せきねしんいちの観劇&稽古日記
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家に帰ってテレビを点けたら、永六輔が出ていた。 カメラよりもずっと下の方を見ながら話している。どうやら子ども達にお話しているようなかんじ。カメラを全く見ないで、あきらかに「小さな」子供に対して。時々、実際には聞こえない子ども達からのヤジやらつっこみを聞いては、それに対して答えながら、話し続けてる。 番組は教育テレビの「視点・論点」というもの。その時々のいろんな人が思うことをわりと自由に語る十分間(五分だっけ?)。 話の中身は、近々74歳になろうという彼が、子ども達に宇宙の誕生から、彼らの命にたどりつくまでの36億年の物語をするというもの。 「子供たちには、必ず彼らを生んでくれたお母さんがいて、「少し手伝った」お父さんがいる。そのまたお父さんとお母さん・・・というふうにずっとたどっていくと、恐竜の時代になって、生命の誕生、地球の誕生、宇宙の誕生にまでさかのぼっていってしまう。」 「人にはすべて、宇宙の歴史36億年が積み重なっている。その人の命を、殺したり、放り投げたりしてはいけないんです。」という話だった。 話の中身もおもしろかったが、それよりも、僕は、彼がこの話を子供たちにするときのように話しているという、その語り口というか、話しっぷりのみごとさに圧倒された。それだけで、芸といっていいくらい。 実際にいない子ども達がほんとうにカメラの枠の下にいるような、いや、だから、こちらからは見えない子供たちに向かっていつまでも語りつづけるかんじは、やや尋常ではなくて、「やだ永さん、ぼけちゃったの?」と一瞬心配になるくらいだった。そのくらいの「すごみ」さえ感じられるものだった。 「僕は73歳ですけど、36億73歳だと思ってます。生まれたときから、人は36億年の歳月を背負っています。だから、同じ時代に生きる子供も年寄りも、みんな同年代なんです」という彼の話は、なんだかとっても心にひびいた。 僕も年の話がでるたびに「切り上げればみんな100歳」なんて言ってるけど、36億歳をのっけるというのは、やっぱりとんでもないスケールだ。 その中で、彼が「これはいつも話す話ですが、省いたところがあります」といった部分についての話がおもしろかった。 子供たちにこの話をするときには、「恐竜が来るぞ!」「ほら、足元にゴキブリがいる。やつらは恐竜の時代からずっと生きてるんだ」と話す。すると子供たちは、大声でいつまでも盛り上がる。「騒いで疲れないと子供たちは話なんて聞かないから、まず疲れさせないといけない。今日、(テレビの前の)みなさんにその話をしないのは、みなさんは、すでにかなり疲れてるからです」。なるほどね。 「子ども達は疲れないと話を聞かないんだろうか?」と明日の富士見丘小の授業のことを考えた。どうだろう? 永さんの話は、経験から出た言葉としての重みはあるけど、それが真実というわけでもないような気がする。 それでも、見えない子供たちに向かって話す、彼の視線と聞こえない子供の声を聞いているその姿は、とっても嘘のないものだった。 なにげなく点けたテレビで、思いがけずいいものを見た。
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