ATFの戦争映画観戦記



【File090】狼と羊と猟犬と・・・ココアとラム酒と海の男たちの物語【ネタバレ警報/後編� �

2003年06月23日(月)

毎度の事ですが、この6月は身辺が急激に忙しくなって、全く更新が手付かず状態・・・毎度更新を期待して巡回視察いただいた観戦武官諸士には、誠に申し訳ない次第であります。さて世の中も相変らず全く物騒な事件が続いております。どうも人の命の価値が下がっているのでは・・・などと思える事件ばかり続発しているのは、なにかの予兆なのでしょうか?今日6月23日は�牴�縄慰霊の日��1945年6月23日は沖縄での日本軍の組織的抵抗が終結した日です。太平洋戦争最大の地上戦の舞台となった沖縄では、軍人のみならず多くの民間人をも巻き込み凄惨な戦闘が繰り広げられました。TVのニュースで、慰霊祭の模様が中継されていましたが、参列された生存者や遺族の方々の高齢な姿が目立っていました。ミリタリーおたくや戦争映画ファンを自称するものとしては、せめて過去の戦争の真実を理解し、後世に伝える手助けが出来れば・・・などと、ささやかな想いを心の片隅に抱いております。さて久しぶりに『沖縄決戦』でも観るか・・・。前置きはこれぐらいにして早速行かせていただきます。今回も『enigma』絡みの薀蓄ばかりですが、暫くお付き合い下さい。通勤電車の中で『enigma』観戦記のネタを考えながら、ふと思いついたのは、なんか肝心な事を忘れているのでは・・・という事でした。この作品のバックグランドを形成する�爛�チンの森の虐殺事件�甅爛┘縫哀洌店罩�の二大キーワードは既にご紹介した通りなのですが、もうひとつ忘れてはいけない肝心な第三のキーワード・・・それが�猴∩�船団=CONVOY��なのでした・・・それでは狼と羊と猟犬と・・・Uボートと輸送船団を巡る男たちの戦い・・・の一節・・・。それでは開演《開演ブザー》です。いつものように・・・今回も携帯電話の電源はそのままで。【恒例ですが、この記述には資料的価値は全くありません】

【�狎�水艦=善�甅犇鄰犂蓮甍��瓩慮�式】
不思議な事に、戦争映画やポリティカル・アクションもの、海洋パニックものでは、潜水艦を舞台とした映画が人気高いです・・・そう俗に言う�狎�水艦映画にハズレなし��なのであります。潜水艦内の限られた空間=密室のセット、少ない登場人物、水中という常に危険の伴う環境設定、戦争という非日常・・・いやが上にもストーリーは盛り上がるのであります。特に1981年の「Uボート(DAS BOOT)」の大ヒットが拍車をかけ�狎�水艦=善�甅犇鄰犂蓮甍���にも似た、全く以って妙な風潮が出来あがっているのでは・・・と感じられるのは私だけでしょうか・・・。実際は�猝桔蛭�な輸送船がUボートに嬲り殺しにされる�瓩噺世ν佑文�景が、大戦前半に渡って繰り返されていたのです。それでは、第二次大戦時の大西洋で、どのような戦いが行われたのか・・・ここでちょっとおさらいがてら見てみましょう!!
【第二次大戦前夜・・・1919年6月〜1939年9月】
第一次大戦の敗戦によってドイツ帝国は崩壊し、新たに誕生したワイマール共和国(イクイクワイマールだっけ!)はベルサイユ条約によって軍備を厳しく制限されます。しかし戦後の混乱した社会や破綻した経済によって高まる不安が、ドイツ国民にヒトラー率いる「国家社会主義ドイツ労働者党=通称ナチス党」を支持させます。やがてナチス党が政権を握ると再軍備計画が密かに進行・・・特に犬猿の仲であったスターリン&共産党率いるソ連とも手を結び、ドイツの進んだ戦術・技術との交換条件でソ連領内の訓練基地が提供され、陸軍や空軍の再軍備が着々と進められます。独国内でも民間企業(航空・重工業)への助成や青少年の教育文化・スポーツ育成を隠れ蓑とした、来るべき再軍備時の幹部要員の養成が進められていました。ここで話題を逸らします・・・よくドイツ帝国と言えば「陸軍国」のように思われがちですが、ドイツ帝国海軍は、第一次大戦中の1916年(大正五年)5月31日から6月1日にかけてジュットランド半島沖(��Jutland�瓮罐肇薀鵐�/スカラゲック海峡海戦とも呼ばれる)で行なわれた英国海軍とドイツ帝国海軍の主力艦隊(双方合わせて250隻もの艦艇が参加)同士による海戦において、互角に近い戦いを行っています。当時西部戦線は膠着しており、英国大艦隊(Grand Fleet)による北海の海上封鎖に対抗して、ドイツ帝国大海艦隊(High Seas Fleet)は、英国艦隊を撃滅する為に出撃・・・艦隊決戦における損害はドイツ大海艦隊よりも英国大艦隊の方が上回り、戦術的にはドイツ帝国大海艦隊が勝利しますが、戦略的には世界に冠たる英国海軍から制海権を奪う事が出来ず、その後、艦隊内の水兵の間に広がった厭戦思想による叛乱を経て、1919年停戦・・・ドイツ帝国の崩壊・・・停戦条約が署名されると、ドイツ帝国大海艦隊の戦艦・巡洋戦艦・装甲巡洋艦などの主要残存艦艇74隻が、英国北部オークニー諸島のスカパ・フロー(Scapa Flow)艦隊泊地に回航され、英国海軍の監視下に置かれ処分を待つことになるのですが、栄光あるドイツ帝国大海艦隊の司令官・艦長達は、指揮する艦が敵の手に落ちる事を潔しとせず、1919年6月21日一斉に自沈を決行・・・一部を除き殆どの艦の名誉が守られました。まあこんな事もあって、戦後のワイマール海軍は戦力を大幅に縮小されます(しかしまぁ厳しい制限の網を掻い潜り�爛櫂吋奪叛鏨廊瓩覆桧杰Г隆歪�を生み出す訳ですが・・・)。再軍備計画の中にあっても、英国艦隊に対抗できる程の大艦隊を復活させるだけの資金・労力・時間は、さすがのヒトラーやナチス党にもなく、結局後の新生ドイツ海軍は、その主要作戦方針を第一次大戦時に実用化された新鋭兵器・・・潜水艦�爍侫棔璽鉢瓩箴αゲ�造仮装巡洋艦、ポケット戦艦等による通商破壊戦への転換を余儀なくされるのです。 

【無制限潜水艦戦へ道・・・1939年9月〜1940年7月】
ドイツ海軍は�狡名η鵬�戦によって英国を屈伏させる��という戦略思想を持っていたにもかかわらず、ヒトラーの独断による予想外の早期開戦により、第ニ次大戦を全くの準備不足で迎える事になります。かろうじて開戦前に数隻の通商破壊艦を大西洋海域に出撃させる事が出来たくらい・・・さらに潜水艦=Uボートの準備も不十分で、開戦時に投入出来たUボートは、両手程度しかありませんでした。初期の潜水艦による通商破壊戦は制限だらけ(戦時船舶拿捕規定などの国際法規、アメリカの参戦や国際世論を警戒したヒトラーによる攻撃制限命令等)の為、余り有効な戦果が挙げられませんでした。しかしU29潜による英空母カレジアス撃沈(1939.09.17)や、スカパフロー英海軍泊地に潜入したギュンター・プーリン艦長指揮のU47潜による英戦艦ロイヤルオーク撃沈(1939.10.14)等の戦果によるUボートの実効性の認知の昂まり、さらにはUボート部隊司令官デーニッツ提督を始めとした海軍首脳陣からの抗議により、攻撃制限は序々に解除され、1939年11月には遂に無制限潜水艦戦が開始されます。1940年4月〜6月に実施されたノルウェー方面での作戦において、水上艦艇に大きな損害を出した事により、ヒトラーや国防軍首脳陣が、大型水上艦艇の作戦に消極的となった事も、その後のドイツ海軍の作戦が否応無しに潜水艦=Uボート主流となり、Uボートの建造が優先される様になります。1940年6月のフランス降伏により大西洋岸ビスケー湾岸のブレスト、ロリアン、サン・ナゼール、ラ・パレス、ラ・ロシェル、ボルドーにUボートの補給整備基地が建設され、大西洋への出撃航程が大幅に短縮されると、Uボートの可動率も大幅に改善され、大西洋は将に�犒譴粒き�へと変わって行くのであります・・・英国首相チャーチルが命名した�狢臉祥里寮錣�/BATTLE OF ATLANTIC��の始まりです。

【Uボート・エースVSコンボイ・・・1940年7月〜1941年3月】
仏ロリアンを基地としたUボートは、効率的な運用(常に一定の隻数のUボートが大西洋上で行動可能)や航続距離の拡大、独航船への浮上砲撃により戦果を伸ばして行きます。しかし未だ単独攻撃が主流で、多くの�爍侫棔璽函Ε─璽后畄眥晴Ν�が誕生する事になります。1941年1月には、予てよりデーニッツ提督の要望がヒトラーに認められ、独空軍所属のフォッケウルフFW200長距離哨戒爆撃機一個飛行隊がデーニッツ提督指揮下に入れられ、空海共同の作戦も開始されます(しかしこれはゲーリング抜きで事が進められた為、後でひと悶着起こす事になります)・・・しかし1941年3月快進撃を続けていたUボートに影刺す事件が起こる・・・アイスランド南方海域を航行中の英輸送船団(OB293/HX112)の攻撃に向かったU47潜(プーリン)U99潜(クレッチマー)U100潜(シュプケ)U70潜(マッツ)が立て続けに撃沈されたのである。これは一次戦から二次戦初期にかけての独Uボートの戦術を研究していた英海軍が、一次戦より効果があった�猴∩�船団方式=CONVOY��を発展、運用し始めたからに他ならなかった。それは英国人工学者F.W.ランチェスターが、一次戦時の航空戦のデータを基に分析・研究し発表した�狎鐺�における兵力の消耗についての一定の法則=ランチェスターの法則��によって構築されたオペレーション・リサーチ(OR)に基づく結果からでした・・・輸送船団の最も効率的な護衛戦力を算定する方法・・・数少ない護衛艦艇(駆逐艦・フリゲート艦・コルベット艦・対潜トローラーやホエーラー等漁船改造小艦艇)で、より効果的に護衛する為には何隻の輸送船で船団を組めばよいか・・・過去の戦術に捕われた軍人ではなく、第三者である数学者等の学識経験者を中心とした研究チームが、過去データを統計学的に調査・分析・・・その結果�猴∩�船団は規模が大きいほど安全である��という結論を導き出します。こうして英国は大規模船団を編成し、少ない護衛戦力を集中的に配備した�猴∩�船団方式=CONVOY��を編み出したのでした。1941年3月合衆国議会においてレンドリース(武器貸与)法が可決され、物資不足に苦しむ英国に対する無制限の援助が始まり、米国・カナダから英国に向け数多くの輸送船団が送り出され・・・大西洋の戦いは益々激化して行くのでした・・・。

【群狼作戦・・・ウルフパックと�狎訐錣覆�戦い��1941年3月〜1941年12月】
英国が採用した輸送船団方式に対し、それまで単独での攻撃が主だったUボートも集団攻撃戦術を取る様になります。この戦法は、デーニッツ提督が一次戦中に自らUボート艦長だった時の経験を生かし考案した戦術で、狼が群で獲物を襲うのに例えて�犒河祇鐔僉瓮Ε襯侫僖奪���と呼ばれます。これは輸送船団の航行が予想される洋上に複数のUボート(戦隊)を分散配置し(または長距離哨戒機によって)哨戒させ、輸送船団を発見した場合、他のUボートを無線で呼び寄せてから集団で輸送船団に攻撃をかける・・・という戦法でした。初期の段階では不慣れさから効果が挙がらず、さらにヒトラーからの横槍(アフリカ軍団支援の為、地中海へのUボート分離派遣命・・・1941年9月・・・しかし殆んどのUボートが地中海で�狢泙離優坤澂瓩箸覆辰討靴泙�・・・「Uボート」でもジブラルタル海峡突破シーンは見せ場のひとつ)が入ったり、航空部隊との連携に失敗するなどにより戦果が挙がりませんでしたが、戦法に慣れてくると徐々に戦果が挙がるようになって行きます。1941年9月米国海軍が輸送船護衛の為に、Uボートへの攻撃を開始します。しかし米独間での宣戦布告はされておらず�狎訐錣覆�戦い�瓩箸いι垈鳥弋弔幣�態が数ヶ月続く事になります・・・。

【バウケン・シュラークとエア・ギャップ1941年12月〜1943年5月】
1941年12月日米開戦とともにドイツもアメリカに宣戦布告し、欧州での戦争は、遂に世界中を巻き込んだ世界大戦へと発展します。1941年12月16日「バウケン・シュラーク(小太鼓連打)作戦」が発動され、米国大西洋岸での少数のUボートによる無制限潜水艦戦が開始されます(因みに12月16日はATFの誕生日・・・バルジ大作戦発動の日&戦艦大和竣工の日でもある・・・)当初、米国沿岸における米国海軍の警戒網は全くずさんで、灯火管制も無く、独航船は完全に無防備・・・米国は1942年4月までにフロリダ沖・カリブ海まで含めた広大な海域で、大きな損失を被ります。この時期は�狢萋鷁�金期�甅猴杁い併�戮�甅爛▲瓮螢�沖の狩猟シーズン�瓩覆匹噺討个譟�後に米国が沿岸航路で輸送船団方式を採用するまで続く事になります。ハールデン、モーア、ラッセン、ムーツェルブルグ、トップと言った新たな�爍侫棔璽函Ε─璽広�が誕生するのもこの時期です。また1942年11月連合軍は欧州反攻の牽制作戦として北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)を敢行・・・この上陸作戦護衛の為、多くの連合国護衛艦艇が輸送船団から引き抜かれた事により、1943年初頭まで輸送船団の護衛体制が不充分となり北アフリカ上陸は成功しますが、連合軍輸送船の損失は激増してしまい、結果的にUボートの戦果向上に寄与した事になります。この間、アフリカ沿岸やインド洋にも一部のUボートが進出し少なからず戦果を挙げました。さらには東部戦線でのソ連軍の反攻を支援する為の援ソ船団が編成され、独海軍の攻撃に加え、厳しい気象条件と戦いながら物資輸送を継続・・・ノルウェー方面の独水上艦艇・航空機・Uボートと激戦を繰り広げる・・・(特に1942年12月30日〜31日に極北のバレンツ海で行われたソ連領ムルマンスク向けのJW51B船団護衛部隊と独艦隊との戦闘は海戦史に残る戦いとなった)このように戦果を挙げたUボート部隊ですが、デーニッツ提督が戦争を通じて常に運用できたのは200隻前後・・・その中で戦闘可能な状態にあったのは60隻が限界(戦闘行動中60隻・補給整備休養中60隻・移動中60隻)であり、その限られた戦力を有効に活用した�猩儀伽鑠´�によって連合軍長距離哨戒機の哨戒圏外(エアギャップ)では、戦果を挙げ続けました。『enigma』の作品の舞台となったのも、ちょうどこの頃です。連合国側は大きな損失を被った戦訓から、輸送船団方式を強化する為に船団護衛専門の部隊運用指揮組織・・・西方近接海域(ウエスタン・アプローチ)司令部の司令官に潜水艦出身のM・ホートン提督を任命、さらにUボートに対抗する為の新戦術(�‘鳩海琉店羃鯑畢�護衛空母の投入による制空圏拡大�6鄰犂呂筌侫螢押璽抜蓮▲灰襯戰奪抜呂鮹羶瓦箸靴紳仞�専門ハンターキラーチームの投入)や新兵器(�.譟璽澄辞▲愁福�/アズティック��HF/DF高周波方位測定器�ぅ悒奪献曠奪袷以�投射対潜弾&Mk44対潜追尾魚雷)の開発を進めていました。特に連合軍が次々と新型の短波レーダーを開発、艦船や航空機に搭載した事により、夜間浮上航行(充電・補給)中に不意の奇襲を受けるUボートが激増・・・。このような連合国側レーダー技術の向上に対し独側の対応は遅れ、効果的な防御対策(レーダー逆探等)を講ずる事が出来ず「技術の戦い」で連合国側に対し大きな差をつけられます。1943年5月、激増するUボートの損失に憂慮したデーニッツ提督は、遂にUボート部隊の主要船団航路からの一時撤退を決定・・・ここに�狢臉祥里寮錣き�は終焉へ向け一気に加速して行くのでした・・・。

【ザ・ラストUボート・・・狼たちの終焉1943年5月〜1945年5月】
もはや従来型のUボートで戦局を好転させる事が出来ないのが明白となり、1943年7月には、新型Uボートの具体化計画が動きだす・・・これはヘルムート・ヴァルター教授が開発したヴァルター機関(空気の代わりに過酸化水素を用いた画期的推進機関)を搭載した水中高速潜水艦計画でしたが、実戦投入はかなり先の話で、それまでは手持ちの戦力で、なんとかその場を凌がなければなりませんで。しかしそれはUボート部隊に更なる損失を強要する事態に他ありませんでした。再び大西洋での激戦が開始されましたが、戦果の割りに損害が大きく、デーニッツ提督は、この絶望的な戦局の中に活路を見いだそうとして、様々な試みに希望を託します。1943年8月末には新型追尾魚雷や新型のレーダー逆探知機を搭載し対空兵装を強化したUボートの戦隊を出撃させましたが、船団攻撃は不成功に終わります。1943年10月に連合軍は中立国のポルトガルと協定を結びポルトガル領アゾレス諸島に航空基地を設営、エア・ギャップは更に狭められ、Uボートにとっては、ますます活動範囲を制限される事になります。1943年11月頃には独軍側の劣勢は、誰の目にも明らかでした。1944年になると戦局の主導権は完全に連合軍側へと移り、もはやデーニッツ提督にも打つ手は無くなって来ました。新型Uボートが投入されるまでの一時的な対応として、潜航したままディーゼル航行できるシュノーケル装備艦や潜航時間を増加させた蓄電池増設艦(エレクトリック・ボート)が導入され、ささやかな成果を残しますが、あくまでも一時凌ぎに過ぎず、また隻数も少なく、戦局を変える、と言うには程遠いものでした。1944年6月欧州反攻作戦(ノルマンディー上陸作戦)・・・フランス解放により、ビスケー湾沿岸の主要基地を失ったUボート戦隊は、新型Uボートの投入に最後の希望を託しながら独国内の軍港へと撤退しますが、連日の連合軍機の爆撃により壊滅・・・ノルウェー沿岸の一部基地を除き、最早拠点を失ったUボートは、二度と組織的な作戦を行なうことなく、敗戦を迎えるのでした・・・。

既に御存知の方も多いと思いますが、私ATFは第二次大戦を舞台とした海洋冒険小説が�狡境瓩�付くほど大好きなんです・・・それについては当HPのコンテンツのひとつ「資料室��ArchivesGallery�犹狷�の海�瓠�をご覧いただいてもお解りでしょう。ハヤカワ文庫は元より、その他出版社の海外小説で、類する本は新刊・古書を問わず片っ端から買いあさっております!アリステア・マクリーン(女王陛下のユリシーズ号)セシル・S・フォレスター(駆逐艦キーリング)ダグラス・リーマン(大西洋、謎の艦影)フィリップ・マカッチャン(キャメロンの海戦シリーズ)ブライアン・キャスリン(地獄の輸送船団)アレクサンダー・フラートン(エバラード シリーズ)ダドリー・ホープ(囮のテクニック)・・・(代表作)・・・そして私ATFの座右の書・・・ニコラス・モンサラット「非情の海」(�狹椶蠅粒き瓩箸盡世�)・・・次々に襲いくる獰猛なUボートや通商破壊艦そして長距離哨戒爆撃機、一発の魚雷で何もかも吹き飛ばす航空燃料や火薬と言った危険な積み荷・・・そしてなによりも暴風吹き荒れ、たった数分で命を奪う極寒の海・・・しかし男たちは不屈の闘志で輸送船に乗り込み�犹�戮の海��へと船出して行く・・・一杯の熱いカイ(生チョコのココア)と喉を焼くラム酒で疲れきった心と身体を癒し、遥かな母港で待つ妻や子供そして恋人と再び逢う為に・・・。とまぁこう言う訳・・・ってどんな訳や?・・・そうですよ�猴∩�船団��好きのATFをワクワクさせた『enigma』のストーリー設定・・・Uボート群が待ち受ける海域に向かう輸送船団を救う為、犠牲を賭して暗号解読に挑む男たちの物語・・・ってのに目いっぱい期待していたのであります。ところが・・・?勢い勇んで映画館へ観戦に出かけたATFを待ち受けていた驚愕の事実とは、はたして・・・次回『enigma』観戦記、あゝ堂々の完結編・・・どうぞお楽しみに【まだ続くでぇ〜ッ】
【一部修正】20030625後輩伍長氏よりの指摘により

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