せきねしんいちの観劇&稽古日記
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テレビ朝日で「男装の麗人」がドラマ化されていたのを見る。 原作は村松友視。川島芳子の半生を彼女が語るままに描いた「男装の麗人」は、彼のおじいさん、村松梢風の手によるものだ。 祖父の川島芳子との関係をさぐる手つきの村松友視の「男装の麗人」より、村松梢風が描いた、どこまでほんとかわからない「男装の麗人」の方が、お話しとしてはおもしろい。 川島芳子の生いたち、そして、女スパイとしての活躍が、まさに「おもしろく」描かれている。 おもしろいといえば、最初に登場する川島芳子は、「痔」で苦しんでいたりもする。 ドラマは、彼女の一生をきっちり描いていた。 一生を描くとまあ、こうなるんだよねという構成。 清国の第十四王女として生まれながら、日本人の大陸浪人の養女になり、清国の復辟を願いながら、女スパイとして活躍し、ラストエンペラー溥儀の妻の天津からの脱出に関わり、第一次上海事変を陸軍少佐田中隆吉とともに引き起こす。 村松梢風の「男装の麗人」が描かれるのは、このタイミングだ。 1932年、村松梢風は、川島芳子と2ヶ月間ともに暮らし、彼女が語る「半生」を小説にした。 だから、梢風の「男装の麗人」には、その後の人生は描かれない。 男装の麗人として脚光を浴びるが、それが軍部の邪魔になり、命を狙われ、また、伊藤ハンニとつきあい、天津に食堂を開き、終戦とともに、逮捕されて、処刑されるまでの後半生は。 若き日の川島芳子を演じたのは黒木メイサ、そして、終戦後から処刑されるまでの晩年を演じたのは真矢みき。 真矢みきの男装ぶりは、さすがに板についていて、すばらしかった。 「わたしはいったい何者なのだ」という問を終生かかえていた芳子が、処刑の寸前に「わたしはわたしだ」とつぶやき終わるというのは、それなりな終わり方だとは思うが、今ひとつぴんとこない。 僕は、川島芳子は「自分は何者なのだ」という問いはしなかったんじゃないかと思う。自分は男でもあり、女でもあり、中国人でもあり、日本人でもある。そんな自分を、一人分の人生の何人前も行ききった人じゃないかと。死の直前に思うのは、「私は私」という確信ではなく、反対に「私は何者なのだ?」という問いかけじゃなかったろうかと思う。 「ジェラシー」の中の彼女の生き方、その全部を見せてもらい、あらためて、僕は僕の目と手で描き直してみようと思った。
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