道院長の書きたい放題

2005年11月29日(火) ◆伊藤園会長、故本庄正則先生のお言葉

■「金儲けは私達がしますから、先生は少林寺拳法を一生懸命教えて下さい」――。

ちょっと日時と場所の詳しい記憶は飛びましたが、伊藤園会長、故本庄正則先生が私に言われたお言葉です。

たまたまご自宅がそう遠くなかった関係で、長男のD君(失礼ですが…そう呼ばせて頂きます)が中学生の時に入門。その後次男のY君、三男のR君をお預かりしました。D君は三段、Y君は二段を取っています。

凄い企業の息子なんだなー、と思ってはいましたが、当然頭の中では一門下生であり、一ご父兄でした。

余談ですがさらに前、あるご父兄の紹介で入門した青年の親御さんの職業が「石油会社経営」となっていたので、どこかのガソリンスタンドを経営されているんだ、と思っていたら、某大石油会社社長の息子だった、何てこともありました…。

■それで昭和55年、自宅の古家を改装して二十畳ほどの小道場を自力で完成させた時のことです。D君が遠慮がちに切り出しました。

「先生、失礼なんですが、父が道場の完成を記念して何か、ビデオなどをお贈りしたい、と言っています」。

「えー本当!…それなら太鼓を頂けたら嬉しいな」となって現在、道場に太鼓があります。

どうも、ビデオよりは遥かに高価な代物で、当時の世間知らずに赤面してしまいます。しかし私としては、本山新本堂に江崎真澄先生寄贈の大太鼓があり、同じ物がとても欲しかったのです。で、「贈 本庄正則」の文字が入っています。HP宝物館にある通りです。

その後、私が神奈川県の理事長となった時、県連顧問にご就任頂き、県大会を神奈川テレビで放映するスポンサーのお願いも快諾して下さいました。先生には本当に感謝しています。

■さて、上の本庄先生のお言葉は、言外に金儲け=ビジネスは綺麗ごとでは済まされないので、少林寺拳法の先生には似合いませんよ、と言っておられる様に聞こえます。

また先生は、援助してもらえるような懇意の会社を紹介するので、例えば一社百万円の寄付が百社集まればイイですね、などという方法も示唆して下さいました。

この話しは実現しませんでしたが、議員振興連盟もさることながら、経済界支援連盟?ができれば、あながち不可能ではないかもしれません。ただし、「少林寺拳法を一生懸命教える」という条件付きですね。

■最近噴出している問題=ビジネス臭が漂う展開は、どの辺から始まっているのでしょう。映画『少林寺』のチケットを組織を挙げて販売したあたりかな…。五十周年の際は、記念本の各道院・支部の購入一覧表なども作成されましたね…。

開祖はこう仰いました。「ワシは道着の販売も、宿舎の経営もせなんだ。そんなことは、みんな地元に任せてしまった」(要約)。

やはりこうなってみると、深い意味があったのです。言い方が変ですが、(自力が前提で)胸を張って寄付を募れる団体、ないし援助を申し出てもらえる団体――少林寺拳法はビジネスとは無縁の、人造りの団体なのです。

これを、一生懸命教えましょうョ!



【注意】本「書きたい放題」は気持ちの問題もあり、即日にアップします。ですので、当日中、あるいは翌日にかけ、表現の過不足を改める場合があります。印刷して読む場合は数日後にお願いします。

表現が異なったまま残るのは、私にしてみれば不本意であります。いずれ、リニューアル?=改訂して行きたいと考えています。★印なんか付けますか…。


◆関連する掲示板の書き込みを載せておきます。
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味方止めるべからず!  投稿者: あつみ♂  投稿日:11月28日(月)11時01分48秒

◇昨日の有段者練習会は15名(内紅卍6名)が集まりました。前回の紅卍練習会には9名が参加。これからも続けて行こうと張り切っています。

僭越?ながら、開祖から始まる拳譜に連なる先輩拳士の技に接して来た我々には、それを次世代に伝える義務がある、という思いが歳と共に強くなってきました。いつ死ぬか分かりませんもんねー。

◇◇ある拳士が最近気になっているS社と少林寺拳法の問題につき、意見とS社のアドレスを送って来てくれました。見ると、HPには社長のブログもあり、そこで一種の暴露がされています。

うーん、これは由々しき問題ですね。

◇◇◇でですね、私はですね、学生時代の頃、近藤道文先生と原田公臣先生から聞いた話を思い出しました。若山旅館でした。幹部講習会だったと思います。

指導員の先生方がそれぞれの旅館を訪ねられて、お話をして頂いたんです。

「君達な、友達が喧嘩している時は理由の如何を問わず味方を止めたらいかんのよ」と笑いながら言われました。

「……?」の一同を見渡しながら、

「味方を止めたら、その間に相手に殴られるかもしれんでしょう。相手を止めたら、味方がやられることは無いんで、相手をぶん殴ることもできるかもしれない。そのあとで、もし友人の方が悪かったら意見したらいいんよ」

こんなお話だったですね。お二人は組織抗争の経験がおありなようで、原田先生が「(何かのことを思い出されたんでしょう)あの時は二人して命がけでしたなー」としみじみうなずいておられました」…。

◇◇◇◇まあ、他の意見もあるでしょう。しかし私はこうなったら、これは喧嘩である、と理解しています。法治国家ですから無茶は出来ないでしょうが、とにかく勝ってもらわなければなりません。で、その後は組織的な責任をはっきりするべきでしょうね。

とりあえず、少林寺拳法式の思考法のひとつであると考えます。

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開祖遺訓…  投稿者: あつみ♂  投稿日:11月30日(水)10時43分13秒

◇遺訓とは死に際しての遺言もあるでしょうし、生前の言行がそうなったものもあります。『南州翁遺訓』などは、西郷隆盛は別に遺言として言い残した訳ではありません。

武田信玄は「我死して三年の間、喪を伏し…」と本当に言ったのでしょか。三年の間は国内の防備に専念せよ、とは言ったらしいですね。

徳川家康は、長子相続、鎖国は…あれ家康からかな?などなど、大きな枠組みを徳川家の為に残しました。日本の為、という意識はあったのかな。興味があります。

鎖国の是非はともかく、とにかく日本は他国からの侵略を免れた訳です。で、世界情勢に合わせるべく開国維新となった訳ですが、取り合えず彼の子孫は約300年間は遺訓を守ったことになります。

言い方を変えれば、300年経ってやっと変えた訳です…。

◇◇鑑みるに、開祖の言行にもそれ=遺訓がありますね。開祖没後からの組織運営に再検証が必要かなー。

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