ちむたんのつぶやき
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2007年12月08日(土) 家族忘年会だったのですが(その1)

この土日にあったことを、細かく思い出そうとすると胸が苦しいような気分になります。日記に書いておきたいのかどうかも、正直よくわからないのですが…。
以下、不快な表現を含むかもしれませんのであらかじめお断りしておきます。





ずいぶん前から予約や手配をして楽しみにしていた週末でした。
夕食は5月に行って父が気に入っていた銀座の「みやちく」の鉄板焼きのコース。ホテルは新橋の第一ホテル東京。

4時半、上野に父を迎えに行ってその足で新橋に向かい、ホテルで次兄と落ち合ってチェックイン。
父は部屋で休んでビールでも飲むよというのでそうしてもらって、6時過ぎに徒歩でお店に向かいました。
和やかに食事が始まり、父がふだんはあまり好まない上品な前菜も、なぜかここのお店のはけっこう喜んでくれるなあと思っていました。話上手な次兄もいたので、会話も弾みました。

これからお肉を焼きますね、ときれいにさしの入ったお肉を見せてもらい、うわあいいお肉だねえ、と歓声をあげ。
ふと左隣の父を見たら、様子がおかしいのです。
座ったまま両手をだらんと下げて、視線はうつろ。というよりほとんど白目をむいている状態でした。
傍に寄って呼びかけると、最初はうう、というような声がかえりましたが、大丈夫?どうしたの?聞こえる?と矢継ぎ早に声をかけるうち、返事がなくなりました。額にはびっしりと冷や汗が浮かんでいて、唇から今まで食べていたものが覗いていました。
最初に次兄が車を呼んでホテルに帰ろうと言ってから、父のただならぬ様子にいやこれは救急車だ、と二人で思い直すまでどのくらいの時間が経ったかはっきり覚えていませんが、1分もなかったように思います。

汗をぬぐい、必死に呼ぶうちに、父が意識を取り戻しました。どうしたのかな、ちょっと生あくびが出たと思ったんだけど寝ちゃってたかな、といいます。
そしてこう言いました。

悪いことをしたね、大丈夫だからみんなは食事を続けなさい、まだメインディッシュが出てないだろう?

ショックで無感覚になっていたのでそのときはなんとも思いませんでしたが、あとで思い返すとおかしいやら切ないやらで涙が出ます。

いま救急車が来るからねといったら、そんな大げさな、タクシーでホテルに帰ればいいよとかえって父が慌てたそのとき、ちょうど救急車が来ました。ずいぶん早く来てくれるんだなあと思った気がします。
血圧を測ったら120/110でした。

このあたりの受け答えはあまりはっきり覚えていないのですが、父はこの時点ではほぼ普段どおりに戻っており、救急隊の人に、私たちはお医者さんではないのでなんともいえませんが、病院に行ってもらったほうがいいと思いますよ、といわれてもいやいやそんな必要はありません、私は病院嫌いなもんで、と断ってしまいました…。
ご本人が署名してください、と差し出された書類(内容は確認できませんでしたが、おそらく救急車を呼んだのに搬送してもらわなかったことに対する証明のようなものだと思います)にもしっかりした字でサインをしていました。

このときどうして無理にでも病院に連れていってもらわなかったのか、ともいま思うのですが、私も動揺が最高潮だったのか、親の言うことには従わねばならないというような刷り込みがあったものか、強く言えませんでした。
実はこの週の火曜に会社に消防署の人が来て防災講習が開かれ、人工呼吸や心臓マッサージの手順などを教わったばかりだったのにもかかわらず、全く頭から飛んでいました。せめて呼吸をしているかどうかの確認くらいとっさに出来なかったものかと思います。


救急車が帰り、ふたたびタクシーを呼んでもらって来るのを待ちました。
父はまだかなり汗をかきながら、何があったんだろう、さっき飲んだワインが回ったんじゃないかな、とさかんに不思議がります。少し胃が重いともいいます。
いつもより多少ぼんやりしているような感じではありますが、それほど変わりはありませんでした。
ところが、そろそろタクシーが来るだろうから玄関まで行こうかと立ち上がったときに、食べたものを戻してしまいました。
このときが、救急車を帰してしまったことを一番悔やんだ瞬間でした。

しかし、戻したことでむしろ楽になったのか、父はさっきよりしっかりしました。次兄が腕を取って支えていましたが、見送ってくれるお店の人に謝りながらエレベータに乗って1階に下りるのも、タクシーに乗り込むのも、ちゃんと歩いていました。
タクシーの中では「12月の土曜日の銀座なのに、あんまり人が歩いていないねえ。車はたくさんいるけど」と父が外を見ながら言い「金曜日のほうが人は出るんじゃない?」と応えたのを覚えています。

ホテルに着いて部屋に入ると父は「もう大丈夫だよ、私は休むからみんなはちゃんと食事をしてきなさい」といいながら着替えてベッドに入り、ほどなく寝息をたてはじめました。この時点で7時半過ぎくらいだったでしょうか。

ごはん食べろっていわれても。

と、窓際の椅子に座り込む次兄と相棒と私。

しばらくして次兄に手招きされ、二人で廊下に出ました。
明日の予定を聞かれたので、上野発11時の特急を取ってあると話したところ、車で帰ったほうが楽なのかな、いったん次兄が神奈川の自宅に帰って車を持ってこようか、という話にもなったのですが、それも大変だしここは新橋。上野まではすぐだから、かえって電車でさっと帰ってしまったほうがいいのかも、という結論に達しました。
それにしても一人で帰らせるわけにはいかないから二人でついていこうということで、次兄が新橋駅まで行って同じ特急の指定席を買ってきてくれました。その間に長兄にも電話を入れてくれたようです。

部屋に戻ると父は静かに眠っていました。
次兄がほどなく新橋駅から戻ってきて、自分がついているからごはん食べてきていいよ、と言ってくれたので相棒と二人で部屋を出ました。
お店に入る気にはなれなかったので、ホテルの前のコンビニで調達。
さっきのお店でそれなりに食べていたこともあり、ヨーグルトを1個食べるのがやっとでしたが。

今晩は父の泊まっている部屋で寝ることにしたので(たまたまツインのシングルユースにしててよかったです…)、寝る支度をしてふたたび父の部屋へ戻り、次兄と交代しました。やはり食べる気がしないというので、コンビニを教えておきました。

相棒が11時くらいまで一緒にいてくれて、そのあとは父と二人きりになりました。
ベッドに入ると、今日一日のことがどっと思い出されて、息苦しいようでした。

父はときどきいびきをかいたり、乾燥肌なのでかゆいのか身体をかいたりしていましたが、起きる様子はなし。
3時に起き上がったので、気分が悪いのかと私も飛び起きましたが、時計を見るためでした。そのままお手洗いに立って、次に起きたのは7時でした。
と言っても、8時から3時までずっと眠っていたので、その後はうつらうつらした程度だったようです。

長い長い夜でした。


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