フランスのパリに有名な凱旋門があります。破竹の勢いでフランスの皇帝に昇りつめたナポレオンが、パリを世界一の都市にすることを目的に計画した記念建造物のひとつです。1806年に着工し、ナポレオン政権の崩壊に伴って中断された後、着工から30年後、ナポレオンの死後15年後に完成しました。ナポレオンにとって未見の大作になったのですが、彼の夢見た凱旋門は今もなおフランスの誇る文化遺産です。彼が息子のローマ王へ残した遺訓は「おまえは、私が各地に開花させた新思想を継承せねばならない。 欧州を永久に和解統一するという私の理想を。」というものでした。今まさに・・・。 私の師に山内逸郎先生という日本の誇る小児科医がいます。とくに未熟児・新生児医療の分野で華々しい活躍をされました。いわば日本の未熟児医療の基礎を作った方々の一人でした。先生が最後に行き着いたのは母乳育児の推進でした。『赤ちゃんは母乳で育てられなければならない』と強く主張され、多くの医学的・生物学的根拠を研究・発表されました。血液の不治の病と闘いながら、日本中を講演で飛び回り母乳育児の大切さを説かれました。全ての子どもたちが母乳で育てられることを夢みて、そのためには産科医の理解がなければならないと、“母乳育児を推進する産科医と小児科医の会”を作られました。そして間もなく1993年亡くなられました。 それまで先生の弟子たちは、先生のお仕事に共感しながらも、どこか自分の仕事とは違うと思っていたようです。亡くなられて初めて、みんなでそれを担っていかなければならない状況に立たされ、できないなどといっていられなくなって、私などはついに“母と子の絆”がライフワークにまでなってしまいました。先生が残された“産科医と小児科医の会”は“日本母乳の会”と名前を変え、毎年のシンポジウムには1000人を越える参加者でにぎわうようになりました。また、日本の母乳育児率は30%足らずだったのが50%に迫ろうというくらいに向上しました。1991年先進国で初めて国立岡山病院がBFH(赤ちゃんに優しい病院)に認定されてから、2003年現在BFHは30施設になりました、ここ数年、毎年10施設以上の申請があります。 先生の命を懸けた事業は、先生の死後加速度的に広がっていきました。ナポレオンも山内先生も《未見の事業》に最後の人生を託しました。それは私という存在のためではありませんでした。ある意味ではなにか大いなる意志の力に従っているかのようです。 考えるまでもなく、世界の歴史はどこかこの大いなる意志の力によって文化を築いてきた印象を受けます。山内逸郎先生がご自分で書かれたこの世とのお別れのメッセージの最後は「実に楽しい人生でした」というものです。 私たちは知らず知らずのうちに、個人で、あるいは集団で、未見の事業に関わっているのです。要はそれを意識するかどうかだけのような気がします。
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