せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2005年06月15日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 富士見丘小学校の演劇授業。今日は永井愛さんによる「即興劇」。
 まず、「場をつくる」。一人ずつ出た人が、それぞれの動きをしながらそこにいる。次に出る人は、前の人が作った場がどこかを考えて、そこにいる自分の動きを考える。4人目まで続けて、5人目の人が、そこがどこかを大きな声で宣言して、場面に入る。初めの人が考えた場面とは全然違うことになってしまっても、最後に決まった場面にいる人たちとして、その場で会話をする。
 寝転がる、本を読むというパターンが決まってしまったり、ケンカになってしまったりという流れが多かったりと、なかなか微妙なかんじ。
 永井さんが言われたように、「人を見る」ということは、とてもむずかしいことのようだ。
 相手が誰かを決めてあげないといけないのだけれど(たとえば、「お母さん!」と一言声を掛ければ、その人はお母さんになれる)、それもなかなかうまくいかない。それもやっぱり、人をちゃんと見ることができていないからなんだと思う。しっかり声を出す、そして、その場の設定を決めるというのは、とてもおもしろいことなのだけれど、なかなかそこまでいけなくて、自分が何をするかというおもしろさで止まってしまっているのが残念だった。
 でも、次から次へと出ていきたいと立ち上がる子どもたちが大勢いて、びっくり。みんながとてもおもしろがってるんだということがわかった。
 後半は「エレベーター」。見ず知らずの5人が乗り合わせたエレベーターが止まってしまう。彼らはどうするか?というもの。
 2月の6年生を送る会で去年の6年生がやってものを見ている彼らは、どうしてもなぞってしまうようだった。即興ではなく、決まった流れをたどってしまうかんじ。そこを抜けるのに一苦労。
 後半のクラスの最後の組は、ナオキくんがしっかりみんなをまとめて見事だった。後で聞いたら、彼はそれまでの他の人たちをずっと見ていて「どこがよくないか」を考えていたらしい。みんなの前に出て何かやろうとすると、つい笑ってしまう子が多かったのだけれど、ナオキくんは一度も笑わずに、この「困った状況」を真剣にどうにかしようと苦労していた。
 彼がきっちり集中していたせいで、他のみんなもだんだん場面と状況に集中してきた。そんななか、彼らがふっともらす、一言がとてもおかしかった。お母さんとはぐれた女の子に「お母さんは?」と聞いたナオキくん。エレベーターのすきまから、呼ぶ「おかあさん」という情けない声。絶妙な間で入った「あ、電池切れちゃった」という言葉などなど。一つの場面として、とてもおもしろい瞬間がいくつもあった。僕は、子ども達と一緒に座って見ていたのだけれど、見ている彼らもどんどん場面に集中しているのがわかった。
 これが最後になってしまったのが、とても残念だ。永井さんも言っていたけれど、「失敗を積み重ねるとだんだんうまくなる」ことは間違いない。今日「もっと、うまくできたのに!」とくやしい思いをしている子ども達の気持ちを、これからの授業でなんとか満たしていけたらなと思った。
 午後からは、秋の2年生と5年生を対象にした授業の打ち合わせに同席させていただく。演出家の森さんをはじめとする文学座のみなさんと鈴木さん、それに先生方と授業計画について話す。
 帰りは篠原さん、森さん、道野さんと途中までご一緒する。演劇授業についてあれこれお話する。森さんがしきる秋の授業がとても楽しみになった。
 夜、森川くんと待ち合わせして、パルコ劇場の「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のゲネプロにおじゃまする。
 三上博史がなんだかものすんごいことになっている。もう圧倒された。曲もいいのだけれど、それをとってもすばらしく歌い上げる、三上博史の魂に心ゆさぶられた。このあいだの「ナイン」はすばらしかったけど。この「ヘドウィグ」は「すんごい」ってかんじ。中でも、ドラァグクィーンとしての客いじりは、まさにパーフェクトだった。
 終演後、青井さんにご挨拶。ありがとうございました。
 森川くんと食事しながら、芝居の話たくさん。


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