22sentimental



2006年06月26日(月)

アタシの芋好きはきっとじいちゃんの遺伝だと思う。
スウィートポテトは小学三年生のころ給食で吐いた以来
全くもって食べられないけど

それ以外のさつまいも食品は大好きだ。
純粋な焼き芋も、天ぷらも、さつまいもチップスも、芋ケンピも
(そういえば宮野が大量な芋ケンピを九州土産で買ってきてたなぁ、
未だ誰もデカすぎて開けてないけど。笑)

この間の12月の長男の結婚式で千葉に来た時も
じいちゃんはもうあまりごはんもたくさん食べられなくて残しったきりだったのに、
母・豊子が好きだからと出したお芋を平らげていた。

そのあと、ばあちゃんにゴハンは食べないのに
おやつの芋ばかり食べて!と怒られていた。

そうなのだ、
あんなに情が厚くて、これ以上に思いやりのある
素晴らしい家族はいないんじゃないかなぁと
つくづく思わせてくれる九州の皆さんのなのに
じいさんに対してひどく冷たく厳しいのだ

とりあえず家族の厄介ものとして扱われるには長年の経緯があり、
じいさんは身から錆を出し過ぎだよアンタ!
っていうくらいに欲に弱く自己中でワガママな人間なので
それくらいの制裁は仕方ないことだと思う。

むしろ一緒に生活をしてあげていること自体が
九州の皆さんの情の厚さの証拠なのだ。

それくらいうちのじいさんは身から錆男だった。

もちろんアタシが孫として生まれて物心ついた頃にはその性格も角がとれ、
なんでじいさんに対して皆が邪険に接するのかがわからなかった。

ただ父が18才になるまでの期間(父がまだ子供として家族と過ごしていた時代)には、
じいさんの為にばあさんは死ぬほど苦労したし、
子供たちもしなくてもいい苦い思いを何度もした。

酒飲みではなかったけれどギャンブルが好きで家族がいるのにもかかわらず、
仕事にも真面目じゃなかった。
よく人のせいにするし、ぬけぬけと人の悪口をきいた。

だから子供たちはばあさんが実質女でひとつで稼いで育てた。
子供たちも大学に行きたかったり、
才能のある道へゆくことを勧められても18才から働かなくてはいけなかった。
だからきっとじいさんからふりかかった苦労を共有したぶん
人一倍強い思いで繋がっている家族なんだと思う。

子供たちが社会に出てからもじいさんは変わらずな生活を続け、
じいさんが原因でおばさんは一生に一度の人と結ばれることなく
今でも独身でいる。

お金にせこくて子供のためになんか使わなかった。
だから孫のためにはそんなじいさんでも周りと同じように
競艇で使うお金を少し我慢して、きちんと祝い金やらをくれた。

きちんと名前の他に中身の金額をバッチリ書いた封筒で
それがまたせこいと非難されていたけれど(笑)

そうやってじいさんは図太くわがままに足が悪くなろうと
家族にどれだけ言われようと、
競艇に通い続ける人生を曲げずに通した。

そんなじいさんが脳卒中で倒れて意識が戻った後も左の麻痺が
よくならなくなって大好きな競艇も行けない状態なくせして

去年の12月兄の結婚式に飛行機に乗ってきたのだ。
伯父さんはひがみとかでなく兄弟でも末っ子の、父の子だから
じいさんは来たのだと言った。

じいさんの中で、父は三兄弟の中でやはり末の子は特別カワイイってことだ。
18から離れて暮らしているからなおさらだ。

じいさんは式の間「素晴らしい、素晴らしい」って涙を浮かべて
兄と兄の嫁を見ていた。ずっと拍手をしていた。
アタシには、じいさんの素晴らしいはホントに素晴らしいんだと思って、
感動してしまったんだ。じいさんに見せれてよかったなって

あれから6ヵ月、
入退院を繰り返していたじいさんだったけれど
いつの間にか退院しなくなって、ずっと入院したばっかになってた

電話がきた。
じいさんの命はもう少ないってさ


もう大好きな芋も食べられない。鼻から管を通して栄養を流すだけだ。
もう生きる体力がないのだ。

危ないと聞いた父はすぐに福岡に駆け付けた。
父を見たじいさんは「よう来たねえ」とやっとの声で言った。

やはりじいさんにとって父は特別なのかもしれない。
呼吸機や手術(もう体力がないと思う)で生き長らえることが
じいさんの為ではないと皆がわかっている

じいさんは自然に還る
アタシはじいさんから受け継いだ芋が好きな遺伝子を子どもに伝えて、
孫に伝える。

そうやってじいさんは自然に還っても、じいさんは生きたことは残ってく

芋好きな子が生まれたら
お前はひぃじーちゃんを受け継いだのだと

言ってやるのだ


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