| 2002年05月25日(土) |
◆「命もいらず…」の補足 |
西郷隆盛の言葉に関し補足しておきます。
■「生命も要らぬ名声も要らぬ、官位も金も要らぬという人間はどうにも始末に困るものだ。この、始末に困るような人間でなければ、艱難を共にして国家の大問題を解決してゆくことはできるものではない。だが、こういう人物は凡俗の眼にはなかなかわからないものである。」
西郷はある時、このように言います。それに対して、
「では『孟子』のなかに『天下を広い住居として、天下の真中に立って、天下の大道を歩む。目ざす地位を得れば、人民とともに道を実現し、目ざす地位が得られなければ、自分ひとりで道を実現する。富貴にも迷わされず、貧賎にもくじけず、威武をものともしない。こういうのがほんとうの大丈夫なのである』とありますのがいまいわれたような人物でしょうか」と質問され、
「その通りである。しっかりと道に立った人でなければこのような気象はうまれないものである」と答えます。
この問答は元々は敵対関係にあった荘内藩(現、山形県鶴岡)の人達が、明治三年、西郷に心酔して鹿児島を訪れ、百余日を彼の身辺にあって過ごした際、言動を記録したもの/『南洲翁遺訓』の中にあります。
■ 歴史小説作家の故海音寺潮五郎氏は「…戦前の右翼の人々や、豪傑ぶった人々は、“始末にこまる者”を“世のもてあまし者”の意に解釈し、大いに愛用し、従ってまた一般の人にも西郷を誤解させるよすがにしてしまった。“始末にこまる者”とは、“誘惑の手だてなき者”の意だ。死をもっておびやかしても、名利をもって誘惑しても、心をゆり動かすことのできない者という意味だ。」と憤慨し、訂正しています。
■『南洲翁遺訓/岩波文庫』から抜粋しておきます。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れ共、かようの人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるる…」
■ 参考書籍
『南洲翁遺訓/山田済斎』〜岩波文庫〜
『史談と史論/海音寺潮五郎』〜講談社文庫〜
『西郷隆盛語録/奈良本辰也・高野澄 編』〜角川文庫〜
『人類の知的遺産・孟子/貝塚茂樹』〜講談社〜
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