もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2019年09月10日(火) 激動の九州2 中通島 若松島

朝、起床
って言うか、昨夜布団に入ったところから記憶が無く
気が付いたら朝って感じです(苦笑)


本日は晴天なり!
老ちゃんから「長崎港から船に乗りました」とメールも
来ているのでお互い無事に起きれて何よりです(笑)


サクッとチェックアウトを済ませて老ちゃんを迎えに
『有川港』へ向かいます。

船の到着前に着いたので、駐車場に車を停めて
この後の観光の調整や港の観光案内などを見て回りました。


港内の観光案内所や展示されている島由来の品々などを見ながら
船の到着を待ちます・・・


9時半過ぎ
到着した老ちゃんと
開口一番



「お疲れ様です」

お互いな!(涙)



取り敢えず、事前予約が必要で昨日、今日へ変更して更に先ほど
時間の変更をかけた世界遺産の教会へ行く前に、港の目の前にある
『海童神社』を参拝します。
鯨のアゴ骨の鳥居で有名な海童神社は、3年続けて決まった日に
海で溺れ死ぬ者があり、神社の信託により石祠を建てて祭り、
即席の「にわか芝居」などを奉納したのがはじまりと云われています。

旅の安全・・・って言うか、これ以上のトラブルが無い様に確りと
クジラ様にお祈りいたします(苦笑)


さてさて車に乗り込んで島を東へ移動

やって来ましたよ『頭ケ島天主堂』
世界遺産の教会です!
戦国時代、五島を支配した宇久純定がキリスト教布教を認め、
一時は2000人の信者がいたとされる五島。
しかし、幕府の禁教令で、キリシタンは途絶えました。

江戸時代後期の1797年、五島藩が大村藩に荒地開墾要員の移住を
要請したことをきっかけに、外海から潜伏キリシタンが海を渡り、
五島各地には再びキリシタン集落が出来ました。

上五島に属する頭ヶ島は、1859年頃から入植が始まり、役人の
目もあまり届かないことから、潜伏キリシタンが増え1867年
以降、上五島には長崎から密かに外国人神父が訪れるようになりますが、
翌年にはキリシタン弾圧「五島崩れ」が起きます。
頭ヶ島でも主だった信者が拷問を受け、島民全員が島を一時脱出した
そうです。
今では橋が架かり地続きになっています。
集落へは車両の立ち入りが禁止されているので、現在は閉鎖された
上五島空港へ車を停めて、そこから見学センターのバスで集落まで
送って貰います。

頭ヶ島には1887年に木造教会が建てられ、1919年に現在の
石造り教会が完成します。
鉄川与助の設計施工で、近くの島から切り出した石を、信者らが
船で運び組み立てました。
内部は船底のような折上天井で、随所にツバキをモチーフにした
花柄文様があしらわれ、「花の御堂」の愛称でも呼ばれています。
珍しい石造で重厚な外観を持ち、華やいだ内部が特徴的な教会として
2001年に国の重要文化財に指定されました。

こんな9月の平日に午後の見学予約が一切取れずにギリギリ
空いていた10:30の予約で見学出来ましたが、何故?と
思っていたら案内のお爺さんが教えてくれました。


これから教皇が来てここでミサやるってよ♪


マジで!?
そりゃあ一般人の見学なんて受けてる場合じゃないか(汗)

しかし、教皇って単語を日常会話で使う日が来るとは(笑)



教会以外にも墓地や美しい海などを眺めて迎えを待ちます・・・


空港跡まで戻り、再び車に乗り込んで観光再会!
・・・の前に
港の近所にあるお食事処「うどん茶屋 遊麺三昧」にて
上五島の代表的な特産品「五島手延うどん」を食います!!

腹減った(汗)


ガッツリとうどんを食って、更に美味そうだったので
イカの漬けを単品で注文して・・・


スゲー酒が飲みたくなって後悔(マテ)


いや、普通に美味かったんだけどね(泣笑)


次の目的地への途中で看板を見つけたので
『友住遠見番所跡』へも立ち寄りました。
正保4年(1647年)福江藩によって設けられた遠見番所の一つ。
遠見番所は異国船を発見し長崎奉行所へ伝達するために設けられた
施設です。
友住遠見番所は標高120mの番岳の峰の南側に築かれたと云われ、
案内板にはノロシ場の跡が現存しているとあるが、登っていないので
未確認です(苦笑)


続いてやって来たのは『青砂ヶ浦天主堂』
青砂ヶ浦にいつごろからキリシタンが住んだか不明だそうですが、
1878年頃には初代教会があったと云います。
1899年から青砂ヶ浦が上五島の中心の教会となった記録が
残っているそうです。
1910年建立の現教会は、鉄川与助設計施工によるもので、
信徒が総出でレンガを運びあげた3代目の教会となり、2001年に
国指定重要文化財に登録され、2010年に献堂100周年を
迎えました。

島を北上して行き、上五島の上の細い部分を進みます!
到着したのは『赤ダキ断崖』と呼ばれる標高443mの番嶽と
322mの小番嶽の鞍部に玄武岩質の噴火丘!
火山の地形でホマーテ(臼状火山)に属し、火口は北西に
開いています。
この南側が海蝕で著しく削り取られたところが赤ダキ断崖で
よく成層した火砕屑物の見事な断面を現しています。
地表にも広く分布している赤色のスコリアと山の緑、海の青との
コントラストが素晴らしく、夏に遠くまで来たぞーーー!って
強く思わせてくれます♪
因みに県天然記念物にも指定されています。

お次は『続代官所跡』へ
正平7年 ( 1352年 )に平戸松浦氏は続浜ノ浦郷を
この地域の知行の中心地として定め、代官所を置きました。
以降、続代官所は南北朝時代から約500年間、この地域の行政を
取り仕切っていましたが、明治を迎えて廃止。
しかし、現在でも館の遺構が確りと残っており貴重なものです!

島をぐるりと反時計回りに進み、橋続きの中通島〜若松島〜
漁生浦島〜有福島を通過して日島へ!
有名な『日島の石塔群』を見学です!
中世から近世にかけての古墓群で70基以上の石塔が累々と海辺に並ぶ
風景は圧巻!!!
関西方面の御影石や福井県の若狭方面の日引石など島外から
持ち込まれた石材が多く使われています。
大陸との交易品を運んだ帰りの船にバラスト(船の重し)として
持ち帰ったといわれており、都や大陸と往来した海上交易の拠点で
あったことを物語る史跡です。
これほど規模が大きく、長期的にわたって営まれた墓地は他に例を見ず、
大変貴重な遺跡であり、当時の漁村・漁業基地としての繁栄を偲ぶ
資料として五島史研究のみならず、民俗学的にも重要な遺跡です。
長崎県指定史跡にも指定され、日本遺産
「国境の島 壱岐・対馬・五島〜古代からの架け橋〜」の
構成文化財です。

見学後、その帰り道で通って来た若松島にて『土井ノ浦教会』へ

1915年に旧大曽教会を買い受け、大規模な修理を行って現在に
至っており、港から見ると天を仰ぐように建っている教会です。
外見と違って中は極めて重厚な造りである。教会の隣には
「カリスト記念館」があり、教会や信徒にまつわるものが展示されて
いるそうです。 
・・・教会前のミカエル像がぱっと見、カラス天狗に見えて
焦りました(汗)
長崎の教会にカラス天狗って何だよ!?ってセルフツッコミです(笑)

ご近所にて『極楽寺』を参拝
浄土宗極楽寺の本尊として祀られており、7世紀頃に制作された日本
でも数少ない国の重要文化財に指定された貴重な如来像が祀られて
いる寺でしたので、立ち寄って見ました!
・・・ま〜如来像は見れませんでしたが、寺分を補給です(笑)

再び中通島に戻り『仲ノ浦教会』へ
1925年建立の木造教会は、なくなってしまった久賀島の
細石流教会(鉄川与助設計施工)とよく似た天井や花の装飾が
特徴的です。
教会の目の前に入江があり、水面に教会が写る風景の美しさが 
有名なそうで、今日は天気も良いし風も無く水面も凪いでいるので
奇麗に見れるかも♪と期待して行ったら・・・・

水面に全く教会が写っておらず(汗)
この今日の天候などのコンディションで写らないって
いったいどんな条件なら水面に写るんだよ!!(怒)

若干ムカつきながら(マテ)島の南西部へと進み
『浜串教会』へ
外海地区から安住の地を求めて海を渡った信者がこの地に隠れ住んだ
事が発祥と云われており、1899年の鯨捕獲の利益金を持って
初代の教会を建立。
その後老朽化したことから1966年、海の近くに敷地を求め、
現在地に新教会を建設しました。

近くの港口には希望の聖母像が漁船の航行を見守るように
建っているとの事なので、折角なので見たくて探したのですが
中々見つからず(汗)
教会の先はすぐに行き止まりでその先は海なので見落としは
無いと思うのですが・・・

って、このバカでかい鉄扉開くの?!

普通に重かったけど開いたし(苦笑)


その扉を通り、より海側へ

狭い道を進むと海に突き出た小さな展望台に『希望の聖母像』が
建っていました。
「十字船団」とも称される遠洋まき網の船団の拠点でもある浜串は、
カトリック信徒の集まる漁村です。
漁港の入口近く、海に突き出した岩場の先端に建つマリア像
浜串教会が航海の安全と大漁を願って、1954年に建立し1996年
に建て替えられた優しい表情で海をみつめる純白のマリア像

海辺に建つ純白のマリア像
・・・絵になりますね〜♪

続いてはレンガ造りの教会堂としては珍しい日本的な
格組折上天井をもつ『福見教会』を見学です。
1799年、外海の黒崎からの移住者にはじまる教会とされ、
五島崩れでは迫害を受ける前に福見を離れ、迫害の時代が終わり
以前住んでいた土地に戻って来た時に荒れ果てていた土地を
再び住めるように戻し、1882年に最初の教会を建立
・・・2年後の大風で崩壊(涙)
その後、2代目となる現教会が1913年に建立されました。


15時過ぎ
取り敢えず、何とか無事に予定通り&追加分も全て観光を終える事が
出来たのでレンタカー屋へ戻り、再度お礼を述べてから車を戻して
会計を済ませました。
本当にありがとうございました!
感謝しかないです(涙)

16時
レンタカー屋の人に南の港『奈良尾港』まで送って貰い
18時の船の時間まで待機!


・・・まさかの待合所
エアコン無し!!!(滝汗)
あるにはあるが小さなスポットクーラーのみで
送風口は熾烈な場所取り合戦です(汗)

まだまだ船の時間まではあったので
蒸し暑い中、ただ待つ位ならと港から15分くらい歩いて
『奈良尾神社』へ行って見ました。
奈良尾は慶長年間(1596〜1615)頃
紀州広浦(現在和歌山県広川町)の漁師が、漁業基地として移り住み
栄えた町で、奈良尾神社はその漁民が紀州七社権現の分霊を祀った事
が始まりとされています。
ここは神社よりも参道が有名で、樹齢650年を超えるあこう樹が
神社へ繋がる参道をまたぐようにそびえ、まるで天然の鳥居!!
根っこが二股に分かれ、両足で地面に踏ん張ったような姿をしています。
樹齢650年を超えるあこう樹の下をくぐると長生きできると
伝えられる上五島のパワースポットで高さ25m、幹周り12mで
日本一の大きさを誇ります。
1961年4月27日に国の天然記念物に指定されました。

神社までの行き返りに通ったトンネルの中が一番涼しかったです(笑)



今回は心に余裕のある船旅で(ヲ)
18:20
あっと言う間に福江島の『福江港』へ到着です。

港へ迎えに来てくれたレンタカー屋さんの車で
レンタカー屋へ移動して手続きを済ませて出発!

と言っても、今日は後は宿へ行ってチェックインをするだけです
けどね(笑)

ま〜でも折角なので過去に行った事がありますが『石田城』
くらいは見ておきますかね!(過去日記参照)
石田城は「粟津の戦い」で木曽義仲を討ち取る大功を挙げた
石田為久の居城として知られています。
石田城は幕末期に海防強化の理由により幕府から築城を許された
城であり、幕藩体制下最後の築城となった城です。
現在は学校の敷地部分も多いですが、それでも城門や石橋、水堀
など遺構も多く良い城跡です♪

宿から「到着したはまだですか?」と電話が何度かありましたが
些細な問題でしょう(マテ)


『福江』市内の「民宿かんこう」が今日、明日の宿です!
車を借りたレンタカー屋とは別のレンタカー屋の2階が宿で
レンタカー屋のカウンター隣りの階段から入ります(笑)

チェックアウトを済ませ、嫌になる前に『鬼岳温泉』へ向かいます。
鬼岳のふもとにある滞在型リゾート「五島コンカナ王国」内に
ある天然温泉で褐色の濁り湯が特徴です。
鉄分を含む赤い温泉に浸り、緑の鬼岳、碧い海、碧い空を眺められる
絶好のロケーションが売りの1つらしいですが・・・

街頭も殆ど無い山道を車で登って行き、登り過ぎて山頂まで行って
しまい迷子になりつつも到着(汗)
で、そんな中で入ったので露天風呂からの景色は闇一色!

ま〜風が気持ち良かったので落ち着いてマッタリと入浴です♪

素泊まりプランだったので、帰り道で近所のスーパーやコンビニで
晩飯を買ってから部屋で食いました。

海鮮系を食いたかったのですが、あまりラインナップが無く
・・・・妥協に妥協を重ねて買ったのが

メカブとカニカマ(爆)


海鮮系ですが、何か??



後はやたらと酒の品揃えが良かった薬局で
地酒を購入!

部屋で夜更かししない程度に酒盛りです(笑)



明日からはやっと当初の予定通りに観光です。
やっと取り戻せましたね(泣笑)

ま〜ただ、明日も朝から船を乗り乗り島を2つ巡るので
忙しいですが頑張りましょう!


続く


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