道院長の書きたい放題

2002年10月22日(火) ◆演武後記

■拳友、作山吉永先生の茨城高萩道院、設立25周年記念祭で演武を行うことが決まり、道院生8名と共に13日〜14日と泊りがけで高萩に行ってきました。

本来ならもう少し早く感想などをアップすべきでしたが、当日、出席されました板橋蓮根道院長、後藤隆志先生のレポートが素晴らしく、しばらくフリーズ?してしまいました。まあ、他にも「続・ゲーム脳」やら「アレクサンドル・カレリン/無敵!勝利の方程式」も書きかけなんです…。

ところが、このカレリン選手に関する予定校稿に、演武と共通する感性があるのでした…。

■この部分だけ先に抜粋します。彼はこの様に言っています。

「…最後にもうひとつ、リングの上で争うのではなく、自分を表現するのだ。それが、レスラーであることの唯一の証でもあるのだから…。そうすることで、必ずいい結果が出るはずだ。その後のことは考えるのはよそう」(放送ママ)

この発言の背景は省略しますが、彼は言葉通り、4個目(!?)の金メダルが懸かった2000年のシドニー大会決勝において、僅差のポイントをリードされているのに関わらず、最後まで自身が編み出した大技、カレリンズ・リフトにこだわって敗れています。彼の実力からすれば、僅かな差をひっくり返すのは苦もなかった筈なのにです…。

■私は『演武の手引き』の中で「表現」という言葉を多用しています。ですが…競技、それも勝負の世界である格闘技界の側からこの言葉が出てくるとは本当に意外でした。

しかし良く考えてみると、例えば相撲でも、横綱が体を変わったり、引き技で勝っても喝采を得ることができません。やはり、横綱相撲で勝たなければならないのです。横綱は土俵の上では神の化身であり、正々堂々と勝ってこそ神を表現しているのです。

さて少林寺拳法の演武と言えば、私と作山先生の頭の中には明らかに共通のイメージが存在しています。それは言わずと知れた中野益臣先生、三崎敏夫先生の日本武道祭における演武です。

なぜ、両先生のこの演武なのでしょう…?

■少林寺の拳士は(正式な)演武を行う時、法衣を着用します。その時、私達はあたかも横綱をつけた如く、神とは言いませんが…何かが降臨するのです。

今、気が付きましたが、私と作山先生が演武した時は、すべて法衣を着用していました。

最初は早稲田大学の外国人による武道研究会(正式名称と年月日は今、思い浮かびません。16、7年前頃ですか…)での演武。続いてニューヨーク・シティ支部長、宮田行広先生の開催によるニューヨークでの演武会。会場が有名な場所でした…。そして、10年ほど前に行った茨城県大会での模範演武。その後に『演武の手引き』を書きました。いつもいつも演武を行っていた訳ではないのです…。

もっとも作山先生とは常に学生合宿、学生幹部講習会、中野先生の講習会、コーネル合宿などで法形個々の演武は行っていました。しかしこれらのものと法衣を着用した演武とでは、明らかに二人の精神状態が違うのです。

さらに不思議だったのは、確かに演武は久しぶりなのですが、年月の距離が全くありませんでした。これは二人が同じ師を持ち、同じように切磋琢磨し、少林寺拳法を表現しようとする気持ちが一致していたからに他ならないと確信しています。

また、本来なら先輩である作山先生を「吉永ちゃん!」「紳ちゃん!」と呼び合える仲になり、開祖が言われた「少林寺の特徴はペアで練習をし、上達するのである」を具現して行こうする強い意志を二人の間で生み出したのでした。

■話が戻って、私達が演武で表現しようと思ったことは、“禅坊主の拳法演錬相対図”とでもいうもので、中野、三崎両先生の演武がずっと心に残るのも、お二人の演武がこの方向に向かっていたからだと考えています(個人的には降臨があった演武と考えています)。

いかにこれが大切であるか…。人間は良きにつけ悪しきにつけ、無意識に残る情報が重要です。例えば、入門式に奉納演武を行う意義は、新入門者達への大切なメッセージとなり、方向付けとなります。必ず法衣着用の演武が望ましいのです。

それは自他共に、仏道修行に向かわせる原動力になるのです。

今回、そのような演武が果たしてできたかどうか…。しかし私と作山先生はこれからも努力して、次の演武の機会に備えて日々の稽古、練習を積み重ねて行きたいと思っています。

■パンフレットに掲載された私の挨拶文を載せておきます。

「本日は茨城高萩道院の設立25周年に際し、道院長、作山吉永先生のこれまでのご苦労とご努力に心から敬意を表する次第です。また麗子夫人にも、ご苦労様でしたと述べさせて頂きます(いや…度々の深夜の長電話に対するお詫び?と訂正が必要ですか…)。

さて、ひとくちに25年と申しましても、人生の四半世紀ということであり、お互い道院長という立場として、この感慨無量の気持ちは本当に共感できるものです。

目を閉じると、少林寺拳法の修行と共にあった、出会い、喜び…悲しみや別れさえ、感動となって脳裏を巡ります。まさに高萩道院は作山先生の魂の結実なのです。そして、この魂はまだまだ成長を続けており、拳友としてまことに期待して止みません。

今回、二人で「演武をやろう!」ということになりましたが、(天に)願わくば…半世紀後/50周年記念にも、お互い元気に演武を出来ることを祈り、簡単ではありますが私の祝辞とさせて頂きます。」


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あつみ [MAIL]