北東崎鳳凰−記録帳
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2003年01月16日(木) 力の任意操作・・・温故知新

感覚を楽しむ・・・
無になる・・・死後のことを考える・・・
関連事項に一休の事を思い出す・・・。

何かなりたい感覚・・・
誰でもあっさり思いつくような在り来たりはつまらん。
けど、死後の事も割かし平凡な範疇に入りますな。

別にこの世に在り来たりな快感の類など、底がたかが知れているし
「なりたい感覚」は、特に何も望まないような感覚になってしまいます。
しかしそれとて平凡なものの一種に過ぎず・・・。

駅の雑踏の中にいる感覚は、比較的再現し易いです。
聴覚・・・視覚・・・臭覚・・・
味までは伴わないけど、味もそういう感覚を再現できるかな。
あとは皮膚感覚など。
人間の五感、寝ていながらでも再現は出来る・・・。

シュルツ法だったかな、精神医学に出てくる
修養法の一種。
それの簡単な一般化、自己感覚操作。
これだったかな、シュルツの自律訓練法
私はそれなりに出来た気がするけど、まだいまいち良く分からんですな・・・。


悟り云々とは一応関連は有る物の、本質的には
人間周囲にまとわりつくよしなしごとの一つに過ぎないかな。
それに関連したものもちと検索してみますかね・・・。

確か、「一休 一里塚」辺りから面白いものが出てきたような・・・。
一休のエピソード

森毅が何か語っとる

有漏地(うろじ)より無漏地(むろじ)へ帰る一休み

うーん、私の記憶とは些か違うね。
有路地より 無路地への 旅の 一休み


ほっほっほっ、うまいね・・・
「悟りへの欲求」そのものが最大の弊害とはね。
温故知新そのもの(笑
このページがどこだか失念。まぁええか(爆


京田辺辺りは、・・・ちとど忘れ。筑波と並んで研究都市の一群を構成していたような。
けいはんな云々
これかいのう。
京阪奈・・・関西学研都市


自分自身くらい、自分自身で思うようにしていたいものですな。
フフフ・・・



偶然見つけた代物
これ
これ
何このみさき、面白いけど(笑


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