| ■2003年02月19日(水) ひとの変化。
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ひとって変わるのは難しいというけど、簡単なものもある。 感情の変化。 それも一瞬のものだとしても、変化に違いない。 いい変化にしろ、悪い変化にしろ。 まあ、負の感情を持つことは、悪いことばかりでもないとは思うのだけれど。
大きな変化となると、日々の穏やかな暮らしのなかでも訪れるもので。 毎日、ひとは気付かなくとも、少しずつ変わってきている。 それは、変化のない毎日のなかで、ほんの些細な出来事しか起きなくとも、だ。
何もない日々に慣れる。 その慣れも、変化のひとつじゃないですか? 激しい毎日ならば、尚更変わるでしょう? 慣れ、以外の、なにかでも。
人と出会って、別れて、それで得た感情や記憶。 そういったものが、少しずつ自分を変える。 相手が、何の気もなしに言った言葉が、ひとをかえてしまう。 御互い、そんなつもりがなくとも。 変わろうと思ってしまうし、変えられてしまうのだ。
もっとも、最終的に自分を変えるのは、自分。 人と会った、その記憶、言われた言葉、それによって、得ることの出来る感情。 どう感じ、その気持ちをどう処理するか。 それを決めるのは自分、だから。
それでも、結局は… 投げかけられた言葉の中や、与えられた行為の中、棘となって深く突き刺さるモノ。 それは自分ではどうすることも出来ない。 無理矢理に引きずり出された感情の前では、自分の決定権を見失ってしまう。 刺さった棘は、自分で抜くことも出来ずに。 痛みに喘いで取り除こうとしても、自然に抜けるのを待つしかないモノばかりだ。
だけど。 今まで私に、変化を与えてくれた世界に、人に。 アリガトウの言葉を。 私は、馬鹿みたいに頭のいい親から生まれたにも関わらず、馬鹿で臆病で自信も堪え性もなく、やたらと依存したがり、更には自虐的な衝動に浸って腕を切り刻むのが趣味という、普通じゃない、辞書によれば特殊・異常という部類の、社会不適合者と変化、もとい成り下がってしまいましたが。
考える、ということが多少は得意な小娘になれましたので。
それが多少自虐的なモノばかりで、それによってやはり腕を切り刻むことになろうとも、余計なことばかりを考えてかえって苦しむことばかりでも、それでもやっぱり考えると言う事が出来るというモノになれたことは、とてもありがたい変化だと思いましたので。 ええ、それでも。 何も考えずに自分が普通であると思い込んでるよりは、ずっとマシだと思いました。
だから、感謝の言葉を、言わなきゃなりません。
ああ、それと、考えたコタエを吐き出すと言う事にタブーを感じてた私に、許しをくれたことに対しても。 異常といわれても、でも、生きなきゃなんなくて。 生きる為には、許される事が必要だったから。 腐りかけのあたしが吐き出した言葉を、ちゃんと受け止めてくれる人もいる。 そう、それに、それだけじゃなく、私に変化を与えてくれた人もいる。 一時的な変化も、永続的なものも。
許されてる。
ありがとう。
ごめんなさい。 ありがとう。
それにしても、何で言葉ってこんなに陳腐なモノなのか。 私の語彙が貧弱で文章力もないから余計感じるのかもしれないが。
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