4つの季節を重ねながら

2001年11月08日(木) そろそろユーロ

(今日はスペシャル長いのでお気をつけを...)

昨日は、先月頼んだ BOROBUDUR 石けんが届きました。

か〜わいいんだな〜。
Asia を感じさせる包装、香り(レモングラス系)。

見ているとほっとします。

日本にいたころはヨーロッパ的なものが好きだったのに、いざヨーロッパに住むとアジア的なものがほしくなる。わたしがアートに求めていたものは結局、自分の日常にはないなにか、とか、ちょっと違う風、とかそんな程度のことだったのかも。

日本にいたころはヨーロッパ映画ばかり観ていたのに、パリに来てからはアメリカ映画とアジア(日本)映画ばかり観ているし。まあ、映画の料金が違うので、精神的にはなんの糧にもならないけれどすかっとする映画を観ても、損したとは思わないっていう部分もあるかもしれません(苦笑)。アメリカ映画でもいいものもたくさんあるし。


     *          *          *


夏ごろから値段表示でフランよりもユーロのほうが大きく書かれていることが多くなってきました。

新しい小切手帳が届いているとの通知を郵便局から受けたので「お〜! はじめてのユーロ小切手帳」とわくわくしながら取りに行きました。

ヨーロッパでは小切手のフォーマットが2種類あります。わたしは、わたしの世代には一般的な「お財布形」をと、口座を作ったときから、頼んでいました。

窓口で通知証と身分証明書代わりのパスポートを見せると、係の人はすぐに封筒に入った小切手を持ってきて、「サインを」と言います。

わたしは「それはお財布形?」と確認して、そうだと言われたのでサインしました。ところが受け取ってみるとべつの形。封筒を開けなくてもわかりました。

はぁ〜あ。2,3分の押し問答のあと、つっかえしましたよ。相手は自分の仕事を増やしたくないので、わたしがサインした以上受け取らなくてはならないというのだけれど、わたしはサインした上に線を引いて、受け取り拒否と書くようにと言い張りました。

「あなたはこれを持って帰れというけれど、わたしは持って帰ってもごみ箱に捨てるだけよ」

これはあんまり安全なことではないので、防犯のためにもその小切手は本部に送り返され、処理されることに。

いまの住所に住み始めて、もう3年も経って、その間、毎回、お財布形の小切手を、地区の一番大きな郵便局ではなく、最寄りの小さな郵便局で受け取りたいと書いているのに、その希望が叶ったことは一度もないんですね〜(苦笑)。

いつもフォーマットが違っているか、受け取り郵便局が違っている。

そもそも引越しに伴って口座を移したときの契約書ですら、わたしがお財布形といっている側から担当者は別の形のところにマークしている(苦笑)。翌日電話して伝えると、「じゃあ、修正しておきます」と言われる。そして新しく送られてきた小切手はもちろん、べつの形(笑)。

今年の6月には次に受け取る小切手はフラン表示ではなくユーロ表示がいいとリクエストを出しました。電話で口頭でなにか伝えてもフランス人がまともに仕事ができるわけがないと、わざわざ本部に文書で通知。そしたらそのとき使っていた小切手を使い切ったわけでもないのに、新しいものが送られてきました。普段なら、1つ使い切ると新しいものが送られてくるのです。そして、お財布形か確認したうえで、受け取ってみたら、別の形(笑)。

窓口にいる人は、渡すべきものをわたしに渡すことはできるけれど、わたしの口座の情報に関することにはタッチする職権を持っていない。その点については、わざわざ口座担当のファイナンシャル・カウンセラーとアポイントを取るか、電話しなければなりません。そんなことならと、直接本部へ形が違っていると連絡。(口座担当者になにか言っても、彼も自分の仕事を減らしたいので、本部へ連絡をと言われるのが常)すると、お財布形のユーロ小切手は7月以降にならないと手に入らないとのこと。


   だれも、いま送れとは言ってないってば!


これが、女性ファッション誌が書かない現実のヨーロッパ生活です(笑)。もう、これくらいのことは日常茶飯事で、同じ書類を3回も「足りていない」と書いてよこした公的機関もあれば(1度でいいから「なくしました。すみません」って言ってみろー!!!)、

偉い人がサインをしてから、1カ月も契約書をポストに投函しなかった保険会社もあり(笑)。 もーすごいんだ。 そもそもこんな状態なのに郵便局に口座を持ち続けているのは、銀行はもっとひどいから(笑)。 勝手に毎月一定額を引き落とされていたなんて話しも聞いたことがあります。(ここまでいくともう犯罪なんですけど、口もとだけ笑って「何かおかしくな〜い?」というほうがことを荒立てるよりはいい結果になることも多いもの)

海外通販やインターネット通販は通販だから恐いのではありませ〜ん。欧州の商慣行がそもそも恐いのです(苦笑)。

電化製品は作りが荒くてよく壊れるくせに高いし。

昔むかし、パリに来たばかりのころ、ちょうど同じ時期にイギリスに留学したお嬢なのに口の悪い友人と電話で口をこぼしあいました。

「やつらは developed country っていうけどさー、ここから上は developed 、ここから下は developing っていうときのラインをもう 50 年は変えてないんだよ、きっと。こんなにどこに行ってもエレベータやエスカレータが壊れていて、しかもそれが何週間も修理されずに放置されてるような国をわたしは developed country とは認めない。やっぱり時代はアジアだよ!」

これが、まだホームステイ中で国際電話ができなかったために、夜中に電話ボックスで彼女と話したときに2人で出した結論でした。まだアジア経済のバブルがはじけるまえ、イギリスもフランスも経済的にはどん底だったときのおはなし。

冬の夜、寒さに震えながら出した結論なので、かなり過激になってますけど(笑)、いまでもやっぱり実感はあまり変わらない。

反対にフランス人が日本に行くと、たいていとても好印象を抱いて帰ってきます。

   街の人たちがとても親切だった。
   人たちが穏やかだった。
   いろんなものがきれいで便利だった。
   街の若者たちがおしゃれだった。

宮崎駿も、北野武もフランスでは熱狂的な信者がいるほど。

フランス人は哲学的な裏付けがないとアートだとは認めない、なんて、おフランスLOVE な日本の知識人は言ったりしますが、フランス人は「紅の豚」を哲学的だというんですよ〜。「えっ?! あれよりもっと哲学的な作品も作ってるの?」な〜んて「もののけ姫」が入ってくる前は言われました。うちで「ナウシカ」のビデオをわたしのかなり怪しい同時通訳&解説つきで見たときは、ユパさまがナウシカとクシャナの兵の間に入って、自らの腕で双方の剣を止めたときも

    「哲学だ!! だってこれは解決じゃない!」

もう、(-o-;) な顔になっちゃいましたよ、わたし(苦笑)。もちろんわざと「これは時代劇の定番で」なんて言わずにそっとしておきました。

日本の40代以上の人たちはいまだに欧米に憧れる向きは多いでしょう。その年代で移り住んだ人たちはインターネットもなく、ほとんど日本の親戚・友人とのつきあいを断つような形で暮らしてきたでしょう。そして現地での生活については意地でも「素晴らしい」と話したのかもしれません。そんな人たちが伝える欧米についての情報はだから、若い日本の人たちを憧れさせるに充分だったでしょう。

さて、日本の政治家さんたちが国際貢献というとき、南アメリカや東南アジアやアフリカが視点に入っていることは滅多にありません。外務省の人たちも総理府の人たちも欧米の人たちに認められたいらしい。欧米の政治家さんたちは訓練されているから姿勢もいいし、へんなことでも理屈が通っているかのように主張するのもうまい。かっこよく見えるでしょう。

でも、欧州の人たちって、こんなレベルなんですよ〜。日本に入っている映画や小説はたしかに素晴らしいかもしれないけれど、その国の文化のピラミッドのなかの一番上の点の部分でしかない。ピラミッドのまんなかあたりは何十万もの学費の支払い記録を消したり、なくしたりして謝りもしない人たちが占めているわけです(苦笑)。

認められてもむなしい気がするな〜。
自分で自分を評価できる国や人になるほうがずっと充実感がありそうな気がわたしはします。

も〜、フランス人に対してはいままで何度嘘をついたかわからない。たとえ締め切りは来週末でも、「明後日なんだ!大至急!」

それでも、フランス人は、イタリア人は単純だけれど、自分たちは哲学的で知的だと思っている(笑)。らぶり〜。



     *          *          *



現在の20〜30代のフランス人にとって日本は憧れの国です。

なんといっても世界一の技術力を持っている。伝統建築、庭園は素晴らしい。村上龍、春樹、吉本ばななが(一部はイタリアで大ブームになったので)ようやっと入ってきた。たくさんの素晴らしい映画監督がいる、エヴァンゲリオンもぴかちゅうも夢中になれるゲームも日本製。若者がお金を持っていて、おしゃれで、みんなが穏やかで優しい国だと思っています。

50年前、日本人は欧米人にとって猿でしかありませんでした。日本人がアジアの諸国でしたことは暴挙でしかないけれど、そもそも日本は1つの国としてのプライドをずたずたに傷つけられたから戦争することにした。50年経って、たくさんの日本人が海外に出て、たくさんの海外のメディアが日本に来て、お互いにコミュニケーションできるようなったら、少しづつ少しづつ、日本人も人間だと認められるようになった。フランスで日本人を「変わってる」とか「へんだ」という人はたくさんいますが(笑)、日本人を猿だと思っている人はもうほとんどいない。

お互いにコミュニケーションできる人たち、知りあい、友達が増えると、人間同士でも差別はいけないと思うようになる。あと、500年か1000年か経って、人間が動物や植物の想いを感じることができるようになったら、人間はもっともっとやさしい生き方ができるようになるかもしれない。たった50年で日本人が(すべての、ではないにしても)多くの欧米人に人間と認められたなら、あと500年経ってもそれは不可能だとだれが言いきれるでしょう?

論理で相手を説得する文化の人たちより、言わなくても察する文化を持った日本人はきっとそんな文化により早く到達して、ほかの人たちにいい影響を与えることができるのではないかと、外国に住んでちょっとナショナリストちっくになったわたしは思うのです。



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