ATFの戦争映画観戦記



【File130】男たちの硫黄島・・・コし咳卆顕嫉隆韻脇鹽戰魯(星条旗)を揚げる?【後編】

2007年01月27日(土)

前編から続きます・・・今まで謎だった通信兵の正体が、レイモンド・ジェイコブズ氏であると言う事が明らかになったのですが、それによって新たなる謎が私ATFの前に立ちはだかる事になろうとは(何かいつものパターンだよなぁ)・・・それでは【開演ブザー】・・・携帯電話の電源はお切り下さい・・・【前編に引き続き当書き込み記事にも資料的価値は一切ありません・・・(^o^;A】

【ルイス・シャーロ一等兵は、本当にそこに居たのか?】
ローリー軍曹の写真の中で唯一官姓名が不詳だったジェイコブズ通信兵の身元が明らかになった事で、新たな謎・・・疑問が沸き起こって来ました・・・それは現在の合衆国海兵隊における公式解釈によって最初の星条旗掲揚者とされている5名の海兵隊員中、旗竿の先端近くを支えているルイス・C・シャーロ一等兵の存在についての問題でした。前回の観戦記にも書きましたがルイス・C・シャーロ一等兵は、最初に摺鉢山に登頂したワトソン軍曹指揮下の偵察隊の一人でした。しかし元通信兵レイモンド・ジェイコブズ氏はシャーロ一等兵はシュリアー中尉の強行偵察小隊には同行していない・・・とはっきり証言しているのです。シャーロ一等兵はジェイコブズ通信兵と同じくF中隊に所属し、二人は旧知の中でした。そのジェイコブズ通信兵が、シャーロ一等兵は最初の星条旗掲揚の場には明らかに居なかった・・・と証言しているのです。これは非常に興味深い証言です。明らかに合衆国海兵隊における公式解釈が誤っていると指摘しているのですから。確かにシュリアー中尉指揮下の強行偵察小隊に、F中隊所属のBAR銃手であるシャーロ一等兵が配属されたと言う可能性は全く無いとは言い切れませんが、明らかに不自然であると思われます。この点について、ローリー軍曹が撮影した他の写真を基にして検証して見ましょう。以下の写真は星条旗掲揚直後に撮影された写真と思われる一枚です・・・この写真では8名の海兵隊員が確認出来ますが、写真中央に写っている人物(緑○)公式解釈に基づく各海兵隊員たちの立ち位置からすると、シャーロ一等兵である思われる人物です・・・・・・ところが続いて撮影されたと思われる写真では、シャーロ一等兵だと思われた(緑○)の人物は、実は二人の人物で、旗竿を支えているのは計4名であったと言う事が判明しました。そしてこの写真を、更に詳しく分析して見ると・・・シャーロ一等兵だと思われた人物はブローニング自動小銃ではなく、明らかにM1ガーランド小銃を持っている・・・と言う事が判別出来ます。そして何よりもシャーロ一等兵と比べて、写真の人物は頭部の輪郭が明らかに異なります。それじゃ〜この海兵隊員は一体誰なのか・・・米国内のサイトにおいても、明確にこの人物の正体を特定している資料は発見出来ませんでした。ただジェイコブズ氏や第三小隊の他の生存者の証言により、この人物はフィル・ウォード一等兵ではないか・・・と仮定しているサイトを幾つか見る事は出来ました。ウォード一等兵は生還し、ジェイムズ・ブラッドリー著『硫黄島の星条旗』の中にも登場しており、取材を受けて幾つか証言していますが、最初の星条旗掲揚については何も話をしていません。

しかし何故シャーロ一等兵は、最初の星条旗掲揚者として誤認されたのでしょうか・・・そして現在に至っても、何故誤認は修正されていないのでしょうか・・・謎は深まるばかりです。

※一説によれば、マイケル・マンスフィールド下院議員(モンタナ州選出/元駐日大使/ローゼンソールの写真の星条旗掲揚者たちを、第七次戦時国債募集のキャラクターに登用する事を提案した人物)が、摺鉢山に最初に登頂したワトソン軍曹の偵察隊に関するニュースとシュリヤー中尉の強行偵察小隊のニュースを同じものと勘違い・・・その時点で、シャーロ一等兵がシュリアー中尉の強行偵察小隊に同行していた、と誤って報告されたのではないか・・・との事でした。

【海軍衛生下士官は二度ハタ(星条旗)を揚げる?】
さて、シャーロ一等兵は最初の星条旗掲揚の場には居なかった・・・という疑問点を確認して見ましたが、ここで新たに旗竿を支えている第四の人物の存在が明らかとなり・・・更なる謎・・・疑問点が沸き起こりました。果たして、この人物は誰なのでしょうか?・・・この点を検証する上で、ローリー軍曹が撮影した写真の一枚が新たに登場します。ローリー軍曹は、星条旗掲揚の決定的瞬間は撮影していませんが、実は掲揚直前の写真を撮影しています・・・その写真には旗竿を支えている第四の人物の後ろ姿が明確に写し出されていました!この写真を詳細に観察する事よって、その人物は明らかに他の一般海兵隊員とは異なる装備を装着している事が確認出来るのです・・・そう、この人物は何を隠そう海軍衛生下士官だと思われるのです!この人物は、他の海兵隊員とは異なり、左右の腰付近に大きなバック状の装備を提げています・・・このバックには包帯・絆創膏・安全ピン・ピンセット・サルファ剤(ペニシリン消毒薬)・モルヒネシレット(即効性麻酔薬)・止血帯布・ガーゼ・止血鉗子等が収納されています。さて海軍衛生下士官と言われて直ぐに思い浮かぶ人物は・・・それは誰あろう第二の星条旗掲揚者の一人ジョン・ブラッドリー海軍三等看護兵曹・・・その人なのですよ。この事については、米国内の幾つかサイトにおいても記述されている事が確認出来ました。これって凄い発見・・・衝撃の事実だと思いませんか?何とローゼンソールの写真によって超有名になってしまった、第二の星条旗掲揚者の一人であるジョン・ブラッドリーが、実は最初の星条旗掲揚にも関わっていた・・・なんて凄いなぁ!・・・おい、ちょっと待ちな・・・シュリアー中尉指揮下の強行偵察小隊の隊員の中には、海軍衛生下士官はブラッドリー一人だけしかいなかったのかよ?【ATFの寝惚けた頭の上で天の声が囁きます】・・・う〜ん、確かにそうなんですよ・・・前述の米国内のサイトでは、この海軍衛生下士官がブラッドリーだと説明されてはいるんですけど、この狢召乏し咳卆顕嫉隆韻呂い覆ったのか?と言う疑問点については、どこも言及出来ていませんでした。実際ジェイムズ・ブラッドリー著『硫黄島の星条旗』の文中には、ブラッドリーの同僚の海軍衛生下士官としてクリフォード・ラングリー他数名の海軍衛生下士官が登場しています。しかし彼らの何れも最初の星条旗掲揚については言及していません。これでは話が先に進めないので、仮にこの海軍衛生下士官がブラッドリーであると仮定して話を進めてみたいと思います。因みに映画『父親たちの星条旗』におけるライアン・フィリップ演じる爛献腑・ブラッドリーの画像です。米国内の幾つもの硫黄島戦関連のサイトを探して見ましたが、ブラッドリーの野戦戦闘服姿の写真は発見出来ませんでした・・・まぁ発見出来たとしても、ローリー軍曹の写真中で、この海軍衛生下士官について明瞭に顔の輪郭を判別出来る写真も無いのですが・・・。最後に残された手段・・・ローゼンソールの第二の星条旗掲揚写真中のブラッドリーの姿と比較して見ましたが、明確にブラッドリーであると断言出来ませんでした。
米国内の硫黄島関連サイトの中には、ジェイコブズ氏や他の第三小隊の生存者たちが、この写真の人物がブラッドリー海軍衛生下士官である可能性が高いと証言している、と記されていました。しかし実際に星条旗を掲揚した最後の生存者であるリンドバーグ氏は、この点については否定も肯定もせず沈黙している様です。ジェイコブズ氏は、2005年2月にサンフランシスコで開催された硫黄島戦友会の会場において『硫黄島の星条旗』の著者であるジェイムズ・ブラッドリー氏と会い、その時この牾し咳卆顕嫉隆院瓮献腑・ブラッドリー畧を話し、その後ブラッドリー氏に対し写真や関連資料を送ったそうですが・・・ブラッドリー氏は、ジェイコブズ氏の資料の内容については今だ検討中との事で、現在まで公式な場での発言は行っていない様です・・・。

【ローリー軍曹の写真に見る、その他の男たち】
さてジェイコブズ氏は、ローリー軍曹の星条旗掲揚写真の中の男たちについては、他にも修正が必要であると証言しています。それらの修正点は、ローリー軍曹の他の写真によっても確認出来るので、ここでご紹介しておきます。まずは【写真上】ローリー軍曹の星条旗掲揚写真の修正前と思われる写真。【写真下】同じくローリー軍曹の星条旗掲揚写真に続いて撮影されたと思われる写真。・・・この二枚の写真からは、ハンセン軍曹とジェイコブズ通信兵の背後(写真左下)にもう一人【海兵A】が・・・そして写真下からは、リンドバーグ伍長の背後に更にもう一人【海兵B】の姿を確認する事が出来ます。そして【各写真】ローリー軍曹の星条旗掲揚写真の撮影直前あるいは直後に撮影されたと思われる写真。・・・からは、まずジェイコブズ通信兵の足下にしゃがみ込んで無線の受話器で話をする人物【海兵C】が確認出来ます。ジェイコブズ氏は、この人物【海兵C】こそ強行偵察小隊長のシュリアー中尉だ、と証言しています・・・ジェイコブズ通信兵は小隊長付の通信兵なので、この証言は、まず間違いないと思われます・・・現に第二大隊の記録によれば、星条旗掲揚直後に大隊長ジョンソン中佐とシュリアー中尉との間で無線の交信が行われている(この直後に日本兵の攻撃が起こった)、と記録されている事も、この人物【海兵C】がシュリアー中尉である事の裏付けしています。
右側の写真の中で、ブラッドレーではないかと思われる人物の足の間に背中が確認出来る人物【海兵D】・・・ローリー軍曹の星条旗掲揚写真の各人物の立ち位置からして、この人物はジェームズ・マイクルズ一等兵であると思われます。また下中央(赤枠左)の写真では【海兵A】の姿を明瞭に確認出来ました。

【最初の星条旗掲揚の現場に居合わせた男たち】
以上これまでに明白なった、或は推定される各事項からローリー軍曹の写真における8名の海兵隊員及び海軍衛生下士官の立ち位置を想定して見ました。更に未検証ながら、米国内の硫黄島関連サイト中で発見された二人の人物・・・【海兵A】及び【海兵B】の氏名を基に・・・私ATFの想像(妄想?)の味付けをして・・・1945年2月23日午前10時20分・・・摺鉢山の山頂に最初の星条旗が掲揚された時に旗竿の周囲に居て、ルイス・ローリー軍曹の撮影した複数の写真に写っていた男たちを特定して見ました・・・。

ご存知の通りジョン・ブラッドレーは、戦後この硫黄島での体験を「忘れてしまった」と言って殆んど語る事はありませんでした。47年間に及んだ結婚生活の中でも、ブラッドレーがこの事を語ったのは妻のベティに対してだけ・・・しかも最初のデートの時の一度きりでした。そして家族の中では、この話をする事はタブーにすらなっていました。1985年になって一度だけ、ブラッドレーは自らの思い出を語りますが、これはどうしても孫たちの為に話してほしいという妻の強い願いに応えた為でした。ジョン・ブラッドレーは、硫黄島での戦いの中でラルフ・イグナトウスキー(1945年3月4日戦死・・・1945年3月8日遺体発見)を始め多くの戦友を失い、また自らも重傷を負い、更に帰国後は星条旗掲揚者の生き残り=英雄として第七次戦時国債募集ツアーに従事させられて、大きな精神的な苦痛を味わいました。また彼は、同じく星条旗掲揚者の生き残り=英雄という重圧に押し潰されてしまったアイラ・ヘイズの悲劇や、その後の人生の道を踏み誤ったレイニー・ギャグノンの最後も知っています。そんな彼が自分は最初の星条旗掲揚にも関わっていた・・・と新たに証言する事によってふたつの星条旗掲揚に関わった史上希に見る英雄として再び歴史の表舞台に担ぎ出され、より大きな精神的な苦痛を味わうかもしれない・・・事を自ら望むでしょうか?またこれは私ATFの妄想ですが・・・ブラッドレーは最初の星条旗の掲揚には関わったが、第二の星条旗の掲揚には関わっておらず、実は第二の星条旗を掲揚したのは別の海軍衛生下士官(その後戦死した・・・)だった・・・のかも。そんな理由の為に・・・彼は生涯を通して星条旗の掲揚に関する話をしなかったのではないか・・・なんて激しく妄想してしまいます。結局ジョン・ブラッドレーは、真実を明らかにする事なく墓の中まで持って行ってしまいました。
リンドバーグ氏やジェイコブズ氏、そして1945年2月23日に摺鉢山の山頂で星条旗の掲揚を、間近で目撃した海兵隊員たちの幾人かは現在も存命していますが、60年と言う歳月を経て彼らの記憶も薄れつつあります・・・彼らは硫黄島で命を落とした戦友たちの思い出と共に、真実を棺の中に持って行くつもりかもしれません。合衆国海兵隊が、未だ最初の星条旗掲揚者としてのルイス・シャーロの存在を修正しないのは、誤りを修正する事によってジョン・ブラッドレーに関する真実や、その他まだ公表されていない新事実と複雑に絡み合った人間関係に至るまでの全てを今更ながら穿り返し、硫黄島戦の年老いたベテランたちの思い出まで壊しかねない事に躊躇しているからかも知れません・・・ね。

硫黄島に上陸した海兵第28連隊麾下チャンドラー・ジョンソン中佐の指揮した第二大隊1,688名の内、戦死及び戦傷者は1,511名(89.5%)・・・実に9割近い損害を出しています・・・硫黄島占領後に島から生還した177名の内91名は戦闘中に何らかの傷を負いながらも戦闘に継続して参加していました。そして大隊長ジョンソン中佐自身は1945年3月3日に戦死しています。デイヴ・セヴェランス大尉が率いたE中隊310名の内、戦死及び戦傷者は260名(83.9%)・・・第三小隊ではフィル・ウォード、グレイディ・ダイス、ハロルド・ケラー、ジェイムズ・ブキャナン、ジェームス・マイケルズの5名のみが、自らの脚で歩いて硫黄島を後にする事が出来ました。またシュリアー中尉の指揮下で摺鉢山に登った強行偵察小隊の42名中、36名がその後の戦闘で死傷しました。またローゼンソールが第二の星条旗掲揚写真の撮影後に写した爛ンホウ畆命臣罎房未辰討い18名中14名が死傷しています。第二次世界大戦中、合衆国軍兵士に対して与えられた議会名誉勲章は全部で353個・・・その中海兵隊には84個・・・更に硫黄島戦従軍者には27個・・・実に海兵隊員の議会名誉勲章受章者の3名に1名が、硫黄島での戦闘に従軍した海兵隊員と言う事になります。

ヘンリー・ハンセン軍曹/1945年3月1日戦死
ルイス・シャーロ一等兵/1945年3月2日戦死
アーネスト・トーマス小隊先任軍曹/1945年3月3日戦死
ハロルド・シュリアー中尉(退役海兵大佐)/1971年6月3日死去
ジェームズ・マイクルズ/1982年1月17日死去
ルイス・ローリー/1987年4月15日死去


最後にルイス・ローリー軍曹が撮影した最初の星条旗掲揚写真の別アングルをご紹介させていただきます。海兵隊員たちが仰ぎ見る先には、力強く翻る星条旗が・・・ローゼンソールの写真には、とても敵わないかも知れませんが、星条旗掲揚の模様としては、この写真の構図の方が至極自然体で、私ATFは非常に気に入っています。そして写真家トーマス・E・フランクリンが2001年9月11日の同時多発テロ時、崩壊したWTC世界貿易センタービルの廃墟(グラウンド・ゼロ)で撮影し『グラウンド・ゼロ・スピリット』と言うタイトルで発表した・・・廃墟に星条旗を掲揚するNY市の消防士たちの姿です・・・56年前に摺鉢山の山頂に星条旗を掲げたアメリカ人たちの精神は、今もアメリカ人の不屈の精神の象徴として受け継がれている・・・と言う事でしょうか。

今回の観戦記は如何でしたでしょうか?実に参考にしたサイトの90%以上が米国内の硫黄島関連サイトと言う、国文科出身の私ATFにとっては、針の莚の上に座って執筆している様で全く無謀なもの・・・お陰で誤釈・誤変換は多数・・・そして相変らず睡魔と戦いながらの執筆でしたので誤字・脱字も、更に多数と思われます(滝汗。摺鉢山の第二の星条旗掲揚者の最後の生き残りだったジョン・ブラッドリーが、実は最初の星条旗の掲揚にも関わっていた・・・かも知れないと言う突拍子もない仮説の検証?を試みた観戦記でしたが、歴史に誤りは付き物です。軍ヲタ物好きの大ホラ話としてでも結構ですから、観戦武官諸士の記憶の底に留めていただければ執筆者としては幸いです!【これはオマケですけど・・・続きます】

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