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2003年01月31日(金) 私のハミガキの歴史(^-^;/もーいや。

最近、ハミガキ粉をかえた。
と、いっても顆粒とかの粉じゃないんだけど。
(言わなくてもわかるか。(^-^;)
粉じゃなきゃなんだろ。ハミガキクリーム?それともハミガキ剤?

今までに使った歯磨き粉って何かなーと
考えてみたんだけどうまく思い出せない。
最初に使ったのはこどもサンスターとかいうのだっただろーか。
こどもコルゲートだったかも。

その後、ホワイト&ホワイトにしたような。。。
デンターライオンだったかな? 両方使ってたかな。
リンゴをかじったら血がでませんかーっていうのは
デンターだったっけ?

で、ザルツの後にアクアフレッシュとかにして、
その後クリアクリーンを経て
今のメーカーの大人用ハミガキにしたような気がする。
クリアクリーンは結構長く使ってたなあ。何年前に出たんだろ?

アクアフレッシュって二色の時のほうがキレイだったような気がする。
三色になってからは変な金太郎飴みたいでいまいち。
私が使ってた頃は後ろから搾り出せるように
(キレイなストライプを実現するために(笑))
絞るやつがついてたけど、今でもついてるのかな?
技術革新でどう絞っても大丈夫になってたりしてね。
青だけのもあったような気がするけど、
名前なんだっけかなー。思い出せん。
アクア○○○○とかいう名前だったような。。。
思い出したら書き足そっと。
二色のは最近見かけないけど、もう売ってないのかな?
今度スーパーで見てみよ。

最近ではキシリトール入りのハミガキもあるらしーね。
私はガムで接種してるからそこまでする気はないけど、
最近子供の虫歯が減ったっていうのは
そういうハミガキがあるおかげなのかなあ。
私の小さい頃にキシリトールガムがあれば。。。うう。(涙)
そうそう、ロッテで歯磨きガムとかいうのも出してたよね。
あれ、どこいったんだろ?まだあるのかな。

最近までやってた磨き残しがわかるって
口の中が赤いの見せてるコマーシャル気持ち悪かったなあ。
最近見ないけど、評判悪かったのかな。
それともバカ売れだからCM控えてるとか?ちょっとやだなあ。(^^;

早く大人っぽいのにしたくて「こども○○」って
いうのを早目に卒業したせいか、
大人になってから「こども○○」の香りが懐かしかったりします。
と、いうわけで今つかっているのは
某メーカーのこども用歯磨きです。(苦笑)
そこのは香料と外装(やたらかわいい(笑))以外は
中身が一緒なので、ミントの香りもいいけど
たまには甘〜い香りのほうがいいのさ。o(^-^)o
(なぜ某なのかというと、単にメーカー名忘れちゃっただけです。
 洗面所に見に行くのめんどくさいし。(笑))

はい、お子様です。すんません。(^-^;
でも、どーせ毎日することなんだから、
大人用でも子供用でも楽しくできればそれでいいよね。(^-^)







もーいや。

おなかすいてて眠いのに、
いつまで人を待たせるのーーーーー。(怒)

連絡もせずに遅れるのサイテー。
分単位なら我慢できるけど、時間単位で遅れるなーーーーー。

他の人は違うかもしれないけど、
私の一日は24時間しかないんだぞーーーーー。
待ってた3時間かえせーーーーー。(涙)
(しかし、この様子だと4時間超の可能性ありとみた……)

ふう。予定もわからないまま待つの嫌い。。。


2003年01月30日(木) 「寂しい」が理解できない

私は「寂しい」という気持ちが理解できない。

彼も、友達も、私の両親ですら持っている感情なのに、
私は「寂しい」と思えたことがない。
過去の日記で「こういう状況ではこう使うのが
ふさわしいのかも」と思ってわざと使ってみたこともあるけど、
未だに微妙にずれているような気がする。
私にとっての「寂しい」は、「悲しい」と「つらい」を
ちょっと違った言葉で言い換えるための言葉に過ぎない。
そのせいか、私は「鈍感」だとか「強い」とか「幸せ者」とか言われたことがある。
鈍感かもしれないけど、「強い」とか「幸せ者」かどうかは疑問だ。
ネジが数箇所ゆるんでるらしいのは認めるけどね。

一人でいるのは好きだし、食事も荷物運びも、
窮地に立たされたときも、近くに誰もいないときは
大抵一人でどうにかしているので、
誰かがいないとだめ、という状況があまりなかったせいなのだろうか。
自分がいるのに「寂しい」を連発する母の気持ちが
わからなかったからなのか。
それとも、天気さえよければいい一日だと思える
単純さが原因なのか(苦笑)、よくわからない。

辛いことに、「寂しい」と言う人と深く付き合うと大抵喧嘩になってしまう。
寂しさゆえに発せられたきつい言葉が
突然の八つ当たりにしかとれないから、
理由がわからない私はやさしい気持ちで受け止めてあげることができない。
それに、そうなってしまうと相手の寂しさを理解できないだけじゃなくて
「あなたにはわからない」と言われて突き放されてしまうのがとても悲しい。
だから、「寂しい」を口にされるとつい一歩ひいてしまう。
この人ともだめになるんじゃないかな、と恐くなってしまうから。

寂しさを満たしてあげたくても、どうしてあげるのが一番いいのかわからないし、
よく話を聞くと私では、あるいは私だけではだめなパターンもある。
それに、寂しがり屋に限って素直じゃないし。(苦笑)
遠まわしに「ああしてほしい」というから、
なぜそうしないといけないのか
ますますわからなくてトラブルになってしまうのだ。
もし、ここを読んでいる人で寂しがり屋の人がいたら、
私には近寄らないほうがいいですよ。(苦笑)(^^;ゞ

どうせいつか傷つけるのであれば、
寂しがり屋らしき人とは少し距離をおいて、
誰かが早くその人を満たしてくれないかと祈る。
「寂しいからそばにいて」といわれても困ってしまうし、
「おまえは病んでるからわからないんだ」と言われた時もすごく困った。
むこうからみると寂しいのに突き放したように見えてしまうようだけど、
どうやっても傷つけるなら喧嘩はしたくない。
「素直に助けを求められればなんとかできるけど、
 自分の寂しさをわかってほしいなら相手を選びなさい」なんて
いえないしね。(苦笑)

どんなに好きでも、私には対処できないから
誰かに任せるか自分で立ち直ってもらうしかない。
それがきっかけで私とその人の間に大きな溝ができてしまうこともあるけど、
こればっかりはどうしようもない。

知人に聞いたら、単独行動が多いせいか
私はわりといつも寂しそうに見えるらしい。
だって、一人でいるときにニヤニヤしてたら変でしょ。。。(苦笑)
一人でいる=寂しそうっていう思い込みはどうにかならないものかと思う一方で、
それだけみんな、一人は「寂しい」のかな、と思った。


2003年01月29日(水) 暇な日はろくなことを考えない

昨日と今日は暇だった。
たぶん来月の中旬くらいまでは暇っぽい。
こういう暇な日はろくなことを考えない。


昨日あんな天気になると思わなかったから、
あの雨の中文房具屋さんを呼びつけて
大きくて重い物を持ってこさせてしまった。
まあ、あの配達の兄ちゃん嫌いだからいいや。(悪人)

ああいう雨の日も実は好きなのだけど、
寒すぎる雨の中をはしゃいで出かける気力は今のところない。
でも、雨の日の桜木町が好きなことは今も変りない。
今度行こうかな。。。

今日は晴れている上に暖かい。
こういう日ってすごく幸せ。(^-^)
これが日曜ならもっと幸せなんだけどなー。

せっかく晴れているので銀行に振込みに出かける。
ぽかぽかして幸せ。(^-^)
でも、入った銀行がATMのみのところだったので
現金振込みはだめだとさ。不幸せ。(T_T)
別の銀行で列の前に並んでいたお兄さんがかっこよかった。
あの頭セットするのに一時間はかけてるな、と勝手に確信。
でも、自分を磨く気持ちがある人っていいな。

銀行の近くに大判焼屋さんができていた。
5キロやせたら買いにこよう。
それまでつぶれないでね。(苦笑)

メールの整理でもするか、と思ってメーラーを立ち上げたら、
M君からメールがきていた。
最近彼女ができたのだそうな。
いいな、彼女。私もほしー。とりあえずがんばれ。

恋愛って、3ヶ月か半年ベースで終わらせるほうが
幸せなような気がする。それを過ぎると友達より
ちょっと仲がいいだけの人と付き合っていくだけになっちゃうし。
燃え上がっているうちに別れたほうが
一生美しいまま覚えていられるから
そのほうが幸せなんじゃないかなーと思えてしまう。
私が長期のにむいてないだけなのかな。
というか、修羅場になるまで終わらせられない
私が悪いのか。ははは。(笑えん)

あああ、これじゃまるでM君の恋愛が終わってほしい
みたいでわないですか。。。(苦笑)
違うのよー。そういうわけじゃないのよー。(^^;
最近、掘らなくてもいい墓穴を掘りまくっているので
口には気をつけなくては。

本当にわかってほしい人には
本当の気持ちをわかってもらえないことが多い。
そういう人なんだってあきらめるしかないと
頭でわかってはいても、心がなかなかついてこれない。
どうして、本当にいいたい言葉よりも
勢いで言ってしまった言葉のほうを信じるのだろうか?

M君はまだ23歳。
23歳に戻ったら私は何がしたいだろう。
でも、心も23歳だったら同じ失敗をまた
繰り返すだけなので、体だけ23歳に戻りたいなあ。
特に肌。(苦笑)
とりあえず戻れたら、愛とか恋とかは見ないで
いっぱい働いたり勉強したりしたいな。
もっと自分の基礎になることをしたいなあ。


ふう。暇なもんだからいろいろ考えて疲れちゃった。
今日はおしまい。

いつもより早目に寝たのだけど、
父が笑いながら壁を蹴る音で目が覚める。
早く寝てくれ。。。


2003年01月28日(火) Big Joke (3 of 3)

彼は、自分の姉が大好きだった。
頭が良くて話題も豊富で、自分をもっている人。
彼は、実家で久しぶりに彼女と会えてうれしかったらしく、
一月いっぱい実家の話題になるのは毎年のことなのだけど、
東京に戻ってからはずっと彼女の話ばかりしていた。
私は年末年始の間にいろいろ悩んだりしていたのだけど、
彼の楽しそうな顔を見ていると水をさすようなことはしたくなかった。

写真でしか見たことがないけれど、
彼女は、色白で華奢な感じがする目のキラキラした美人。
これで頭がよくてどんな話をしても楽しいというのだから、
男なら誰もがあこがれるんじゃないだろうか。
写真を見て「お姉さんと似てるね」というと彼はとてもうれしそうだった。
でも私は、話を聞けば聞くほど彼女が自己中心的な気まぐれな人に思えて、
あまり仲良くなれそうにないなと思った。
彼は口では「姉さんの強引さには困ったよ」というけど、
どう見てもうれしそうにしか見えない。

いつものように適当に聞き流していられれば
よかったのだけど、今年は違っていた。
彼は、姉が今まで好きだった趣味や音楽にあきて
新しい分野に挑戦していることを知り、
今まで自分の好きだったものを捨てて
新しいものを好きになろうとしていた。
彼が捨てようとしているものの中には、
私が苦労して好きになったものの大半が含まれていた。
そして、実家で姉と話し合った結果
健康を考えてお酒を飲んだりするのはやめることにしたという。

遠出はめんどうだし休日は疲れているからしたくない。
映画館やコンサート会場は混んでいるから嫌い。
飲み屋は高いから酒は家で飲んだほうがいい。
そして今度は、家でも嗜好品は避けるという。
それじゃあ、あなたと一緒にいるとき、
私はどうしていればいいのだろう。
部屋で一緒にお茶でも飲んでようか?

彼はお姉さんからもらった本を何度も読んで喜んでいた。
それは、私には到底好きになれそうにない分野のものだった。
彼が私にもそれをすすめようとしたとき、
初めて私は彼に嫌悪感を感じた。
急いで表情をもとにもどそうとしたけれど、
私があらわにした嫌悪感は彼に十分わかったようだった。

改めて話を聞いてみると、彼が私に話した楽しい話や
彼の「本物」好きは全て彼女の受け売りであることがわかった。
彼が否定した私の意見でさえ、
実家で姉から一言言われたとたん肯定に変わったことにも気づいた。
私が好きだったのは、お姉さんにあこがれていただけの、
自分の意志なんてほとんどない人だったのか。
冷たいものが背中を通り過ぎていくような感じがした。

今まで彼の好きなものを好きになろうとしてきたのに、
彼はそれを簡単に捨て、私と一緒に何かを楽しむ気すらあまりないらしい。
私は彼にあわせていたつもりだったけど、
本当はお姉さんにあわせていたのだ。
会ったこともない彼のお姉さんに振り回されていたなんて。
何か、とんでもない悪い冗談に違いない。
そう思いたかったけど、気持ちが急速にしぼんでいくのは止められなかった。

翌週も、その翌週も彼は、
彼女から与えられた新しい世界を楽しみつづけていた。
私はその世界を好きになることはできず、
一緒にいても口元でしか笑いを作れなくなっていた。
いつもなら苦痛な休日の仕事も、かえってうれしく感じた。
そんな気持ちを知ってか知らずか、
彼はうちの家族に会いたいとほのめかしてくる。
もうそんな気はあまりなかった。
お姉さんにすすめられれば、私と別れてくれる?
そんな言葉がのど元まで出かかっては消えた。

でも、最初から好きなものは好き、
嫌いなものは嫌いといっていれば
こんなことにはならなかった。
これは自分のまねいたことなのだから、
悲劇のヒロインぶることはできない。
私は「気のあう彼女」を演じつづけた責任を
とらないといけないのだ。


賭けのつもりで、電話をかけて
今日自分の行きたいところを言ってみた。

帰ってきた答えは、

「眠いし、疲れてるし、遠いから一人でいってきて」

だった。

勇気をふりしぼって
「私のことをどう思ってるの」と聞いてみようとしたら、
突然、携帯の電池が切れた。

どうしてこう、いつもタイミングが悪いのだろう。
携帯を見つめていたら、乗るはずだったバスまでも
私の横を通り過ぎ、乱暴な砂埃が私の髪をかきあげた。

家に戻ろうか。
一人で出かけようか。
彼の家へいこうか。

どこへ向かっても、この気持ちを
今すぐに満たすことはできない。

しばらく考えて、自分の決めた方向へ歩きはじめた。



<appleteaより>

長々とした文章を読んでくださってありがとうございました。(^^;
本当は一日分のつもりだったんですが、
構成をかえて短くするつもりが
さらに長くなってしまいました。(苦笑)

私がどこへ向かって歩きだしたかは。。。
とりあえず内緒です。(^^)
そのうち、そのことを書くかもしれませんが
気が向いたら読んでくださいね。

読んでくださった方にいいことがありますよーに。
明日からは一日分にまとめます。(^^;


2003年01月27日(月) Big Joke(2 of 3)

付き合っていくうちに、彼のある一面に気づいた。
自分が知らない分野に私がとびこんでいこうとするとき、
彼はとまどいのような怒りのような表情をするのだ。

私と彼は、興味があるものの方向は似ていた。
私はその中で広く浅くいろいろなことを知りたいけれど、
彼は少し範囲は狭いものの広く深くいろいろなことを知りたいのだ。
でも、彼の範囲は少し狭いので、どうしても私の知りたい部分と
彼が知りたいけど切り捨てている部分が重なってしまうことがある。
そういうとき、彼は私にいかにそれが無駄なことか
説こうとするか、別の話題に切り換えようとする。

とはいえ、私は無駄でも好きなものは好きなので、
彼と会わないときにそのことの情報をいろいろ仕入れたりする。
私は自分のほうで楽しめればいいと思うけど、
彼は、自分の知らないことを私が知るのは
あまりうれしくないようだった。

でも、彼がそういうことをするのは、
私の「あなたって何でも知ってるのね」という言葉が
彼の負担になっていたことが理由だったと後で知った。
彼は、私の前ではなんでも知っていたかったのだ。
それを打ち明けて以来、彼は私の前でも
知らないことは知らないというようになった。
でも、その時の彼はとてもくやしそうだ。

私は、会話の中から彼の嫌いなもののキーワードを
覚えておいて、もしそれが自分の好きなものであれば
彼の前ではその話題を絶対出さないことに決めた。
彼と一緒の時は、彼が楽しめるようにしたかった。
彼が一番でいられるように。
彼が笑っていられるように。
彼が嫌うものの中には、知らないから否定するくらいしか
意見の言いようがないものもあるようだけど、
私が好きでも嫌いでも、今、一緒に分け合えないものなら
何の意味もないのだ。

心の中の「私の好きなものを好きになれなくても、
普通は努力くらいしてくれるんじゃないの?」
という言葉には耳を貸さないでおいた。


そんな彼と、いつしか結婚の話が出るようになった。
正直に言うと相手が誰であれ、そんな気持ちになれなかった。
相手を両親と対決させないといけないのだから。
でも彼は、何を言われても自分なら大丈夫だと私に答えた。
いろいろ話をするうちに、ちょっとずつそういう気持ちも出てきた。
対決してもいいなんて言ってくれる人、他にはいないだろう。

もし、一緒に住むとしたら何をもっていこうかな。
そう思って自分の部屋においてあるものを眺めた。


この本は−−だめ。
このCDは−−だめ。
この服は−−だめ。


・・・・・・


私が持っていきたいと思っていたのは、
彼に見せたら軽べつされそうなものや
家の都合で置いていかないといけないものばかりだった。
でも、これはもっていけない。
じゃあ、私が今まで手にいれてきたものは
全部無駄なものだったってこと?

好きならもっていかなくてもいいじゃないという気持ちと、
本当にこれでいいのだろうか?という気持ちが頭の中で
ぐるぐる回り始めた。

彼の声を聞きたいと思ったけれど、
その頃、彼は実家に帰省していた。


To be continued...


2003年01月26日(日) Big Joke(1 of 3)

彼がこの週末には会えないかもしれないというたびに
一瞬喜んでいる自分に気づく。
そして、やっぱり大丈夫だといわれてがっかりしている。
我ながらなんてやつだと思う。

去年までは私なんかが一緒にいちゃまずいんじゃないかな、と
思っていたけど、彼が今年帰ってきてからは
私って何だったんだろうとしか思えなくなってきた。
心のどこかで「別れる理由さがしてたんだから
ちょうどいいんじゃないの」とニヤついた声がする。
そんなことない、と声に出そうとするけれど、
本当にそんなことないのか自分でもわからない。


初めて出あった頃の彼はいろいろなことを知っていて、
他の人と違って強くて、自分の意見を持った人だった。
他の人が何の理由もなしにメディア戦略にのせられて
惹かれているアイドルを見て
「あんなのは●●のパクリにすぎないよ。
 こっちのほうがずっと本物だ」と
自分の考えに即した「本物」を教えてくれた。
それは、必ずしも私が好きなものではなかったけれど、
少数派でも自分の考えに自信を持っている彼が
好きだったから、それを好きになってみようとした。

でも、彼は自分の信じるもの以外は見ようとしない人だった。
彼の否定するものの半分以上に私の好きなものがあってとまどいもした。
でも、前の彼と別れたばかりで、
どうせこの人ととも3ヶ月も持たないだろうと思っていた。
ほんの少しの間、自分の感覚を殺せばいいだけ。
何が好きか嫌いかより、この人が少しでも長く
一緒にいてくれるかのほうが大事だった。

三ヶ月をすぎ、半年をすぎ、
一年以上たった。

最初はいろいろやさしくしてくれた彼だったけど、
だんだん本性のめんどくさがりな面がでてきた。
「前にいったあそこに行きたい」と言っても
「うちにいたほうがいい」という答えが返ってくる。
出不精ではないのだけど、余計なことにはお金を
使いたくないらしい。
海辺のドライブが好きだったけど、
彼がそのつもりがないのなら仕方がないなとあきらめた。
彼の中の「どうでもいいこと」の中に私の好きなものを
いくつか入れることには何度か成功したけれど、
やっぱり一緒にいるとちょっとつらい。
同じCDを聞いていても、
彼が好きなのが二曲目で嫌いなのが三曲目だったとすると、
私が好きなのは大抵三曲目なのだ。
ほんのちょっとズレているだけ。
音楽が好きなことにはかわりないでしょ?
そう何度も自分に言い聞かせた。

彼の前では好きなものを飲んだり食べたりできないし、
好きな本の貸し借りもできない。
一緒に美術館にいっても見たいものが違う。
会うたびに自分の感覚が疲弊しているような気がした。

でも、二人で力をあわせて何かをするときは
お互いの欠点を補いあえるから
何かを一緒にするときは最高のパートナーだった。
問題は彼と一緒にしたいことが
あまりないのが欠点だけど、
外食すると二人に出された皿は
何も残らずきれいになった。

何度か別れようとしたこともあったけど、
そのたびに、こんなふうに自分をひきとめようと
する人はもういないと思えた。
好き嫌いや、考え方の違いなんてどうだっていいじゃない。
一緒にいられればいい。
私は自分の感覚を捨てることにした。
彼が私にくれるちょっとしたやさしさや
時々見せる恥ずかしそうな笑顔、
肌のあたたかさ。それだけがあればいいと思った。
だけど、それが自分にとってどんなに負担なことか
その時はわかっていなかった。


To be continued...


2003年01月25日(土) エネルギー切れの私

やっとわかった。

私、もうだめだ。


よく眠っているとか

カゼをひいてないとか

そういう問題じゃない。


荷物をまとめて、切符を買って、

どこかでしばらく休養しなきゃ。


2003年01月24日(金) 雪の夜道で


……ねえ、雪が降ってるよ。

きれいだねえ。

街の汚いものが全て覆われるみたいに。


きれい? きみは本当にそんなこと思ってるの?

雪は、本当はとても汚いものなんだよ。


本当は汚い?


いろいろなチリやゴミが混じっているから、

白くても本当は汚いんだ。

雪が降ったあとは汚いものが見えなくなったように思えるけど、

本当は、汚いものに覆われてきれいになったつもりでいるんだ。

おかしいよね。


ううん。たぶん、そうじゃないと思う。

きっと、私達のほうがずっと、雪より汚れているから

雪のほうが美しくみえるんだわ。

私たちは、暗闇であんなに白く輝くことはできない。

暗闇にまぎれてしまったら、誰も探してくれない。


そうなのかもしれないね。

僕らのほうがずっと、醜く、汚れているのかもしれないね。


きっとそうなのかもしれない。


2003年01月23日(木) 理想郷を求めて/行き場のない怒り

いつもと違う場所を散歩していて思っていたこと。

時々しか来ないけど、私はこの場所が結構好きだ。
年令層が自分と違う人が多いせいか、
みんなこっちを見ていないから気軽に歩けるのだ。
欲しい物はほとんど手に入るし、治安も悪くない。
そのうえ、交通の便もいい。
ここなら住んでもいいかもしれないと思える。

でも、たまにくるのと実際に住むのとでは違う。
ここの人になってしまうと見なくてもいいものまで
見なくてはいけない。
今住んでいる場所も普段は静かでいいところなのだが、
地域住民のいやーな争いを何度か耳にしているし、
夜は夜で、バイクの音がうるさい。
時々近所の家から、何かをぶつける音と同時に
子供の悲鳴が聞こえることもある。
憧れは憧れのままにしておいたほうがいいのかもしれない。

だけど、私たちはどこかに住まなくてはならない。
近所のおばさんが世話好きすぎても、
茂みの中で眠らなくてはいけなくても、
寝起きする場所が必要だ。

最初にいたところは、親戚づきあいがうっとうしくて毎朝苦痛だった。
その次にいたところは、よく覚えていない。
その次は、うわべは親切そうだけど
実はそうじゃない人がわりと多かった。
前にいたところはそんなに悪いところではなかったけれど、
事情があって引越さないといけなかった。
今いるところは、悪い場所じゃないけれどどこか居心地が悪い。

夏には涼しいところへ、
冬には暖かいところへ引越すことはできるかもしれない。
海が好きなら海の見える場所へすむこともできる。
でも、そこと相性がいいかまではわからない。

外国に住んでいる知人が、
日本に住んでいる間はずっと自分に自信がなかったけれど、
自分の住んでいる町では自分が多少太っていても
二重じゃなくてもうけいれてくれる、と言っていた。
そこは彼女にとっては相性がいいかもしれないけど、
私とあうかどうかはわからない。
それに、今は彼女にとっていいところかもしれないけど、
人間がかわるように、町もかわるのだから。

値踏みされているような視線がなく、
住んでいる人とある程度の距離を保てる、
暑すぎも寒すぎもしない静かな場所。
そういうところなら、電車が鈍行しか止まらなくてもいいし
本屋さんが6時にしまってもいいなと思う。
だけど、条件だけは自分とあいそうでも、
どこか違うと思えてしまうところばかり。

でも、たとえ「ここだ」と思える場所があっても、
多分私はそこには住まないと思う。
理想とぴったりのものを手に入れるには、
私は臆病過ぎるから。
だけど、私もそろそろ別の場所を探すべきだと
頭のどこかで声がする。


−ここは理想郷じゃない。

 きみにとっては理想郷じゃない。

 ここは理想郷じゃない。

 誰も理想郷なんて知らない。


どこへ行けばいいい?







本当は、今日は別のことを書くつもりでいた。
私の父に対する憎しみをぶつけるつもりでいた。
だけど、もう憎んでも仕方がないと
思えることが起きた。

プライドを破壊された彼は
最近「自分」を失うことが多くなった。
さっきも洗面所で正体をなくし、
母に下着をかえてもらっていた。

思えば私は、彼に他の家庭の父親のような
思いやりがあって頼りがいのある人に
なってほしかったのかもしれない。
それがだめでも、「今まで悪かった。これからは仲良くしよう」と
一言言ってほしかったのだ。

だけどそれが無理なことはわかっていた。
彼が怒鳴り声をあげるたび、「俺にあやまらせるな」と
心で叫んでいるのが聞こえていたから。
行き場のない私の怒りは、それがわかっていても
彼を憎むことしか行き場がなかった。

私が憎んでいた「彼」が消えようとしている今、
私が彼を憎む理由はない。
でも自分を失いかけている彼は、私たちに
新たな苦悩をもたらそうとしている。


自分の憎みつづけたものに、
これからものしかかられつづけるなんて。


私は、


いったい、


何のために生きてるの?


2003年01月22日(水) 過ぎゆく時なら

花粉症を完治させる薬がまだできてなくても、

みずほ銀行がうまく稼動しなくても、

桜を見れなくても、

とりたい資格をまたとれなくても、

お気に入りの紅茶が買えなくなっても、

仲良しだったつもりの人に裏切られても、

読んでいた本の続刊を結局買わなくても、

いい人が殺されて犯人がつかまらないままでも、

何年も前から行こうと思っていた場所がなくなってしまっても、

秋らしい秋がこなくても、

年令を言いたくない年になったことを自覚しても、

二度と会えないかもしれない人と会うチャンスを逃しても、

悪い夢が現実になっても、

死ぬかと思うような徹夜をしても、

好きだった場所の名前を度忘れしたままでも、

恩を仇でかえされても、

ダイエットがうまくいかなくても、

またあの場所から呼ぶ声がしても、

毎年12月20日に年賀状を出すといっていた
友人が19日に亡くなっていても、

今年はいてくれると思っていた彼が
また実家に戻ってしまっても、

特に目標もなく一年が終わってしまっても。

2002年は終わり、2003年はちゃんとやってきて、
昨日は終わり、明日になろうとしている。

悩んでいても、楽しくても、時は過ぎていく。
どうせ過ぎていくなら、楽しく生きていきたい。
できることなら。


2003年01月21日(火) 見るなら堂々と?

他のエンピツさんの日記ページって、
エンピツさん以外のアクセス解析をつけている人が
結構いますよね。

最近MyEnpituを使い始めたものの、
エンピツさんのだけでいいじゃん、なんでそんなに
つけるのおおーって最初思ってしまいました。
得体の知れないところからリンクされてないか
チェックするためなのでしょうか?
まあ、私はこの日記はエンピツユーザさんに見てもらえればいいので
日記リンクのページには登録してないから
そういう怖いことにはならないと思うけど。

独自につけたアクセス解析に自分のアクセス履歴が残っても、
細かい個人情報を抜き出されるわけじゃないのだから
別にいいじゃない、と思う半面、
プロバイダのAPから見て私がきたかどうか
わかられてしまうことがあるのがちょっとイヤ。

ただ見に来たというだけじゃなくて、
何時くらいにきたのかとかまで解析されてたりすると、
別に悪いことしてるわけじゃないのに
「この時間帯によくきてるよね」
「いつ寝てるんですか」なんて言われたりすると
ちょっとバツが悪かったりします。(^^;

そもそも私はMyEnpituも非通知だったりします。
別にこの人には通知してもいいかななんて思えても、
通知か非通知かしか選べないので、通知にしたりすると
うちと違ったものすごいハイテンションな
サイトにまで連絡がいってしまうんですよねー。(苦笑)
そのたびに「うち暗いんで恥ずかしいから見ないでぇぇぇ。きゃー。」とか
連絡するのも面倒だし。(笑)

それもどーかななんて思うんだけど、
WhoisMyで名前が出ている件数以上に
myenpituから人がきてるとものすごい気になるー。ううう。
そして、myenpituから気になっていた人の名前が
消えた時の哀しさ。。。ショックで一週間泣き崩れてしまいます。(半嘘)
(あ、でもちょっと残念っていうのはほんとです。(^^;)
自分もいつか削除するかもしれないしー、
そういうことを考えるとまだ非通知のほうがいいのかもー。

……そんなジレンマで悩むうちに結局非通知のままな私。

隠れたいわけじゃないんだけど、
堂々と見るのも気が引けたりします。
どーしたもんでしょうかねー。


2003年01月20日(月) 別れの予感/ある疑問

最近、彼の様子がおかしい。

メールの数が減ったというだけなら
仕事が忙しいというだけで片付けることもできるけど、
平日の重要な連絡手段である携帯電話も忘れるし、
一緒に話していても上の空。
新しい約束をする気もあまりないらしい。

彼が帰ってきてから徐々に感じ始めていた変化が、
だんだん広がっていくのを感じる。
たぶん、理由が私のほうにあっても
ちゃんと言ってはくれないだろう。
彼は不満を飲み込むことができる人。
言いたいことを言わないですませられるというのも
私とは正反対だ。
無駄を承知で「最近どうしたの?」とメールを出してみるけど、
それに対する返事はなくて「今日は疲れた」とだけ返ってきた。


待たせすぎた。

注文をつけすぎた。

彼の気持ちをきかなすぎた。

最近彼に使う時間が少なすぎる。

普通の子ならすんなりいくはずのことなのに
障害が多すぎて疲れる。

どちらかが一方的にあわせているものなら
あるけれど、本当の意味での共通の趣味がない。

私が頼ろうとしないから、
必要とされている実感が得られない。


理由ならいくらでもある。
もうそろそろ終わりなのかな。
でも、そのほうがいいのかもしれない。
私が最も恐れている、彼を家族と対決させるという
事態を避けられるなら、それでもかまわない。

前の彼にふられたのはバレンタインデーの日だったっけ。
あれはかなりショックだったから、
そのつもりならその前に言ってくれるととてもうれしい。
最悪でも、私の目の前でチョコレートを捨てる前に。






人に頼られたいって思っているのはわかるけど、
いったいあなたの何を頼ればいいの?

信じてもらえないのに、
甘えさせないのは私が悪いの?

自分の「生きている意味」「生まれた理由」を探している人にとって、
「死」はなんなのだろう。自分の意味を潰すもの?
そういうのを探している人にかぎって、
ふらっと死に近づいてしまうのはなぜなんだろう。

自分の好きなものを、自分の好きな人が嫌いなときって、
その好きなものはどうすればいいんだろう。

私、どうなっちゃうんだろう。



*昨日は妙に投票が多くてちょっとびっくりしました。(^^;;;
 押してくださった人ありがとう。m(__)m
 メッセージがかわるボタンおもしろそーだからまた作ろうかなと
 思ってたのですが、めんどくさいのでやめときます。(^^;;;;;


2003年01月19日(日) 私には、わからない

小学生の時、私はある男の子グループからからかわれていた。

私は学校で特に話したいこともなく
友達もいないほうだったので、
彼らにとっては暇つぶしにはいい対象だったらしい。
私はその子達がすごく嫌いだった。
ほっといてほしいのに、何をするにも
監視されているみたいですごくいやだったのだ。

でも、彼らと仲がいいけど私をからかう時には
仲間にはいってこない子がいた。
S君はあまりそういうことが好きではないらしく、
彼だけは普通に接してくれた。
時々冗談も言うし、ちょっととぼけた感じの子だったので
私はS君といると楽しかった。

そのグループの子たちは私の彼らに対する態度と
S君に対する態度が違うのを見て、それをからかいはじめた。
わざと私に変な質問をするようにS君に仕向けたり、
手をつなぐように言ったりしてS君もからかうようになった。

私はその様子を見て、S君は自分といては
いけないのではないかと思い始めた。
そして、その翌日から彼を無視するようにした。
自分の席にS君が話し掛けてきても席を立って逃げた。
S君と話したいけど、自分のせいでS君が
からかわれるのはもっといやだった。
S君が最後に話し掛けてきて私が席を立とうとしたとき、
彼がとても悲しそうだったのを覚えている。
私もすごく悲しかったことも覚えている。
それ以来、私とS君は口をきかなくなり、
グループがからかうのは私一人になった。
これでいいんだと思っていた。

その後クラス替えがあり、S君とも別のクラスになった。

ある時、私が学校の周辺を歩いていると
S君が壁にもたれて一人で座っているのを見た。
そっと近づいて見ると、彼は泣いているようだった。
周りに誰もいないのを確認して、
私はS君に「どうしたの?」と声をかけた。

S君はきょとんとした表情で私の顔を見た。
しばらくして、彼は涙をふくと、
立ち上がって何も言わずに走っていってしまった。
私は、彼の座っていた場所を
ぼう然と見つめることしかできなかった。


あれから、ずっと同じことを繰り返しているような気がする。
相手が傷つくことがわかっても
一緒にいて欲しいなんて、私には考えられない。
でも、もし相手が傷つくのを承知で
一緒にいたいと言ってきたら、どうすればいいのだろう。

私が相手から離れたほうがいいと思うのは、
本当は相手を傷つけたくないからじゃなくて、
傷つけた責任を負わされたくないからじゃないんだろうか?

今の私には、わからない。
いっぱい考えれば答えはでるのだろうか?


2003年01月18日(土) あなたって、変な子ね。

私はよく昔、「変な子」だといわれることがあった。

できるだけ他の人に迷惑をかけないように、
目立たないように生きてきたつもりだったので、
どこが変なのかわからなかった。
「普通」の子になりたくて、雑誌を読んで研究したり
好きになれそうもない音楽を聴いたり、
集団行動をしてみたりもしたけれど、
どれも自分にむいてないものだったから
そういう評価は気にしないことにすることにした。

私のことが「変」だと思えたのは、
私が彼らにとって今まで対応してきた子と
少しだけ違っていて、その違いを探ることなく
「変だ」ということにして理解を止めてしまった
だけなのではないだろうか?

わかってくれようとする人にはいくらでも
説明する準備があったのに、ろくに
自分のことを話したことすらない人ほど
私のことを「変な子」と言っていたように思う。
つまり、相手がこっちを理解するのに
手抜きした結果そういう評価だったというだけなので、
最初から気にする必要なんてなかったってこと。

ちゃんと理解したいと思えるほどの
存在ではなかったということなのか?
それとも、人というのは
わかりやすい存在であるべきなのだろうか?

よく知りもしない人のことをイメージを勝手に
膨らませて悪口を言ったり、
ろくに話したことのない人のことを変だと言って
理解を止めている人のほうが変だと思う。

でも、そんなこと言ったところで
「変な子」の言うことだから説得力ないかな。(^^;


2003年01月17日(金) 終わりをください

私が居間のパソコンでメールチェックをしている時、
父と母は後ろでテレビを見ていた。

テレビのニュースで、幼児虐待死の事件の話が始まった。
父はそのニュースを見ながら楽しそうに、
「俺も子供に思い知らせないとな。包丁で」と言った。
母は「何を言ってるの」とひきつりながら
フォローに困っている様子だったが、
父はとても楽しそうに何度も同じ言葉を繰り返した。

私は思わず席を立ち、自分の部屋にこもった。

自分の部屋にはいって座ると、
こらえていた笑いがふとあふれだしてきた。
あの人、あんなことで私が怖がると思ってるのだろうか。
かわいそうな人。

昔、父は私の目の前で母に包丁を突きつけ、
母が怯えて泣き叫ぶのをみて笑っていたことがある。
私は恐怖のあまりただたちすくんでいた。
父にしてみればただの冗談だったらしいが、
あまりにも悪趣味な冗談に母が怒り出し、
「そんなに殺したいなら殺せば」と怒鳴りだした。
父は自分の「冗談」を理解しない母に逆ギレし、
二人は大喧嘩をはじめた。

母はそんな父でも離婚しなかった。
母は離婚しても行く場所がないからと言って我慢していた。
最近になり、父は今でも母が同じ理由で
離婚する気すらないのを確認してニタニタ笑っていた。
他のことについては尊敬できないけど、
離婚しない理由を子供のせいにしなかった点では母はえらいと思う。
まあ、子供のためにうんぬん、なんて
もともと考えない人だからね。

私はこの一年ほとんど父と口を利いていない。
彼と関わるとどんな些細なことでも
いやな目にあわされるから、関わりたくないのだ。
ずっといやいやながら口を利いてたので、
その義務がなくなっただけでもすっきりしている。

しかし父は、私が自分をバカにしているから
口をきかないのだと思い込んでいるようだった。
その思い込みはエスカレートし、私が近くにいるときでも
私がいやな顔をしそうなことを時々言うようになった。
父が母といるとき、私が一番傷つきそうな言葉で
私のことを呼んでいるのも知っているが、
しょーもないなと思って右から左に流していた。
それがますます気に食わないようだった。
彼は、自分の言葉で私を傷つけて泣き顔を見ることで
私が下だということを確認したくてたまらないのだ。
しかし、私は母とは違って人の言葉で傷ついたくらいでは
涙は出ないので、父の願いをかなえてあげるのは難しそうだ。

父は、仕事も減り、長年の付き合いだった会社からは見捨てられ、
弱い立場となった父に好き勝手言うようになった母にとまどっている。
もう年をとり、自分の愛しい母親と
同じ病気になってしまって体の自由もきかなくなってきた。
もう若くないし力ももうないということを受け入れられないから、
何も口答えしない娘にあたるしか術がないのだろう。
母も、父と意見が合うのは自分の子供が理解できないという
ことだけなので、嬉々として一緒に悪口を言っている。

お金を稼ぎつつ、目先の小さな幸せをちょっとずつ
手にいれながらぼんやりと今日を生きている私。
自分の行く先に光があるのかなんて考える気にもなれない。
好きな服とコロンを身につけさせてくれるのなら、
私は逆らわないから包丁でも何でも好きなようにしてください。
ご希望なら遺書も書きますし、日にちを指定してくれたら
身辺整理もしておきます。
何なら、私が死んだ後指差して笑ってくれてかまいませんよ。
あなた、そういう「冗談」大好きでしょ。

この生活に「終わり」をくれるなら、
どんな方法でも喜んで受け入れましょう。


2003年01月16日(木) 1月15日の私。

今日は寒いと言っていたけど、晴れだったので少し安心した。
寒いことは寒いのだけど、雪よりかはいいか。

K君と愛犬のこと(詳細は前日分の日記参照)が
心配で眠れないでいたけれど、やっと明け方に就寝。
しかし、腹痛で目が覚める。(涙)
最近、腹痛というか、肋骨の裏?がときどき痛い。なんだろか。

K君からの、愛犬がごはんを
ちょっと食べたという連絡にほっとする。
このまま回復してくれるといいけど。
そばにいてあげたいけど、むこうからは
そんなこと求められていないので切ない。
彼は、私が昨晩彼の愛犬のために祈ったことを
永遠に知ることはないだろう。
でも、彼らの友情が少しでも長く続いてくれるなら、
そんなこと知られなくてもいいかと思う。

彼からメールがきていた。先方の原稿の
遅れのせいで、死ぬほど忙しいらしい。いつものことか。

そろそろ花粉の季節なので
甜茶エキスものを何か買おうと思うのだけど、
どれにしていいのかわからず明日考えることにする。

実は、今日は冬休み明けの仕事はじめの日だったりする。
本当は昨日からだったのだけど、N氏から
まだ原稿が届いてないから明日でいいと連絡がきたので
今日の夕方になった。
どこの会社でも原稿っていうのは遅れるものなのだろうか。

今年初めてN氏に会うが、なんだか様子がおかしい。
寒いせいなだけならいいけど、
いつものような魚市場の人のような威勢のよさがない。
なにかあったのだろうか?
でも、私とこの人はそういうことを聞きあう関係ではないので、
とりあえず心配はするが口には出さなかった。
しかし、その気持ちは三秒で一転。
N氏から、あさってしめきりの作業を明日の朝までにやれと言われる。
つまり、36時間でやる予定だったものを
12時間で終わらせろというのだ。
誰が心配してやるか!(苦笑)

メールチェックをしたら、例の疑いまくりのクライアントが、
まだ昨年の私のミスをひきずっていることが判明。
もうしつこいって。そんなに疑うなら連絡とるなっつーの。

仕事の最中になぜか突然
自分の人生について考え始めるが、
かえって疲れるので中止。
(あらゆる意味で疲れてたのかも。)
少し休憩し、烏龍茶二杯とチョコレート三個を
エネルギー源に再稼動。しばらくしてなんとかお仕事終了。
ふと腕を見ると蚊に刺されたようなあとを発見。
蚊ってまだいるの?!

メールの返事をそろそろ出したいのだけど、
今日はもうあまりパソコンにはさわりたくない。
皆様に心で詫びをいれ、
とりあえず日記を書いて寝ることに決める。

My登録している人の日記の中に
風邪ひいて卵がゆを作ったと書いてあり、
おいしそうだなと思った。
……風邪のほうを心配してあげなさいって。>自分

玄米がゆおいしいんだよね。o(^-^)o

……だから、風邪のほうを。。。
まあ、おなかすいてるから仕方ないか。(^_^;
でも、寝る直前なのでとりあえず空腹は我慢。

明日はいいことがありますように。


2003年01月15日(水) まだ、奪わないで。

友人のK君の犬が病気で危険な状態だという。

なすすべもない彼は、弟のように一緒に過ごしてきた彼が
目を閉じて眠っているのをただ見守るだけ。
昨日から、彼が口にした言葉は犬の名前だけ。
でも、犬は少し大きな物音にすら目をあけようとしない。
老犬というほど年をとっているわけではなく、
特に間違った飼い方をしていたわけでもなかった。

彼は、K君が唯一心を開ける相手だった。
彼は人がとても苦手だったが、犬の具合が悪い時は
恐怖心をおさえつつ犬を獣医に連れて行った。

医師からちょっと無神経な発言をされて傷ついたり、
看護士たちが自分のことを悪く言っているのではないかという
不安に心をいためながらも、犬が具合が悪いときは我慢して通院した。
医師が犬に対していい加減な治療をした時、
自分がこうだから犬もちゃんと扱ってもらえないのではないかと
何度も自分を責め、病院をかえるたびにもっと強くなろうと思っていた。
そんな苦労もあったためか、
犬が元気なときはK君は本当にうれしそうだった。

K君から今犬を奪ったら、彼の心まで奪うことになる。
そんなことをして誰が得をするのだろうか。
神の与えた試練とか前世の行いがどうとかそんなことはどうでもいい。
今何かが彼の犬の命を奪おうとしているなら、
それは大きな間違いとしか言いようがない。
年令という数字だけ見れば彼は大人かもしれないけれど、
K君は一人で人生を歩むにはまだ早すぎる。
彼が傷ついたときに支えてあげられるのは、
彼が怯えることなく信じられるのは、
今目を閉じているあの子しかいない。

早く間違いに気づいてください。
まだ、K君から彼を奪うべきではないということを。
どうしても代償が必要なら、
私がこれから生きるのに使う時間を
好きなだけ削ってかまいません。

だからどうか、
まだ、彼からあの子を奪わないでください。
せめて、あと数年、
彼が犬との別れをちゃんとうけとめられるようになるまで。


2003年01月14日(火) 勘違い

昔、隣の家に結婚して二年目の夫婦が引越してきた。
その人たちは沖縄の人たちで、
近所のいつも何か言いたげなおばさんたちやうちの両親とは違う、
今まで見たことのないような明るい雰囲気をもった二人だった。

二人には子供がいなかった。
子供は好きなのだがまだできなかったらしく、
隣に住んでいたまだ幼かった私に何かしらと声をかけてくれた。
ある時夜中に両親が二人で飲みにいってしまい、
真っ暗な中に一人取り残されて怖くて泣いている私を
二人で両親が帰る頃までなだめてくれたこともあった。

私は人見知りしながらもこの夫婦に少しずつなついていき、
隣の家によく遊びにいくようになった。
私は彼らが好きだったし、彼らも私が好きなのだと思っていた。
彼らが夏に帰省した時の
おみやげのお菓子はあまりおいしくなかったが、
二人がくれたものだから一生懸命食べた。

しばらくして、私たちの関係に変化が訪れた。
二人の間に子供ができたのだ。
彼らは何かしらと私に自分たちの間に
これから生まれようとする子供の話をし、
私と遊ぶことは二の次になっていた。
そのうちに私は、彼らが私と遊んでくれていたのは
私が好きだからではなく
「子供」が好きだったからなのだということに気づいた。
私でなくても、別によかったのだ。

自分の場所をとられたような気がした私は、
二人が子供を欲しがっていたことを知ってはいたけれど
奥さんのおなかに触るのも本当はとてもいやだったし、
「(子供ができて)よかったね」とも本当は言いたくなかった。
今日は遊びにいくのはやめようと思いつつも、
もしかしたら今日は子供の話をしないのではないかと
はかない期待を抱きながら、
徐々に日にちをおきつつも
私は彼らの家に遊びにいくことをやめなかった。
でも、遊びにいくたび寂しさは募るばかりだった。

ある日遊びにいったら二人とも留守だった。
ただでかけているだけなのだろうとわかってはいたが、
一人にされた寂しさでいっぱいになった私は
誰もいない自分の家に戻り、一人で泣いた。
その日を境に、近所で顔をあわせた日以外は
彼らの家にあまり遊びにいかなくなった。

「最近、遊びにこないんだね」とだんなさんが
一度だけ言ったが、私は何も言わずにただ笑っていた。
彼の濁りのない瞳に見つめられ、
自分の寂しさを見抜かれないように必死に笑顔を作った。

一ヵ月後、夫婦は引越していった。
家を離れる前にうちに挨拶をしにきた。
母が二人がきていることを私の部屋に言いにきたが、
私は眠っているふりをして彼らには会わなかった。
玄関のほうから、「元気でね」と彼らが言うのが聞こえた。

彼らのトラックが発進した音が聞こえると同時に、
胸の奧で何かがぎゅーっとちぢんでいくような気がした。
しばらくしてトラックの音が聞こえなくなった頃、
泣かないように我慢していた私は、
緊張から解かれたせいか疲れて眠ってしまった。


2003年01月13日(月) No Traces

私とKさんは、私がインターネットで人と交流しはじめて
間もない頃の友達だった。
彼と私は同じ分野の本や音楽が好きなことと、
もう一つだけ共通点があった。

それは、「自分が消えてなくなる」ことに
とても興味があったことだった。
彼は普段はおだやかな口調で語りかけてきたけれど、
彼が「死」を語る時、その一言一言に闇を感じた。

でも、私にとってそれは恐ろしいものではなかった。
自らに闇をかかえこんで悩んでいる人は知らないようだが、
あきらめている人の作る闇は
身勝手な人間の憎悪のどす黒さほど怖くない。
どんなに悪ぶったところで、あきらめた人の作るものは
自らの闇でさえも誰かをひきこむことをあきらめているのだ。
もともと明るい場所があまり好きでなかった私は
彼らの「闇」を怖いと感じたことがなかった。

その後、彼と私はよくその話をするようになった。
でも、興味があるとは言っても二人の意見は正反対だった。
彼は、自分はいてもいなくても同じだから
消えてなくなるのがみんなのためだと思い込んでいた。
でも私は、自殺では消えてなくなることなんてできないと思っていた。
どうやったところで、自分の死体が残るからだ。
だから、自分に近しい人に恨みのこもった自分の死体を
見せつけることこそ一番みんなのためにならないと思っていた。
他のことは譲れてもこのことだけは意見を譲れなかったらしく、
彼はしだいに私に不満をあらわにするようになった。
これがきっかけで彼と私はささいなことで対立するようになった。

「死」に魅せられている彼と「死」を覚めた目で見ている私。
意見なんか合うはずがなかった。
どうでもいい友達なら適当にあわせたけど、
私にとっては彼は大事な友達だった。
彼は、自分の作り上げた美しい「死」に必死でしがみつき、
それを理解しない私を手ひどく非難した。
私たちはある日ひどい言い合いをし、
他の人が仲裁にはいってやっとおさまったのだった。

その後しばらくして、彼に恋人ができた。
その人は人妻で、夫が自分を理解してくれないことを悲しんでいた。
彼は彼女の痛みを理解し、彼は自分の「死」を
理解してくれる彼女に夢中になり、
私への連絡はしばらく途絶えた。

久しぶりに彼からメールがきて、彼女と二人きりで
旅行したいけど行くべきかと聞かれた。
私は、彼女が今の夫に不満がいえないんじゃ
あなたと一緒になっても今相談してくれる以外の
不満は言ってくれないと思うし、そうなったら
今していることと同じことを繰り返すと思うから、
深くなる前にやめたほうがいいんじゃないかと答えた。
彼は返事をよこさず、彼女と旅行にいった。

腹がたつけど、彼が愛することを知り、
「死」を時々とりだしてそっと愛でるだけのものにするなら、
彼には私の存在はもう必要ないのだと思えた。
だから不幸に見えても、彼にとっては幸せなのであれば
もう何も言わず身をひこうと思った。
ただ、彼の「恋人」がどこまで本気なのか私にはわからなかった。
どうか彼を、傷つけないで。
彼の恋のうわさを聞くたびに思った。

しばらくして、他の人を通じてKさんが失恋したことを聞いた。
その後、一度だけKさんからメールがきて、
彼女が夫と復縁するからもう会えないといってきたことを報告してくれた。
メールの本文は淡々と事実だけを語っていたけれど、
行間から涙がにじみでているように感じた。
私は自分の言ったことを何度も無視されたこともあり、
一ヵ月ほど返事をしなかった。
無視されることにはなれているから
それほど怒ってはいなかったのだけど、
ちゃんとあやまってほしかったのだ。

一ヵ月たち、まだメールをよこさない彼に
とうとうしびれをきらせて自分からメールを出した。
まだあやまってもらってはいないけれど、
あきらめることにした。
意見が少し合わなくても、友達であることにはかわりはない。

メールを出してすぐに、返信がきた。



「このユーザ名は存在しません」



久しぶりにメールを出したので
メールアドレスを間違えたかと思ったが、間違えていない。
もう一度出してみたけれど、同じことだった。
Kさんと同じプロバイダの知人にメールを出してみたけれど、
サーバに問題はないようだった。

彼はホームページを二箇所のプロバイダで作っていた。
数ヶ月ぶりに彼のホームページを見に行くと、
メールサーバと同じプロバイダのホームページはなくなっていた。

掲示板は、彼はいつもまめに毎日返信していたのに
ある日を境に放置されたまま。
自己紹介のページはなくなり、
彼が書いていた日記は真っ白なページになっていた。

何か事情があるのだろう。
そう思い、受話器をあげて彼の電話番号にかけた。


「お客様の都合により・・・」


つながらない。


どうすればいいかわからず彼のホームページの
トップページをしばらく見つめたが何も思いつかなかった。
彼と交流があった人に連絡がなかったか聞いてみたが誰も知らず、
それどころか彼らは私でさえも彼の行方を知らないのを驚いていた。
例の「人妻」はインターネットから手をひいてしまったとのことで
私から連絡はとることはもうできなかった。

その後何度か彼の足跡を探してみたけれど、
日が経つにつれ彼を探すことはもうできないことを悟った。

たった一つはっきりわかったのは、
彼は跡形もなく私の前から消えたつもりかもしれないが、
やっぱり彼には消えてなくなることはできなかったということだ。
なぜなら、彼は今も私の心の中に、
たくさんの後悔とともに存在しているから。
たぶん、これからもずっと。


2003年01月12日(日) 居てよかった、というべきか。/もう、わからなくていいよ。

ある日のこと。

私は玄関先におきっぱなしの
宅配の伝票やらボールペンやらの整理をしていたのだけど、
そこで小説を見つけ、座り込んで読みふけっていた。

しばらくすると、扉をはさんでむこうで誰かが立止まった。


二人くらいの男性の布がこすれあう音。


扉の前でなんかもそもそやっているようなので、
チャイムを押すなら早くおしてくれ、と
本から目を離さずに思った。


「……だめっすよ、ここ。」
「なんで?」

「だって、いつも誰かしらいるもん。無理っすよ。」
「あーでも」
「やめましょうよ、無理ですって。」
「そうか、それなら仕方ないなあ。やめとくか。」

二人の足音は遠ざかった。



・・・



・・・・・・



・・・・・・すみません、お聞きしたいのですが。。。



・・・・・・あなたたち。。。



・・・・・・何を。。。



・・・・・・やめとくことにしたんですか。。。



私はしばらくの間、硬直状態のまま動けなかった。





※ よい子のみんなっ! お金が足りなくなったら、
  まともな手段でかせぎましょうね。






Aさん一家の夫は、最近妻が自分を邪険にするので
とまどっている。


彼は、自分の性の力の衰えが原因だと思い込んだ。


わかってないな。



夫は、妻が自分を邪険にするのは収入が減った
せいだと思った。


わかってないな。



夫は、娘が自分を邪険にするのは自分が馬鹿だから
ではないかと思った。

そう。あんたはバカ。

だからもう、わからなくていいよ。


2003年01月11日(土) 私の敗北宣言

私、決めたんだ。
今年からは「助けて」って私の耳に聞こえるように
言われるまでは誰も助けないって。

今までそうしなかったから結構損してきたし、
そのせいで本当に自分じゃないとできないことまで
おろそかにしていたような気がするから。

目を見れば、口の動きを見れば、
あなたが助けを求めているのはわかる。
でも、あなたの手をつかんだ瞬間に、
本当に手を伸ばして欲しいのが
自分じゃないってわかるのがつらい。
わからないふりをするのもつらい。
「ありがとう」って残念そうに言われるのもつらい。

もうそろそろ、自分のために生きたいし、
できるだけ傷つかないようにしたい。
どんなに傷ついても「傷なんてなめときゃなおる」って
血が流れているのを無視しながら走るのは、もう無理なんだ。

自分が必要かどうかなんて、
この人が楽になるならどうでもいい、なんて
思ってたこともあったけど、
最近になって気が付いたんだよね。
私も結構、治りきってない傷が多いんだなって。

私に助けてほしいなら、聞こえるように言って。
そうじゃないのなら、こっちを見ないでくれる?
どうしていいのか私にはわからないし、罪悪感ももう感じたくない。
誰でもいいのなら、私じゃなくてもいいじゃない。
御願いだから、そんな目で見ないで。
あなたの殻は堅くて、私の皮膚は殻の破片で
傷つくのに怯えているのに、
また私に殻を破らせようというの?

認めます。
私には、もう自分と自分を必要とする人にしか
あげる力は残っていません。
「私なら助けられるかも」なんて思ったのは
ただの錯覚だと思うことにします。
だから、私を罪悪感から解放してください。




追記:

上のことは、特定の一人のことを書いたわけじゃありません。
私の今年の目標を自分に言い聞かせたくて
自分にあてて書いただけです。

私の今年の目標?それはずばり、

「お人よしはもうやめる」

です。


2003年01月10日(金) 休日、今日は晴れ/一番怖いのは、誰?

年末からずっと馬車馬のように仕事をしていたが(大げさ)
事情あって突然次の日から一週間ほど休んでもいいことになった。
冬休みだ〜o(^^)o

実は、10月くらいからまともに休みをとっていなかったので
1日本当に何もしなくていいのはちょっと久しぶりだ。
明日から何をしようと思いつつ布団にはいった。
最近いろいろ悩んでいて疲れていたこともあり、
明日一日は自分を甘やかすことに決めた。
その時、午後10時だった。

目が覚めたら、もう午後2時だった。
時計に「あんたも起こしなさいよ!」と意味のない
ツッコミをいれつつ、まだ眠かったのだけど
無理やり起きて居間のこたつに座った。
もう年だから、一度寝ただけじゃ
なかなか二か月分の疲れはとれないのだろう。。。

家には誰もいなかった。
こんなに静かで平和なのは久しぶりだなーと
思いつつテレビにスイッチをいれた。
守らないといけない約束がないというのは
本当に気が楽だ。

テレビではあいかわらず北朝鮮の話題をやっていた。
私も結構忙しかったけど、
彼は蓮池さんの名前も知らないほど
ニュースを見る暇もなく忙しかったんだよねーと
ぼーっと思い出したりしつつテレビを見ていた。
彼からのメールによると、今日も忙しいらしい。

食事をしたらちょっと眠くなった。
また寝ちゃったら今日がすぐ終わってしまう、と思い、
両手で顔をたたいて目を覚ました。
テレビの下に積んであるビデオを見ようかと思ったけど、
もうためすぎて何がなんだかわからなくなっているのでやめた。
DVDレコーダーとかほしいな。。。

テレビを消し、久しぶりにCDをかけた。
音楽を聴きながらおやつをかじりつつ
通販のカタログを見ているうちに
さらに眠くなり、ついに横になってしまった。
横になると、ちょうど顔のところにやわらかい日差しがあたった。


あたたかい。。。


あまりの気持ちよさに、目を閉じてしまった。
ジョージ・マイケルの「Jesus to a child」が流れていた。


彼女は僕に微笑みかけた
まるで、神様が子供にそうする時のように。。。


神様みたいな微笑みって、どんなんだろう。
きっと、こんな日差しみたいな微笑みなのかな。。。
真っ白い光の中に溶け込んでいくような感覚とともに、
私は眠りに落ちた。

しばらくして目を覚ますと、すっかり日が落ちていた。
よく眠ったせいか、驚くほどすっきりしていた。
すぐに終わってしまってちょっと残念だったけど、
一つも苦しいことがなかったのだから
とてもいい一日だったと思えた。

落ち込んでいたことで
励ましのメールがきていたことを思い出し、
もう元気になったと返事を書くことにした。
いっぱい眠って、お日様にあたって、
心配してくれる人にメールを書く。
こんな日をすごせるなんて、なんて幸せ者なんだろう。
(いつものことだけど、私って単純だよなあ。。。(苦笑))

太陽とその人と久しぶりの休日に
心の中でありがとうを言いながら、
メールの返事を書き始めた。


神は死んだなんて、どうか思わないで
きみは愛されているんだよ


スピーカーからは「you have been loved」が流れていた。






Aさんは、Bさんから最近相談をうけるようになった。

「メール友達(Cさん)に悩み事の相談してるんですけど、
 Cさんが私のことを日記のネタにしてるみたいなんです。
 メールを書いた翌日になると、Cさんの日記ページに
 私の悩みと似たようなことがからかったような
 文体で書いてあるんです」

とはいえ、文章の完全コピーというわけではないので
自分のことかもしれないしそうじゃないかもしれない、という
レベルらしい。Aさんは言った。

「本人は違うって言ってるんでしょ?」
「こわいから聞いたこと、ないです。
 その人がそういう人だって思いたくないし、
 メールでは親身になって聞いてくれてるから。」

私もたまにメール友達のことをネタにするけど、
人から相談された場合のことを書く場合は
メールに書いたこととまるっきり同じことを書く。
本人が読者の場合もあるから、
本人にはいえなかったけど、なんて言って
日記で書くのは無意味なことだ。
大部分の人はそんなことしないと思うけど。。。
でも、たまに悪い人っているんだよね。

Aさんは言った。

「一ついい方法があるよ。相手がネタにつかってるか試す方法」
「それ、何ですか?」
「相手の相談メールに一つ、メインの相談にからませた
 小さな嘘の話を混ぜるの」
「嘘を?」
「そ。たとえばね。。。」


「私にできるかなあ。。。」
「大丈夫だって。真剣に書けば、きっとばれないよ。
 違うって確かめられたら「その悩みはなくなりました」って
 言えばいいの。Cさんがそういう人なのかどうか
 わかればいいんだから。」


数日後。

「やっぱり、ネタにされてたみたい。あの嘘の悩みを
 すごくバカにして書いてる。」
「そうだったの?ひどーい」
「でも、いいの」
「いい?」

「あの嘘の話を勝手にふくらませて書いてるのを
 見ると、おもしろくって。だから、あきるまで
 嘘の相談しちゃおーって思ってます。」  

「……」

「そのくらいされて、当然だって思いませんか?
 だって、あの人。親身になってるふりして
 ずっと私をバカにしてきたんだから。」

「……」

「許せないもの。」




一番怖いのは、誰?


2003年01月09日(木) 36.7℃

私は昔から体温が低かったので、
朝起きてすぐに体温をはかると目盛りに出ないことがあった。
普通の人はもうちょっと高いらしいので、体温が36度台でも、
いつもどおりとはいかないまでもまあまあ大丈夫ならしい。

私にとって起きてすぐの状態の時に
36度台は結構つらいのだが、
学生の時には月に一、二度はそういうときがあった。
その日が平日の時は無理を承知で休みたいと言ってはみるのだが、
母は「36度台ならたいしたことない」と言って
ふらふらな私を学校へと送り出した。
母は、私がそう言うのは学校をさぼりたいからだと
思っているようだった。

最悪なことに、
その日、外は雪だった。

冷たい布と熱すぎる布を同時にかぶっているような
変な感覚と頭痛がおさまらないことに違和感を感じつつ、
学校に遅れないように足を早めた。
全身がさっきより震えてきたけれど、
きっとたいしたことにはならないと思っていた。
雪で道路がぐちゃぐちゃだったので、
遠回りだけどいつもとは少し違う道を歩いていくことにした。

学校まであと20分というところまで歩いていったとき、
一瞬目の前の風景がゆがみ、
気が付くと私は傘とかばんを落としてひざまづいていた。
ひざまづいてしばらくの間、
周りが回っているような気がした。

「まあ、大丈夫?」

顔をあげると、近くの駄菓子屋さんのおばさんがたっていた。
おばさんは、私の顔を見ると驚いたように話し掛けてきた。

「あんた、すごく赤い顔をしてるよ。大丈夫なの?」
「大丈夫です。」

彼女は私のおでこに手をあてた。

「大丈夫じゃないわよ。すごい熱よ」
「すごくないです。36度台ですから」
「何言ってるの。雪の中歩いたりするからあがっちゃったのよ。
 おうちに連絡してあげようか?」
「だめです。たいしたことないんです。
 学校行かなきゃ。。。」

家に連絡したって、「大丈夫だから
行け」といわれるに決まっている。
私は彼女の手をはらいのけて学校へむかった。
遠くから「気をつけていきなさいよー」という声が聞こえた。

その日、私は真っ赤な顔のまま授業をうけた。
何を習ったのか全く覚えていなかった。
お弁当も食べたけど、地面に落ちた石混じりの氷を
食べているような感じだった。

寒気は午前中がピークで、
教室の暖房のすごく近くにいて暖かくしていたせいか
午後になると少し楽になってきた。
その日は大雪ということで少し早目に
帰れることになり、早く帰って大事をとることにした。

部屋に帰ってから倒れこむように
布団にはいり、体温をはかった。

37.2℃。

体温が37度を超え、やっと「大丈夫じゃない」って
認めてもらえる気がして少しうれしかった。
でも、つらかったのは朝も一緒だったのに、
数字が少し違っただけで待遇がかわるなんて
おかしなものだなと思った。

「大丈夫じゃないわよ。」

布団の中で天井を見つめていると、
ふと、朝に会ったおばさんのことを思い出した。
私がつらいとき、
そんなことを言って心配してくれた人なんて
今までいただろうか?
私は暖かいおばさんの手のひらの感触を
おでこに感じながら、眠りについた。

翌朝、まだちょっと熱っぽいものの
まあまあ大丈夫な感じだったので学校へいくことにした。
昨日心配してくれたお礼をしようと遠回りして
駄菓子屋へいってみたが、その日は休みだった。
しかし、その後タイミングを逃しているうちに
なんだかお礼を言いにくくなって結局お礼はいえなかった。



数年後。

私は、彼と出かける約束をしていたが
熱が出てしまい、どうしようかと思っていた。

「仕方ないよ。残念だけど、今日はゆっくり休んで
 来週遊びにいこーよ。」
「でも、6度7分だから、いけると思う。。。」
「6度7分って言ってもさー。
 きみ、朝の体温が体温計に出ないって言ってたじゃない。
 そういう人の36度台ってきついんでしょ?
 会えないのは残念だけど、寝てたほうがいいよ。」
「……」

私は、母や他の人のように「36度台なら大丈夫かも」と
言うであろうと思っていたので、
彼が私を心配してくれたことが意外だった。

「どうした?調子悪い?」
「ううん。大丈夫。夕方まで寝てからきめてもいい?」
「いいよ」

私はその後一分くらい話してから電話を切った。

実はあまり大丈夫じゃなかったのだけど、
36度台なんてたいしたことないのだと思っていた。

「大丈夫じゃないわよ。」

あの日の声が頭の中で響いた。

私はずっと、大丈夫なんかじゃないって
わかってくれる人がほしかったんだなあ。
そう思いながら眠りについた。

夕方、まだちょっとだるかったけれど
出かけることにした。
彼はすごく心配していた。
私はその心配がうれしかったので、
すっかり治ったからもう大丈夫だと嘘をついた。
彼は何か言おうとしていたが、
苦笑いして黙っていた。

そのとき私は、この人となら
長く付き合えるかもしれないと思った。


2003年01月08日(水) 涙で洗い流せない

涙はストレスを洗い流す作用があるという。

私はつらいことがあっても泣くことができない。
でも、ぜんぜん泣けないわけではなく、
泣くことで自分がつらくなる時に限って
涙が出るようになっているようだ。


昔、私が幼い頃、父は私が泣きだして両手で顔を覆うと
おもしろがって私の両手をつかんで顔をおおえないようにし、
涙でぬれた歪んだ顔を見て声をたてて楽しそうに笑っていた。
布団をかぶっていてもはがされて見つけられた。

私は泣く原因となったことよりも
自分の泣いている顔を見られているのが
恥ずかしくて泣き喚いた。
もう泣きたくないのに、涙がとまらなかった。
そんなことが何度も繰り返された。


小学生の頃、先生からの配布物が足りなかったので
先生にもらいにいったら、私が小声でいったのが
気に食わなかったらしく、怒鳴りつけられた。
私は先生を怒らせないように大きい声で言い直そうとしたけれど、
涙がでてきてはっきりしゃべれなくなった。

先生の怒鳴り声はさらに大きくなり、
それに比例するかのようにクラスは静まりかえっていった。
先生をもう怒らせちゃいけない、
みんなに迷惑をかけちゃいけない、
だからもう泣いちゃいけない。
なのに、涙はそれに反してどんどんでてきて、
私をますます辱めた。

「ぷりんとをください おねがいします」

そうはっきりと言えるようになるまで、
教室の前で何度も言い直しをさせられた。

そんなことがあり、泣くことはよくないことなのだと
私は小さい頃から思っていた。


でも、つらいときに涙が出ないから、
何をされても平気なんだろうと誤解され、
かわいげがないと言われ、
あなたは私と違って強い人だと言われ、
どうして故人の死を嘆いてないのか怪訝な顔をされ、
無感動な人だと思われた。
でも、泣くことすらできない自分を
とても恥ずかしく思ったときだけは涙がちゃんと出た。



今、私は疲れと絶望感とあきらめに覆われながら、
新しい傷がいつ治るのか待ちわびている。
涙腺が動こうとしているのはわかるけど、涙が出る様子はない。
きっと私は、また一適の涙も流さずにこれを乗り越えるのだろう。

そんな私のことを、
誰かは強い人だと言うのかもしれない。
かわいげがないと言うのかもしれない。

でも、もういいのだ。もう……。


2003年01月07日(火) 前略、かわいそうな私の従兄様へ/いっそのこと

※ 今回、少々内容が陰険です。
  あ、でも少々。。。じゃないかも。(^^;


Kさんは、私の従弟であり、私の母の甥だ。
母と同じ年に生まれたこともあって
仲良しとは言わないまでもよく一緒にいたらしい。

私が一番最後に見た時の彼は
ほっそりした感じのいつも笑っている青年で、
たとえていうなら、春の草原のような感じの人だった。
その頃には、母から伝え聞くような、
地位に固執し、自分の母親を見捨てたという
冷たいいやな感じの人間には思えなかった。

本人が聞いたら怒るかもしれないが、
私は美人だった彼の姉に似ていると言われたことがある。
当時はうれしかったが、
今では私は彼女とは似ても似つかないほど歪んでしまったし、
今の彼女には似たくもない。
このことに関しては、
大人になるというのはこういうことなのだろう、と
変な解釈をしていたりもする。

----------
Kさん、お元気ですか?

最後にKさんと会ったのはもう十年以上も前になるのでしょうか。
もしかしたら私のことはもう覚えていないかもしれませんね。
私はあなたの叔母であるAの娘です。
そう、あなたの従妹です。
一番最後に会ったときのあなたは、
まだ大学生くらいだったと思いますが、
うわさでは今では大企業の偉い人らしいですね。

久しぶりに連絡をとるというのに
こんなことを言わないといけないのはとても残念なのですが、
今回は、あなたが傷つくかもしれない
手紙を書くことにしました。
もし、そういう話を聞く心構えがないのなら、
この手紙は破って捨ててください。
電話だと強制的に耳にはいってしまうけど、
手紙ならあなたに真実を知る選択肢を与えることが
できると思ったので、このことは手紙で言うのが
一番いいと思いました。




最近、あなたは母に手紙を出したそうですね。
あなたは私の母と年令が近かったせいか
長い期間姉弟のようにすごしていた時期があったそうなので、
あなたの中では今でも母がその当時の、よく回りの人が
母を評価するときに使う「ちょっとおっちょこちょいで
人のいい」人のままなのかもしれません。

でも、少なくとも今の母はそうではありません。
いえ、外では昔のままなのですが
実際の彼女はそうではありません。残念ですが。

私は親戚の話はあまり興味がないので
詳しくは知らないのですが、話の大筋は聞きました。
あなたは、母の姉、つまりKさんのお母さんが
病院に入院が必要だといわれたときに、
「自分とは関係ない」と言って冷たく電話を切ったそうですね。

たぶん母のことですから多少の誇張はあると思うし
そう言ってしまったのが本当だとしても
何か事情があるのだと思います。
でも、母は今ではあなたのことを「姉さんとは
親子の縁を切った息子」としか考えていません。
私はKさんの気持ちを知らないので一方的に
悪いというのはおかしいと思うのですが、
母は常に物事を一面しか見ない人なので
そこにどんな背景があったのかどうかは考えず
ただ「お姉さんがかわいそう」としか考えていないし、
考えられないのです。

あなたは母と姉弟のようにすごしていたかも
しれませんが、お姉さんは母にとっては
母親のような存在だったそうですから、
余計あなたが悪人に見えるのではないかと思います。
しかも、あなたのお母さんは高齢ですしね。
でも、いまさらあなたがどんな気持ちで
そんなことを言ったのかどうか説明したとしても
意味がありません。
母は一度悪いと思った人はずっと悪いと思い続ける人ですし、
お姉さんに問題があるなんて思いもしないでしょう。

だから、あなたがどんなに母を懐かしんだとしても、
昔のよしみで仲良くしてほしいと思ったのだとしても、
かえって関係を悪化させるだけだと思います。
私も、もう母からあなたの悪口を聞きたくありません。
だから、母に手紙を出すのはやめたほうがいいと思います。
母も返事を出すつもりはまったくないようです。

自分の耳で聞かない限り
あなたの意見が正しいかどうか、
どんな背景があるのかわからないので
あなたと対立するつもりはないですが、
関係修復に手を貸すつもりもありません。
でも、せめてあなたがしていることは無駄だと
伝えておくくらいの親切はしておいたほうが
いいかなと思って今回手紙を出すことにしました。

こんなこと、知りたくなかったかもしれませんね。
もしかすると、ほとんど覚えてもいない従妹からの
言葉なんて信頼できないかもしれないですね。
嘘だと思ったら本人に聞いてみてもいいですよ。
この手紙を書いたことが母に知れても、
全然私は怖くありませんから。

私が母の味方をしない理由がもう一つあります。
それは、もし母が年をとって一人になってから入院したら、
私もあなたと同じことを言うと思うからです。
だから、何の理由もなしにそんなことを言うとは
思えなかったのです。
私には、この手紙よりも長くその理由を書くことができます。
きっとあなたも、そうに違いないと思ったから。

長くなりましたが、ここまで読んでくれてありがとう。
どうか、体にお気をつけて。さようなら。

追伸: もし私が私の母を見限ったら、
あなたは私の味方をしてくれますか?
----------






おめでとう。
私を自分たちの配下におけてうれしいですか?
私はあなたたちの笑顔が見られて最悪の気分です。
ただでさえ寒いのに、家の中で背筋が凍る思いをするなんて
思いませんでしたよ。

まさか、夜中に帰ってきたら、
二人して待ち伏せしてて、私が逃げられないような
状況にされているなんて夢にも思いませんでした。
二人で計画を練るのは楽しかったですか?

とりあえず、身辺整理をしますので、
それがすんだら、





いっそのこと殺してください。


2003年01月06日(月) 二番目以下の友達でもいい/ゆっくりと、友達に戻ろう

あの人にとって、私は一番目にはなれない友達。
出あった順番とかそういうのではない。
その人の一番目の友達が座るべく椅子には
たまたま私のサイズがあわない、それだけなのだ。

そのイスに既に誰かが座っていることもあれば、
イスを勧めてくれても窮屈で座れなかったこともある。
どう見ても誰も座れないだろうと思って
無理やり座ってみても、自分のあちこちが痛くなってしまって
結局席を明け渡さざるを得ないこともあったし、
一時はぴったりあっていても、自分がかわってしまって
次第にあわなくなったこともあった。
その席に座っている人のことをうらやましく思ったことも
あったし、その席にずっと座っていられないことを
くやしく思ったこともあった。

でも、ごく最近になって、相手にあきらかに待遇の差があっても
気にしなくなっている自分にふと気が付いた。
最近知り合いになった人はとても私と境遇が似ているのだけど、
その人は既に友達になりたい人がいた。
前の私ならどうすればこの人の一番になれるのかと
やっきになっていたと思うのだけど、
今はそんな気持ちはまったくない。
卑屈な気持ちは全くなく、かといって無関心なわけでもないのだけど、
むこうが他の人を優先しているのを見ても
ただ「ふーん」と受け流していることに気づいた。

たぶん、わかったからだと思う。
自分の価値は人からどう思われてるかっていう
ことだけで決まるんじゃないんだってことが。
「外からの評価なんてぜんぜん重要じゃない」なんて言わないけど、
他人に自分に対する評価や「居場所」を求めるのをやめたら
あまりそういうことが気にならなくなってきた。

他人にとっては三番目や四番目以下の存在でも、
自分の中で自分が一番ならそれでいい。
他人に一番を追い求めるばかりで、
自分の中で自分が二番目以下になってしまうよりかはそのほうがいい。
前からそう自分に言い聞かせていたつもりだけど、
ようやく気持ちが追いついてきたみたい。

なんだか、楽に生きられるようになった気がした。



……1/6は多分更新できないので明日の分も
書いてしまいました。(^^;
めんどいので今日は質問ボタンはおやすみしますです。
(昨日はじめたばかりじゃん。(苦笑))

と、いいつつちょっとだけ更新。。。






帰ってきた彼。
とても楽しそうに、実家での出来事を話していた。
私がどんな思いをしてたかなんて
聞きもしないんだね。

私があなたの実家での楽しい出来事を
一緒になって楽しんでいると思っているなら大きな勘違い。
あなたが楽しそうに家族の話をするたびに、
深い闇に突き落とされる気分だった。
でも、ただの友達という立場でなら
一緒に楽しめたかもしれない。

来年も同じ思いをしないといけないのなら、
私は、少しずつ、ゆっくりとあなたの「友達」に戻っていこうと思う。
友達からはじまったのだから、もう一度戻れるよね。

楽しかったことを分かち合いたいという気持ちはうれしいけど、
私に「家族の絆」を見せ付けて、いったいどうしたいの?
でも、私と違ってあなたにはいい家族がいるのだから、
一緒にいて楽しいって感じることは
止めることはできないんだよね。

家庭の話題以外では、あなたは本当にいい人だ。
だから、なくしたくない。
だから、ずっと友達でいられるように
少しずつ離れていくのを許してね。


2003年01月05日(日) たいしたことじゃない/初返却/やる気なし

ある人の日記を読んで、「それは違う」と
思えたことがあったので、書いて出そうとした。

でも途中で、そこまでして
わかってもらいたいことではないことに気づき、
苦笑いしながらテキストファイルを削除した。
人の考えは人それぞれなのに。
私ったら何してるんだろう。
たかが、知らない人の書いた
ちょっと挑発的な文章じゃないか。
きっとこの人は、傷つく人がいるなんて
深く考えずに書いただけなのだと思う。
ちょっと軽率ではあるけれど。

誰かが言ってたっけ。
「たとえ無駄でも、言ってくれなきゃわからない」って。

でも、さっきまでここにあった文章は、
わかってもらいたくて書いたというより
自分の意見を押し付けたくて書いたことだった。
私が言ってわかるくらいなら、
その人はとっくにわかっているはず。
私があれを出そうとしていたのは
他にもいるに違いない傷つくほんの少しの人のために
この人にかわってほしいわけじゃない。
ただ、自分の気がおさまらないから意見を押し付けたいだけ。

しょせん通りすがりにしかなれないなら
私の意見なんてただの苦情メールとしかとってもらえない。
心の底からわかってもらえないなら、やめにしよう。
私にとって傷つく内容だったとしても、
そんなにたいしたことじゃない。
だから、ブラウザを閉じて、なかったことにして、
たいしたことがないふりをした。

心の痛みは、だんだん小さくなっていった。






↑投票ボタンです。よかったら押してね。(^^)







取引先のKさんから、正月早々分厚い封筒が
郵送されてきた。

年賀状にしてはものものしいなと思って封筒をあけると、
中には書類と説明書があった。
説明書を要約すると、こういうことだった。



「あんた、こないだうちに出した書類に日付書いてないから
 ちゃんと書いて返してくれ(怒)」



こ、今年初の書類返却。。。(^^;
すみませんでした。>Yさん
でも、一月一日に書類返すこともないでしょ、あんたも……。(苦笑)







眠くなりそうだったので音楽でもかけようと
まだ聞いてないまま放置してあった
Steely Danのアルバムをかけてみたらかえって逆効果。
全身から力がなくなってしまいました。。。
(好きなんだけどSteely Danって力が抜けるんだよねー。
 忘れてたよ。)

もう、今日はやる気なし。。。
寝よ。。。


2003年01月04日(土) 私のせいでいい/彼女の理解者

昔から私は、何かがおこると自分のせいだと
思い込むところがあった。

家で何かがおこると、父は母のせいにし、
母は私のせいにしていた。
私は両親が間違っていることなんて知らなかったから、
母が怒ると黙って下を向いていた。

でも、今の彼と出会ってから、
他人が悪い場合もあることがあり
それに対して怒ってもいいことを知った。
(まあ、仕事の場合はそれでも
 あやまったほうがいい場合もあるのだけど。)

年があけて二日目、
母は家にいるのがつまらないらしく、
友達と遊びにでかけてしまった。
いつもの正月なら父が母のしたいことを否定し、
母がいやがるのを父がうれしそうに見て、
母が黙って我慢するというのが普通だったが、
今年は見たいテレビも見れないし
食事を作らされるだけで自分の話をきいてもらえないのが
つまらなかったのか、明るいうちから飲みにいってしまった。

家には、テレビを見るしかすることのない父と
締め切りに追われて正月からもくもくと
仕事をしている私だけが残った。
きりがつけられないので、私は痛む胃をおさえつつ
仕事をするしかなかった。

翌日も同じ状況になった。
このままでいるとまた胃が痛くなるので、
適当なところで切り上げて私も散歩に出かけた。
正月からバラバラなこの家に、誰がいたいだろうか?


雪はほとんどやんでいたけれど、
しばらくしてまたふりはじめた。
真っ白な雪が降っているところが見たかったので、
願いをかなえてくれた空に感謝しながら
私は人通りの少ない町へと歩いていった。


歩きながらいろいろなことを考えた。

家族のこと、
彼とのこと、
仕事のこと、
将来のこと。

途中で飲んだ缶入りココアがおいしかった。



こんな正月はまっぴらだ。
どうせなら本当に一人ならよかったのに。
もうこんな正月は、最後にすべきだと思った。



思えば私は、家を出て行くことで、
家族の崩壊の原因が自分のせいであると
決定づけられるのが怖かったのだと思う。
本当は、そんなことはないのだけど
うちの理屈だと波を起こした人間が一番悪いのだ。



でも、この家を離れられるのなら、
私のせいでもいいのではないかと思えてきた。
何を言われようと、
そのまま二度と戻らなければいいのだから。



本当はあの二人もこんなこともう終わらせたいと
思ってるんじゃないだろうか。
でも、自分のせいだといわれるのが怖いのだ。
それなら、最後の親孝行のつもりで
罪を全部かぶるのもいいのじゃないだろうか。



もう、誰もまきこみたくない。
自分の人生を生きたい。



何年かかるかわからないけど、ここを出よう。
今度こそ、二度と戻らない。
何か言われたら、こういうつもり。



私のせいでいいから、好きにさせて。



気が付くと、雪はやんでいた。
冷たい風は、私の気持ちを固めてくれた。



今は戻るけど、
何度目かの正月は笑ってすごせるよう、
今年から頑張ろう。

私は、家に戻っていった。






大学に入る前、私はあるコンピュータ関係の会社で
アルバイトをしていた。
そこで年が近かったSEのUさんと仲良くなり、
ある時彼女の家に遊びにいくことになった。

その時に、彼女の男友達と彼女の幼馴染という
Sちゃんもきてた。
彼女はとてもきれいな子で、男性陣はみんな彼女のほうを
見ていてUさんの話すらろくに聞いていなかった。
彼女も男の子がみんな自分を見ているのを知っていて
わざと挑発しているようだった。
私も、彼女のほうをずっと見ていた。。。目を点にして。(苦笑)

さすがにUさんはSちゃんの態度が気になったのか
一度彼女を別室に呼んで注意したようだったが、
その後彼女はこっそりと一部の男の子に
目配せをするようになった。
結局その日、私がUさんの家で見たのは
Sちゃんのすごさだけだった。(^^;

Sちゃんが電車で帰るとき、男の子たちみんなが
自分の家が近くだと行って争って一緒に帰ろうとし、
結局逆方向の子以外は一緒に帰っていった。
逆方向の子は残念そうに帰っていった。

Uさんは、私を見てすまなそうに言った。

「ごめんな。あいつ、家庭に問題があって、
 ああいう方法以外、人と仲良くする方法を知らないんだよ。
 ほんとうはおまえと友達になってくれれば
 いいなと思ってつれてきたんだけど。。。
 また機会を作るから、会ってくれるかなあ。。。」

私はびっくりした。
ただの友達ならSちゃんの様子を見て
非難しただけかもしれない。
でも、Uさんは彼女の環境や性格を理解した上で
彼女のことで私にあやまり、しかも彼女の友達に
なってやってほしいとまで言ってきたのだ。

私には、こんなふうに理解してくれようと
する人なんかいなかったから、こういう友情も
あるんだなーと思ってただただ驚いた。

その後進学の関係で私はそこをやめてしまったから
私はSちゃんに再び会うことはなく、
Uさんとも一、二度遊びにいったきり会わなくなった。
彼女たちは今どうしているのだろう。
あいかわらずUさんはSちゃんの理解者なのだろうか?



私はかばってもらったことなんかない。
親にも、友達にも、先生にも。
だから、理解者がいる人ってうらやましい。

一人でも誰かがいれば、私の人生は
かわっていただろうか?



……ううん、多分無理。
だって、自分から理解しようとする人を遠ざけて
手の届かないところまで押し戻そうとしているんだから。
たとえUさんとであったのが私が先だったとしても
きっとああはならなかった。

今年も一人、理解者になりえた人をなくそうとしている。
今日彼は東京に戻ってくるけれど、来年の今日は
たぶん彼を待ってはいない。

せめて、少しずつ恩返しをしていこうと思う。
限界が来るまで。

わかってくれようとして、ありがとう。


2003年01月03日(金) 忘れるはずがない/理想の人

彼とは今年に入ってから
「あけましておめでとう」のメッセージを送ったきり
連絡をとっていない。
むこうの楽しい話を聞く気分じゃなかったから。

むこうから何か言ってくれるのではないかと
むなしい期待をこめながらメールチェックをした。
すると、見慣れない名前の人からメールがきていた。

本文を読んでみて思い出した。K君だった。
K君とはインターネット上のとあるコミュニティで出会い、
時々メールのやりとりをしていた。
彼との連絡は、彼が二年前に
「ホームページを作ったら連絡します」と言ったきり
途絶えていたのだけど、
なんと二年経ってやっと作る気になったので
ホームページアドレスを教えるために
正月の挨拶がてら連絡してくれたのだった。

うれしかったので「久しぶりー」と
近況を尋ねるメールを書いて出した。

するとその日のうちに返事がきて、
「(コミュニティで一緒だった)ほかの人のことは
 忘れても、きみのことは忘れないよ」という
 返事がかえってきた。

……なんだかすごくうれしかった。(涙)

たぶんまたとぎれとぎれのやりとりになると思うけど、
時々思い出してくれる人がいるっていうのは
いいなあと思えた。

K君、本当にありがとう。
おかげで一日幸せでした。(我ながら単純だあ。(苦笑))





もし、次に出会うとしたら。

雨の日の海を一緒に見てくれる人。
初日の出を私の好きな場所で一緒に見てくれる人。
動物好きな人。
マイケル・フランクスとケニー・Gを否定しない人。
ときどきドライブに連れて行ってくれる人。
できたら運転が乱暴じゃない人。
外見のことはとやかく言わない人。
桜とコスモスが好きな人。
ホットケーキが好きな人。
カクテルが好きな人。
時計が好きな人。
ローズクォークかラピスラズリのアクセサリーをくれる人。
コーヒーは豆からひいて煎れる人。
フレーバーティーを許せる人。
少し照れ屋な人。
ほんの少しだけお金持ちな人。
宮部みゆきが好きな人。
背中から腰のラインがきれいな人。
メグ・ライアンが出てくる映画を一緒に見てくれる人。
ロビン・ウィリアムスが出てくる映画を一緒に見てくれる人。
NBAバスケが好きな人。
青が好きな人。
同じことで笑える人。
浮気はしないか、しても隠しとおせる人。
何があっても私の味方をしてくれる人。
私のことを愛情をもってほっといてくれる人。

すぐに友達と遊びにいかない人。
家族との絆が浅い人。
釣りが嫌いな人。
人の痛みがわかる人。
失敗をからかわない人。
シルベスタ・スタローンのアクション映画が苦手な人。
(コメディ調のは可)
子供がそんなに好きじゃない人。
うんちくをたれない人。
風呂場がきれいな人。
海外旅行にいったことがない人。
人のいい面をまず見ようとする人。
私と同じで帰るところのない人。

そして、私の「大丈夫だから気にしないで」って
いうのが嘘だって見抜ける人。



……こんなに条件つけたら、
結婚相談所でも見つからないかもなあ。(苦笑)


2003年01月02日(木) 今ごろ気づいた違い/初夢と初日の出とおはよう笑点

ひととおり年賀状メールを出した後に
年越しの仕事を再開しようとしたら
眠っていたはずの父が再びおきてきました。
すると突然胃痛がおこり、私は寝ることにしました。
家族といるのは私にとってよほどのストレスなようです。(苦笑)
うわさによると父は三月まで仕事がないそうなので、
この状態が三月まで続くというショックのせいも
あるかもしれません。


高校の同級生から年賀状が届いていたのですが、やってくれました。
これだけは絶対にやるな、って頼んだことを。。。
子供の写真を年賀状にはってよこすっていうやつです。
でも、そんなことを言っても自分の子どもはかわいいそうですから、
言ったところで意味がないので
適当な返事を書いてさっさと今年の付き合いを終えました。
彼女の名前を次に見るのは来年の今日でしょう。
まあ、用事がないと出してこない人なので来年は来ないかも。

彼女とは高校三年間同じクラスで、私が両親を嫌うのと同じように
彼女は姉と険悪の仲でした。
そのせいか、彼女とは他のことでもよく気が合い
一緒に遊ぶことも多かったです。
一時は親友という言葉を使ってお互いを
表現することもありました。

しかしやがて、彼女が自立して家を離れると
そんな問題は最初からなかったかのように
幸せそうでした。家族と距離をおいたせいか
いい関係になったようです。
彼女に恋人ができたことがきっかけで
私はそのうち彼女とはあまり会わなくなり、
結婚や妊娠もハガキ一枚で知らせてくるような
薄い関係になってしまいました。

久しぶりに今年再会しても、
こっちがむこうの新婚家庭の話を聞いてあげる以外には
何の話もしませんでした。
こちらがまだあのときと変らないまま
幸せじゃないなんてまるで興味がないようでした。

……彼女にとっての家族の問題は、
家族と離れれば済むだけの問題だったんだ。
そう思うと、なんだか拍子抜けしてしまった。

そういえば、私は彼女の家庭の悩みを聞くことが多かったけど、
私のほうは聞いてもらったことなかったっけ。
まるで、こないだ会ったときに
彼女が自分の子供と夫の話ばかりして
私のことをまったく聞こうとしなかった時のように。
なのに、「遊びにきてね」って言われて
どうしろというんだろう。
社交辞令を書くくらいなら全部印刷ですませてくれればいいのに。

仕方ないよね。彼女が嫌いだったのは姉一人。
私は嫌いなのは親戚全部。

今ごろ違いに気づくなんて。。。
バカだな。ほんとに。


追記:

子供の写真付き年賀状についてなのですが、
そういうのが好きな相手には送っていいと思います。
ただ、私は彼女とは友達でも彼女の夫や子供には
興味がないんで送られても困る、とそれだけです。
「子供の写真を送られたらかわいいかわいいと
 喜ぶのが当然」みたいな人もいるようですが、
それはそれで自由にしてもらってかまわないので、
興味がない人間のことはほっといてくださいまし。

と、いうか私にとっては
「カレーに福神漬けってどうなのよ」レベルの
どうでもいい問題なのですが、(^^;
同じように感じられないからと言って
トゲトゲしい言葉で非難する人のほうが
理解できないです。
まあ、考え方の違いってやつですね。






初夢。

なぜかケミストリーが出てきました。(^^;
ファンじゃないのでそんなにありがたくなかったです。

初日の出。

一日のは見逃したのだけど、さっきやっと
(自分の中での)初日の出が見られてうれしかったです。(^^)

初日の出と初夢はどうにでもなるけど、
見逃した「おはよう笑点」は帰ってこない。。。残念(涙)
幸先悪いなー。(^^;


2003年01月01日(水) 一度でいいから

ときどきあなたがとても無神経に思えることがある。
東京に私を置き去りにして、
遠くから楽しそうなメールを出してくるなんて。

一度でいいから、

「ここはつまらない。早く帰りたいよ」

と言ってくれれば、救われるのに。

これからあと何回こんな夜を過ごさないといけないのだろう。
いっそ、本当に一人ならどんなに楽だろう。
話もできないほど酔っている母の話し相手をしながら、
楽しくない時間を少しでも縮めようとすることだけしか
頭にない私。

今この時間に一緒にいたら、
やりたいことはいっぱいあるのに、
絶対に叶わない夢なのかな。
帰省ラッシュを避けて早目に帰り、
遅めに帰ってくるのだからまず無理だろーね。

嘘でもいいのだけど、
そんなこと言ってくれないよね。
……仕方ないか。


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