もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2023年04月18日(火) 信仰の九州(後) 

朝起きて


ざ・家の朝ご飯!って感じの朝食を食べて
さ〜出発です♪








ミッキー「俺の靴が無い!」



え?(汗)




どうやら他の宿泊者が間違えてミッキーの靴を履いて出て行った
らしく、女将さんも慌てて宿泊者名簿片手に電話しています(汗)

間違えてはいて言ったバカ者と連絡が付き、すぐに戻って来る事には
なったものの、移動距離もあり、そうすぐには戻って来る訳も無く
戻って来るまで代わりの靴を使いますか?と勧められるも
それも微妙で・・・
結局、ミッキーは靴が戻って来るまで2度寝(苦笑)


俺は徒歩圏内を見て回って時間を潰します(涙)

まずやって来たのは宿から歩いて直ぐ『祇園橋』
石造桁橋では国内最大級!!
しかも全国的にもまれな「多脚式」ということで、国の重要文化財に
指定されています。
柱状の石を組み合わせた素朴なつくりで、橋脚は水切りのための
三角形の流線型になっています。
長さ28.6m、幅3.3m近くもある橋間に、約30cmの角柱が
5列9行45脚によって支えられている珍しい造りをした橋です。

建造年代は天保3年(1832年)で、時の庄屋大谷健之助が発起して、
地元銀主を始め、庶民の協力によって、切支丹殉教戦二百年祭を目途に
着工し完成。石
材は下浦産で石工も同じく下浦の石屋辰右衛門。

因みにこの地は寛永14年(1637年)、島原・天草一揆で
町山口川を挟んでキリシタン軍と唐津藩との死闘が繰り広げられた
激戦地でもあります。

続いて市内を見下ろす小高い丘の上に建てられた『天草キリシタン館』
へヒーコラ言いながら坂道を登ってやって来ました♪




休館日♪





ふぁっく!!!!(怒)



島原・天草一揆で使用された武器や国指定重要文化財の
天草四郎陣中旗、キリシタン弾圧期の踏み絵、隠れキリシタンの生活が
偲ばれるマリア観音など、約200点が展示されているので
見学したかったのですが残念!(涙)

因みに、この山は実は鎌倉時代に天草下島に勢力を張って
幕府から地頭職に任じられた天草氏の城跡でもあります。
一時は天草氏の嫡流も絶えていたたものの、天草氏の支流たる
河内浦氏が河浦町を中心に発展し天草氏と称して享禄年間
(1530年代)には本戸を回復。
その時に構えた城が現在の城山です。
千人塚と呼ばれる出丸跡、切支丹館は二の丸跡であり本丸跡は
西方に連なる高台と推定されていて、特に遺構は見る事は
出来ませんでしたが、町並みを見下ろす事が出来て景色が奇麗だった
ので・・・・ま〜いいか(ヲ)


ミッキーから靴が戻って来たと連絡があったので宿へと戻り
やっとこさ車に乗り込んで出発です(苦笑)

やって来たのは『鬼の城キリシタン墓碑公園』
鬼の城公園に隣接するキリシタン墓碑公園。
五和町内に点在するキリシタン墓碑を集めて整備したもので、
石で作られた十字架のお墓が並ぶ異国情緒たっぷりな場所でした。
見頃満開って訳では無かったですが桜、ツツジなどの花も楽しめて
奥には弘法大師の像や御堂等があり、見所満載でした!


続いて訪れたのは『円性寺』
栖本城跡の一部で、栖本郡代所跡に寛永14年(1637年)の
島原・天草一揆の後、代官鈴木重成により建立されました。
キリシタン信者の改宗取締役だけでなく、戸籍調査、通行手形、
福祉教育などの行政的性格もあわせ持つ寺として、宗教行政寺と
呼ばれていました。
寺の開基は、正保2年(1645年)3代将軍家光の代です。
栖本郡代所跡は、現在も円性寺境内にあり、慶長8年(1603年)
から寛永15年(1638年)までの35年間置かれ、天草三郡代所
の1つでもありました。

で、そのまま円性寺の敷地から登って行って『栖本城址公園』へ
中世に於ける天草5人衆の一人、栖本氏の居城です。
天正17年(1589年)の天草合戦後、没落廃城となりました。
戦国時代の居城跡に約150本ものソメイヨシノが咲き誇り、
城跡の西下には県指定重要文化財の梵鐘があります。

天草まで来ても確りと山道登ります(苦笑)
ま〜迷子になりながらも意外と車で近くまでは行けたので
頑張って登りました!

・・・・・途中、墓地の中で道に迷ったりしましたが
頑張って本丸跡まで行って石碑を拝んで来ました!


さ〜軽く山にも登ったし、サッパリしたい!!(ヲ)

って事で、近所にある『栖本温泉』
日帰り温泉施設「栖本温泉センター河童ロマン館」へGO!!
泉質はアルカリ性単純温泉

露天風呂もあり
日差しが燦燦と差し込む内風呂から大窓越しに見える
景色も中々のものでした♪
風呂上り、土産コーナーで大量に素麺を箱買いしてしまいました(笑)

だって安かったんだもん!!(マテ)



風呂から上がって、思ったよりも色々(靴トラップ)あって
時間が押しているので急ぎ足で頑張りましょう!

天草地方最後のポイント『正覚寺』へ
キリシタン布教の中心であった「南蛮寺」。
キリシタン教会の跡地にこの正覚寺が建立されました。

南蛮寺は天正17年(1589年)上津浦城主ホクロン殿が建立。
最盛期には3500人を超す人が上津浦城主の庇護のもとに
キリシタンへ帰依し、南蛮文化が広がりました。
しかし、南蛮寺は弾圧のため破壊され、島原・天草一揆の後、
仏教布教のために正覚寺を建立する事となります。

本堂改築の際には、IHSと干(かん)十字の入ったカマボコ型の
キリシタン墓石が発見されて話題になりました。
杉並立に包まれた境内には、キリシタンの信者が植え付けたとも
いわれる樹齢400年の南蛮樹(ナギの木)が今も生きています。



天草地方を後にする前に、丁度昼飯も食っていなかったので
少し遅めですが『上天草』にある道の駅「道の駅上天草さんぱーる」
に立ち寄って、刺身定食を食って天草に別れを告げます(笑)

何か、色々と天草を代表する海鮮や果物の像が道の駅中に点在していて
面白くて結局全部探して写真撮ってた(笑)

しかし、海鮮が途轍もなく安いなこの道の駅
今買っても飛行機で持ち帰れないし、郵送は結果高くつきそうなので
諦めましたが、近所だったら。もしくは素泊まり自炊の宿だったら
ここで買い漁ってましたね!!




天草から本土へと戻り、まずやって来たのは『三角西(旧)港』
日本唯一の現存する明治の港湾施設です!
明治の港湾施設が完全な形で残っているのはここ三角西港だけであり
とても貴重な史跡です。

当時三池炭鉱の石炭積み出しは、有明海を挟んだ対岸の長崎県
南島原市口之津港から行っていましたが、有明海は海底が浅く
大型船の出入りが難しいことが大きな課題でした。
国を支える石炭積出港として大型船が接岸できる港湾を最先端の
技術で造りあげたのが、この三角西(旧)港です。

1880年(明治13年)、日本国政府は内務省依属のオランダ人
水理工師ローエンホルスト・ムルドルに熊本県下の港湾整備の調査を
命じ、1884年着工。
工事は熊本県令の指示により、ムルドルが設計し、土方平次郎の
総監督の下、グラバー邸や大浦天主堂を建設した小山秀率いる
熊本県天草の御領、下浦の石工集団が行い、熊本から三角までの
道路建設と三角西(旧)港の築港を3年かけて1887年
(明治20年)8月15日に開港したといわれています。

総延長756mに及ぶ石積埠頭、3つの浮桟橋、整然とした道路、
排水路、石橋などは総合的な都市計画の下で築かれ、埠頭の石垣は
対岸の飛岳から切り出した安山岩を切り、緻密で高度な石積みで
形成されています。
背後の山からの水を流すため山麓に沿って排水路を設置し、
直接海に排水するために町を縦断する2箇所の排水路を設けています。

もうね
ムルドルの設計、小山秀率いる石工集団、水も漏らさぬ設備が完成!
全てが機能的にコンパクトにそして美しく纏まっている!
この一角だけ外国の港町みたいな雰囲気すらある!!

貴重なだけでなく、非常に美しい風景を堪能出来る素晴らしい
ポイントでした♪


次にやって来たのは『御輿来海岸』
有明海は干満の差が激しく、潮が引いた海岸の砂地には、
風と波による美しい砂の曲線が現れます。

干潟と夕陽が重なるとオレンジ色に、薄暮はパープルに、
日中はシルバーに、満月の夜はゴールドに・・・
特に、夕陽に照らされた美しい干潟が見れる1〜4月は見頃で、
毎年、多くのカメラマンが訪れる絶景ポイントです。

丁度、干潮のタイミングで到着出来たので
見るなら全体を見たいよねって事で調べておいた展望スポットへ
滅茶苦茶狭い民家と民家の間の道を迷路の様なルートで進み
更にそこから山と畑の間の急坂を登って行ってやっと到着(汗)



素晴らしい☆
見渡す限り海と砂浜のアートです!
あまりに絶景だったので、暫し時間を忘れて風景を楽しみます。


ま〜まだまだ見る予定でしたが、もう開き直って計画変更!
回り切れない分は次回に行こう!(ヲ)
って事で、思う存分時間をかけて日を反射して輝く海や
風で水面が揺れて変わる景色などを楽しみました(笑)




ま〜それでも行ける限りは行くぞ!って感じなのが我々の旅(笑)
駆け足で『長部田海床路』へと到着

海の中へひたすらつづく道と、そのかたわらの電柱の組み合わせが、
「インスタ映え」で一躍有名になった絶景スポットです。
日本一干満差のある有明海にあるため、干潮時は、沖合いの海苔の
養殖網群へ向けて、コンクリート製の道が出現します。
とくに、夕暮れと干潮が重なる週末は、多くの人々で賑わいます。

到着した時には、干潮から潮が満ちて来るタイミングでしたが
まだ夕暮れ時には早く・・・
中々タイミングを合わせるのは大変そうですな(汗)

道を使う漁業関係者の方々を邪魔しないように気をつけながら
海へと延びる真っ直ぐな道を写真撮影をしながら散策して来ました♪

夕暮れ時以外にも、海中から電信柱だけが突き出てみえる満潮時や、
空の青が静かな海に反映する晴れた日のお昼も幻想的な写真が
撮れておススメとの事♪



徐々に潮が満ちて来て、帰り道は振り返ったらさっきまで立っていた
先端部分が海に沈んていて吃驚でした(汗)
結構マジで焦って早歩きで浜へと戻りました(苦笑)



さ〜マジでラストスパート!
最後に立ち寄ったのは『粟嶋神社』
寛永10年(1633年)に建立した医療・医薬の神様として
多くの人々が参拝に訪れる有名な神社です。
特に有名なのが神社の代名詞ともいえる「日本一小さな鳥居」

この鳥居が奉納されたのは、1814年の事と云われており
重い病に苦しんだ方が、健康を願い、熱心に神社にお参りに
来たところ、奇跡的に完治したため、感謝の気持ちを込めて奉納したと
云われています。

因みに日本一小さい鳥居



そのサイズは



縦・横30cm!!!!
石造りのミニ鳥居がしかも3基ある(笑)


更に潜る事が出来るんです!(笑)



俺たちは、詰まったらマジで笑えないので
潜りませんでしたよ(涙)



空港までは距離があるので、観光はここで終了!
本当はまだ2〜3つ見たい場所がありましたが、それは次回に
行きます!
えぇ、絶対に次回行きます!!

ってな訳で、急ぎ足で空港を目指します・・・


途中のガソリンスタンドで給油を済ませてからレンタカー屋へ
帰着手続きを済ませ、レンタカー屋のスタッフに空港まで送って貰い
18時前に無事に「阿蘇くまもと空港」へと戻って来ました。

何とか1時間半前に着いたので・・・
あぁそうそう
熊本空港は搭乗手続きを済ませてから進むエリアに入らないと
飯屋も土産物屋もありません
なので飛行機に乗らない人はマジで何も楽しめません(汗)

取り敢えず我々も搭乗手続きを済ませてから
残り時間で「桂花」というラーメン屋で「熊本ラーメン」を食って
最後に土産を買い足したりしてと駆け足でこなして、慌ただしく
熊本空港を19:50発の便に乗って熊本から飛び立ちます・・・

ま〜帰りのフライトは少し揺れましたが、それでも「羽田空港」へは
定刻の21:30を大きく遅れる事無く到着。



ま〜羽田に降り立って
旅が終わってしまった事と、明日の仕事の事を考えて
2人して鬱になるという何時ものルーチンを(涙)


羽田からミッキーの運転で横浜のミッキーの家まで
集合場所のコンビニの駐車場で会費の精算を済ませてから解散して
帰宅したのがやっぱり0時過ぎに(苦笑)

ま〜仕方が無い!
旅が楽しかったから無問題!!


凄い久しぶりの熊本
初めての天草エリアとテンションが上がる事だらけだった今回の旅!
熊本へは最低でも後2回は行く予定なので、今日の見落とし分含めて
その時を楽しみにしています♪

今期もいいスタートを切れました!
それでは今回もお疲れ様でした〜〜☆


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