22sentimental



2005年02月04日(金)

最近、携帯ならねぇなぁと思う

まぁ前からあんまり携帯を生活の重きとしないので
別にどおってことねぇんですけどね。

たまになんか人に怒られる。そして、必要なときにもってない
いまさらながらテレフォンカードを結構重宝してる。
でも、会社に携帯も財布も持ってってないときがあるのであんま意味ない。

まぁ結局のところ
電話も財布も携帯せず、アタシの鞄に入ってるのは

昼の弁当だけかも。(笑)


だから、携帯ならないのなんて別にどおってことない
でも昔はちょっとちがった

どおってことない、って思いながら何回もセンター問い合わせをしたし
耐え切れず自分から送信しては受信を待ってたりしてた日もあった

特に恋をしているときは
それがなくては、その恋が成り立たないような気さえしてた

気持ちを伝えあわなくちゃ、相手のわからない気持ちをわかりたくて
メールがくることでわからない気持ちが少し少なくなったりした気がして

受信がこないと、死んでしまいそうな。
メールランプがつくまで時間と息がとまってしまいそうな

そんな時間の過ごし方を何日も何ヶ月も緊張しながら過ごしてた


決してそれが悪いわけなんじゃない。
きっと、そうゆうときの時間やアタシの表情はきっと色みに満ちてる

そうゆうものがないときは、色みに満ちてる時に思うと
全てがグレーに思えてしまう。そうゆうものがなくても、
他の日々にだってちゃんと色はついてるのに


本当は、そうゆう好きだとか、恋とかなくても
メールがこないのは怖い出来事だった。この小さな機械に翻弄されてる自分が
はがゆいけれど結局は支配されてる

携帯を支配し返せない。自分は携帯を支配しきることはないんだろう。
携帯って、電話そのものじゃなくて自分の人間関係だと思う
それは自分以外の人間がつくるもので、自分でつくることなど無理

だれかはだれかの携帯をつくってゆく

携帯がなるってことは、誰かが自分を欲してくれてるってことだ
自分を思ってくれて、自分のために誰かが時間を費やしてくれる。
その結果に受信する。

だから、携帯がならないってことは、誰にも欲されてないってことだ

昔はそれが、すごく怖かった。メールランプがないと、淋しいとゆうよりも
なんか疎外感の方が強かったのかもしれない。
「だれも思ってくれてない」って、知りたくもない事実を携帯なんて小さい
機械に知らしめられてるあの感じ。いまでも怖いのかもしんない

だから、あたしは偶然の発見を自分でつくるために携帯をもたないとゆうことを
はじめたんだと思う。
自分から放棄することで、「たまたま見たらメールきてた」ってそうゆう
誰かからはやっぱり思われてるんだってことを不自然に必然的に自分で作った

でも、それをずっとやってるとはじめの気持ちをわすれてしまう。

今は携帯が鳴らなくても、別に疎外感もないし、誰にも思われてないなんて
思わない。
むしろ、繋がってるって思った。機械とかゆうものじゃなくて
自分が作った人間関係に自信ができた

確かめる必要がなくなったんだ。伝えもしないし、伝われもしないけど
別に気持ちを伝えてもらわなくても、なんの不安感もない

メールをして実質的に繋がってるってことも、心地よいけれど

携帯じゃないところで、アタシは自分の周りと繋がってる。って
頭が理解しはじめた

きっと、遠くの友達もたまに思い出して思ってくれてるって思うし。
(あたしもそうやって思い出してるように)
近くの人は表情でどうおもってくれているか、ちゃんと読み取れるし


いつも思うけれど、アタシは毎日ではないけれど
中学・高校・短大・就職って環境が変わるごとに、「あぁ今が一番たのしい時期かも」
って思う。

なんか、いま居るところが人生でいちばん幸せな日々だなぁって
それをちゃんと毎回思える。

いいことだと思う。幸せな人生いかされてるって思う
きっと気持ちの充実度では「日本で200番目くらいに幸せものかも」とか
昔からよく言葉にしていた

うちのお母さんはなんだか幸せなことも、少しの卑屈なことに邪魔されて
自分を不幸だと思ってるところがある。そうゆうところをアタシは気付いてて
もっとたのしいことを楽しめばいいのにって思ったから

こうゆう性格になったのかな

なんか、最近そうゆうことを思う。決して心がずっとやすらかでないし
人の悪口もいうし、ムカツクときもあるし、態度に出して怒るときもあるけど

なんか楽しい。そして、今までと違う部分で人を信頼してつよくなれてる気がする


みんなは、さいきんどうですか?


// 4th February ( Fri ) , 2005


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