| 2003年02月05日(水) |
◆勝負の世界の情と非情 |
■勝敗を決着する世界に生きている人達を「勝負師」と言います。スポーツ選手、格闘家、棋士(囲碁、将棋)、騎手などが一般にはそう言われますが、世の中の人はある意味、勝負の世界に生きていると言えます…。
良く「勝負の世界に情けは禁物/非情であれ」と言われます。果たしてこれが本当であるかと思う時、はなはだ怪しいのです。
■端的な例が大相撲。周囲は取り組みを面白くする為に同部屋対決を望みます。しかし(多分理事会で脚下?され)、なかなか実現されません。
何も知らない人達は、それこそ無責任に「やれ!やれ!」と迫ります。しかし、相撲の勝負は大変厳しいのです。流血、脱臼、骨折…、驚いたのは以前、若乃花が稽古中、相手の頭からの当たり/頭突きをアゴに受け、奥歯が2本吹っ飛んだ!?と何かの記事に書いてあったことです。普通抜けます…?
「部屋の中は家族なのだから、兄弟同士が争うようなことは絶対させない」(要旨)。反対の理由を述べた理事長(名前は失念)の談話でした。この言葉/気持ち、私には理解できます。しかしやむ負えず、優勝が掛かった一番で同部屋決戦が行われたことがあります。
私の記憶では三番あります。「千代富士(勝ち)vs北勝海」「貴乃花vs貴ノ浪(勝ち)」「貴乃花vs若乃花(勝ち)」です。
■『週刊ポスト』は大相撲の八百長疑惑に厳しい目を向け続けている週刊誌です。それで、当時も疑惑の取り組み/無気力相撲に対する世間の目が厳しくなっていた最中の勝負でしたが、この3番はどうだったでしょう。八百長があったとは思えません。が、やはり力が入らず、情が入ったんでしょう…。
後年、千代富士がこの勝負に触れ、「…それは嫌なものです。普段、一緒に稽古している者同士が闘うのですから…。土俵の上で二人とも目を合わせられませんでした。二度とやりたくありません」(要旨)となにかのインタビューに答えて述べています。解説者達も、それぞれの取り組みについて歯切れが悪かったですね。観客は沸きましたが…。
相撲以外で、一昨年の槙原投手、斉藤投手の引退場面。長島監督の粋は計らいで登場した両投手に横浜の各バッターは公式試合にかかわらず連続の三振。槙原投手なんか130km台のスピードしか出ないのに、バットとボールの差が数十センチもある空振りでした。まあ、点差があって横浜勝ちの結果が見えていたからでしょうが、明らかに情が入っています。いや、先輩への敬意/同情かな…。
■昔、ボクシングのヘビー級でとても印象に残る試合がありました。ラリー・ホームズがジョー・フレージャーの息子と戦った試合です。コーナーに追い詰め連打を浴びせながら、ホームズがレフリーに何事かを叫び続けるのです。どうも「もう止めろ!」と催促していたようなんです。
実力の差があり過ぎる打撃系の試合はとても危険で、相手選手を死に追いやる危険があります。でも理屈から言えば、レフリーが止めない限り相手を叩き続けてもかまわない訳です。あの試合、野獣をイメージするヘビー級の世界にあって、ホームズ選手はそうしなかったのです。彼が勝負の世界で見せた情/善性が鮮やかでした。
昨年の暮れ、総合格闘技に出場した吉田秀彦氏も初戦、ホイス・グレーシーと対戦した際、同様な情/善性を見せています。
締め技を決め、参ったを言わない相手が失神しかかったのを感じ取って「落ちた!落ちた!」と審判にアピールしました。戦力を喪失した相手に対し、さらなる攻撃を躊躇したのです。次に2戦目。ドン・フライとの対戦では、前回、相手サイドの抗議(落ちていないから無効試合)を受けたからか、腕ひしぎを厳しく決めます。が、レフリーが止めた直後、すぐ相手の肘を整復しようとしました。好感が持てるシーンでした。
■我が国では「武士の情け」という言葉があります。これは様々な解釈が考えられますが、私は戦う相手に対する敬意であると思います。ですから、戦い振りは正々堂々が理想なのです。
人間は善性を備えていて、だから人が人と殺し合う姿があさましいと映るのです。殺し合うとは言わないまでも、よん所なく争った場合、もちろん職業的勝負師達も含み、敗者に対しての情、同情の心を失ってはなりません。
非情に徹することは人間であるが故に実は大変難しく、言い換えれば、勝負に非情で勝ってはならないのです。人間性/情を秘めた勝ちが理想です。
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