■ゲンジツ日記■(試行錯誤中)
静花



 社会の時代によって変わる「価値観」に翻弄される自分がイヤ。もっと強くなりたい。

おはようございます。
なんか最近、早寝早起きです。。

最近は、不安障害(動悸、胸の息苦しさ)は
起きなくなりました。

ただ、酷くはないけど鬱になることはあるけれど…。
(先日のバイトの面接で傷ついたこともあって…)

実は今、気分がとても悪いです。。
胸のあたりが軽い吐き気を感じて、
何か身体に「悪い気」がのっかって
しまったような
…、

そんな感覚。。

その原因は昨晩、興味本位で見てしまった
例の「静岡の女の子の高校生の
母親の毒殺の未遂事件」

彼女が書いていたブログのコピーを
読んでしまったからなんですが…。

それを読んだ、私の個人的な感想に興味がある奇特な方は、
私のホームページのメインページの
上に感想が綴ってありますので、適当に読み流してください。
(でも新しい文章を思いついたら、新しい文章が
上書きされるので、その文は消えちゃいます。
…ので長時間残ってる保証はないけども…)

ここに綴ることも考えたけど、
ここで詳しい文章や単語を書いちゃうと、
検索エンジンからその事件のキーワードで
この日記がリンクされちゃうからね…。
(そんなの嫌だ。)

それに、あまり残したくないので。



…話は変わって、

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ここ最近になって出始めた言葉、

「ニート」

あれって、聞くたびに
なんだろって思う…。

ネットで調べた定義によれば、

「働けるけど、働く意欲がなく」
「学校にも通っていなく」
「職業訓練にも通っていない」


人のことを言うらしいけど…。

相変わらず、社会は、
「普通のレール」「多数の生き方」をしない
人たちを枠にはめて、勝手に価値付けをしたり、
叩いたり批判したりするのが好き
だなと感じたよ。

その「普通」や「多数」の価値観や生き方なんて、
時代によってコロコロ変わるっていうのに…。

さもそれが正論のように批判したり差別や偏見をもつ神経が
「頭足りないんじゃないの?」って思う。

「引きこもり」の次は「ニート」かぁ…。

うちのおかぁ(母)の時代は、
女性は学校を卒業しても働かないのが
多数の世の中で「家事手伝い」という
言葉が普通に通ってたけど、

今はそういう女性すら「ニート」の
中に入るらしい。(”家事手伝い”は”ニート”に入る)

んで、結婚したら「主婦」に分類が変わって、
(例え全く家事しなくても働いてなくても)
それは「ニート」ではない。

。。。なんか変なの。。。

正直、「ニートの何が悪い?」って思うね、私は。

親のすねをかじろうが、
経済的に困れば嫌でも働かなきゃいけない
状況になるんだし、
別にどんな生き方しようと、
他人に害を与えなければいいじゃないか。

正社員で働いていても、
平気で人を騙したり、傷つけたりする人、

そっちのがよっぽど、

いわゆる、世間でイメージの悪い生き方をしている、
「フリーター」や「ニート」や「引きこもり」でも
ちゃんと思いやりの気持ちやモラルをもって
生きてる人の方が人間として質がいいと思うけどね。

私が10代の時「男は外、女は家庭」という価値観が根強く、
私は”男女差別”がまかり通る社会にも将来にも既に失望していた。

私が20代前半のころは、
女性は学校を卒業したら「腰かけ(ここ重要)」
「お茶くみ、コピー取り等の雑用の一般職で
3年くらい働いて、そしたら結婚して
寿退社」
するのが推薦された女の生き方だった。

ようやく「男女雇用機会均等法」が施行されたけど、
まだ企業の意識には全然浸透しておらず

ただでさえ就職超氷河期時代だったのに、
そのうえ採用でも男女で差別を受けた。
(たとえ今まで同じように勉強して頑張って、男子学生より
真面目に講義に出て、いい成績で卒業しても…。)

そして

私が三十路手前の今、(…って年ばれるよ( つд`)(涙))
男女差別はだいぶ私の頃より改善されたのは良いけど、
今度は女性も社会に出て働くのが当然な上
出産したらやめて、子育てひと段落したら、また働けとゆう。
家事と育児と仕事を全部やるのが当然だと。
(…っていうか共働きしないと、今の世の中
家のローン払えないし、金銭的に子供も育てられないんだよね)

私はまだ平均寿命の半分も生きてないけど、
今まで生きてきて、
社会の価値観って、本当、「無責任」だなって思う。

私は大学卒業するまでは、
その社会がいう所謂「ふつうのレール」「ふつうの生き方」
をしてきたさ。

「ふつう」から脱しないように、
必死で自分に無理して、社会に適応してきたよ。

でも、「幸せ」なんかじゃなかった。

それどころか、
そんなレールと狭い価値観の社会の中で
生きるのが息苦しくて辛くて仕方なかった私は、
もう、中学生の頃から既に将来に絶望し、
「このまま生きていくことに何の意味があるんだろ…」
「死にたい(自殺する予定だった)」


…と「死」をずっと望んで生きてきた。

大学通学時期に、
とうとう息切れして、酷い鬱状態になり、
心のお医者さんに通うことになった。
(訳あって通院やめちゃったけどね)

…まぁ、それから、
「引きこもって」た時期もあったし、
「フリーター」してた時期もあるけれど…、

数ヶ月くらい前の、
神経症を患ってたけど、症状が薬で抑えられるようになり、
日常生活が苦なくすごせるようになり、
働いてなくて、ネトゲに1日ハマってたり
自分の好きなような生活を送ってた時期があったけど、

思えば、そのときが一番私の人生の中ではじめて、
「生きてて幸せだなぁ」って思えた状態だった。

もちろん「死にたい」とも思わなかった。

・・・・・・。

私が社会に無理に適応して生きてても、
私自身は「幸せ」ではなかったうえ、
無理がたたって病気になっても、
その価値付けや生き方を奨励してきた
その時代の「世間」や「社会」は、
なんにも責任なんてとってくれなかった。


むしろ、「自分に合った生き方」を自ら選び、
「自分のしたいように過ごし」、
それはたとえ社会や世間からは白い目でみられようとも
そっちの状態のがよっぽど「自分らしく」希望を
もって生きられた。


もちろん自分でその人生を選んだのだから、
責任は自分に戻ってくるけど、
自分が好きで選んだのだから後悔はしない。
それに自分が選択したことだから、
自分の身の振り方だって自分で考えてる。

・・・・・。

話は戻るけど、
結局「幸せ」って自分で掴むものだと思った。

何よりこの地球上で一つの命を授かった動物として、
「生きる」ことが何より一番大切で、
それだけが、シンプルだけども、”全て”だと思った。

「社会」なんて、「多数派の価値観」なんて、
時代とともに無責任にコロコロ変わる。

たとえその時代の「世間の多数派の価値観」に背いても、
差別されても、それに負けないで、
「自分」をもち続けることの大切さを思う。

でも、それには精神的に「強く」ないといけないけどさ。。。

私はすごい弱くて、ヘナチョコで、
すぐ傷ついて、へこたれて…。

でも、凹みながら、弱音を吐きながらも、
少しでも「自分を生きる」ために、
少しずつでも強くなっていきたいと思う…。

それが、私の受けた「生」に
できることだと思うから。

(長文すいません。
 ここまで読んでくれた人、お疲れ様でした(´・ω・`))

by 文章短くしたいのに、いつも挫折する_| ̄|○静花より。





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2005年11月05日(土)
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