TOM's Diary
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庭に面した部屋。 S氏は天井まで届く大きな窓のそばに置かれた、 自分専用の腰掛に座って、読書をしていた。 サイドテーブルには日本茶がいつでも煎れられるように 用意されている。 庭は土砂降りの雨が降っている。時折稲光が輝くが、 音はまったく聞こえない。しっかりと防音設計された 部屋の構造と、S氏が趣味で作ったアクティブ音響静音 装置のお陰だ。
S氏は湯飲みに手を伸ばし、いつの間にかぬるくなって しまったお茶を一口すすった。
(お茶を煎れ直そうか。)
そう思ってS氏は本から目を上げた。
空はますます分厚い雲に覆われて、部屋の中がだいぶ暗く なってきていた。S氏は暗がりを楽しむかのように本を 閉じて、スタンドの明かりを消した。 リモコンのスイッチを押して、アクティブ音響静音装置を オフにして、大きな窓を開けた。そのとたんに雷鳴が部屋 にこだまする。雷鳴が止むと、静けさを強調するかのよう に雨音だけが聞こえてくる。
雨の香りが漂ってきた。
(この雨に日ごろの疲れが洗い流されるようだ。)
いつも庭にいるはずの鳥たちが今日はどこに避難している のだろうか、ひっそりと息を潜めるように巣に隠れているに 違いない。雨粒にはじかれてゆれる葉っぱと、雨粒以外に 動くものはまったく見当たらない。静かな休日だ。
庭に降り注ぐ雨粒をじっと眺めていると、雨粒が落ちて くるのではなく、自分が浮かび上がっていくような気がする。 S氏は自分の体が椅子から離れ、空中を浮遊している感覚を 楽しんでいた。
(空中に浮かんだままゆっくりと外まででられないだろうか?)
S氏は椅子に座ったままの体勢で窓をすり抜ける自分を想像した。
屋根のあるテラス部分で少し躊躇する。この先にでると雨で ビショ濡れになってしまう。せめてお腹を冷やさないように と考え、スーパーマンのような体勢になった。 そっと、雨の降る庭に出る。頭に激しく冷たい雨粒が当たる。 痛いほどの勢いに身がすくむ思いがする。しかし慣れてしまえば むしろ気持ちが良い。S氏はそのまま上昇してみた。 我が家が下に一望できるほどの高さにあがった。 なんとも言えない、景色だ。見慣れた我が家に見慣れた町だが 視点が少し変わるだけでとても新鮮な感じがする。 S氏はお散歩気分で、目的地も定めず近所を飛び回ってみることにした。 毎朝S氏を見かけるとS氏にほえてくる大型犬も今日は犬小屋の 中から目だけをのぞかせてじっとしている。S氏には気づきもしない。 郵便配達員が雨合羽を着て郵便物が濡れないように注意を払いながら 郵便配達をしている。たまに鬱陶しそうに空を見上げるが、また すぐに仕事にもどる。 黄色い傘をさした小さな子供が赤い傘をさしたお母さんに手を 引かれながら歩いている。時折黄色い長靴が見える。水溜りを 見つけてはその中に入ろうとするが、お母さんに手を引っ張られて なかなか思いを遂げられない。お母さんが油断をしたのだろうか? 不意に子供の手が離れ、水溜りにかけていく。傘は傾きさしている 意味がなくなる。足元で水しぶきを上げながら、はしゃいでいる。 お母さんが慌てて子供の手を掴んで水溜りから救出し、タオルで 子供を拭き始めるがこんどは自分の傘を落としてしまって、あっと 言う間に濡れてしまう。 大通りが見えてきた。 この雨の中たくさんの車が走っている。 雨のせいでみなゆっくり走っているようだ。いや、よく見ると まったく動いていない。渋滞の先をみると交差点でクルマ同士の 事故があったようだ。きっとこの激しい雨で前が良く見えなかった のだろう。 パトカーが渋滞の中をなかなか進めず事故現場につけないようだ。 助手席の窓から警官が赤い棒を出して前の車に道を開けるように 指示をだすがなかなか思い通りに行かずイライラしているようだ。 S氏は身体が冷えてきたので家に戻ることにした。 庭にたどり着くと、まだ浮かんでいたい気がして、少しでも雨が しのげそうな木の下に移動した。 そのときであった。 目の前が明るく輝くのと同時に大きな音がして、木にひびが入った。 どうやら目の前の木に落雷したようだ。耳がキーンと鳴って 雨音が良く聞こえない。S氏は空中に浮いていたせいか、稲妻は S氏を直撃せずに命拾いした。 S氏は慌てて部屋に入ると、窓を閉めてアクティブ音響静音装置を オンにして、タオルで身体を拭いた。
熱いお茶を煎れなおし、ゆっくりとお茶をすする。 読書を再開しようと本を手に取る。 ふと外を見ると、先ほどまでの雨がうそのように明るい日差しが 差し込み、雨に濡れた木々をキラキラと輝かせていた。 いつのまにか雷も遠ざかったようだ。 雨が止むのももう間もなくだろう。
S氏は読書を中止し、雨上がりの庭を写真に撮ろうと、カメラを 片手に雨が上がるのを待つことにした。
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