ATFの戦争映画観戦記



【File055】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・THE LAST KAMIKAZE・・・特攻編

2002年08月31日(土)

もう9月ですね。夏休みも終わり・・・でも今日も暑い!皆さん、ひと夏の想い出は作れましたか・・・?私ATFは・・・泣。さて、もうすぐ9月11日です。ご存知の通り一昨年、全世界を震撼させた米国同時多発テロが起こった日。皆さんの脳裏にもWTCビルやペンタゴンに突っ込むジェット旅客機、崩落するWTCビル、燃え上がるペンタゴンの映像が未だ鮮明なのではないでしょうか・・・その後に起こった米軍によるアフガン侵攻とタリバン&アルカイダの壊滅・・・「ATFの戦争映画観戦記」がサイトオープンしたのも、そんな米軍侵攻の真最中でした。そんな訳でアフガン侵攻には事の外思い出があるのですが、テロが発生した時、アメリカの新聞紙上で目立って使用された単語が「KAMIKAZE」=「神風」です。アメリカ在住の日本人の方が、太平洋戦争中の日本軍による「神風」特別攻撃隊・・・�犒鎧�行為�瓩蛤2鵑離献Д奪販控匍,砲茲觴�爆行為・・・�爛謄蹲瓩箸亘楴租�に違うのだ・・・と仰っていたのを何処かで読みました。しかし欧米人、主に�犲�らの生命を絶つ・・・自殺�瓩魏�めているキリスト教徒にとっては、主義・主張・信仰の為に自らの意思で生命を犠牲として、国家や民族、組織に奉仕する行為として見れば「神風」も今回の「テロ」も同列にしか見えないのでしょうか・・・。何よりもイスラム過激派からすれば、この�爛謄躪坩扠瓩皀▲瓮螢�に対する�狎擦覆訐鐐�・・・ジハード�瓩箸いΠ銘嵒佞韻乏阿覆蕕覆ぬ�ですから・・・。そして何よりも�狄隻�・・・KAMIKAZE�瓩箸いΩ斥媼�体が持つ意味の�狃鼎記瓩任后�そう言う訳で、今回の戦争映画観戦記は終戦記念日特集「総論的邦画戦争映画論・・・第三章/神風特別攻撃隊特集」をお贈りします。それでは開演です(ブザー)いつもの様に携帯電話の電源はお切り下さい。

【�狄隻�特攻�瓩粒砧�】
�狄隻��畧ご岼貳姪�には�爛�ミカゼ�瓩箸いΩ討喨�をされていますが、正式には�爛轡鵐廛Ν瓩噺討咾泙后�「神風特攻第一金剛隊=シンプウトッコウダイイチコンゴウタイ」って呼び方です。「カミカゼ」って呼称は、戦時中に新聞等当時のマスコミが報道する際に用いた�狠姥讚瓩��猜瞳海�使用した単語�瓩�戦後定着したものではないか、と思います(ATF私見)しかも、この�狄隻��瓩慮鴇里脇�本海軍における航空機による特別攻撃作戦を示し、基本的には海軍による他の水上・水中特別攻撃作戦や陸軍による航空特別攻撃作戦を示す呼称としては用いられていません。陸軍の場合は「陸軍特攻万朶隊=リクグントッコウバンダタイ」という呼び方です。しかしその作戦・・・爆装した航空機(他に特殊潜航艇やモーターボート等)を操縦して敵艦船に自爆攻撃をかける・・・が人類史上あまりに特異な行為だった為「カミカゼ」は世界中に知れ渡ります。「神風」という言葉自体は、鎌倉時代の「元寇の役」の折、来襲した元の大軍が暴風雨に遭って壊滅した故事から生まれた「日本国の危機の時には、必ず�狄隻��瓩�吹いて国を救う」という戦時中のプロパガンダによって生まれた言葉ですけどね・・・。戦闘により機体に被弾し、帰還が困難となった場合、敵艦等に体当たりする行為自体は、以前から存在していましたが、正式な作戦行動として行われるようになるのは戦史に名高い?「栗田艦隊謎の反転」が行われた翌日。昭和19年10月25日比島方面第一航空艦隊(大西瀧治郎中将指揮)隷下の第一神風特別攻撃隊【総指揮官関行男大尉(海兵70期)「朝日隊」「山桜隊」「菊水隊」「大和隊」「敷島隊」「彗星隊」「若桜隊」】(それ以前にも第二十六航空戦隊有馬正文少将搭乗機の体当たり攻撃や、第一神風特攻大和隊久納中尉・・・戦果未確認・・・等があった)によって行われた作戦が最初で、非常に大きな戦火を挙げたのは、みなさんご存知の通り・・・連合艦隊主力が、空母3戦艦3巡洋艦12駆逐艦11という大きな損害を被りながらも、大した戦果が挙げられなかったのに・・・。主力水上兵力が壊滅した日本軍にとって、特攻は以後日常的な攻撃方法(比島方面→S20/2→沖縄方面)へと変化(航空攻撃以外にも水上・水中特攻兵器の開発・部隊編成が行われます)して行き、終戦の日まで継続(海軍・陸軍合わせて総数約4000名もの尊い人命が投入)されるのですが、米軍側の対空・対潜防備の強化に伴い、その戦果は大きく減少して行きます。

【�狄隻�特攻�甕撚荳酩覆侶鷲茵�
以前にも書きましたが、戦争映画の分類の中で主に邦画でしか製作されていない(作られたとしても僅か)のが、明治期の戦争(主に幕末・日清・日露戦争)と太平洋戦争における特攻・原爆・終戦・シベリア抑留などをテーマとした作品です。中でも作戦発案者大西瀧治郎中将をして�狹�率の外道�瓩噺世錣靴瓩拭∪鏤望緡爐鮓�ない自殺戦闘行為�狷湛境瓩鯢舛い榛酩覆亘�画でしか観られません。ハリウッド作品の「全艦発進せよ」等の様に神風特攻(日本軍機の体当たり攻撃)シーンを挿入した作品は幾つか観られますが、作戦に参加する特攻隊員の姿を描いた作品は、やはり邦画だけの様です・・・それでは邦画作品において特攻はどの様に描かれて来たのでしょうか?戦後最初に特攻を描いた作品は、戦後8年目の1953年6月に公開された「雲ながるる果てに」だと思われます。以後、戦後日本の歩みとともに数多くの�狷湛怯撚荳酩�(または特攻シーンを挿入した作品)�瓩�製作されましら。それらは主に�犢匐�機による特攻�瓩鯢舛い榛酩覆任垢�、他に�狄祐峙�雷回天特別攻撃隊�瓩鯢舛い榛酩覆筬狎鏨和舅造砲茲覯�縄水上特攻�瓩鯢舛い榛酩覆眄什遒気譴討い泙后�それでは時代を追って各作品を上げて見ましょう。

【特攻映画航空攻撃編(タイトル・公開年・主演俳優・陸海区分)】

《戦時下特攻映画作品》
「最後の帰郷」1945宇佐美淳(陸軍)
以前この【File55】を最初に書いた時は「流石に戦時中に製作された国策戦争映画では、特攻隊を描いたものは無い様だ・・・」などと知ったかぶりで大見得切って書き込んでいた。「雷撃隊出動」や「愛機、南に飛ぶ」「乙女のゐる基地」等の作品において、特攻や自爆を連想させる様なシーンはあっても、ずばり特攻隊や特攻隊員の実像を描いては、防諜上よろしくないのでは・・・などと勝手に解釈していたのだ。ところが2004年4月、偶然にも戦時下において、ずばり特攻隊を描いた作品を発見する事になる。その作品とは『最後の帰郷』・・・なんと公開時期は、終戦まで残すところ3週間という1945年7月26日。この作品は、出撃が決まった陸軍の特攻隊員たちが、出撃を前に許可されて、それぞれの実家で過ごす最後の帰郷の様子を描いた作品で、脚本は、あの文豪菊池寛である。戦時下である為に、脚本には多少の戦意高揚意図が感じられるのは仕方ないが、将に特攻と同時代に作られた作品として特攻映画を語る上で非常に貴重な作品である・・・さらに実機の三式戦�猗�燕�瓩�タップリ登場しているのも航空機マニアには垂涎物の作品でもあります。

《第一期特攻映画作品》
「雲ながるる果てに」1953鶴田浩二(海軍)
「神風特攻隊」1954波島進(海軍)
「泣け!日本国民 最後の戦斗機」1956葉山良二(海軍)
「雲の墓標より�犇�ゆかば�瓠�1957田村高廣(海軍)
「あゝ特別攻撃隊」1960本郷功次郎(海軍)
「予科練物語/紺碧の空遠く」1960山本豊三(海軍)
「出撃」1964伊藤孝雄(陸軍)
以前にも書きましたが、戦後20年の間、日本映画界の俳優・製作スタッフの中にも多くの軍隊・実戦経験者がいて、実際に体験・見聞した特攻隊員の姿の記憶から「特攻隊員たちが、どう言う状況下で、何を考えて、最後の日々を如何に生き抜き、出撃して行ったか」と言ったテーマを描いて�狷湛境瓩凌深造鯏舛┐茲Δ箸靴�・・・に主眼を置いた作品が多いのが特徴。沖縄方面の特攻作戦を中心に、主に予備士官や予科練出身搭乗員たちの青春群像が描かれています。出撃前夜、芸者を挙げて馬鹿騒ぎする隊員、好きな詩集を読み直す隊員、恋人(妻や子、親)を想い一夜を過ごす隊員・・・百人百様な最後の夜。そして出撃・・・最後の杯を交わし、搭乗・・・整備員や女子勤労奉仕隊員、やっとの事で面会に訪れた家族等残された人々の涙・・・帽振れ〜の掛け声に見送られ出撃していく特攻機・・・「敵発見」の通信・・・「我突入ス・・・ツーーーーーーーーーーーーーーッ」無電の発信が途切れた時、それが特攻機の最後。しかしコレは良い方。不良な部品、未熟な整備によるエンジン不調・・・ともに最後を誓った仲間から離れ基地に引き返す・・・しかし、たどり着けず墜落・・・将に犬死に。天候不良や敵を発見できず、一日また一日と出撃が伸びていく。「散る桜、残る桜も散る桜」苛立ち、些細な理由で起きる隊員どうしの喧嘩・・・そして、遂に訪れる出撃。しかし次の日には、また新しい特攻隊員たちが基地に着任してくる・・・繰り返される悲劇。

《第二期特攻映画作品》
「あゝ零戦」1965本郷功次郎(海軍)
「ゼロファイター大空戦」1966加山雄三(海軍)
「あゝ同期の桜」1967鶴田浩二(海軍)
「あゝ予科練」1968鶴田浩二(海軍)
「あゝ海軍」1969中村吉右衛門(海軍)
「花の特攻隊あゝ戦友よ」1970杉良太郎(海軍)
「最後の特攻隊」1970鶴田浩二(海軍)
「あゝ決戦航空隊」1974鶴田浩二(海軍)
日本映画の�狹漸箸諒�刀�疇短5蚕僂魘郢箸掘∪鐐茲梁腓�な流れを描いた戦争大作が数多く製作されて行く中で、当時の人気俳優総出演により�狎鐐茲涼罎砲�ける特攻�瓩房膣磴鮹屬い読舛�れた作品群です。「ゼロファイター大空戦」は前述の「チャンバラ・コンバット航空編」とも言える作品ながら、生還期し難い敵レーダー基地破壊作戦に赴くベテラン搭乗員たちの姿に、初期(比島方面作戦)のベテラン搭乗員が多数含まれた特攻隊員たちの姿が垣間見れます。「花の特攻隊あゝ戦友よ」はロケット特攻爆弾「桜花」部隊である神雷特別攻撃隊が描かれ、一式陸攻役の海上自衛隊P2J対潜哨戒機に吊下された�犧�花�瓩離譽廛螢�が登場。「あゝ決戦航空隊」は故鶴田浩二氏演じる大西瀧治郎中将を中心に、比島方面での特攻の開始から、終戦・自決までを描いた一大�狷湛境畚�事詩的作品。特攻作戦の流れを把握できる作品です。

《第三期特攻映画作品》
「英霊たちの応援歌 最後の早慶戦」1979永島敏行(海軍)
この「英霊たちの応援歌」は、70年代の第二期から90年代の第四期に移行する間の過渡期的(実験的)作品です。人気若手俳優の総出演により、学徒出陣から特攻、終戦までを描き�猗畄爐了�代を精一杯に生き抜いた青春群像�疆�作品とも言えます。この作品の公開後、80年代前半までには「二百三高地1980」「連合艦隊1981」「ひめゆりの塔1982」「大日本帝国1982」「戦場のメリークリスマス1983」「日本海大海戦 海ゆかば1983」「零戦燃ゆ1984」「ビルマの竪琴1985」等邦画戦争映画の中でも大作と言える作品が多く製作されますが、一部作品を除き、反戦・平和のテーマの描き方が中途半端で、大作の割りには興行が振るわなかった作品が多く、80年代後半に至っては、更に目立って邦画戦争映画作品が少なくなって行きます。

《第四期特攻映画作品》
「北緯15°のデュオ」1991川谷拓三(海軍)
「月光の夏」1993渡辺美佐子(陸軍)
「WINDS OF GOD」1995今井雅之(海軍)
「君を忘れない」1995木村拓哉(海軍)
「人間の翼 最後のキャッチボール」1996東根作寿英(海軍)
90年代に入り、再び�狷湛境瓩鬟董璽泙箸靴榛酩覆�製作されるのですが、どの作品も、過去に製作された�狷湛怯撚茘瓩箸廊犲颪��瓩鯊腓�く異なる作品である事が特筆されます。そのテーマとは「現在を生きる我々日本人にとって�狎鐐茲箸廊甅狷湛兇箸廊甓燭世辰燭里�・・・」戦後40年以上を経過し、戦争の記憶も薄れ行く中、今を生きる俳優、製作スタッフが�狷湛境瓩箸いβ蟶爐膨�んだ作品群です。
�ー堆辰魎陲砲靴董⊃深造鯆謬罎垢觝酩福�
「北緯15°のデュオ」は、比島方面における初の神風特別攻撃隊の足跡を辿るドキュメントタッチの作品。「月光の夏」は佐賀県鳥栖市の小学校に残る古いピアノを通じて�狷湛境瓩鯢舛い榛酩福�「人間の翼」は、戦中のプロ野球(名古屋軍)チームで活躍した実在の投手の半生を描いた作品。
��舞台劇として20〜30代に大きな支持を得た作品の映画化
「WINDS OF GOD」は俳優今井雅之氏の原作・主演による舞台劇・・・現代に生きる売れない漫才師コンビの精神をタイムスリップ?させ、当時の�狷湛饗皸��瓩燭舛了彖曄�考えを理解しようとした実験的作品。
��人気アイドルを主役として10〜20代の観客動員に成功した作品
「君を忘れない」人気アイドル・若手俳優出演(木村拓哉、唐沢寿明、袴田吉彦、反町隆史等)主演により、戦争末期の特攻隊員の青春群像を新たな解釈で描いた作品。

《第五期特攻映画作品》
「ホタル」2001高倉健(陸軍)
戦後50年近くが経過し、戦争の記憶も益々薄れ行く中で、戦後も戦争の記憶を背負って生きて来た人生を描き�狎鐐茲竜�憶の風化�瓩鯡笋Δ榛酩福�「鉄道員」で日本中に感動を与えた高倉健が、朴訥な元特攻隊員の老漁師を、同じく特攻の記憶を引きづる病弱な妻を田中裕子が演じた。「鉄道員」と比較すれば、興行的に成功したとは言い難いが、同時期に公開された洋画・邦画ロードショー作品の中では手堅い実績を挙げた作品だと思えます。

【�狄隻�特攻�甕撚荳酩�・・・総括】
以上、時代の流れとともに、その時代に製作された�狷湛怯撚茘瓩鮠紊欧童�ました。�狷湛境瓩箸い�行為が�狎鐐茘瓩箸いβ腓�な悲劇の中で、どんな意味があったのか・・・それを一概に�爛灰譽灰讚瓩世辰�・・・と言うことは非常に難しい事です。私ATF自身、叔父の一人に元特攻隊員がいますが、当時の話を聞いても、その場の状況や雰囲気が、とても�狷湛境瓩箸い�行為に反対できるような場合ではなかったし、志願制であったにも関わらず、戦友たちの手前志願しない訳には行かない・・・戦友が志願するのに、ひとりだけ生き残るなんて自分自身が赦せない・・・など、将に当時の状況に置かれなければ分からない・・・いや現代社会の主義・思想にどっぷり浸かった私達には、戦前・中の主義・思想の中で教育された若者たちが置かれた立場は中々理解出来ない事ではないかと思えます。これは太平洋戦争や日清・日露戦争だけでなく、幕末や戦国時代に生きた人々にしても同じ事が言えるのではないでしょうか・・・。何度も言いますが、特攻隊員たちの心情を理解するのは難しい事です。国を憂い、家族を想い、敵を憎みながら突入していった若者たち。反面、特攻隊員の中には国家や軍隊を呪い「海軍のバカヤロー」という最後の無電を打って来た隊員もいたそうです。確かに正確な情報もなく、過去の過ちも改善せず、悪戯に損害だけ増すような無謀な作戦を立案・実施し続ける軍上層部・・・先日○HKのドキュメンタリーで放送された「台湾沖航空戦の実像」など、特攻隊で無いにも関わらず、ほぼ全滅に近い航空部隊が続出・・・どうせ死ぬなら、少しでも可能性がある特攻を・・・の誰もがそんな幻想に支配されていった悲劇の時代だったのです。「特攻隊員たちの考えや行為は到底理解は出来ないかも知れない・・・しかし特攻隊員たちの事を忘れてはいけない。」その為にも�狷湛怯撚茘瓩鮓譴蠏僂�・・・製作し続けなければならないのかもしれません・・・君を忘れない・・・。

・・・以下参考資料・・・
【特攻映画水上・水中攻撃編(タイトル・公開年・主演俳優・陸海区分)】
「戦艦大和」1953高田稔(海軍)
「人間魚雷回天」1955岡田英二(海軍)
「人間魚雷出撃す」1956石原裕次郎(海軍)
「人間魚雷あゝ回天特別攻撃隊」1968鶴田浩二(海軍)
「肉弾」1968寺田農(陸軍)
「終戦45周年記念スペシャル「戦艦大和」1990」

【その他特攻シーンの挿入された作品・元特攻隊員が主役の作品】
「太平洋の翼」1963
「日本のいちばん長い日」1967
「激動の昭和史 沖縄決戦」1971
「連合艦隊」1981
「大日本帝国」1982
「零戦燃ゆ」1984
「犬死にせしもの」1986
「きけ、わだつみの声」1995

【ATFお薦めのビデオ】
「ドキュメント特攻」文藝春秋ノンフィクションビデオ 各税抜3400円
 ・前篇1944/10〜1945/1比島方面特攻作戦
 ・後篇1945/1〜1945/5 沖縄方面特攻作戦
太平洋戦争末期、追い詰められた日本軍が取った世界史上例を見ない、航空機による体当たり作戦をアメリカ側と日本側の記録映像によって集大成した決定版「特攻映像集」戦争を扱った映画やドキュメンタリー番組内で良く見られる特攻機の出撃・攻撃シーン、攻撃され大爆発を起こしながらも沈没を回避する米空母のタフさ、米海軍の被害対応マニュアルと射撃管制レーダーやVT信管など対空火器の構造説明フィルム等貴重な映像満載。被弾炎上しながらも必死に突入してくる特攻機の姿の向こうに、特攻隊員たちの姿がオーバーラップして見えてきます・・・。
書店・CD店・ネット通販等で購入できます。�狷湛怯撚茘瓩魎僂訌阿法∪�非観て欲しい作品です。

戦後60年近く経て、当時10〜20代だった兵士たちも既に70〜80代。多くの方々が鬼籍に入られています。仕事の関係で、某軍事書籍専門出版社の方とお話した事がありますが、流石に最近は戦争中の体験談を本として書き残せる方が少なくなったと嘆いていました。もう10数年もしたら�狢席人寮鐐茲納太錣魴亳海靴榛埜紊琉貎有瓩覆鵑道�になるかも・・・時代の流れとともに真実が歪曲されて伝えられる事は多々あることですが、例え真実通りではなくても、伝えなければ成らない事の本質を次世代に伝えていく事は、今を生きる我々に課せられた使命なのでしょうか・・・。何時になく�爐�笑いネタ�瓩両�ない書き込みになってしまいましたが、たまにはこれくらいは書かんとねぇ・・・!いつもの如く、この書き込みには資料的価値はありません・・・。次回は今回のネタ探し中に見つけた「語り継がれる特攻伝説」について書き込んで見たいと思います。【続く】

【2004.07.11一部内容修正】《戦時下特攻映画作品》の項を加筆

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