A Thousand Blessings
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2005年10月14日(金) オレンジレンジ的処世術

オレンジレンジのニューアルバムがパクリの見本市だとしても別に
僕的にはどーでもいい事ですが、ただオレンジレンジ的なるものが蔓延し始めた現状に
ちょっと危機感を抱いたりしているのは事実です。
たとえば同じパクリでも、サザンやミスチルのようにパクリとオマージュの
微妙な境界線に神経を張り巡らせた、かなりの音楽通を煙に巻く老獪さ(適切な表現ではないかもしれませんが、“ある種の技術としての”という意味で使いました)とは
ちがって、オレンジレンジからは、パクリに対して無自覚であるような印象を受けるんです。
いや、待てよ、違うかもしれません。無自覚を装っているのかも。屈託の無さを演出?
無自覚だったら批判されないだろうという計算があるのかも。逃げ道を残すってことか?
どちらにしても、彼らが相手にしている連中は、実際問題、音楽をよく知らないと
思います。子供が多いしね。生れた時からテレビゲームがある世代でしょ。
そりゃ、何にも分からないですよね。探究心も好奇心も欠如しまくりだし。
もちろん、耳のぶつかり稽古を日々怠らない勉強家も稀には存在しますが。
オレンジレンジの新作を聴くと、プロデューサーあたりがいろいろ入れ知恵してるような
気がしますね。30枚くらいCDを持ってきて。「これ聴いてごらん。こんなの作れない?」
なんてね。勝手な想像ですが。それに対してメンバーは
「お!カッコイイすねー!やりましょう!」なんていう風に反応しているんじゃない?
純情素直か計算高いのか知らないですが(笑)
彼らのアルバム評を読むと、よくバラエティ豊富って書かれてますよね。
好きでバラエティ豊富にしたんじゃなくて、そうなるしかないんじゃないかって。
つまり、自分たちの音楽の太い幹になる部分が無くて、
軟体動物の触手のように伸びた枝がかろうじて樹木の形を保っているだけで
実体は空洞なんじゃないかと思うんですよ。そういう音楽がすごく多い気がします。
近づいて、手で触れてみればすぐにわかるそんなインチキがいつまでもばれないのは
音楽に対して真剣に接する気持ちの欠如とか、すぐに他人を信用してしまう脳天気さとか、
そういったものがリスナーの耳の筋肉の成長を止めているからだと思います。
で、そういうリスナーがいるから成り立っていく音楽産業があるのであって、
しかもそれが今の日本の主流に属するんだから、困ったもんですよね。
あ〜ら、どうしましょうって感じです。笑うしかないか(爆)


響 一朗

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