せきねしんいちの観劇&稽古日記
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喉の調子が悪い。風邪だろうか? 薬を飲んで、仕事に向かう。一日中、仕事。へとへとになる。稽古をしているときとは、全然違う疲れ方。 帰ってから、昨日もらった台本を製本してみる。いつもはあまりやったことのない、きっちりした本の形に。 これまで、自分の登場する場面を中心に読んでいたのを、あらためて、全体を素直に読みなおしてみる。気がつくことがいっぱい。僕の役がしなくちゃいけないことと、存在にしかたについて考える。
テレンス・ラティガンの戯曲をこのところ、何本も読んでいる。「銘々のテーブル」「椿姫」「父と子」「ブラウニング版」「深く青い海」を一気に読む、一人の劇作家の作品を、こんなにまとめて読むのはひさしぶり。 ラティガンは、戦前から戦後にかけてのイギリスの劇作家。ウェストエンドに作品が3本同時に上演されていたこともあるという人。ただ、戦後イギリスでおこった新しい演劇の波(「怒れる若者たち」)の台頭で、すっかり過去の人になってしまっている。 作品も何本が翻訳されたものを読んでいたのだけれど、正直、あまり興味がもてなかった。客間が舞台で上流or中流の紳士淑女がおしゃれな会話をつづけてる。ノエル・カワードのような諧謔や毒もなく、サマセット・モームのような見事にたくまれた作劇術もない。 でも、彼はゲイの劇作家。ずいぶん前に読んでそれきりにしていたのを、あらためて読み返すとなかなかおもしろいことに気がついた。そこここにゲイテイストとはいえないまでも、やっぱりゲイならではかもしれないと思えるところが見えてきた。 まず、パロディというか、名作をモチーフにした作品がいっぱいある。「椿姫」「トスカ」などなど、オリジナルを換骨奪胎して作り上げるという感覚は、ゲイならではかもしれない。ていうか、僕もそうだからか? 別れた男女が、再会してああだこうだと話をするというのも、僕がよく書いてる話のようで身近?なかんじ。 読んではみたものの、原稿はまとまらない。
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