A Thousand Blessings
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2006年10月13日(金) 神棚に奉られたキース・ジャレット



今日は10月3日。



何度も何度も繰り返される学校内のイジメ。
少女を自殺へと追いやった当時の児童(あえて主犯・共犯と呼ぶ)、
その事実を知りながら見て見ぬふりをした教師、
さらには殴る・蹴るの事実が無いのでイジメとは言えない、あるいは
遺書ではなく単なる手紙にすぎない、事件ではなく事故である、
と言い逃れし続ける北海道滝川市の教育委員会の担当責任者、
以上、生きている価値のない人間たちである。

中学一年の時、陰湿なイジメに遭っていった僕には自殺した少女の
悲痛な叫びが聞こえてくるのだ。
僕をいじめつづけた同級生のIは高校一年のとき、女に振られて自殺した。
今でも、罰が当たったんだと、僕は思っている。




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キース・ジャレットの新作ライブ盤に収録された異常に長い拍手の話。

アメリカの聴衆にとっては待ちに待ったカーネギー・ホールでの公演だったようで、
熱狂的なファンの集団心理も手伝ってか、
ジャレットへの拍手は音量・長さともに尋常ではない。
でもまあ、それは許す。
ステージ上のジャレットもそのことにいたく感動したのだろう。
それは理解できる。でも、僕が理解できるのはそこまで。
何故、その拍手が丸々CDに収録されなければならないのか?
拍手とは、当日の演奏者と観客の関係性の中でしか意味を持たないものなのだ。
ゆえに、純粋に音楽を楽しみたいと思っているリスナーにとって
そういった拍手は邪魔以外の何物でもないのである。
単なる雑音にすぎない場合も少なくない。
イジワルな見方をすれば、「ジャレットはアメリカで
こんなにすごいことになっているんだぞ!」という宣伝と捉えることもできる。
いや、たぶんそうなんだろう。
そんな宣伝行為に加担する太鼓持ちが国内盤のライナーを書いていたりする。
また、そういう部分にあえて目をつぶってしまう音楽ライターもいる。
きっとそのライターも「うるせー拍手だな」と思ってるにちがいない。
CDを聴く時、彼も、拍手の部分を飛ばしてるんじゃないかな?
製作者の意図にも案外冷やかかもしれない。
でも批判は避ける。しないのではなく、出来ないのだ。
ジャレットもアイヒャーも神様だから?
宣伝部隊じゃん、みんな揃ってさ。SJ誌の有名評論家なんてその代表だ。
でも、まあ、それら全部に目をつぶってもいいや。肝心の演奏内容が素晴らしければ。
・・・全然、ダメじゃん。カーネギー・ホールという殿堂で
聴衆が望むキース・ジャレットを再現しているだけの
およそスリルとか創造性とは縁遠い内容で、聴いていて非常に白けた。
アンコールに演奏された“MY SONG”のコードが多少変えられていた
からって、それが何なの?あの程度で満足しているとは、
即興音楽愛好者の感動沸点も低くなったもんだと思う。


典型的な反応例→fanky某氏のレビューの前半を




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亀田は怪我なんかしてないんでしょ?
調整が間に合わないので、苦肉の策として、バックレたんじゃない?
本当に怪我をしたとしても、
延期になった対ランダエタ戦に負けた時、怪我のため練習が
不十分だったと言い訳する材料ができたということで、。
テレビで誰かが言ってたけど、記者会見(本人とアホ親父は顔を見せず)
の前に少なくとも対戦相手に試合延期を伝えておくべきだろう。
そんなガキでもわかる常識があの親子(あるいは、金平会長)には
欠如している。どんなに強くてもバカではとても応援する気にはなれない。





響 一朗

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