文部大臣に「自殺します。自殺されたくなかったらいじめをなくせ」という脅迫状を送るのは、正しいやり方なのか?
私には「被害者最強論」という考えがあります。 被害者は害を被った弱者のはずなのに、強者なのです。それも最強です。 だって、被害者には逆らえないでしょう?被害者なんだから。 誰も逆らえない人と言うのは、弱者ではなく、強者でしょ? 強者はその力を思う存分振るっては行けないのです。 強者だから。 思う存分振るったら、今度は被害者と言うパワーを持った加害者になり得ます。 …、まぁ、そんな論法で「被害者最強論」なのです。 以前、イラクで拉致された日本人三人組がいらっしゃいました。 そのご家族は被害者です。 でも、あの人達は自分達が被害者=『強者』に成ったことに気付かず、弱者の力を力の限り振り回した。 あの時、少なくとも私は、被害者であるあのご家族と、拉致られたあの三人に対して、反感を持ちました。 被害者だけど、でも自分達の信念の上で『戦場』に行った人間を、被害者だなんて言うな!とか、正直思ったし、身内にはそう言ったこともあります。 『力』というものは、使うのが難しいと思います。 何も考えないで振り回せば、力を持たない人達は自分達の身を守るために、当然その力を取り上げようとしたくなります。 被害者だったあのご家族が、力を振り回しはじめたとたん、テレビでもご家族バッシングが始まりました。 「自己判断」 という言葉を使って。
そんなわけで。 いじめられっこの諸君。 君たちは被害者だ。 でも忘れちゃいけない。 君たちは同時に『被害者と言う力を持った強者』になった。 いじめられたから、命を楯に人を脅迫することを許されると思うな。 まずは深呼吸を。 そして、振り回すのでなく、よく考えてその力を使うんだよ。 何も考えずにその力を振り回したら。 君たち以外の、まだ耐えているいじめられっこの諸君の言葉が、君たちに対する反感によってもみ消されてしまうかもしれないのだから。 たえる必要はないと思う。でも、どうか落ち着いてもらえないものか。 私も死を考えたことのある身です。 でも今は生きているし、少ないながらも生き甲斐も持つことができています。 時は流れるし、環境も変わります。 どうか、早まったりしないで。 私もいじめられたことのある身です。 冷静に考えれば、いじめじゃなくて極度のお節介プラス粗暴だっただけだったような気もし出したりします。 環境も変われば、考え方も変わります。 そして、私はいじめっ子だったこともあります。 いじめられない為に身に付けた『気の強さ』の仮面が、その気がなくても相手を傷つけてしまっていたことがあります。 グループでほかのグループをあざ笑ったりして、死にたいと思わせたこともあります。でも、私たちはゲーム感覚で、傷付いているなんて思いもしていなかったりしました。 私が子供の頃、今から25年近く前のいじめは、陰口だったり靴を手洗い場で水につけちゃうようなレベルのもので、今のものとは全く違うかもしれません。 考え方が変わると、見えてくるものも変わってきます。 どうしても立ち向かえない、たえられないなら、立ち向かわなくても良いし、たえなくても良いと思います。 諸君の人生は、諸君のもので、ほかの誰のものでもない。 人が生きる意味は、いかに自分のやりたいことを一つでも多くやるか、だと思います。 学校だけが、世界の全てではありません。 友達などいなくても、なんでもできます。 私が保証します。(笑)一人でできることは、結構たくさんあります。 一人でいるのはすばらしいのです。一人を恐れることはありません。 そして、きっと一人を恐れることがなくなったら気付くと思います。 あぁ、一人じゃないなぁ、って。 それは、親だったり、一人でいる間できる新しい仲間だったりします。
でも、死んでしまったらそれまでです。 どうか。 簡単に命を捨てたりしないで下さい。 人は醜いし、非道だし、世間は冷たいし、良いところは見えにくいけれど。 でも絶対それだけじゃないんだ。 それだけじゃないんだよ。
文部大臣に「自殺します。自殺されたくなかったらいじめをなくせ」という脅迫状を送るのは、正しいやり方なのか?
私は間違っていると断言する。 命を楯に、脅迫するのは間違っていると、断言できるよ。
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