間眠れず。
今日は早く帰るぞ・・・って来たばっかりですが(^^;)。

さてさて・・・。
調子も上がってきたので、今年の年頭所感というか、
覚書を書いておきます。

(最優先事項)
*放送大学単位習得
これはも〜、説明するまでもありません。
目指せ卒業!
仕事よりも優先してがんばります(笑)。

*ダイエット
これもも〜、説明するまでもありませんね。
最低3キロ、ダイエットしたい。

*地道にこつこつアクセサリー製作。
焦ったり売れるものを・・・って思ったりしないで、
自分が好きなもの、作りたいものを作っていこうと思います。
諸事情あって、今年は彫金(ワックスか?)にも本格的挑戦する予定です。

*貯金するぞー
去年はなんだか貯金できませんでした(汗)。
だから今年は少し貯金したいです。

(しなくちゃいけないこと)
*仕事(苦笑)
悪条件にもめげず、スキルアップを目指す。

*語学の勉強
スペインに行って来て、やっぱり語学の必要性を痛感。
とりあえず、アラビア語に復活したい(これがむずかしい、スケジュール的に)。
あと英語の勉強もこつこつ続けます。

*出費のダイエット
物欲魔人の名を返上したいものです・・・。


こんな感じかなあ?
今思いつくところをつらつらと書いてみました。
さて、がんばるぞっと。


2003年01月05日(日) ブルー全開

昨日帰ってきて、同じ飛行機に乗っていたとおぼしい何人もの人が、
「やっぱり日本っていいわねー。」と
屈託なく言えるのを横目で見ながら、
果てしなくため息をついていたのだが、
家に帰り、荷物をほどき、日常生活のにおいをかいだ途端に、
自分には手に入らないものの重さに、
どっと感情の波が立ち始め、
どうにもならないほどにナーバスな状態になってしまった。
手に入れたいと思う、
でもどうにもならないことを、自分が一番知っている。
手に入れたいものは、
まず最初にあきらめなければならないもの。
それをあきらめなければ、
何もかもが、全くの無になってしまう。
人生はもっと簡単で、シンプルなもののはずなのに、
皆、そうやって普通に手にしているもののはずなのに、
私の場合は、にっちもさっちもどうにもならない。
そういう人生を選んでいるのは自分自身だけれど、
時折、わけがわからず悲しくなる。
だから時間を持て余すのは、嫌い。


2003年01月04日(土) ただいま

本日無事に帰って来ました。
仕方なしに(^^;)。
遅くなりましたが、
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

さてさて・・・。
旅行に行く前は、暇な時間に色々考えようって、
意気込んでいたんですよね。
考えるっていうか・・・、
今年何をすべきなのか、
何をしなくてはいけないのか、
したいこと、
したくないけどしなくてはいけないこと、
したいけどとりあえず待て状態のこと、
そんなことを選別しようと思っていたのです。

しかし、、、、
あまりにも居心地がよく、
のんびりと時間を過ごすことにすぐになじんでしまって、
結局何も考えないで2週間がたってしまった。
何が自分にとって大事か。
何を失いたくないか。
ただそれだけを感じていただけ。
失わないようにするためにはどうしたらいいか、
そんなことすら考えられない程の・・・。

あわてず騒がず欲張らず、
1つ1つこなしていきましょう。
とりあえず、放送大学の科目申請から(笑)。
あっという間に10年は経っていく。
そしてその次の10年も。
その時にも私の大事なものが、
まだ私にとって大事なものであればいいと思う。
そんなことを考えた、年の始まり。


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