ATFの戦争映画観戦記



【File070】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・�犧綺吻畧乎舵桓�年記念『殿様と御家老と足軽』

2002年12月10日(火)

寒さも一段と増し朝起きるのが辛くなっておりますが、観戦武官諸士においては如何お過ごしでしょうか・・・。さて過日12月7日(土)の事でありますが、明日は12月8日・・・軍オタ諸士には言わずと知れた�狢席人寮鐐莖�戦の日�瓩辰道�で、いつもであれば、それに関連する作品をネタに�犂兩鏥��瓩鮟颪�込んでいるところですが、さて今さら『トラ・トラ・トラ』について書いても、観戦武官諸士の方が、私ATFなんかより数段もお詳しいでしょうし、また日頃ご指導ご鞭撻いただいておる08/15先輩のサイトには『トラ・トラ・トラ』についての素晴らしいコンテンツもあるし・・・。かと言って『ハワイ・マレー沖海戦』や『シンガポール総攻撃』について書いてもなぁ・・・などあれやこれやと唸っておったのですが、まあ折角だからここんとこご無沙汰の�爐◆桔�画戦争映画は燃えているか�瓮轡蝓璽坤優燭任盻颪海�・・・と思い立ったが吉日、さて何について書こう?取り敢えずTOPページのメンテでもするか・・・と始めたのが災い・・・画像を探したり加工したりで手間取り、なんだか空が明るくなって来た・・・げぇ〜徹夜かよーッ!!もう限界・・・という訳で12月8日(日)は、いつもの如く�狄欧突貌���と相成りました。で起きたのが夕方5時・・・おいおい・・・!続く月曜日は、皆さんもご存知の通りの記録的大雪による首都圏大パニックに巻き込まれ、散々な出社・・・もう日中ヘトヘトで帰宅早々ギブ・アップ・・・です。そんな訳で、遅れ馳せながら本日12月10日(火)に書き込んでおる次第です。それでは能書きはこれくらいにして、早速行って見ましょう・・・今年の夏、衛星系�爛船礇鵐優襭裡釘達廊瓩琶�送された日活戦争映画特集の中でも、ATFが特に気に入った作品が登場します。それでは【開演ブザー】いつものように携帯電話の電源はお切り下さい。

【今�犧篋吻瓩�熱い!】
今年は日本映画界稀代の名優の一人�犧綸貂併囲�(以下略:阪妻)��の生誕百周年だった・・・いや、なのですが、皆さんご存知でしたか?記念映画祭なんかも開催されてましたっけ。先日芸能関連の新聞記事を読んでいたら、今や俳優としての地位を確立している御子息三人(長男:田村高廣/三男:正和/四男:亮)と芸能界とは関係のない仕事をしている次男の方が集まり、故人を偲んで対談しておりました。それでは故人の略歴をば述べて見ましょう・・・阪妻は1901年12月14日(おお討入りじゃ・・・)東京生まれ。高等小学校卒業(15歳)後に芝居の世界を目指し、17歳で初舞台を踏んだそうです。1922年5月公開の「中将姫」で晴れて銀幕デビュー。1923年マキノ等持院(映画製作所)設立に参加し、脇役として19本の作品に出演。同年10月公開の『鮮血の手型(前後篇)』で初主演を飾り、彗星の如く人気俳優へと登りつめます。1925年独立し�犧綸貂併囲坤廛蹈瀬�ション�瓩鮴瀘�。その後松竹と提携し、数々の時代劇ヒット作品に出演しました。1926年には自ら撮影所を設立し、阪妻プロは日本映画界の中で飛ぶ鳥をも落とす存在となります。しかし�狎梗塢�衰の理�瓩猟未蝓∈綺覆留薺擦麓‖茲縫泪鵐優蟆宗⊃裕い禄�々に低迷して行きます。そして1930年代のトーキー映画の到来!その波に乗り遅れた阪妻は、1935年10月公開の『新納鶴千代』でトーキー作品に初出演するも、その�爐�細く繊細な声質�瓩�祟って、無声映画の�猯篭�い声質�瓩離ぅ瓠璽犬鯤�いていた多くのファンの失望を買います。そして1937年1月公開の『怒涛一番乗』を最後に12年間続いた�犧綺淵廛蹲瓩浪鮖�・・・。同年日活京都撮影所に入社後、声質を変える訓練を重ね、1937年7月公開の『恋山彦(前後篇)』では、将に�犒�戟王�瓩量召冒蟇�しい殺陣を披露。以降1937年12月公開の『決煙高田の馬場』1938年3月公開の『忠臣蔵(地の巻・天の巻)』1939年8月公開の『牢獄の花嫁』9月公開『牢獄の花嫁解決篇』と立て続けにヒットを飛ばし�犧綺壁�活�瓩鬟▲圈璽襪靴泙靴拭�1942年3月公開の『将軍と参謀と兵』では、初めて現代劇に出演。同年5月、戦時下統合による日活の大映吸収後、片岡千恵蔵・嵐寛寿郎・市川右太衛門と共に四大スター初共演の『維新の曲』に出演(坂本龍馬役)し話題を博しました。1943年10月、阪妻最高の代表作『無法松の一生』では、無知で貧しい車夫�猊拇臂掌渭梱疚鬚鯒�演、時代劇スターからの見事な脱皮を図りました。戦後GHQ統制下の日本映画界で、時代劇の製作が制限されると1945年11月公開の『狐の呉れた赤ん坊』や1948年10月公開の『王将』などで�牘薺伺蒜侏キ�としての評価を得ます。1949年フリーとなり、5月公開の『佐平次捕物帖・紫頭巾(前後篇)』に出演。同年松竹と専属契約を結び12月公開の『破れ太鼓』1951年11月公開の『大江戸五人男』など次々にヒット作品に出演。しかし1953年『あばれ獅子』撮影中に倒れ、同年7月脳膜出血により死去しました(享年51歳・・・来年は没後50周年です)。前述の通り、子息4人中、次男を除く高廣・正和・亮の3人が父と同じく俳優の道を進み、現在に至っています。

【邦画戦争映画における大規模動員戦闘映画】
前述の如く、それまで時代劇一筋だった阪妻が始めて現代劇に出演した記念すべき作品、それが1942年3月に公開された『将軍と参謀と兵』であります。
ところで話は外れますが、邦画戦争映画の数ある中で壮大な陸戦シーンが描かれた作品として思いつくのには何があるでしょうか・・・日清・日露戦争を扱った作品を除き太平洋戦争を舞台とした作品に限定すると、ATF的には「人間の条件(第一部二部三部四部1959・完結篇1961)」「太平洋戦争と姫ゆり部隊1963」「激動の昭和史 沖縄決戦1971」「戦争と人間(第一部1970・二部1971・完結篇1973)」「大日本帝国1982」くらいしか思い浮かびません。この中で「人間の条件」や「戦争と人間」「大日本帝国」は�狎鐺�映画�瓩箸いΔ茲蠅廊猯鮖紡膕魯疋薀洵疆�作品で、例えば洋画で言うと「史上最大の作戦1962」や「バルジ大作戦1965」「パリは燃えているか1966」「遠すぎた橋1977」旧共産圏では「ベルリン陥落1949」「ネレトバの戦い1969」「レニングラード攻防戦1974」「モスクワ大攻防戦1985」の如く大部隊同士が激突する�狢腟�模戦闘�瓩料翰討鯢舛い榛酩覆任呂△蠅泙擦鵝M0譟崑席人寮鐐茲班韻罎衂�隊1963」と「激動の昭和史 沖縄決戦1971」のニ作品が、この分類に入ると思われますが、両作品とも太平洋戦争末期の沖縄防衛戦を題材とした作品で、日本軍側からの積極的攻勢は余り描かれていません。周知の通り、大規模な海戦や航空戦を描いた作品・・・日本映画界の伝家の宝刀�牘瀉�特撮��を多用した作品は多数製作されているのですが、陸戦となると・・・と言う訳です。さて太平洋を舞台とした陸上戦闘は、その殆んどが島々を巡る防衛戦であり、師団規模の兵力が移動しながら戦うといった機動主体の戦闘ではありませんでした。中国戦線においては�狢舂β把椋鄒鎰瓩噺世辰燭茲Δ並腟�模兵力による機動作戦が幾度か展開されてはいますが、戦後製作された邦画戦争映画では、かねてより私ATFが提唱している�爛船礇鵐丱蕁Ε灰鵐丱奪鉢畄�の作品において小部隊・小規模戦闘が描かれているばかりで、師団規模兵力が激突する戦闘が描かれている作品は、ほとんど皆無の状態です。(これって、やっぱ中国の国民感情を意識している為でしょうか・・・ね?でも中国で製作された�犢各���をテーマとした作品には、雲霞の如き兵力の鬼畜日本軍が登場してるんですけど・・・)
で(前置きが長くなりました・・・爆)ここに登場するのが『将軍と参謀と兵』ご存知の通り、戦時中の1942年に陸軍の全面協力を得て製作・公開された、所謂ところの戦意高揚国策戦争映画であります。

【邦画戦争映画屈指の�狢臺餔老睫農鎰瓠�
舞台は昭和16年の北支戦線。永定河方面の国民党軍閥�狢肱�仲�畛愆�下十万余の大軍を包囲撃滅せんとする日本陸軍による大殲滅作戦を、包囲網の口を閉める重要任務を命じられた日本軍歩兵師団の師団長以下の首脳部と、指揮下の第一線兵士たちや従軍記者たちの姿を軸に、事前の偵察、作戦立案から攻撃準備、出撃、行軍、戦闘までをドキュメンタリータッチで描いた作品です。中国軍ゲリラの跳梁によって補給もままならない中国奥地に駐屯する日本軍某歩兵師団に中国軍の撤退路を遮断する命令が下されます。早速将校斥候が派遣され収集された情報を基に、参謀らによって作戦が立案され、討議の結果、師団長によって裁可された作戦案によって作戦が開始されます。まず挺身突進隊が先行、その後に師団前衛部隊、本隊(司令部)、師団戦車(軽装甲車)隊、輜重部隊が続いての進撃。しかし図らずも師団前衛部隊は、中国軍の強力な抵抗に遭遇して多くの損害を出し、また本隊(司令部)も中国軍の激しい砲火に曝され、通信機器を破壊され孤立、航空隊への支援要請も出来ない状態に陥ります。さらに後方の輜重部隊は、中国軍後衛による前進妨害を受け前進が遅れ、挺身突進隊は遮二無に前進し当初の目的地点に到達するも、強硬突進にともなう戦闘で弾薬・食料が欠乏、苦戦を強いられます。ここに至って勇敢な一人の参謀(杉少佐)が部下数名を伴い、騎馬にて中国軍の包囲を突破、我が身を犠牲にしながらも後方の戦車(軽装甲車)隊との連絡に成功。無線にて航空隊宛支援要請を実施。かくて航空隊による中国軍防御陣地への爆撃と挺身突進隊への物資投下による補給が実施され、本隊(司令部)も戦車(軽装甲車)隊の救援により、中国軍の反撃を撃退、指揮下砲兵隊の猛射が行われ、晴れて作戦は大成功と相成るのでした。
《主な配役(俳優名)は下記の通り》
●兵団司令部
兵団長中将(阪東妻三郎)
兵団長副官中佐(北龍二)
参謀長大佐(林幹)
参 謀/杉少佐(中田弘二)矢垣中佐(押本映治)
参 謀/岡村大尉(永田靖)金井中尉(水島道太郎)
本部付将校(鈴木左衛門)曹長(山口健)伝騎軍曹(松原輝夫)
本部付当番兵(滝口新太郎・高見実・山田春男・赤星瞭・土田義雄・小林桂樹)
管理部/岩井大尉(星ひかる)塚谷見習士官(伊沢一郎)
衛星部/軍医(水野浩)
電信班/秋山中尉(高村恒夫)曹長(伊達満)
衛兵隊/隊長中尉(笠井三岐雄)
観測班/曹長(海原鴻)
炊事班/当番兵(大虎福太郎・吉谷久雄)
報道班/従軍新聞記者(小宮一晃・泉静治・日岐明・井上敏正・榎本有友・高田弘)
報道班/従軍画家(吉川英蘭)
●工兵隊/隊長(佐藤円治)
●戦車隊/隊長中佐(見明凡太郎)小隊長(白川博)
●鈴木部隊(連隊)
鈴木大佐(上代勇吉)副官少佐(北川耕三)高森大尉(西春彦)鈴木部隊/小隊長(金子弘)見習士官(富士木弘・南里金春)
●有田部隊(連隊)
有田大佐(荒木重夫)部隊副官(井染四郎)副官中尉(米倉勇)通信班長大尉(佐々木正時)旗手少尉(対馬和雄)瓦斯掛将校中尉(片岡市女蔵)中隊長(菊地良一)小隊長(池上良夫)兵(中佐古初三・村岡弘・島田時男・宇禮周二郎・三重駿次・岩波直行・槇俊夫・秋見敬三・泉達男・鳴海浄)
●安藤兵団司令部
安藤兵団長(高木永二)参謀長(斎藤紫香)参謀(笠原恒彦)
●井上部隊(連隊)
井上部隊長(広瀬恒美)副官(津村謬)本部付将校(由利健次)見習士官(潮万太郎)無線担当下士官(澄川透)有線担当下士官(小林重四郎)

【殿様と御家老と足軽】
と、まあ主要登場人物だけでも30余名に及ぶ一大戦闘絵巻なのですが、細部に渡って注意して観ると・・・大体以下の七点が特筆できます。

�‥�時の陸軍部隊の作戦進行過程が時系列式のドキュメンタリータッチで描いかれています。中国華北山西省での日本陸軍の全面協力下、現地部隊に実際に従軍して撮影ロケを行い、リアルな戦場を再現、当時の情報局賞を受賞しています。原作者の�牋肪話� 進�瓩老蛙�(兼小説家)で、実際の作戦実施・部隊運用について熟知しており、軍隊で上部組織から下部組織へ�猝仁甅瓩�下達(例えば軍司令部から�燹�月○日の○時までにA地点まで進出せよ��という命令を師団司令部が受領し、師団参謀によって作戦概要が決定され、更に指揮下の各連隊→大隊→中隊→小隊→班へ命令が伝わる中で命令が細分化されて行く様子)が良く描いています。でも師団編成の中に�猜睚蔀帖疥甲牒瓩賄仂譴靴討覆�ったなぁ。まあ観客である一般国民にとっては、郷土連隊に代表される様に�猩�隊�瓩�軍隊の基準で�猯甲牒瓩覆鵑篤訐�みがなかったからでしょう。

�∈綺扮蕕犬觧嫦陳�(中将)は、作戦の実施を巡り参謀たちがああだこうだと騒いでいるのを、ただ黙って長屋の隠居宜しく�爐Δ鵑Δ鶚瓩畔垢い討い襪世韻龍砲瓩騰牴晃�な人�瓩防舛�れているのですが、太平洋戦争緒戦で、実際に名を馳せた第二十五軍(マレー方面)司令官山下奉文中将や第十四軍(比島方面)司令官本間雅晴中将、第十六軍(蘭印方面)司令官今村均中将等の華々しい指揮振りを見聞きしていた一般観客には、この師団長像はどう映ったのでしょうか・・・やっぱ部下想いの�猯匹せ愆�官�瓩覆鵑任垢�ねぇ。でも一部の高級指揮官を除き、特に大きな戦闘のなかった当時の大陸方面駐留部隊の高級指揮官たちは、大体そうゆう風だったのかもしれませんね。

��戦争後期に製作される�狎鎔婢睛塙餾�映画�瓩箸楼曚覆蝓△泙誓鏘匹僕祥気�ある頃・・・英米を相手にする前・・・で、大陸戦線を舞台として製作された作品の為、ひたすら敵の残虐性を強調するとか、味方兵士の勇猛果敢な行為を強調・礼賛するとか一億玉砕を煽るとか言った演出法はなく、後方の補給路が抗日ゲリラの襲撃に脅かされ物資が不足している様(師団長の食事ですら潤沢でなかったり、兵士たちの間で煙草が不足し代用品で我慢していたり、食事が乾パンだけだったり)とか、山間部の険しい道を、部隊がひたすら苦労しながら前進していく様子とかを、彼方から淡々と眺めている様な映像で戦場のリアル観を描き出し�狒粟�の兵隊さんたちはこんなに苦労しているのですよ��的に描いている点が注目されます。まあ映画の演出的には、スケールが大きいだけで基目が荒く�狄祐屐疂嫉慮朕邑朕有瓩�描かれていないように見えますが、実際戦場なんてこんなもので、何処彼処でひっきりなしに戦闘が行われている訳ではないですから、反ってリアル観が増幅されていると思うんですけど・・・これも当時の一般観客にはどう映ってたんでしょうか?

�づ�時の日本陸軍の補給機構(機械化されておらず人力・馬匹中心/後方補給線の安全確保の不備)や通信機器の不備(師団司令部でさえ大型の無線機が一基しかなく、それが砲撃で破壊されると呆気なく通信手段が無くなる)の実情が、何気に克明に描かれており日本軍内部のロジスティックやコミュニケーションの軽視が伝わって来ます。まあ当時の監督始めスタッフには、そんな事を強調する意図はなかったでしょうけど・・・。

�ノ�石に陸軍=関東軍全面協力だけあって、銃砲撃・爆発シーンは半端じゃなく大迫力です。あの爆発はどう観ても�猖槓���・・・あれじゃ�牴�我人�甓室蠅垢蠅祗犹狄有瓩�出てるかも・・・おいおいマジかよ!

��支援要請の為、杉参謀少佐以下数名が騎馬で中国軍の包囲を突破するシーンや、最後に戦車(軽装甲車)隊が救援に駆けつけるシーンは、どう観ても�狎症�劇��・・・特に戦車(軽装甲車)隊の救援に駆けつけるタイミングときたら、先住民に襲撃された開拓民の幌馬車隊の救援に駆けつける騎兵隊の如きタイミングの良さです。当時の一般観客も、この場面で拍手喝采していたのでしょうか・・・。でも実際の兵士の軍装や武器、九四式軽装甲車等の実車がたっぷり堪能できるので日本軍軍装マニアや武器・AFVマニアにとっては堪らない作品ではあります。

�Щ�代劇の大御所である阪妻主演で、かつ当時の有名どころの俳優総出演だからではないでしょうが全体の作りがどこか�犹�代劇�疆�です。司令部でのシーンや乗馬姿の阪妻はモロ�爐�殿様�瓩如�合戦かはたまた鷹狩りにでも出かけるような雰囲気。で参謀たちが�犖羃範鍬瓩別�で、一般兵士は�狢�軽�瓩辰謄肇海任垢�・・・。師団長の進出と共に、前線に指揮所が設営されますが、これがまたお殿様の御休息所の陣幕でも張るような雰囲気。また師団長の健康を気遣い、夕食用に卵を手に入れてきた従兵に対し、師団長が�猩�いの言葉�瓩鬚�けるシーンがあるのですが、従兵はその言葉を聞いて�爐海凌佑琉戮覆藥爐佑�・・・�疆�感動を味わっております。まあ前線における指揮官たちや一般兵士たち、さらには従軍記者たちの姿を多面的に描こうという演出の結果なのでしょう。反面、敵である中国兵は、遥か遠方でちょこまか動き回ってドンパチ撃ってくるだけで�狆�憎らしき敵�瓩辰憧兇�・・・そう言えば中国の一般大衆は殆んど描かれてません。まあそんな事は一般観客にはどうでもいい事であって、要は�爐舛腓鵑泙沖瓩犬磴覆ず綺�が観れた・・・って事なんじゃないでしょうか!

【戦意高揚国策戦争映画の限界】
この『将軍と参謀と兵』の同時期(実際には�爐修谿柄悪瓩�ほとんどですが)に製作された�狎鎔婢睛塙餾�戦争映画�瓩砲蓮△修梁召�「北支の空を衝く1937」「進軍の歌1937」「東洋平和の道1938」「五人の斥候兵1938」「チョコレートと兵隊1938」「爆音1939」「上海陸戦隊1939」「土と兵隊1939」「燃ゆる大空1940」「西住戦車長伝1940」などがあります。ところで、これらの作品よりも以前に製作された�猖�州事変�瓩筬狆絣せ�変�瓩鯢饌罎箸靴榛酩覆砲蓮⇒�名な「肉弾三勇士」を描いた作品や捕虜になった事を恥じて自決した「空閑(くが)少佐」を描いた�爐�わもの的英雄賛美傾向��の強い作品が多く作られていました。しかし�犹抛畛�変�瓩�本格化してくると、前述のような多岐に渡る作品群が作られるのですがどの作品にも共通して�猗�紘一宇�瓩筬狢臈谿ゞΡ畢瓩了彖曚硫次△△�までも悪者は中国の軍や軍閥であって中国民衆は敵ではなく、日本への反攻しても無意味だよ・・・と言った日本的独善意識が垣間見られるらしいです。まあ当時の情勢から仕方無い事なんでしょう・・・。私ATFは、この『将軍と参謀と兵』以外には『進軍の歌』『五人の斥候兵』『土と兵隊』を観ましたが、一貫して軍オタ的見地による視聴に徹した(自爆)為、登場する軍装や兵器に気を取られてしまい、そんな思想的な事や歴史的背景など全く気に止めもしなかった事は�狎鐐莟撚茱侫.鶚瓩鮗�称する者として、甚だお恥ずかしい限りでありました・・・深く反省。

以上、いつにも増して乱筆乱文無意味無教養な『将軍と参謀と兵』総論となってしまいました・・・お許しを・・・さて次回はお待ちかね(待ってないって・・・)『大脱走』(後篇)の予定・・・です。それでは【続く】

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