| 2007年09月30日(日) |
レディ・チャタレー、レンブラントの夜警、バイオハザード�掘¬損劼侶抻_山畋癲▲�ルラのリスト、アヴリルの恋 |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『レディ・チャタレー』“Lady Chatterley” D・H・ロレンス原作『チャタレー夫人の恋人』の映画化。 日本では発禁処分になったり、猥褻論争で有名な原作だが、 今回の映画化は一般に流布されている第3稿ではなく、第2 稿に基づくとされている。ただし、この第2稿は第3稿以上 に描写は鮮烈なようで、映画化はその描写を最高の美しさで 映像化しているものだ。 主人公コンスタンス・チャタレーの夫クリフォードは、第1 次大戦に従軍中の負傷で下半身が麻痺している。従って夫婦 の営みは果たせない夫だったが、炭坑を経営する資産家であ り、コンスタンスの生活にも不自由はない。 そんな夫婦の暮らす館は深い森に包まれ、その森には猟番の 男パーキン(名前は各稿ごとに違うそうだ)が小屋を建てて 暮らしていた。そしてある日、夫の指示を伝えにその小屋に 向かったコンスタンスは、パーキンが上半身裸で体を拭う姿 を目撃し… 実は、第3稿というのはロレンスが論争になることを予想し て書いたと言われ、その論争に対処するために、かなり理論 武装に力が入れられているのだそうだ。 それに比べると第2稿は、コンスタンスと猟番の関係に焦点 が絞られ、純粋な愛の姿が描かれている。従って映画化もそ の視点で描かれているもので、この方が映画化には向いてい る感じもするところだ。 そして今回の映画化では、自然描写を多用して飛び切り美し く2人の関係を描いており、その映像にも心を魅かれた。監 督は、本作が長編3作目で、しかも前作からは11年ぶりとい う女流のパスカル・フェラン。 出演は、2人とも主演は初めてでほとんど新人というマリナ ・ハンズとジャン=ルイ・クロック。この2人の関係が徐々 にエスカレートしていき、最後は全裸で森を走り回るなど、 奔放な姿を大胆に、そして体当たりで演じている。 なお本作は、2006年のフランス・セザール賞で9部門にノミ ネートされ、作品、主演女優、脚色、撮影、衣装美術の5部 門で受賞している。 それにしても、発禁処分になるほどの描写の過激さで有名な 作品ということで、結末も相当に厳しいものになるのではな いかと覚悟していたが、こんなにも見事にハッピーエンドな 作品とは思っていなかった。 勿論、不道徳な物語ではあるし、夫人は結局、夫を裏切って いることは確かだが、彼女の行為自体は当時の貴族社会では 認められていたことであり、その道徳の範疇にある。そう考 えるとこの作品は、美しい映像に彩られた純粋な愛の物語と 言える。それが明瞭に描き出された作品だ。
『レンブラントの夜警』“Nightwatching” オランダ絵画の巨匠レンブラントの代表作『夜警』に隠され た謎を追ったイギリス人監督ピーター・グリーナウェイの作 品。 画家というのは、生前は悲惨な生涯を送り、死後評価された 人は多いが、レンブラントの場合は30代で肖像画家として成 功を納め、マネージャーでもあった妻や弟子たちと共に大き な屋敷に住み、自作を出版するための印刷所まで自前で持っ ていたということだ。 ところが、ある時を境に彼の人生は暗転し、財産を失い破産 にまで追い込まれる。その原因は、妻の死などの影響も語ら れるが、ちょうどその頃に描いた『夜警』にその秘密が隠さ れている…と言うのが、本作の脚本監督を務めたグリーナウ ェイの主張だ。 その絵は、アムステルダムの自警団の団員を描いた集団肖像 画だが、その絵を描くために自警団に接近したレンブラント は、その実体を目の当りにする。そこには権力に溺れた男た ちと共に、陰謀や不正や暴力や歪んだ欲望が渦巻いていたの だ。 しかも、事故死に見せ掛けた殺人事件まで発生し、レンブラ ントは絵筆で彼らを告発することを決意するが… 1枚の絵を事細かに検証して、そこに隠された謎を解き明か す。それが真実であるかどうかは別にして、『ダ・ヴィンチ ・コード』を髣髴とさせる謎解きには、思わずニヤリとして しまう作品だ。 元々が美術学校で絵画を学んでいたというグリーナウェイ監 督は、実は同時期のオランダの画家では、レンブラントより フェルメールの方が好みなのだそうだ。しかし、世界3大名 画の一つとまで言われる『夜警』が、何故そこまで人々を引 き付けるのかと言う点に興味を持ち、その興味からこの物語 が誕生したとのことだ。 したがって、レンブラント個人に対しては、あまり深く掘り 下げられてはいないが、彼が正義感だけで猪突猛進してしま う解釈は、それなりに面白いものがあった。 ただし、本作ではそのレンブラント役を、『銀河ヒッチハイ ク・ガイド』のマーティン・フリーマンが演じていて、SF 映画ファンにとっては多少違和感があった。しかも、本作は コメディタッチで描かれた部分も多く、全体的に人間を描く ことは避けられている感じもする。 実際、謎解きが見事である分、それを真実として描き切るこ とには、監督自身に多少躊躇があったのかも知れない。だか ら敢えてこのような撮り方をしている感じも持つ。とは言う のの、それが多少物足りなくも感じられた。しかし… 舞台面のような画面構成や、スポットライトなど、レンブラ ントの絵画を思わせる映像も次々登場し、2時間19分の作品 は飽きることなく観ることができた。
『バイオハザード�掘戞�Resident Evil: Extinction” 2002年、2004年に公開されたシリーズの第3弾。 人間の筋力を増大させ、さらに不死身にするT−ウィルス。 最強の兵士を生み出す軍事目的で造り出されたそのウィルス は、しかし感染した人間の思考力を奪い、本能だけで人肉を 食らう「人」ではないアンデッドにしてしまうものだった。 そのT−ウィルスが、開発したアンブレラ社の研究所から洩 れ出し、感染してアンデッドと化した人間が次々に人を襲い だす。その物語は、第1作では研究所の中だけの話から、第 2作では都市へと拡がり、そして第3作は… ゾンビ物の変形と言えばその通りの物語だが、そこに、大本 の研究にも関わりがあるらしいアリスというヒロインを配し て、単なるゾンビものではない新たな展開を生み出した。 元々は、同名のヴィデオゲームから始まったものだが、その ゲームにはアリスがいないというのもこのシリーズの味噌だ ろう。このアリスが、つまりはゲームのプレーヤーであり、 縦横無尽に闘いを繰り広げるものだ。 そして第3作では、第2作のエンディングから数年後。ウィ ルスの蔓延した地上は砂漠と化し、そこにはわずかに正常な 人々が、大都市を避けて、移動を続けながら生き長らえてい た。しかしその人々に、アンデッドやアンデッドカラスが容 赦なく襲いかかる。 特に今回は、文字通り空を埋め尽くす多数のアンデッドカラ スが、ヒッチコックの『鳥』を、CGIを使って無茶苦茶大 規模にした感じで、雰囲気を作り上げていた。 一方、アンブレラ社は、ウィルスの開発意図だった軍事目的 はすでに失われたが、今は自分たちの延命のために研究を続 けており、そこでアリスとの新たな対立が生まれている展開 となる。 なお本作では、前2作の監督のポール・WS・アンダースン は脚本と製作総指揮に下がり、替って監督はラッセル・マル ケイが担当している。マルケイは、1986年『ハイランダー』 で人気を確立したが、最初は『レイザーバック』というちょ っと不思議な感覚のホラー作品で僕らの前に登場した人で、 その感覚は今回の作品にも活かされていたようだ。 主演は、ミラ・ジョヴォヴィッチ。他にも前作からの登場人 物が何人か出ている。また、テレビシリーズ『HEROS』 が評判のアリ・ラーターが、ゲームキャラクターのクレア役 で新登場している。 なお、以前に紹介したジョヴォヴィッチの記者会見では、第 4作の製作は決めていないということだったが、映画の結末 は続きの示唆もたっぷりで、そこにはニヤリとする展開もあ るようだ。
『迷子の警察音楽隊』(イスラエル映画) 「昔、エジプトの警察音楽隊がイスラエルにやって来たこと がある。でもそんなことは誰も覚えていない。それほど些細 なことだったんだ」というようなテロップで始まる物語。 些細なことと言われれば確かにその通りだろう。でもその些 細なことが、実はすごく大切なことなのだということを気付 かさせてくれる、そんな感じの作品だ。 主人公は、エジプト・アレキサンドリア市警の音楽隊。物語 は、彼らが演奏旅行に招かれてイスラエルの空港に到着した ところから始まる。ところが、何かの手違いがあったらしく 到着した空港には出迎えがいない。 ここで大使館にでも連絡すれば良かったのだが、独立心の高 い彼らは手紙に書かれた地名を目指して路線バスで移動を開 始。ところが、これまた何かの間違いで、着いたところは高 層アパートの建ち並ぶ団地の中。しかも寂れた団地に人影は ほとんどない。 途方に暮れた彼らは、そこに建つ一軒の食堂に立ち寄るが… エジプトはアラブ諸国の中では比較的イスラエルに寛容のよ うだが、それでもシナイ半島を巡っての戦いは、まだ記憶に も残っているところだ。実際、映画の中にも当時の写真が壁 に貼ってあるのが写ったりもする。 そんな状況の許で、国家間は和平しても、民間では真の交流 は有り得るのか、そんな疑問を感じながらも、物語は実に何 でもないことから、自然と交流が進んで行く様子を描いて行 く。 この物語が実話に基づいているかどうかは判らない。元にな る実話があったとしても、人の記憶にも残らないほどの些細 な出来事だったのかも知れない。そしてそれは、その後に特 別な成果や結果が残るようなものでもなかったのかも知れな い。 でも、民間人同士が何も強制されずに自然と近づいて行く。 勿論そこには、個人の寛容も重要なポイントにはなるが、そ んな本当に些細な民間交流が描かれる。そしてこういうこと が積み重なれば、きっと何か素晴らしいことが起こるに違い ない、そんな気分にもさせてくれた。 なお、本作は今年の東京国際映画祭のコンペティション部門 に出品される。
『カルラのリスト』“La Liste de Carla” オランダハーグに置かれた国際刑事裁判所(ICC)。今年 10月1日、日本はその105カ国目の加盟国となる。 犯罪者は、本来その所属する国の法律によって裁かれる。し かし国家間の紛争における犯罪者を裁く法律は存在しない。 ICCは、それを人道的な見地から裁こうとするものだ。 元はと言えば、東京裁判やニュルンベルグ裁判が戦勝国が敗 戦国を裁くという形式であったことを反省し、より国際的、 普遍的な見地でこれらの犯罪者を裁くための常設機関の設置 が求められた。それがICCで、裁判所は2002年に設置され た。 一方、1993年に国連によって旧ユーゴ国際刑事法廷(ICT Y)が設置され、1999年にその検事となったカルラ・デル・ ポンテは、以来10年近くに亘ってその犯罪者を追っている。 しかし、最初は10人以上いた指名手配のリストが現在は6人 にまで減ってはいても、未だ最重要人物であるカラジッチと ムラディッチの逮捕には至っていない。 この作品は、その旧ユーゴの戦争犯罪人を追うカルラに密着 し、その活動する姿を描いたドキュメンタリーだ。 作品の中では、カルラがセルビアやモンテネグロの首脳と会 談したり、アメリカ国務省や国防総省、さらにEUや国連安 保理にも乗り込んで、協力を要請したり、圧力掛けたりして 犯罪者を追い続ける姿が描かれる。 しかし現実には、元々国家の有力者であった犯罪者たちは、 その後に設立された政府にも影響力を残しており、国家が彼 らを匿っている可能性も高いようだ。そんな状況の中で、そ れこそ宥めたり賺したりしながら、犯罪者を追って行く様子 を描いている。 ICCへの日本の加盟が遅れたのは、国家国民の無関心が最 大の理由だと言うことだが、この作品を見ていると、無関心 であることに恥ずかしさも覚える。しかし、僕自身こういう 裁判所の存在は知っていたものの、そこで何が行われている かは、今まで気にしたこともなかった訳で、自分でも反省頻 となったものだ。 なお、カルラ・デル・ポンテは、1947年スイス生まれの女性 で、1994年のスイス司法長官時代にマフィアのマネーロンダ リングを摘発し、以来、スイスでは唯一の24時間武装警護体 制に置かれる公人ということだ。 また、映画では彼女の任期は2006年末までとなっているが、 それは再任によって2007年9月まで延長され、さらに今年の 年末まで再延長されているようだ。
『アヴリルの恋』“Avril” 森の奥深くの修道院で、赤ん坊の時から聖女になるために育 てられた女性が、修道女になるための最後2週間の禊の儀式 を迎えるが… アヴリルは赤ん坊の時にその修道院に捨てられ、以来21年を 修練女として女だけの世界の中で過ごしてきた。そして正式 な修道女になるため、孤立したお堂の中で2週間の断食と黙 想を続ける最後の儀式の時を迎える。 ところがその直前、1人の先輩修道女が、彼女に外の世界を 見てくることを勧める。そして先輩修道女は、アヴリルには 双子の兄がいて別の孤児院に預けられたことを告げ、誰にも 知られないようにするから2週間の間に、その兄を探すよう に指示する。 こうして、2週間を期限にアヴリルは外の世界に出て行く。 そこで彼女を待ち受けているのは… 元々この修道院というのがちょっと異端で、本来のキリスト 教会からも認められていないという設定も説明される。確か 『クリムゾン・リバー』にもそんな話があったような気もす るが、フランスの山間にはこんなカルト的な世界が今でも残 っているようだ。 そんな修道院で、世間と全く隔絶されて育った女性が、初め て外界に出てくる。そこには当然男もいる訳だが、これがま あいろいろあって、それなりに納得の行く展開になっている のが良い感じの物語だった。 そしてその行き着く先が、南仏のまるで地の果てのような海 岸なのだが、これがまた自分の好きな2001年のメキシコ映画 『天国の口、終りの楽園。』にも似た雰囲気があって、その 辺でも気に入ってしまったところだ。 監督は、短編の評価が高く、本作で長編デビューを飾ったジ ェラルド・ユスターシュ=マチュー。主演は、その監督とず っとコンビを続けるソフィ・キントン。かなり大胆な演技も 見せてくれる。 また、ベテラン女優のミュウ=ミュウが先輩修道女の役で出 演。他に、ニコラ・デュヴォシェル、クレマン・シボニーら の若手男優が脇を固める。 なお、劇中の音楽で、僕らの年代には懐かしいアメリカの往 年のポップアイドル=アネット・ファニセロの歌声が聴ける のも嬉しいところだった。
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