せきねしんいちの観劇&稽古日記
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| 2006年03月22日(水) |
絶対に起こらなかったこと |
台本のための資料を読んでいる。新しく読みたい本が見つかって、ネットで注文する。1940年の上海のことが、もっともっと知りたい。 台本を書きながら、そして、この芝居のことを考えるたびに、三島由紀夫の「鹿鳴館」の作者による外題のことを思い出す。 「明治十九年十一月三日の鹿鳴館における天長節夜会には、ここに見られるような事件は絶対に起こらなかった。但し、歴史の欠点は、起こったことは書いてあるが、起こらなかったことは書いてないことである。そこにもろもろの小説家、劇作家、詩人など、インチキな手合のつけこむスキがあるのだ」 「ミッシング・ハーフ」で描かれる1940年の上海での出来事、そして、サイレントの女形俳優、川野万里江の存在、その全てが「絶対に起こらなかった」ことばかりだ。 でも、書いていて、こんなに親身に感じる登場人物もいない。絶対にいなかった架空の人物を描いているのに、絶対にいたとしか思えなくなってくるような不思議な感覚。 彼女の人生は、すっかり目の前にあって、あとは、どう舞台化していくかということだけが問題の、誰かの「評伝劇」を書いている、そんな気分だ。 彼女がどんなにめちゃくちゃで、そして、大胆に自分の生きる道を選んでいったか。 過酷な彼女の人生のレールをひきながら、それでも、なんとか幸せになってほしい、しあわせでいてほしかったと願っている。そんな不思議な感情も、今の僕のなかにある。
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