せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2005年10月19日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 富士見丘小学校の演劇授業。前回、参加できなかったので、二学期初だ。
 朝、早く家を出たら、外はまるで冬のようだった。
 前回は、真夏だった印象があるので、ずいぶん間があいてしまったような気が余計にしてくる。
 授業は、山本健翔さんによる「言葉から発想する即興劇」。1クラス2時間ずつ、計4時間。
 谷川俊太郎さんの「すいっち」「生きる」という2つの詩を使って、朗読ではない「即興劇」をつくりあげる。
 まずは「すいっち」を2人組で。上手にしゃべることよりも、その言葉が言える気持ちになるにはどうしたらいいんだろうねということを、即興のやりとりをしながら考える。
 詩のなかで、これを言いたいという1行から3行のフレーズを、オリジナルの詩の意味とは全然違った「解釈」で、カラダを通していく。思いもよらない楽しい発想がいくつもあって、大人は感心してしまった。
 後半は「生きる」を。生きる元気を失った大人を「励ます」という気持ちで、1行ずつ呼びかけていく。僕は大人として、彼らの声を聞きながら、連の頭の「生きるということ いま生きているということ」というフレーズを繰り返す。はじめはごろんと床に横になって。
 プリントを持ちながらなので、まっすぐには声はなかなか届いてこないのだけれど、ときどき、びっくりするような強さで届く言葉があって、びっくりする。その「届いたよ」と思える瞬間を積み上げて、最後は起きあがることができた。
 久しぶりの子どもたちに「金髪やめたの?」などと、いろいろ質問される。「金髪の方が絶対にいいよ」とかなり真顔で言われてしまい、ちょっと真剣に受け止めたりする。また戻そうかな?

 夕方、高円寺にCDを受け取りに行き、久しぶりにマミーと話し込む。わいわいと楽しい。
 帰ったら、風邪を引いている母親がキッチンでテレビを見ていた。テレビ東京の「山村美紗サスペンス」。「この人誰かしら」というので見てみたら、脇役っぽい年配のおじさん。「梅津栄? 志賀勝?」とよく見ないで言っているうちに「丹古母鬼馬二」だと気がついた。「丹古母鬼馬二じゃない?」「そう、丹古母鬼馬二」と母親もすっきりしたようす。僕は、母親が「丹古母鬼馬二」を知ってたってことが妙におどろき。キッチンのテーブルごしに「たんこぼきばじ」が何度も行ったり来たりして、なんだかおかしかった。

 夜、NHKの「ようこそ先輩」。装丁家の菊池信義さんが、谷川さんの「生きる」の装丁をするという授業をしていた。
 今日やったばかりの授業の発展形を見るような気分。
 子ども達への向き合い方を見ながら、今日の授業のことをいろいろ思い出す。

 樺澤氏と電話で打ち合わせ。これからのこと、いろいろ。
 受け取ったCDを聞いてみる。やっぱり音質というか、演奏のレベルはどちらもいまいち。それでも「コーラスライン」の方は、これとこれは使おうというめどが立った。「プロデューサーズ」の方は、「ヒットラーの春」に合わせて、劇中劇「ミュージカル『Wの悲劇』」をやってしまおうかと思っていたのだけれど、もう少し考える。


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