もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2022年12月12日(月) 3都1泊物語2(前)

さ〜さ〜今日もこれから旅に出る!!(笑)


仕事後、ミッキーを家まで迎えに行ってから
通勤費と言う名の会社の金で東名飛ばして帰宅(ヲ)


家で着替えて用意して速攻で出発!!

進路は西へ
目指すは奈良&大阪&京都!
まさに修学旅行鉄板コース(笑)



何時もの様に秦野中井ICから東名に乗って西へ爆走♪




昨日(11日)は何時もより早出でその前(10日)はガッツリ
残業でしたので、睡眠時間ヤバいので、眠気が来るまでにどれだけ
距離を進めるかが勝負!(マテ)





ま〜途中、愛知に入って岡崎SAで休憩を取ったのと
いい加減に最初の目的地をナビでセットしようと伊勢長嶋PAに
立ち寄って休憩がてらナビをセットした以外はノンストップで
突き進みます!
因みに助手席でミッキーは爆睡(苦笑)





で、流石に俺もこのまま朝までは無理そうだったので
最寄りのPAで寝るつもりだったのですが、ナビが直前で
良く分からないリルートをし出して、気が付けば違うルートへ
誘われ、結果休憩ポイントも無いままに東大寺の近所まで
やって来てしまいました(涙)



もうね
流石に眠気がヤバくて無理だったので、助手席のミッキーを起こして
事情を説明して運転を交代して貰い、適当に駐車出来そうな場所を
探して移動して貰う事に・・・・



2時間ほどして起床
最初の目的地である、今回の旅で唯一の奈良県のポイントにして
この旅のメインクラスの目的地『奈良監獄』へ到着

明治期に竣工された5つの監獄があり
「明治五大監獄」と呼びます。

1901年に建築がスタートしたこの旧奈良監獄を皮切りに、
1907年(明治40年)には「長崎監獄」「金沢監獄」「千葉監獄」が、
翌年には「鹿児島監獄」が竣工され、ほぼ同時期に監獄としての
運営を開始しました。
れんがや石造りによる、まるで西洋の城門を思わせる美しい表門は
未だに当時のままに健在!

120年あまりの月日が経ち、多くの監獄は老朽化により
役目を終えましたが、今でも表門の一部などを見る事が出来ます。
しかしその姿を完全に留めているのは、この旧奈良監獄のみになります

団体予約やイベント時にのみ中まで見学も出来ますが
一番見たかった表門が見れたので満足です♪


因みに「金沢監獄」は閉鎖後に完全に取り壊されていますが
表門が先日訪れた愛知県の「明治村」に移築され現存していたので
先に見学済みでした(笑)(過去日記参照)

残り3つか・・・・


ま〜見に行く事決定で!(ヲ)




奈良県を後にして、そのままお隣の大阪へ

やって来たのはこの旅一番のメイン『飯盛城址』です!


・・・・・・・・・・・・はいメインがマニアックで申し訳(笑)


飯盛城は、飯盛山の山頂に四條畷市と大東市にまたがって存在する
中世の山城跡です。

その規模は南北約700m
東西約400mと巨大な城郭で西日本有数のものです。

山中の城内址には、多くの曲輪や堀切・土橋といった遺構が
かなり良好な状態で残っています。

因みに「続日本100名城」のひとつにです(苦笑)
令和3年10月11日に国の史跡に指定されました。


この国に認められるってのが厄介でして
勿論、保護の為の予算が下りたり無暗に開発(破壊)出来なくなる
ってのが良い点なのですが、大体地元自治体が金の亡者の化し
今迄は無料で停められた駐車場が全て有料化したり、
無料で入れた場所が入場料を取ったり、好きに見て回れた場所が
立ち入り禁止になったりと手放しで喜べなくなります(涙)

例 小谷城、竹田城など(怒)



そんなウザい事になる前に急いで見ておこうってのが
今回の旅の始まりでした(苦笑)


大学の運動部のコートが沢山ある狭い山道を進み、全然それっぽい
感じが出て来なかったので不安になりながら進んだのですが、
途中から出て来た「三好長慶」の旗に「この道で合ってる!」と
安心を得ながらラストスパート(笑)

山の中腹にある無料駐車場に車を停めて登城開始!


ま〜朝っぱらからそれなりに山道を登りましたが
思っていたよりも確りとした道で歩きやすく、見所も多かったので
意外とサクッと登れました♪

・・・・冬の朝で肌寒い筈なのに汗かいて登ってたけどね(汗)


飯盛城は、戦国時代に三好長慶が居城として築城。
長慶は永禄3年(1560年)に本拠地の四国よりこの城へと移った
そうです。
その後はこの城を拠点に五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)と
四国の一帯を統治し、室町幕府の政治を動かしました。

長慶が権力を担っていたのはわずか4年あまりですが、この城は
政権が所在する「首都」といえるような場所でした。

近年では織田信長に先駆ける天下人として評価されています。

また城中で連歌の会を開催するなど文化人でもあり、更に長慶が
城下でのキリスト教布教を許可し、73名の家臣が城中で洗礼を
受けたことで「河内キリシタン」が繁栄する契機となるなど
この城を中心に文化的に重要な役割も担っていました。

また城も山城でありながら石垣が多くの曲輪で用いられていることが
特徴!!
これらの石垣は石材をほぼ垂直に積み上げており、なかには数段に
わたって築いているものもあります。
石垣を多用した城としては織田信長が築いた安土城に先駆ける
大変貴重なものです。
飯盛城は最も初期に石垣を使い始めた城だと云われており、
後の時代の城のように石垣の上に直接建物が乗るのではなく、石垣は
城を作るために盛った土の押さえであった可能性があり、城の威容を
示すためのものだったのではないかと考えられています。





折角なので近所にあった『四条畷神社』へ立ち寄り参拝♪

四條畷神社の御祭神は楠正行公

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、不利を覚悟で南朝側に立って
戦った武将、楠正成公の嫡男です。
明治以降、父は大楠公、息子は小楠公と呼ばれ、親しまれました。

正成公は最後の戦いとなった湊川(現神戸市中央区)に出陣する際、
桜井(現大阪府三島郡島本町)で遺言します。
「父の死後は足利の天下となるだろうが、どこまでも正統の天皇を
お守りせよ。それが父への孝行となる」と。
これが有名な"桜井の別れ"です。
境内にはこの有名な楠父子の「桜井の別れ」を模した石像が
あります。

父の死後、後を追って自害しようとした正行公でしたが、母に
諭されて奮起。
十三回忌を終えると挙兵し、足利尊氏が仕向けた軍を撃破します。
しかし、四條畷で高師直・師泰の大軍と戦って惨敗し、弟の正時光と
刺し違えて自刃します。

明治になり、地元の神主たちが神社創建を嘆願。
明治22年(1889年)に現在地に創建の勅命が下り、
四條畷神社という社号が下されました。



時刻は昼過ぎ

次はもうホテルにチェックインの予定なのですが
予約していた時間まで3時間以上ある(滝汗)




ダメ元でホテルに電話してみたら
「今日は駐車場が空いているから、先に着いて車を停めて
観光していても大丈夫」との事




感謝!
圧倒的感謝!!!!



ご機嫌で車を飛ばして『新今宮』の駅前にある本日の宿
「ジネスホテルみかど」へ到着

車を停めさせてくれるどころかチェックインまで済まさせてくれ
荷物を部屋に置いたら早速大阪の街へ繰り出します♪


このホテル
正直言ってバックパッカーの外国人がいっぱい居て
ボロイし狭いし工事中で工事の音が五月蠅いしですが
新今宮駅の目の前で、有料とは言えこのリッチでは激安で近所に
駐車場まで着いていたので総合的に言えば最高です☆(笑)


何せホテルを出て徒歩数分で新今宮駅
駅を抜けて少し進むと・・・・・



☆☆☆『新世界』☆☆☆


早速「大丸」と言う粉もの系の店に入って
タコ焼き、お好み焼き、いか焼き、ネギ焼き、どて焼き、
大阪グルメを満喫しながら酎ハイで昼から乾杯☆


ま〜酒が注文してから持って来るのがやたらの遅かったので
ソコソコで退店・・・


再び新世界の街並みを散策しながら
大阪っぽい店や看板を見つけては楽しみつつ、
大阪府大阪市浪速区の新世界中心部に建つ展望塔であり、
何気に登録有形文化財である『通天閣』を下を通過したりして
大阪の街を楽しみます(笑)


まだまだ時間はあるので腹ごなしって事で少し歩き
『安居神社』へ行って来ました。
安居神社は少彦名神、菅原道真を祀るビル街の間に建つ小さな
古社です。

ま〜何で訪れたかって言うと、大坂夏の陣で戦死した真田幸村が
この場所で亡くなったそうで、その記念碑が建てられています。
俺は何度か来てますが、ミッキーは初だったので次の目的地までの
通り道だったので立ち寄ってみました。

その後、やって来たのは『四天王寺』
推古天皇元年(593年)、聖徳太子によって創建された
日本仏法最初の官寺である四天王寺。
崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が戦った際、蘇我氏側に立った
太子が、戦勝すれば四天王を安置する寺を建立し衆生救済につとめると
祈願し、勝利のあと本寺を建立し誓いを果たしたと伝わります。

境内中央にある中心伽藍は「四天王寺式伽藍」といわれる寺院配置で、
南から北へ中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並び、周囲を回廊が
囲んでいます。
これは六〜七世紀の中国や朝鮮半島の様式を今に伝える貴重なもので、
日本では最も古い伽藍の形式といわれ、法隆寺式伽藍
(五重塔と金堂が東西に横並びになっている)と対になって
紹介されます。

ここも初めてでは無いのですがミッキーは初だったのと
俺も久しぶりに拝観したかったのでやって来ました♪
しかもラッキーな事に、伽藍の中の見学時間が終わる直前数分前
に到着したので伽藍内部の見学は諦めていたのですが
係りのオバちゃんが「もう閉めるから駆け足で見て写真撮っておいで!」
と入り口周辺に居た我々に声を掛けてくれたので、かなり駆け足に
なりましたが¥0で見学出来ました!

う〜んこのノリが大阪か!?(笑)




来た道を戻り、再びそこそこ歩き続けて
お次は『今宮戎神社』へやって来ました。
大阪の新春を彩る祭礼「十日戎」で知られる今宮戎神社は、
聖徳太子が四天王寺を建立され時に、西方の守り神として
創建されました。
“戎神(通称えべっさん)”を祀る神社として有名です。
左手に鯛を抱え、右手に釣り竿を持った姿でお馴染みのように、
もとは漁業の神様であり、海からの幸をもたらす神を象徴しています。
かつて海岸だったこの地は、平安中期より宮中に鮮魚を献進する
朝役を担い、漁師たちは同社の戎神に大漁を祈りました。
平安末期になると四天王寺西門に「浜の市」が立ち、その守り神と
しても拝まれるようになります。
そして、市場は商業を発達させ、いつしか商売繁盛の神となり、
商都大阪の人々に親しく崇敬されるようになったそうです。
う〜んサクセスストーリー(笑)


今宮戎神社での参拝方法は少し変わっていて
社殿を参拝後、裏へまわってもう一度、銅鑼を叩きます。
再度叩くのは「念を押す」など、神様を友達感覚でとらえる
大阪らしい理由から。

裏からというのは、江戸期の商売の中心地、船場から見ると本殿は
南向きでそっぽを向いているので、お祭りの時くらいこっちを
向いてくれと願って始まったようです(笑)

少し足を伸ばして『道頓堀』にも行き、有名なグリコの看板を
見たりしてから、日も暮れて流石に再び徒歩で戻るのも怠かったので
電車で新今宮駅まで戻って、再び新世界へ突入!!(笑)

有名な「串かつだるま」で串カツを食って酒飲んで!

大阪って海が目の前だから寿司屋も多く、しかも大衆店が多いので
「大興寿司」と言うカウンターで板さんが握ってくれるタイプの
寿司屋に入って、刷毛で醬油を塗るタイプの寿司を満喫したりで
腹いっぱい食いましたーーーーーーー!



なのにホテルに帰る前にコンビニで飲み物だけで終わらずに
甘い物とか買い込む業の深さよ・・・(汗)




部屋に戻ってコンビニで買った酒を飲みながら
パチパチとガンプラ作成のお時間です(笑)

ま〜HGのガンダム5号機1体のみだったので
2時間ちょいで完成させてから就寝します・・・・・



明日は大阪を少し観光してから京都へ入ります。
明日も楽しく行きましょう!!



続く


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