TOM's Diary
DiaryINDEX|前日のDiary|翌日のDiary
その昔、まだ高校生だったころ、私はボランティアをやって いたことがある。主に国際交流を目的としたボランティアだ。
そのボランティア団体にある二人の女子高生がやってきた。 4月になったばかりのころだったと思う。何人かやってきた 新しいメンバーの中の二人だった。 一緒にボランティアをしていく中で私と彼女らは友人として 親しくなってきた。 一人はどちらかと言うと美人タイプ、もう一人はかわいらしい と言う感じの容姿で、二人とも笑顔が素敵だった。 積極的な女性メンバーが多い中で、どちらかというとおくゆかしい 感じのする二人はこちらから話しかけないと、いつも二人だけで おとなしくしている感じであったが、彼女らの方から話かけて くれるくらいには親しくなっていた。
あるとき、ボランティアのメンバー数名で出かけようと外にでた。 最初に出たのは私と彼女らの3人だった。 他のメンバーがなかなか外に出てこないので、中の様子を 見て戻ってくると彼女らは二人だけで話をしていた。
そのときの彼女らの言葉はとても早口でなにか暗号のような 言葉に聞こえた。不思議な感じのする言葉だった。 「みんなもう少しかかるようだよ」 そう声をかけると、彼女らは普通に「じゃ、ここで待っていよう」 と答え、我々はしばらく会話を続けた。
その後もなんどか彼女ら二人だけで例の暗号言葉で話している 現場を目撃した。そんなときは決まって私以外にそばにだれも いないときだった。
あるとき私は彼女らに尋ねた。 「今、なんか暗号みたいなしゃべり方していなかった?」 「そう?普通にしゃべってたけど」 「ふ〜ん」 その後いつものように他愛もない会話が続いた。
それ以降、彼女らと会う機会が極端に少なくなってしまった。 ボランティア自体には参加してもミーティングなどには来なく なってしまったのだ。 会っても以前ほどゆっくり話しをすることはあまりなかった。 最初の頃のような笑顔もあまり見られなかった。 そして、彼女らはまったくボランティアに参加しなくなってしまった。
所詮は学生のボランティアだ。 受験やクラブ活動が忙しくなり来れなくなるメンバーも大勢いる。 そうしたメンバーも夏休みになったり、受験が終わったりすると またひょっこり顔をだしたりする。そのため、残ったメンバーも 去っていったメンバーのことをあまり深くは詮索しない。 まして、彼女らのように2、3ヶ月しか参加しなかったメンバーで あればなおさらである。
私自身も彼女らのことが気にはなっていたが、やはり彼女らのことを 詮索することはなかった。
***************************
あるとき私は彼女らにばったりと出くわした。 夏も終わりかけのころだったと思う。 「あ!」 「あ〜!」 「久しぶりだね」 「元気してた?」
はじめて会った頃と同じ笑顔だった。 ボランティアに参加しなくなったことには一切触れなかったが、 何気なく、「またみんなで遊びに行ったりしようよ」と持ちかけた。
「みんな」とはボランティアのメンバーたちのことである。 ボランティアのメンバーたちとは普段からボランティア以外でも遊びに 行ったりすることがあったのだ。もちろん彼女らも参加したことがある。 私が最初に彼女らに話しかけたのもそんなときだったと記憶している。
「でも・・・」
彼女らは在日朝鮮人だった。 暗号言葉は韓国語だったようだ。 彼女らはそのことについて多くは語らなかったが、そう言う立場で あることを言い出せないまま、国際交流を目的としたボランティアに 参加していたことが重荷になり、参加しなくなっていったようだった。
非常に複雑な気持ちだった。 その後、判ったことだが、彼女らが暗号言葉で話しをしていたのは 私の前でだけだった。きっと、それとなく彼女らが在日であることを 私に気付かせ、そして、私を通してそれとなく他のメンバーに知らせて 欲しかったのではないか?いや、仮に気付いても他人にそのようなことを 言わないと思われる私を選んだのかもしれない。
実際、私がこの話しを語るのは、数年前に当時の仲間にそんなことが あったと打ち明けたことを除くと、あれから20年近くたった今日が はじめてである。
きっと相当のジレンマがあったのではないか? 隠している重荷と、ばれたときのみんなの反応の狭間で・・・ おそらくは、彼女らがそれまで受けた差別の経験が原因なのではないか?
差別を身近に感じたのはこれがはじめてではないが、在日の問題に 触れたのはこれがはじめてだった。
今、彼女らがどうしているか判らない。 日本を嫌いになっていないことを期待したい。
|