せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2005年03月30日(水) 「デモクラシー」

 稽古が休みになったので、以前から誘っていただいていた「デモクラシー」をル・テアトル銀座に見に行く。お昼に電話をして森川君と一緒に。
 1969年から始まる、西ドイツ首相とヴィリーとその側近ギョームのお話。ギョームは実は東ドイツのスパイだったという物語。ブラントに鹿賀丈史、ギョームに市村正親という顔合わせ。この二人を中心にお話は進むのかと思いきや、そうでもなく、内閣の派閥のごたごたが「政治劇」というかんじでくりひろげられる。同じマイケル・フレイン作の「コペンハーゲン」のような、地味だけど密度の濃い舞台を期待して、楽しみにしていた舞台。
 戯曲は、「コペンハーゲン」よりもストイックに、ブラントの成功と失墜を時系列に沿って描いていく。叙事的な台詞の合間に、ブラントが理想を語る演説と、屈折した思いを語るギョームの言葉が、精緻に組み立てられているのはわかるのだけれど、やっぱりむずかしい芝居だった。
 鹿賀丈史は、やや台詞を歌い過ぎてるかもしれないし、市村正親は、内面の思いをやや過剰に身振りで表現していたかもしれない。初日からずいぶん経って、演出家の手の届かないところで、役者達がやりやすい芝居になってしまっていたのかもしれない。
 もちろん、男ばかり十人の役者達は、とっても好演、健闘していたと思う。それでも、やっぱりもう少し心にひびくものがあったらなあと思わずにはいられない。舞台はゆるやかに傾斜する四角い本舞台とその上手に首相のデスク、舞台奥に男達が控えている会議室のような大きな机、そして、舞台を移動する半透明のついたてのみという構成。このシンプルな舞台で男達は、とってもストイックに、衣裳を替えることもなく、相手のうらをかこうとし、疑い、怒り、失望する。ほんとうにていねいに作られていて、退屈するということはないのだけれど、もう一つ、何かがほしいという気持ちのまま終幕まで来てしまった。
 最後の場面で、それぞれの人物が、各自の「その後」の話をしながら正面に向かって立つ。
ベルリンの壁が崩壊した今、東と西の対立も遠い幻になってしまった、そのむなしさと、それでも命をかけて闘った男達のすがたに、この「大変な芝居」に取り組んだ十人の俳優達の姿が重なって、なんだかものすごいものが舞台から届いたようだった。芝居に感動したからとは素直に言えないような、わけのわからない涙を流し、拍手をいつまでも送った。
 鹿賀丈史の「スター」としての存在感、市村正親の恋心にかぎりなく近く見えてくるブラントに対する思いはそれなりに見事だったと思う。近藤芳正、藤木孝、今井朋彦、三浦浩一もいい芝居をしてた。メインの二人とは対照的な地味な芝居だけど、台詞がまっすぐに届くことに感動した。
 腹ぺこのまま銀座の街をうろうろし、森川くんとラーメンを食べて帰ってくる。


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