井口健二のOn the Production
筆者についてはこちらをご覧下さい。

2008年01月27日(日) 裸足のギボン、デッド・サイレンス、ビルマ/パゴダの影で、窯焚、ジェリーフィッシュ、軍鶏、死神の精度、靖国

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『裸足のギボン』“맨발의 기봉이”
幼い頃に罹った熱病で脳の成長が8歳で止まってしまった男
性の実話に基づく物語。
主人公のギボンは40歳。身体は生長したが心は純粋な少年の
ままだ。ギボンは母親と2人暮し、年老いた母親は自分が先
に逝ったときのことを考え、そんな息子にも厳しく躾をして
いる。そしてギボンは、近所の人たちが与える半端仕事で僅
かな金を稼いでいた。
ところがある日、町で開かれたマラソン大会の沿道で、選手
の落としたゼッケンを拾ったギボンは、そのゼッケンを届け
ようとレースに飛び入り参加、落とした選手を探す内に、一
番でゴールに入ってしまう。
それを知った村長は、ギボンを全国的なハーフマラソン大会
に出場させ、迫っている次期村長選挙での自分への人気獲得
に利用しようと考える。一方のギボンは、母親の健康維持に
必要な入れ歯がマラソン大会の賞金で買えることを教えられ
る。
そんな思惑が重なり、町長は自らトレーナーを買って出て、
マラソン大会優勝を目指すトレーニングが始まるが…
このギボンを、『家門の危機』の好漢シン・ヒョンジュンが
演じ、母親役を、やはり『家門の危機』に出演のキム・スミ
が演じる。この他、『トンマッコルへようこそ』のイム・ハ
リョン、『誰にでも秘密がある』のキム・ヒョジン、『家門
の危機』のタク・チェフンらが共演。
同様の韓国作品では、2002年の『オアシス』、05年の『マラ
ソン』などが思い浮かぶところだが、今回は主人公の年齢が
40代ということで、特に『マラソン』と比べるとキム・スミ
演じる母親の存在が大きくなってくる。その点では、息子の
行く末を気遣う老いた母親の姿は、見事に演じられていた。
それに対してシンが演じたギボン役は、『オアシス』でのム
ン・ソリの演技などに比べると、多少物足りなさも残るとこ
ろだが、身体の不自由さに対する演技を伴った『オアシス』
と比べるのは酷というものだろう。それより実話に則した主
人公の無邪気さ、明るさがそれなりに表現されていたことを
評価するべきものだ。
感動的な実話の映画化だが、あまりお涙頂戴になっていない
のも良い感じがした。またエンディングのナレーションは、
「すべての人生は、神様の手で書かれた童話のようである」
という製作の意図をよく現していた。

『デッド・サイレンス』“Dead Silence”
『ソウ』シリーズの脚本家リー・ワネルと監督ジェームズ・
ワンが、再び仕掛けるホラーサスペンス。
主人公は幼い頃から父親に疎まれ、家を出て都会で新家庭を
築こうとしていた。しかしある日、新居に差出人不承の荷物
が届き、届いた箱の中にはビリーという名の腹話術人形が納
められていた。そして彼が家を空けた僅かの間に、妻が舌を
抜かれて惨殺されてしまう。
その人形が届いたとき、主人公と同郷の妻は、故郷に伝わる
伝説めいた詩の話をしていた。それは、“Beware the stare
of Mary Shaw / She had no children only dolls / And if
you see her in your doreams / Be sure to never ever
scream”というもの。
この詩に登場するメアリー・ショウは、腹話術師だった。
その詩に隠された意味を探り、妻の死の謎を解くため、主人
公は故郷へと向かう。そこで見出すのは車椅子に乗った父親
の変わり果てた姿。そして、メアリー・ショウの腹話術人形
が引き起こす悪夢のような連続殺人が開幕する。
腹話術と言われると、SFファンには星新一の長編『夢魔の
標的』が思い浮かぶところだが、映画には意外と登場してい
ないのだそうで、1978年にアンソニー・ホプキンスが主演し
た『マジック』が数少ない例として挙げられていた。
(なお1月19日公開で、『すみれ人形』という日本映画が腹
話術を扱っているらしい)
それにしても腹話術の人形というのは、そのままでもちょっ
と無気味な感じもするもの。その人形が殺人鬼、しかもその
手口は舌を引き抜くというのだから、これはかなりの無気味
さだ。さらに古い劇場が背景とされるなど、その雰囲気がた
まらない作品だった。
因に人形のビリーという名前は、『ソウ』で登場する人形と
同じもので、その辺も遊び心のようだ。また『ソウ』に登場
するビリーは手作りだったが、今回は専門家の手になるもの
だそうで、その人形の無気味さも見事に描かれていた。
『ソウ』で造り出したソリッドシチュエーションとは違い、
どちらかと言うとオーソドックスなホラー作品。巻頭には、
地球の周りを複葉機が飛ぶモノクロ時代のユニヴァーサルの
ロゴが登場し、その後にも無声映画の字幕に似せたテロップ
が用いられるなど、往年のユニヴァーサル・ホラーの味を再
現しようという思いも込められていたようだ。

『ビルマ、パゴダの影で』
   “In the Shadow of the Pagodas: The Other Burma”
1962年の軍事クーデター以来、45年を超える軍政が続くビル
マ(ミャンマー)の現状を描いたドキュメンタリー作品。
ビルマの民主化運動というとアウン・サン・スー・チー女史
の軟禁が思い浮かぶが、それとは別にビルマ国内には、シャ
ン族、カレン族、ラカイン族など130を超える少数民族が存
在し、彼らもまた軍政による弾圧を受けている。
この作品は、それらの少数民族の存在に目を向け、弾圧の中
で困窮する彼らの生活が描かれる。特には、ビルマ−タイの
国境地帯で、ビルマ国内の村に居住しながら軍隊が来る度に
タイに越境して難民生活を送るカレン族の人々や、両親をビ
ルマ軍に殺され、タイの難民村に設立された学校で学ぶ子供
たちの姿も紹介される。
実際、これらの難民の存在は今までにも少しずつ紹介されて
はいたものだが、隣国のタイやバングラディシュの政府が表
向きの取材を禁じているなど、なかなか実態が掴めないもの
で、それらが取材されていたのは価値あるものと言える。
しかし、弾圧の実態が難民による証言だけで描かれるのは、
如何にもインパクトが乏しいもので、特にそこで難民学校の
子供たちへの取材が長々と続くのは、子供の証言が大人の心
を揺さぶることは確かであっても、何かが不足しているよう
に感じられた。
弾圧の実態を映像取材することが極めて困難であることは理
解する。しかし、例えば弾圧に至る歴史的な背景や、それが
スー・チー女史らの民主化運動とどのように関わっているか
など、より具体的な経緯の紹介がないと、これがビルマの実
態を描いているのかどうかすら不明になる。
また弾圧を受けるからにはそれなりの理由もあるはずだが、
その辺の説明も明確でないと、何か実態が把握できない歯痒
さも感じてしまう。勿論それは、他で調べれば判ることかも
知れないが、どうせならこの作品の中で、そこまでも描き切
って欲しかったものだ。
監督自身は充分に判っていて、今更繰り返すまでもないこと
と判断したのかも知れない。しかし、一般観客へのアピール
を考えるのなら、いろいろな配慮は必要だったと考える。こ
れでは、アピールすべき重要な問題が、ただ眼前を通り過ぎ
るだけで終ってしまいそうなのも、心配に思えたところだ。

『窯焚−KAMATAKI−』
カナダ生まれで、1970年代には日本に在住、79年にATG作
品『Keiko』でデビューしたクロード・ガニオン監督の
2005年作品。同年のモントリオール映画祭で最優秀監督賞な
ど5冠を達成、2006年のベルリンでも部門特別賞を受賞して
いる。
大福帳をさげたたぬきの置物でも有名な日本六古窯の一つ信
楽を舞台に、父親の死によって心を閉ざした日系カナダ人青
年の再生を描く。その青年が、世界的な陶芸家とされる叔父
の家に身を寄せ、日本文化や叔父の生活態度に翻弄されなが
ら自分を見つめ直す。
日本六古窯とは、瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波立抗、備前
を指し、中でも信楽は、人工的な釉薬を一切使用せず、高温
の窯で生地そのものを熔かし、そこに炎の中を舞う薪の灰が
付着して自然の釉が施されるのだそうだ。
このため窯は長時間に渡って高温に保たれる必要があり、そ
の間の8〜10日間は不眠不休で昼夜7〜8分おきに薪を焼べ
続けなければならない。その過酷な作業(窯焚)がお互いの
信頼を生み、青年の心を開いて行くことになる。
とだけ書くと根性系の物語のように見えてしまうが、実は、
藤竜也が演じる陶芸家の酒や女にも奔放な生活ぶりが青年に
いろいろな影響を与えて行くもので、その上、藤がほとんど
のせりふを英語で、含蓄のある言葉を吐き続ける。
そんな日本文化に根差した物語が、日本人ではない監督の視
点から描かれる。なおガニオンは、本作の脚本と編集も手掛
けているもので、従って極めて個人的な作品ではあるが、そ
の視点は普遍的なものに感じられた。
信楽焼は自然釉でもあることから、一見しただけではあまり
美しいとは言えない。しかしじっと見つめているとその中か
ら美が見えてくる。そんな信楽焼の魅力も、映像的に見事に
表現されていた。そしてそれが物語にもマッチしていた。
藤の他の出演者は、カナダ人のマシュー・スマイリー、東京
育ちで、2003年の『ロスト・イン・トランスレーション』の
他、「鉄拳」などのヴィデオゲームで声の出演をしているリ
ーソル・ウィルカースン、それに吉行和子、渡辺奈穂。
映画の大半は、叔父と甥の2人の会話シーンになるもので、
その間の台詞はほとんどが英語。藤竜也の訥々とした英語が
不思議な味を出していた。

『ジェリーフィッシュ』“Meduzot”
2007年のカンヌ映画祭で新人監督賞を受賞したイスラエル映
画。テルアビブの街を背景に、3つの物語で構成される。
その1つ目は、結婚式場のウェイトレスをしてるパディアの
物語。自分の気持ちを人に伝えることが苦手で、恋人とも最
近別れたばかり。そんな彼女が海岸で浮き輪を付けた迷子の
少女を保護する。
2つ目は、新婚カップルの物語。式場でのトラブルで花嫁が
足を捻挫してしまい、カリブへの新婚旅行をあきらめて海岸
のホテルに宿泊する。しかし希望したスィートには先客がい
て、充てがわれた部屋は不満だらけ。
3つ目は、フィリピンから来た介護ヘルパーの女性と老女の
物語。幼い息子を祖国に残して働く女性は子供を抱きしめら
れないことに苦しみ、成長した娘から疎まれる老女は娘との
交流のきっかけを得られない。
そんな人生に迷い、海に漂うクラゲのような状況にある人々
が、人生を見つめ直し、新たな希望に向かって行く姿が描か
れる。因に、原題もクラゲを意味するヘブライ語のアルファ
ベット表記のようだ。
いくつかの物語が交錯しながら同時に進行して行く形態は、
最近の映画の流行りのようでもあるが、本作でも多分2、3
日間の話が巧みに描かれている。
作品は、実は互いの物語が時系列ではなかったというような
トリックもなく、物語はストレートに展開する。その善し悪
しは観客の判断になるが、本作のような素朴な物語ではあま
りトリッキーなことはして欲しくないもので、その意味では
満足できる作品だった。
ヘブライ語、英語に、ドイツ語なども飛び交い、ホロコース
トやシリア人との争いなどといった台詞も登場する本作は、
イスラエルらしい映画とも言えるが、描かれている内容は普
遍的なものだ。
共同監督のエドガー・ケレットとシーラ・ゲフェンは、実生
活でもパートナーの人気作家と劇作家だそうで、その視点の
確かさも映画の完成度を高めている。また撮影は、2001年の
フランス映画『まぼろし』などのアントワーヌ・エベルレが
手掛けており、こちらはちょっとトリッキーなところもある
映像も見事だった。

『軍鶏(Shamo)』“軍雞”  
2006年の東京国際映画祭コンペティション部門に出品された
『ドッグ・バイト・ドッグ』ソイ・チェン監督による新作。
『スケバン刑事』などの脚本家・橋本以蔵が原作を手掛けた
人気漫画の映画化で、脚本を橋本が担当、舞台も登場人物も
日本という設定だが、監督と出演者の大半は中国人で、台詞
もすべて広東語という作品になっている。
同様の作品では『頭文字D/The Movie』がすでにあるが、
日本製コミックスのある種のケレンは香港映画の方が似合う
感じもする。しかも本作は典型的な格闘技もの。ちゃんと身
体を動かせる香港俳優を使うのも、必要なことだったと言え
そうだ。
物語の主人公は、16歳で両親を殺害した若者。少年院に入れ
られるが、そこでも親殺しの罪は別格として迫害を受ける。
そんな主人公は、首相暗殺で捕まった過激派右翼の空手家に
よって救われ、身体を鍛練して社会に戻される。そして行方
知れずになった妹を探すが…
やがて裏社会で名を売るようになった主人公だったが、彼の
生活は組織の間で翻弄され、その証として総合格闘技大会で
の覇権を目指すことになる。そのためには、前に立ち塞がる
相手を敵味方かまわず倒さなければならなかった。
この主人公を、『インファナル・アフェア』や『頭文字D』
にも出ていたショーン・ユーが演じ、彼を指導する日本人空
手家役に、『インファナル・アフェア』でも共演のフランシ
ス・ンが扮する。
また、日本人格闘家で香港映画『忍者』などに出演した魔裟
斗やハリウッド版『呪怨』などの石橋凌も出演しているが、
彼らの台詞もすべて広東語に吹き替えられているものだ。他
には台湾出身のディラン・クォや、『カンフーハッスル』の
ブルース・リャンも登場する。
地名やキャラクターの名前も全部日本語なのに台詞が日本語
でないというのは、本来なら違和感を感じるのだろうが、彼
らの身体の動きを見ていると納得できるし、それはそれで面
白くもあった。
なお、公開はゴールデン・ウィークで、その時には日本語吹
き替え版になるのだろうか…

『Sweet Rain 死神の精度』
2005年発表の伊坂幸太郎原作「死神の精度」の映画化。
この物語の死神は、不慮の死を遂げる人の許にその7日前に
現れ、その人がその死に値するか否か、つまり不慮の死を実
行するか、見送るかを判定するという設定。
ところが本作で金城武が演じる死神は、常に「実行」の判定
を下し、今までは「見送り」の判定をしたことはなかった。
その死神の今回の判定の対象者は若い女性、彼女は今までに
愛した人がすべて早死にし、その哀しみの中で人生を送って
いた。
そんな中でも必死に生きてきた彼女だったが、彼女の人生が
好転する兆しはない。そして死神は、彼女にも「実行」の判
定を下すつもりで、最後の7日間を彼女と共に過ごすことに
するのだが…
死神は、彼が人類最大の発明と考えるミュージックが大好き
で、特に近年は、暇なときにはCDショップに入り浸って試
聴版のミュージックに聞き入っていた。そしてその場所は、
いろいろな人々の判定に携わっている死神たちの情報交換の
場でもあった。
3つの時代、3つの場所を背景に、それぞれの物語が展開す
る。その最初の物語で死神が下した判定、それは時代を越え
ていろいろな出来事の連鎖をもたらして行く。果たして死神
の下した判定は正しかったのか…?
ささやかな幸せ、そんな言葉がお似合いのささやかなドラマ
が展開する。歴史が激動するような大袈裟な物語が展開する
訳ではない。でも何かが心に残る、そんな暖かい物語が描か
れる。
伊坂原作の映画化は3作目のようだが、最初に観た作品は、
何と言うか物語全体が空回りしている感じで、あまり良いと
は思わなかった。しかし今回は、設定そのものには多少無理
も感じたが、物語自体はメルヘンとして良い感じのものに思
えた。
金城以外の出演者は、小西真奈美、富司純子、光石研、それ
に『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』などの石田卓也。
監督は、漫画家、作家でもある筧昌也、脚本は筧と小林弘利
の共同執筆。物語は、1985年と2007年、そして2028年へと広
がり、因果の巡る話でもある。

『靖国』
2003年10月2日付で、『味〜Dream Cuisine〜』という作品
を紹介している日本在住中国人の監督リー・インによる新作
ドキュメンタリー。
靖国神社の御神体は靖国刀(日本刀)であり、靖国刀匠と呼
ばれる刀匠たちの手によって昭和8年から12年間に8100振り
もの靖国刀が神社内で作られていたのだそうだ。映画は、そ
の刀匠の最後の一人である90歳の老人による靖国刀の再現の
過程を追いながら、現在の靖国神社が置かれている状況を検
証して行く。
そこでは、8月15日に旧帝国軍の軍服を来て参拝するグルー
プの姿や、小泉首相(当時)の発言、石原都知事の演説など
が紹介される。一方、合祀の取り下げを要望する台湾戦没者
の遺族の姿や、南京大虐殺の首謀者とされた将校の汚名を濯
ごうとする遺族の姿なども紹介される。
さらには「小泉首相を支持する」と書いたプラカードを持っ
ていても、星条旗を掲げていたために入場を拒否されるアメ
リカ人や、小泉参拝に抗議しようとして排除される中国人な
ども写し出される。これらの映像が特別なコメントを付すこ
ともなく羅列される。
映画の全体はどちらの側にも平等に描こうとしているように
感じられる。つまりこの作品は、論議の引き鉄にはなるかも
知れないが、この映画自体は排撃の対象になるものではない
ようにも見える。多分それが監督の狙いなのだろう。
ただし、僕には靖国問題の最大の論点とも思える戦犯の合祀
の問題が、南京問題に関わる部分で僅かに触れられている程
度でほとんど無視されるなど、いろいろ疑問に感じる点はあ
る作品だった。実は、東條由布子にインタヴューはしたが、
編集でカットしたという情報もあって、この辺は微妙だった
ようだ。
個人的には、僕の父は4人兄弟で全員出征したが無事帰還、
母には弟が2人いたが共に学徒の勤労奉仕に行っただけで、
親族に戦死したものはおらず、従って、僕自身は靖国神社に
は何の関わりもない。でも関係者だったらやはり一言は言い
たくなるのかな、そんな感じの作品だった。
なお本作の製作には、文化庁からの出資金を運用する独立行
政法人・日本芸術文化振興会の基金と、韓国・釜山国際映画
アジアドキュメンタリーネットワーク基金による助成が行わ
れている。日本側は公的基金の助成によって製作された作品
ということだ。
また本作は、全世界の作品が集まるアメリカ・サンダンス映
画祭において、本年1月18日の映画祭初日に“Yasukuni”の
題名でオープニング作品の1本として上映されたようだ。
日中合作映画の扱いで、中国、韓国での題名は『靖国神社』
となっている。


 < 過去  INDEX  未来 >


井口健二