井口健二のOn the Production
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2008年09月28日(日) そして私たちは愛に帰る、TOKYO JOE、デス・レース、永遠のこどもたち、ティンカー・ベル、ディー・ウォーズ、ラット・フィンク

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『そして、私たちは愛に帰る』“Auf der anderen Seite”
ドイツとトルコの関係を背景に描いた親子3組の物語。
ドイツに暮らす270万人とも言われるトルコ移民の老人とそ
の息子。ドイツに出稼ぎに来ているトルコ人女性とその母国
に残された娘。そしてドイツ人の母親とその娘。そんな3組
の親子が、あるときは絆を失い、またそれが再生する。
それぞれ親子が、いずれも親1人子1人で、しかもそれぞれ
が同性というのもポイントかも知れないが、互いを認め合っ
てはいるものの何処かよそよそしさがあり、しかしそこには
信頼関係も結ばれている。
2007年1月に『クロッシング・ブリッジ』という音楽ドキュ
メンタリーを紹介したトルコ系だがドイツ・ハンブルグ生れ
の監督ファティ・アキンの新作は、ドイツとトルコに跨がっ
た数多くの問題を含む作品となっている。
そこには、お互いの国の関係やEUへの加盟問題を重視する
あまり個人の権利を無視する司法の態度、またクルド人の問
題なども背景として明確に描かれている。それはファシズム
の台頭という両国が抱える問題の反映でもあるようだ。
前作『クロッシング…』では、その社会性の部分が意図的な
ものであるかどうかはっきりしなかったが、本作では「政治
は嫌いだ」という監督の発言とは裏腹に、トルコがEU加盟
に向けて覆い隠そうとしている国内の問題点が明確に描かれ
ている。
しかし、本編の物語はそこにテーマを置くものではなく、あ
くまでも親子という絆の深さを描いている。それは口先では
言い争いながらも、最後は抱擁で終わるものだ。それは両国
の関係への監督の願望であるのかも知れない。なお本作は、
2007年カンヌ国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞している。
出演は、ファスビンダー作品に多く出演しているハンナ・シ
グラと、トルコのベテラン俳優トゥンジェル・クルティズ。
他に、トルコ系のバーキ・ダヴラク、ヌルセル・キョセ、ヌ
ルギュル・イェシルチャイ、ポーランド出身のパトリシア・
ジオクロースカらが共演。
物語は、プロローグに続いては音楽隊の銅像の建つブレーメ
ンで始まるが、トルコの各地にロケされた風景と、そこに流
れる民俗音楽が素晴らしい映像で描かれた作品でもある。

『TOKYO JOE』
1985年4月に行われた大統領組織犯罪諮問委員会や、その他
裁判所での証言により、シカゴの大ボスたちを含む、政界、
司法界、労働界の大物14人の逮捕、起訴、有罪判決を始め、
マフィアを壊滅に追い込んだとされる日系人ケン・エトーを
追ったドキュメンタリー。
シカゴ警察の統計によれば、1919年以降、2005年1月23日ま
でに1111人のシカゴマフィア関係者の暗殺が実行されたと言
う。その中で、唯一一命を取り留めた男エトーは、その後の
証言によってそのマフィアを壊滅に追い込んだ。
そして彼自身は、その後の17年間に渡り史上最長と言われる
政府の目撃者保護プログラムによって身を隠し、その17年目
には慰労金として25万ドルを授与されたそうだ。
元々は奇しくもシカゴ警察の統計が始まったのと同じ1919年
に、日系人移民の長男としてカリフォルニアに生れ、14歳で
家を飛び出して全米各地の農場や工場などで働き、その間に
覚えた賭博の腕を上げて行く。そして戦後のシカゴに現れ、
マフィアの中で賭博組織の元締めとして台頭する。
そんなエトーは、FBIの中でも東洋人が幹部になることは
ないだろうとされていたが、彼の店に出入りする大物たちの
情報は握る立場にあった。一方、FBIでは2人目とされる
マフィア担当女性捜査官となったエレイン・スミスは、メイ
ンとは言えない賭博の捜査に就いていた中でエトーの存在に
着目して行く。
こうして1983年、賭博容疑でエトーの逮捕状が執行される。
しかし当初のエトーは捜査に対して完全黙秘。ところがその
直後にエトーに対して起きた暗殺未遂事件が彼の態度を一変
させることになる。
という事件の顛末が、主にはスミスへのインタヴューによっ
て明らかにされて行く。この他、エトーの実弟や、息子、さ
らにはエトーが晩年を過ごしたホスピスの近所に住む隣人へ
のインタヴューなども公開される。
しかし、この捜査官以外の人々へのインタヴューはかなり困
難を極めたようで、マフィアに関係するというだけでほとん
どの人は協力を拒否したとのことだ。そんな困難さのせいも
あるのかも知れないが、作品は残念なことに充分なものには
なっていない。
実際、描かれるのはほとんどがスミスの発言だけで、その裏
付けさえも取れてはいない。確かに日本人収容所などの記録
映像などは挿入されるが、それがエトーに直接結びつくもの
ではないし、ましてエトーが収容所に入るのは1942年、20歳
を越えているのに、子供が相撲を取るシーンでもないだろう
という感じのものだ。
そんなことで作品の出来は不満足なものだし、また、証言を
拒否する人たちへの反発なのか、エトーの存在が美化されす
ぎている感じがあるのも気にはなってしまうところだ。

とは言え、やったことの是非はともあれ、このような隠され
た人物に光を当てたことの意義は感じられる作品。次にはこ
の企画をハリウッドに持ち込んで、ドラマで映画化してもら
うのが、取材を活かす上で最良の方法だと思うところだが…

『デス・レース』“Death Race”
1975年に公開されたロジャー・コーマン製作作品『デス・レ
ース2000年』のリメイク版。
デイヴィッド・キャラダインのフランケンシュタイン、シル
ヴェスター・スタローンのマシンガン・ジョー役で製作され
たオリジナルを、ジェイスン・ステイサム、タイリース・ギ
ブスンの共演で再映画化したもの。
オリジナルは、競技の一環として人間を轢き殺すシーンが登
場するなど、当時としてはと言うか、今ではなおさら描写で
きないくらいに過激な作品。その辺が当時のコーマン作品の
魅力だったとも言えるアナーキーな作品だった。
そのリメイク版は、『バイオハザード』や『AVP』のポー
ル・W・S・アンダースンの製作、脚本、監督により作られ
た。オリジナルがただ過激だった作品に対して、本作では設
定をしっかり作り上げているところはゲームの映画化で磨い
た腕と言えそうだ。
その設定は、犯罪者の増加で刑務所が民営化され、その経費
稼ぎのために過激なレースが運営されているというもの。そ
のPPVの実況中継で金を集める訳だが、3日間250ドルの
視聴者が最終的には7000万件というのだから、これはいい稼
ぎだ。
そしてそのコースは監獄島の中を周回するのだが、そこには
仕掛けが一杯と言うことで、マリオカート並の踏んだら武器
が使えたり、障害が飛び出したりといったお話になる。
コーマンのオリジナルは、過激な描写をブラックコメディと
して成立させていたが、本作は純粋にアクション。つまり、
過激な描写をアクションで納得させようとの考えのものだ。
そこに上述の過激シーンがオマージュのように登場するのも
ニヤリとさせられた。
共演は、オスカーに3度ノミネートのジョアン・アレンと、
ゴールデングローブ賞受賞者のイアン・マクシェーン。他に
モデル出身のナタリー・マルティネスが華を添える。
オリジナルに観られた自動車の奇抜な造形のような笑いの要
素は希薄だが、その分、アクションはかなりの迫力で描かれ
る。工場街を突っ走るレースということでは、よく似た日本
映画もあったが、CGIの使い方などはさすがハリウッド映
画という感じがした。
マリオカート的な設定は基本的にお笑いの要素と考えられ、
他にも英語と中国語の字幕の使い分けなど笑いの部分が点々
と設けられている。それから映画の最後には、アンダースン
作品らしく続編への布石も打ってある。クレジットの終わり
まで席は立たないように。

『永遠のこどもたち』“El Orfanato”
ギレルモ・デル=トロの製作によるダーク・ファンタシー。
孤児院の出身で幸せをつかんだ女性が、廃止された孤児院を
再興しようとするが…
主人公は、海辺の孤児院で育った女性。明るく元気だった彼
女はやがて里子に出される。そして夫と子供にも恵まれた彼
女は、医師の夫の力も借りて廃止されていた孤児院を再興す
るために夫と一人息子と共に帰ってくる。
ところが、元々イマジナリーフレンドのいた息子は、その環
境の変化からか新たな想像上の友達を作り出してしまう。一
方、ソーシャルワーカーと名告る老婆が家を訪れた辺りから
何やら不穏な雰囲気が巻き起こり始める。
そして、孤児院の再興を祝すパーティが行われている最中、
息子の姿が消える。その失踪には警察も捜査に入るが、息子
の行方は杳として判らない。しかもその捜査の過程で、主人
公が居なくなって後の孤児院で起きた忌まわしい出来事が浮
かび上がってくる。
という展開に、さらに霊媒師なども登場して物語はオカルト
ホラーの様相を呈してくる。確かにこの辺りでは背筋がぞく
ぞくするような恐怖感も味わえ、その演出テクニックも見所
の作品にもなっている。
しかしこの作品は、飽く迄もダーク・ファンタシーとジャン
ル分けするべきものだ。最終的に物語は、超自然的な部分と
心理劇との狭間に置かれるものとなっている。イマジナリー
フレンドはその触媒のようなものとも言える。
脚本は、セルシオ・G・サンチェスのオリジナルから、ファ
ン・アントニオ・パヨナ監督が自分のテイストに合わせ練り
直したとのことだが、我が子を思う母親の心理を見事に描き
出している。そしてこの脚本を一読したデル=トロが、直ち
に製作を決めたほどの作品だ。
物語は、デル=トロ監督の『パンズ・ラビリンス』に通じる
ところもあるが、全体的には『ピーター・パン』をモティー
フにしたもの(邦題はネタバレ)で、その結末には思わずや
られたという感じもしてしまった。そこには『パンズ…』と
同じ感動も用意されている。
しかも本作には、それなりの現代を反映した部分もあって、
その点では『パンズ…』を越えているとも言えるかも知れな
い。宣伝では、『アザーズ』や『シックス・センス』が引き
合いに出されると思うが、本作はもっと重くやるせない側面
も持っている作品だ。

主演は、『海を飛ぶ夢』や『美しすぎる母』に出演していた
ベレン・ルエダ。また、ジェラルディン・チャップリンが、
2006年2月に紹介した『ブラッドレイン』に続いて謎めいた
役柄でゲスト出演している。

『ティンカー・ベル』“Tinker Bell”
ピーター・パンの相棒ティンカー・ベルを主人公にした新シ
リーズ(四季の4部作が予定されている)の第1話(春編)。
ティンクの誕生から最初の仕事の達成までが描かれる。
赤ん坊が初めて笑うと妖精が1人生まれる。そんな言い伝え
の通りピクシーホローの森の中で、その妖精は赤ん坊の笑い
声によって誕生した。誕生した妖精が最初にするのは女王に
仕事を決めてもらうこと。そしてその妖精はもの作りに任命
され、ティンカー(鋳掛け屋)ベルと名付けられる。
しかしティンカー・ベル(ティンク)は自分の仕事が気に入
らない。もっと外の世界(メインランド)を見てみたいのだ。
ところが外に向かう妖精たちの仕事を手伝ってもなかなかう
まく行かない。しかもその内に大失敗までしてしまって…
原作のティンカーの名前は騒がしい子という意味で付けられ
たと思うが、ここではさらに元の意味に戻って鋳掛け屋(の
打ち鳴らすベル)、だからもの作り担当とはなかなかうまい
設定だ。しかも自分の仕事に不満というのは、現代の若者の
反映でもあるのかな。
でも彼女の持って生まれた才能は紛れもなく、それによって
彼女は妖精たちの危機を救うことにもなり、そして外の世界
に飛び出す日もやってくるのだ。そんな、若者に夢と希望を
与える作品とも言えそうだ。
因に本作では、ティンカー・ベルが初めて台詞をしゃべる。
元々の舞台劇では照明で表現され、アニメーションは絵だけ
で、つまり人間の配役はなかったが、今回は声優が配役され
た。これは1992年『フック』でジュリア・ロバーツ、2003年
『ピーター・パン』でリュディヴィーヌ・サニエが実写で演
じたのに継ぐものだ。
また、最近のディズニー映画の巻頭ロゴでは、3Dアニメー
ションのお城にティンカー・ベルが魔法の粉で金色の輪を架
けているが、本作の最後で、ティンクが登場して画面が変る
のは昔のテレビ番組『ディズニーランド』の巻頭シーンと同
じ仕種。そんなことも懐かしい作品になっていた。
さらに映画は、結末に素敵な仕掛けも用意されている。そし
て物語は、2009年公開予定の第2作“Tinker Bell and the
Lost Treasure”へと続いて行く。

『ディー・ウォーズ』“D-War”
ハリウッド俳優が主演して、ロサンゼルスを舞台に英語で演
じられる韓国製怪獣映画。
韓国の言い伝えでは、天界に住む大蛇があるものを飲み込む
と龍に変身するのだそうだ。そのあるものは500年に一度地
上に現れる。それを尊い大蛇が飲み込めば良いが、邪悪な大
蛇が飲み込むと、人類は滅亡の縁に立たされることになる。
そして500年前、邪悪な大蛇がそれを飲み込む寸前まで行く
が、そのあるものは自ら破滅して人類は難を逃れた。それか
ら500年、そのあるものはロサンゼルスに復活していた。そ
れを護る戦士と共に。
物語の主人公は、その戦士とされた若者。彼は報道番組のレ
ポーターをしていたが、謎の災害現場で戦士の任務を目覚め
させるものに遭遇する。そして彼は、あるものを宿した女性
を護るために立ち上がるが、500年を経た邪悪な大蛇は強力
な軍勢を伴っていた。
こうして、邪悪な大蛇の軍勢と人類の存亡を掛けた戦いが開
幕する。しかもこの戦いが、結構人間側も歯の立つところが
味噌で、市街戦や空中戦など大掛かりに映像化されている。
主演は、テレビシリーズ『ロズウェル』に主演し、アメリカ
版の『呪怨』ではサラ・ミッシェル=ゲラーの恋人役を演じ
たジェイスン・ベアと、『フライトプラン』などのアマンダ
・ブルックス。他に、1997年『ジャッキー・ブラウン』でオ
スカー候補になったロバート・フォスター、新人のエイミー
・ガルシアなどが共演。
ただ、何と言うか見た目はアメリカ映画なのに、何処か韓国
映画テイストなのは微妙なところで、それはもちろん500年
前のシーンの舞台が韓国であることにも拠るのだが、全体的
に不思議な感覚にはなっている。
「アメリカの観客に見せるには、アメリカ人の俳優を使い、
英語の台詞でアメリカを舞台にしなければならない」と言っ
たのは、『ファニーゲーム』を自らリメイクしたミヒャエル
・ハネケだが、僕には、かえってソウルが舞台の方がしっく
りと来たような感じもした。

脚本、監督は、1999年『怪獣大決戦ヤンガリー』を発表した
シム・ヒョンレ。本作はその公開の直後から企画を始め、約
10年掛かりで完成させた作品ということだ。
なお本作は、今年の東京国際映画祭の特別招待作品にも選ば
れている。

『ラット・フィンク』“Tales of the Rat Fink”
剥き出したギザギザの歯に、血走って飛び出した眼、ボサボ
サの体毛の周りには無数の蠅が飛び交っている。そんな下品
で凶悪なネズミのキャラクターを1960年代に生み出し、当時
はTシャツから玩具まで一世を風靡したエド“ビッグ・ダデ
ィ”ロスの姿を、絶妙のアニメーションで描いたanimentary
作品。
最初は自動車のカスタムビルダー。1950年代、第2次大戦後
からの好景気に沸くアメリカでは、新車の大量供給によって
捨てられた旧型車に目を着けた若者たちがそれを改造し、レ
ースなどに興じることになる。そんな中でも異彩を放ってい
たのがエド・ロスだった。
彼は、常識破りのアイデアで次々名作を発表し、全米の自動
車ショウを席巻する。そんな活躍に目を着けた玩具業界がそ
のプラモを発売。それも大ヒットして、それがまた次の名車
を生み出すという好循環。しかしいろいろな規制も始まり、
それに反発するロスは、ディズニーへのアンチテーゼとして
凶悪なラット・フィンクを生み出す。
ところがこれも大ヒット。さらにその仲間のモンスターたち
も加わって、そのモンスターたちの乗る改造車のデザインが
玩具化されて行く。こうして人気を博し続けたエド・ロスは
アメリカン・カルチャーの最大の立て役者の1人とも言える
ものだ。
そのエド・ロスの生涯が、当時の記録映像やスチル写真を巧
みにアニメートした映像で綴られる。その中には、ラット・
フィンクが初めて動画で活躍するシーンも登場する。
映画には死去の6カ月前の元気な姿まで登場するが、死ぬ直
前まで成功者であり続けた男の幸せな生涯が描かれる。それ
はともすれば嫌みにもなりがちなものだが、本作のエド・ロ
スは常に反骨の精神を持ち続け、その点では爽やかな感じに
もなっている。
なお、ナレーション=エド・ロスの声を、『スピード・レー
サー』などのジョン・グッドマンが担当。
他にアン・マーグレット、『アメリカン・グラフィティ』の
ポール・ルマット、番組ホストのジェイ・レノ、作家のトム
・ウルフ、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルスン、W
WFのスティーヴ・オースチンらがエド・ロス作の自動車の
声優で共演している。
アニメートの映像も見事だし、エド・ロス本人の全てを描く
には最良の方法、作品だと言えるかも知れない。
ただ、公開もDVDで行われるようだが、試写会では肝心な
ところで画面が停止し、その間の数10秒がスキップしてしま
った。フィルム上映では停止は明白に判るが、DVDでは映
像を注意して追っていないと、立ち会った配給会社の担当者
も気付かなかったようだ。
一般上映も同じディスクで行うと、同じ障害が発生する恐れ
が強いので、これは気をつけてもらいたい。原因はディスク
の汚れか何かだと思われるが、誰かがプレーヤーのカウンタ
ーを監視していれば判るはずのことなので、よろしくお願い
したいものだ。


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井口健二