久しぶりに書きます。
■アントニオ・猪木氏のビンタ! 昨今のあの叩かれて喜ぶ現象はなんでしょう? 若者達に止まらず、良い年をした大人までビンタされて嬉々としている光景は不思議です。
「エルビス・オン・ステージ」という映画を私達の世代の方は観た事があると思います。あの映画の中で、ステージ上で歌うプレスリーに向かって多くの女性ファンが駆け寄り、キスを求めるシーンがありました。まあ、今でしたら感染症の問題なんかありますからどうでしょう…。
でも、キスはちょっと行き過ぎと思いますが、あれが普通の感情でしょう。憧れの人に対して握手などの身体接触を求めることです。ビンタも…確かに接触でしょうが、なにか違う感じがします…。
■父性の喪失が背景にあるのでしょう。最近は、親が息子や娘に気を使うあまり、正面から堂々と「悪いことは悪いことだ!」と叱らなくなり、しかも暴力はいけないという風潮に押されて、親父が子供にビンタを張ることを恐れたのです…。
もちろん、せがまれる猪木氏も思い切り叩いている訳ではありません。ビンタはつまり、彼流のコミニュケーションに他ならないのです。面白いですね。今までにはないコミニュケーションの出現です。氏の個性があって成立するのでしょう。
■しかし、私達も似たような体験をしています。憧れの先生に技を掛けてもらい、倒されたり、痛かったりしたけれども、そこに大きな喜びを感じていました。
少年部の練習時、私が付けたグローブが当たったら(ちょっと)痛いと感じるくらいの突きを受ける練習をします。思い切りではありません。「誰か挑戦者はいるか!?」と聞くと、「ハイ!ハーイ!」と何人もの子供が手を上げます。
ただし、この時の力加減がむずかしく、当たったらちょっと痛いというところがミソなのです。泣かしてはいけません。そんな突きを受けられると喜ぶし、当たっても喜んで?います。
■話しが戻って、猪木氏のビンタは一瞬に終わりますが、というより、いくら痛くないコミニュケーションと言えども、毎日毎日、顔を叩かれるのは気持ちの良いものではありません。それに引き比べて、少林寺拳法の道院長は門下生に対して長い間、護身として有益な技を掛け続けられることができます。
そうです! たとえ投げ、倒し、固めても、道を求める拳士が嬉々として喜んでもらえるような、鮮やかな技=(力愛不二の)コニミュケーションを目指さなければならないのです。
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